第29話 その3「悪魔 アスモデウス」
玄関で見送る華歩が見えなくなる所まで歩いた辺りで司は導華に問いかける。
「悪魔、ですか?」
悪魔。片穂と出会ってから怒濤のように押し寄せた悪魔たちは今でも司の記憶の中に鮮明に残っている。そして、司たちをギリギリまで追い込み、全てを懸けた一撃でさえ片腕を落とすことしかできなかった悪魔アザゼルの脅威も体に染みついていた。
「……うむ。嫌な気配じゃ。すぐに行こう」
「うん。早く行かないと」
司が気付かぬうちに、二人の気配が天使そのものになっていた。そして、その姿さえも変わり始める。
片穂と導華を淡い光が包み始め、その装いが変化して神々しさを帯び始める。さらに大きな純白の翼が二人の背中に出現し、瞬く間に天使が目の前に顕現した。
「さて、場所はあまり遠くない。すぐに行くぞ」
「うん」
片穂はそっと頷くと、天使に見惚れる司の前に手を差し出し、優しい笑顔を見せる。
「行きましょう、司さん。一緒に、戦ってください」
「あぁ。もちろんだ」
司の選択に躊躇いはない。確かに、悪魔は恐い。心の中に染みついた恐怖は、未だに残っている。それでも、躊躇わない。片穂と共に闘うのなら、何も怖くない。
司が片穂の手を取ると片穂の体が再び輝き、その体そのものが光となって司の体を纏い始める。光となった片穂は司の中へとその居場所を移し、佐種司という人間存在そのものを一つ上の次元に昇華させていく。
そして司の背中に天使の翼が現れ、司は天使へと姿を変える。
「大丈夫そうじゃな。行くぞ、司」
「はい。行きましょう」
そういうと、二人の背中にある翼が大きな音を立てて風を起こす。そして、司と導華は翼を羽ばたかせ悪魔の元へ飛び立った。
一分も経たない内に、司にもわかるほどの禍々しい気配が街の大きな交差点で異様な雰囲気を放っていた。
「司! 結界を!」
「はい!」
司はすぐに体の前で手を交差させて、力を集中させていく。
「【
片穂が以前発動した時のように司の手に圧縮された光が一気に解放されて、その地域全体を覆っていく。
覆われた結界の中にいる人々は一斉に外へと歩き出し、交差点にいるのは黒く蠢く無数のデーモン。そして、その中心には特異なまでの漆黒のオーラを放つ存在が一つ。
司と導華は地上へと降り、悪魔の前に堂々と立つ。
その悪魔は黒い衣を身に纏っているのだが、アザゼルとは違った雰囲気を感じる。理由はその外見にある。二人の前に佇む悪魔の見た目は明らかに子供。童顔で背も小さく、服装を変えれば小学校にでも通えてしまうのではないかと思うほどだった。
「白昼堂々やってくれるのぉ」
導華の言葉に、悪魔は笑みを浮かべながら返事をする。
「やぁ。これはこれは天使の方々。いつもお勤めご苦労様です」
嫌みたらしく言葉を発しながら紳士のように頭を下げる悪魔に対して、導華は表情を一切変えずに続ける。
「見ない顔じゃな。誰じゃ。お前は」
「僕の名前はアスモデウス。悪魔アスモデウス。以後、お見知りおきを」
「聞き覚えのない名前じゃな」
「僕は十年前の戦いのときにはまだ未熟で不参加だったからね。幹部になったのは最近だから、分からないのも当たり前か」
幹部、という言葉を始めて耳にしたが悪魔の組織的なもので力を持つ悪魔が幹部になれるのだろうか。だとするならば、幹部に相当するほどの大きな力を持つ悪魔を、司を知っている。
「幹部って言うなら、アザゼルと同じくらいの強さってことか?」
司の言葉を聞いた瞬間に、アスモデウスの周りの空気が瞬間的に重さを増し、重力が強くなったのではないかと思うほどの圧力が司たちを襲う。
「あんな身勝手なやつと一緒にするなッ! サタン様の命令を聞けないやつなどいくら力があったとしても僕は幹部とは認めない!」
先ほどの落ち着いた様子とは一転して狂気に染まったように目を見開き声を張り上げるアスモデウスに、導華は少しも動じることなくその場に佇み、納得したように口を開く。
「なるほどな。じゃからあいつは人間を襲わずにワシらを待っていたわけか」
アスモデウスは舌打ちをして言葉を吐き捨てる。
「チッ。やはり回収せずに戦いを選びやがったか。使えないやつめ」
「導華さん。一体何の話を」
導華とアスモデウスの会話に理解が追いつかない司の心の中から疑問を解消するための声が聞こえた。
『悪魔の本来の目的は人間に取り憑きその人の中にある負の感情を増幅させることで生まれる力を回収することなんです。それが、悪魔たちの養分となるんです』
悪魔と言う存在に餓死という概念は無い。しかし、力を蓄え、自らの力を高めるためには人間の負の感情が悪魔には必要不可欠なのである。だからこそ、現れる回数自体は少ないものの、悪魔たちは人間に取り憑くことを止めないのだ。
「なるほどな。それが悪魔たちの目的ってわけか」
はい、という片穂の声が心に響いた直後に、アスモデウスが笑みを浮かべながら言う。
「ある程度養分は回収できたから本当はもう帰ってもいいんだけど、ここでお前たちがが現れたならば話は別だ。天使を二人倒したとなれば、サタン様の評価も上がることだろう。ヒャハハ!」
「お前みたいなガキにワシらを倒せるわけがなかろう。尻尾を巻いて逃げてもいいんじゃぞ」
悪魔の笑みが止まった。
「ガキ……だと?」
「そうじゃ。お前の見た目を端的に表現しただけじゃろうが。何の問題がある」
アスモデウスの怒りを誘導するように導華は挑発的な態度を取った。その態度に、アスモデウスは憤激し、再び声を張り上げる。
「何様のつもりだッ! 天使風情がこの僕に、悪魔アスモデウス様に向かってガキだと!? 調子に乗るなッ! 第一、お前の方がガキじゃないか!」
「全く。随分と沸点の低い奴じゃな。アザゼルだったら、冷静だったじゃろうに」
大きく腕を振り、アスモデウスは憤怒の炎を燃やし続ける。
「僕はサタン様に忠誠を誓い、そのために行動している! あんな戦闘狂と一緒にするなッ! 虫酸が走るッ!」
アスモデウスはそう吐き捨てると自分の周りを囲むデーモン達へ指令を発する。
「お前らはここで殺してやるッ! 行け!」
その言葉と共に、無数の悪魔たちが司たちに襲いかかる。
「ふん。返り討ちにしてやるわ。司。行くぞ」
司は頷き、右手を大きく開いて自分の武器を呼び出す言葉を唱える。
「はい。――【
その言葉と共に司の開かれた掌に光が集まり、その神々しい光が剣を形作っていく。
戦闘準備の完了した司の横で、導華も姿勢を低くして攻撃の準備を始める。
「行くぞ。悪魔ども。蹴散らしてやろう」
導華の足に力が入る。そして、その一歩目を踏み出す時に口を開く。天界随一の戦闘力を誇るエリート天使、天羽導華の高速の打撃技。その技の名前を導華は口にする。
「【
言葉を言い終えた瞬間に導華の姿が消え、強烈な拳がデーモン達を消し飛ばして――
『お姉ちゃん! 待って!』
デーモンの顔に拳が触れる瞬間に、片穂の声が響いた。後数センチでデーモンに触れるというところで、導華の動きが止まる。そして、デーモンの姿をはっきりと見ると、導華はその目を丸くする。
「……これは…………ッ!」
導華は再び一瞬で司たちの横に戻ってきた。その様子を見てアスモデウスは甲高い笑い声を上げる。
「ヒャハハハ! やっと気付いたのかい。随分と鈍感な天使様だ」
導華は嫌悪と怒りを目に宿してアスモデウスを睨みつける。
「ただの回収ではなく、『強制契約』か。屑め」
導華が見たデーモンは、悪魔の瘴気を纏った人間だった。人間としての自我が見えず、姿も完全にデーモンのそれと化している。司の天使化とは比べ物にならないほどにそれは人間からかけ離れたものだった。
さらに、余りにもその力が纏わりついている上に、ここは【縛魔之神域】の内部である。通常悪魔は人間に取り憑き負の感情を回収することでその目的を完了するので、敵が人間だとは思っていなかったのだ。
「強制……契約?」
首を傾げる司に、片穂が心の中で説明を始める。
『私と司さんの契約は正式な契約なのですが、悪魔の場合はそれを通り越して人間と強制的に契約をして悪魔化させることが出来るんです。負の感情が爆発的に増加し、それを回収するのも戦闘に運用することも出来ます。ただ……』
「ただ?」
『全ての人間が天使や悪魔を許容出来るわけではないんです。特に悪魔は人間と契約が出来ないように天使よりも限られた人間しか悪魔を許容できません』
天使や悪魔を全ての人間が視認できるわけではない。きっかけがあったとしても、そういった存在を視認し、干渉出来る人間は少ない。しかし、目の前の人間たちはそれとは関係の無い、ただこの交差点を歩いていた一般人のはずだ。
「でも、今目の前にいるのは、悪魔と契約した人たちなんだろ?」
『だから、強制なんです。その人の命を削り、負の感情を引き出させ、力にする。そして、命を削られた人たちの行きつく先は……死です』
死だと、そう天使は告げた。
「死……?」
「……そう言うことじゃ。早くこやつらを解放せんと、皆死んでしまう」
言葉自体は冷静だが、導華の表情には少しだけ焦燥感が見えた。その焦りは、司にも伝染する。
「ど、どうすれば……」
「悪魔化しておるから攻撃は通るが、手加減して意識を落とせればなんとかなるじゃろう。ただ、すぐにやらねばな」
本来、人間と天使は干渉できない。しかし、例外もある。一つは、司のように異常なまでの天使への適合性がある場合。そして、もう一つは、
人間が、悪魔になった場合である。
「手加減、ですか」
司は悪魔化した人間たちを見る。その表情からは生気が飛び、その姿からは人間らしさは全く存在しない。漆黒の瘴気を身に纏う悪魔にしか司には見えなかった。
戸惑いながら返事をする司に、導華は目を悪魔から離さず話しかける。
「片穂のような力任せな戦い方では難しいじゃろう。『強制契約』された人間たちはワシに任せろ。司は、あの屑を任せる」
導華は目線でアスモデウスを指す。
「わかりました。あの悪魔は、俺が倒してきます」
司は一歩前に出て不気味に笑うアスモデウスに剣先を向ける。
「行くぞ。悪魔」
司の言葉を聞いてアスモデウスは嬉しそうに笑い声を上げる。
「ヒャハハハ! おいで。可愛がってあげるよ」
司は剣を構えて低い姿勢を作る。
「行こう。片穂」
『はい。行きましょう』
この片穂の一言だけで、司の心から悪魔への畏怖は消え去る。それほどまでに、片穂が自分の中にいてくれるという感覚は安心をもたらす。
「おらぁ!」
司は勢いよく地面を蹴り、アスモデウスに向かって一直線に高速で移動する。
しかし、アスモデウスはその場から動かず、依然として悠悠としてその場に立ち続ける。司が近づいてもその態度は変わらない。
しかし、司がアスモデウスに剣を振りおろそうとした瞬間に、怪しく笑う悪魔の口が開く。
――【
司の振り下ろした剣は、アスモデウスを斬ることはなく何か別の物に弾かれた。
「なっ!」
アスモデウスは漆黒の闇で構成された球体で覆われており、それが悪魔の体を司の攻撃から護っていた。そして、その球体の様な壁は半透明で、悪魔がその中で平然と立っているのを司は目にした。
アスモデウスは司を見て余裕を持った笑みを浮かべ続ける。
「あの戦闘狂が矛だとしたら、僕は盾さ。君の剣じゃ。僕の盾は壊せないよ」
堅い闇の壁の中で、アスモデウスは天使たちを嘲笑っていた。
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