第12話 その7「悪魔 アザゼル」
司が学校へ行ったのを見送った片穂と導華は、先ほど食べ終わった朝食の後片付けをしながら会話をしていた。
「やはり、まだ全部忘れておるんじゃな」
「うん。そうみたい」
寂しげな声で片頬は返事をする。
「すまんな、片穂。ワシのせいで」
「ううん。いいの、規則なんだもん。お姉ちゃんは何も悪くないよ」
「罪滅ぼしとは言わんが、出来る限りはお前の手伝いをさせてもらおう」
片穂は笑顔で導華に答える。
「ありがとう。でも、自分でやれることは出来る限り自分でやりたいの」
「片穂も変わったのぉ」
微笑みながら話す導華に片穂は落ち着いた様子で、
「ううん。何にも変わってない。あの時から、私は私でいようって決めたんだから」
「そうじゃったな。それでも、お主はとても成長してくれた。ワシはとても嬉しいんじゃよ」
「ありがとう。お姉ちゃん」
片穂は笑顔で導華に感謝を伝える。
「ほれ、手が止まっておるぞ! そんなでは家事を全てこなすのは夢のまた夢じゃの」
「むぅー。またそうやってお姉ちゃんは。頑張るからいいもん!」
例のごとく頬を膨らませて片穂は導華を細目で見る。そして二人は家事を再開していくが、その動きに変化が起こるのはそれからすぐのことだった。
ピクッと天使二人が何者かの異常な存在を感知して反応する。
「片穂……気付いておるか?」
最初に口を開いたのは導華だった。
「うん。でも、ここまで大きな気配って、普通の悪魔じゃない……よね?」
「うむ。この気配は少しだけ憶えがある。恐らく、そこらの悪魔とは格が違うのぉ」
「大きな気配の周りにデーモンたちもかなりいるみたい……。二人で大丈夫かな?」
「とりあえず天使や悪魔と接触できる司は別の場所に隠れさせたほうがいいじゃろうな。片穂、司の通う学校の場所はわかるか?」
片穂は思いだそうと少し考えるが、すぐに口を開く。
「ごめん。わからないや」
「そうか。少し嫌な感じがする。片穂よ、すぐに出るぞ」
不安そうな片穂の表情。天使二人は正確な数こそ分からないものの、その数が優に千を超えていることを感じ取っている。
そして、その中心にいる悪魔が大体どれくらいの力を持っているのかも感覚的にわかっている。
その強さは片穂では到底太刀打ちできないような力。導華ではないと勝つことは厳しいだろうと、戦う前から片穂は予感したのだ。
「でも……大丈夫かな?」
そんな不安を感じ取った導華は片穂の目を見て、堂々と、
「何を言っておる。ワシは天羽導華じゃぞ。そして―――」
少しの間を開けて、導華はにかっと笑い、
「お前はワシの妹である前に、天使カホエルじゃ。あの日の決意、忘れたのか?」
「忘れるわけないよ。でも……そうだね。弱気になっても仕方ない! 私は、私のままで大丈夫! 私は、私にしか出来ないことを!」
そして、片穂は少し遠くを見ながらそっと小さく呟く。
「ですよね? 司さん」
「それでよい。準備はいいか?」
片穂の決意を確認した導華はゆっくりと扉を開けて外へ出る。その後ろに片穂も続く。
外に出ると二人の少女は淡く白い光に包まれて、天使へと姿を変え始める。
片穂は純白のワンピース。導華は橙色のノースリーブとショートパンツ。全く別に見えるが、どちらも天使であり、根本的な存在感には似たようなものを感じる。
天使へと姿を変えていく中でもっとも天使を象徴する白銀の翼が現れる。
そして神々しく、神聖な存在が肩を並べる。
自信に満ちた表情。二人の天使は顔を見合わせて、
「行こう。お姉ちゃん」
「うむ。いくぞ」
天使は戦場へ向かって羽ばたいていった。
二人の天使が悪魔たちの群がる場所へ辿り着くまであまり時間はかからなかった。
空を飛ぶ二人が辿り着いたのは司のマンションから徒歩だと約十五分ほどで着くであろう高校だった。実際は空を飛んでいるため一分ほどで着いているのだが。
「ここは……学校……?」
「やはり……ここじゃったか。仕方あるまい。片穂! まずは結界じゃ! 今回はいつもより大きめに頼むぞ!」
「はい!」
片穂は両手を空中から地面に向かってかざし、力を集中させる。
「大きめの……【
光が掌に凝縮され、限界まで圧縮された光が一気に解放されると、学校の周りの住宅街までを巨大な光の結界が覆う。
昨日や一昨日とは一回りも二回りも巨大な結界。当然なのだが、今回の悪魔たちの規模は今までとは比にならないほどの量であり、戦いが激しくなると学校周辺だけで立ち回るのは片穂にも導華にもさらに負担がかかる。
それならば少し多めに力を使ってでも結界を大きくした方がいいという導華の判断に片穂は従ったのだ。
結界を張り終わると、建物から一斉に人が無意識に結界の外へと歩き始める。
しかし、何千といる悪魔たちはその人々に見向きもしない。
「これを見ると、明らかにワシら狙いじゃの」
「そうみたいだね」
天使たちは人々の避難が完了するまで待機していたが、片穂はその中に見知った人影を見つける。
「あの人は……!」
片穂が空中から降りると校舎から結界内の人間の行動に沿わない男が天使を見つけて走ってくる。
「片穂! これは一体どうなってんだ!」
司が片穂の元へ詰め寄るとすぐに今の状況を問い質す。
「司さん!? なんでこんな所にいるんですか!?」
「それはこっちのセリフだ!ここは俺の高校だぞ! なんでこんなに悪魔がいるんだよ!」
「恐らく、これが昨日お姉ちゃんが言っていた上位悪魔の攻撃です。見えますか?」
司の動揺や混乱を落ち着かせるために、片穂は丁寧にゆっくりと話す。
「あの中心にいる悪魔は明らかに格が違います。あれが、今回の親玉です」
片穂が視線を移す先に、司も目を移す。
「あれ……が……?」
視界に移るのは無数の悪魔。その中に異常な存在感を示す人影がまるで天使たちを待つように見下ろしている。人間にも分かるほどの禍々しさ。
闇そのものを司は人生で初めて体で経験した。こんな遠くにいるのに、怖い。寒気すらしてくる。
「はい。これから先の戦いは昨日や一昨日とは全く別物と思ってください。普通の人間が近づける場所ではありません。学校のどこかに隠れていてください」
悪魔への恐怖を肌で感じている司は、片穂の言葉に素直に従う。
「そ、そうか。片穂がそう言うなら隠れてたほうがいいよな」
「ありがとうございます。では―――」
「片穂!」
司は、空へ再び羽ばたこうとする天使を呼びとめる。言いたいことはたくさんある。でも、すぐに言葉にすることが出来ない。
言葉に詰まりそうになりながらも司は片穂になんとか自分の気持ちの一部だけでも伝えようと声を出す。
「気をつけて……な?」
きっと顔にはっきりと出てしまっているだろう。片穂のことが心配だと。行ってほしくないと。目の前で女の子が傷つくのなんて見ていられない、怖いんだと。
そんな司を見ても片穂は笑う。そして笑って、いつもの様に言うのだ。
「はい! ありがとうございます! 司さん!」
司の心に沁み込み、強張った心を優しく抱きしめてほぐしてくれる。そんな笑顔。
それに比べて自分は情けない顔をしていたに違いない。でも、そんな司に片穂は笑ってくれる。こんな中途半端な気持ちの司には決意に満ちた表情をする片穂を引きとめる資格なんてないのだ。
心配する司を地上に残したまま、天使は空へと舞い上がる。
そして、片穂は再び導華の横に並び、悪魔たちを見つめる。
「片穂、周りの雑魚共は任せたぞ。ワシはあの親玉ぶん殴ってくる」
「うん。気をつけてね。お姉ちゃん」
自分の姉がどれ強いかは知っている。自分よりもどれだけ強いかも知っている。それでも、心配せずにはいられない。天羽導華は、姉なのだから。でも、だからこそ信じて任せられる。
そして妹が姉を心配するように、姉も妹をより心配している。
自分の妹が、どれだけ弱いかを知っている。どれだけ不器用なのかも知っている。だから姉は心配するのだ。
でも、妹が今までの間にどれだけの努力をしてきたも知っている。だからこそ、後ろを託せるのだ。
「ワシの心配はいらん。お前は自分の心配せい」
「うん。行ってくるね」
真剣な表情で悪魔たちを見つめ、そして片穂は悪魔の群へと羽ばたいていく。
片穂がデーモンの群へ飛んでいくのを見届けた導華は、視線を敵軍の中心へ向ける。
そこには圧倒的な存在感を放つ黒い人影。その背中には天使と酷似した漆黒の翼、身に纏う衣も全て黒。そして禍々しいオーラが体中から溢れている。
その大将の元へ自らの力を使って導華は一瞬でたどり着く。
近くでその邪悪な存在を確認すると、導華はゆっくりと口を開く。
「さて、来たみたはいいものを、やはりお主だったか。師匠に懲らしめられたと聞いたが、その様子だと堕ちる所まで堕ちたようじゃの。――アザゼル」
名前を呼ばれた悪魔は少しも動かずに仁王立ちをしたまま声を出す。
「そのババアみてぇな話し方とガキみてぇな見た目。噂にゃ聞いていたがお前がカトエルか。聞いた話だとお前、ラファ公の弟子らしいな」
その声は低く落ち着いているが、常人では耐えきれないほどの圧力を持っている。
言葉だけでも異常な重み。一歩も動いていないにも関わらず、その悪魔がどれだけの力を持っているのかがはっきりと分かる。
しかし、それを分かっていても尚、導華は微動だにせず、言葉を返す。
「じゃったらどうする」
「あいつには世話になったからな。いつか借りを返してぇと思ってたんだ。」
威圧感を放ったまま話す悪魔に天使は問いかける。
「お主の目的はそんなことではなかろう。こんなことをして何になる。一体何を企んでおるのだ」
「はっ。そんなのお前たちには関係ねぇよ。ただ一つ言うなら、これは誰に言われた訳でもない。俺自身の目的のためだ。そのために、てめぇらを倒す必要がある」
「そんな自分勝手なことにワシらを巻き込むでないわ。この外道めが」
「わりぃが、お前なんかとごちゃごちゃ話をしてる時間はねぇんだ。いくぞ」
そこで初めて悪魔が動き、戦闘準備を始める。
「【
悪魔の右手が開かれ、そこに影が蠢き、集まり、剣となる。
片穂とは真逆の闇の剣。剣自体に異質な雰囲気が纏わりつくような感覚だった。
堕天使アザゼルが身構えた瞬間、殺気が辺り一帯を埋める。陰で隠れている司でもはっきりと感じる。寒気。死の恐怖。隠れているのに、敵にすら思われてないのに、それでも溢れる殺気が司を震え上がらせる。
そんな殺意を一身に受けている天使も悪魔への殺気を向け返す。
「こい。堕天使、いや、悪魔アザゼル」
そして導華も力を溜めこみ、言う。
「【
その言葉が言い終えた時には天使と悪魔の影は無かった。
「なんだよ……これ」
司は校舎の陰からその戦いを見ているが、それは戦いや争いで形容できるものではない。もっと別のそれよりも上の―――
「まるで……嵐じゃねえか」
天災だった。司の目には嵐にしか見えない。戦っている姿が見えない。
攻撃がぶつかり合っているような衝撃波が異常な速さで吹き荒れている。現実とは思えない光景。
他に介入する余地などどこにもない、圧倒的な戦闘力。
ほんの少し前まで、司は天使二人の戦いを微力ながらでも何かしらの支援をしようと思っていた。
しかし、夥しい数の悪魔に剣を振るう片穂と嵐のような導華の戦いを目の当たりにして、司は一歩も前に進めなかった。
格が違う。自分の無力がはっきりと明確に突きつけられる。今、悪魔の群に走っていこうものなら恐らく小さな虫を払うかのように蹴散らされてしまうだろう。
そんな結果が見えているから、司は前に進めない。悔しさと共に、立ち往生するしかなかった。
嵐の周りでデーモンの大軍を刻み続ける天使は自らの姉の戦いを横目に見る。
そして感じる。自分はあの戦いには入れないと。自分の実力では姉の邪魔になると、理解しているのだ。
それでも、片穂は自分がすべきことも理解している。
力が及ばなくても、片穂は自分がやるべきことに全力を注ぐ。
「お姉ちゃんが戦いやすいように、できるだけ早くデーモン達を倒す!」
片穂は敵を斬るスピードを上げる。しかし、いくら減らしても数は一向に減らない。片穂はひたすら剣を振り続ける。
そして、立ち回りの中でデーモンたちが集まるタイミングを見つけた片穂は腕に力を込める。
「全部まとめて、倒してやる! 【
片穂が言葉を唱えると同時に光の剣が、さらに輝く。輝きを増した剣に集まる光の密度が上がっていく。そして、輝く剣を大きく振りかぶり、全力で振り下ろす。
「はぁあああ!」
剣に圧縮された光が、巨大な斬撃となってデーモンへ向かって飛んでいく。斬撃は一瞬で大量の悪魔を斬り裂き、数は半分以下になる。
少しばかりの疲労を感じながらも再び気力で体を奮い立たせ、声を上げる。
「お姉ちゃんの邪魔は、させない!」
天使は悪魔の群へ再度向かって行った。
妹がデーモン達を圧倒している一方、嵐の中で戦う天使と悪魔の実力は拮抗していた。
アザゼルの斬撃を避け、腕で剣を弾き、攻撃を凌ぐ。その中でも、少しでも隙間があればすかさず拳を叩きこんでいるが、アザゼルも同様に避け、拳を剣で防御する。その攻防が目にも止まらぬ速さで繰り返されていく。
「これでも、戦闘能力は天界でも高く評価されているんじゃがな」
皮肉混じりの天使の言葉に悪魔は微笑する。
「それなら興醒めだな。ラファ公なりお前の妹のお師匠様でも連れてこないとすぐ全滅だぞ」
「戯言を言うでないわ。そんな簡単にやられるほど、ワシの師匠の鍛え方は軟ではないぞ」
「そんなボロボロの体で言われても、説得力が微塵もねぇぞ」
回復のスペシャリストであるはずの天使の体にはギリギリ避けきれなかった斬撃による浅い切り傷が多数あった。
今回の戦闘において、アザゼルと戦うために導華は力の分配を変えていた。
導華は活性化による身体能力の向上に普段よりも力を使っているため、その活性化の負荷に追いつくように体を回復するためには、外傷の回復を無視して戦い続ける必要があったのだ。
「傷がどうした。舐めるなよ。ワシは癒しを司る大天使ラファエル様の弟子じゃぞ」
天使のプライドは、妥協を許さない。
導華は天使の力を外傷の治療にも回し始める。
力の減少するスピードが速くなることで不利になるのは導華のように見えるが、これは相手に自分が戦いながらも回復が出来ることを知らせることに意味があるのだ。
「ほう。これぐらいだと、すぐに治るか。しかし関係のないこと。再生が間に合わなくなるまで一瞬で切り刻めばいいだけだ」
これが、導華の狙いだった。アザゼルは導華がラファエルの弟子だとは知っているが、司と同様に力と回復が頭で結びついていないのである。
この本質がわかっていない場合、本来は導華に時間がないはずであるのに敵が逆に時間をかけないように立ちまわるのだ。悪魔や堕天使といっても、天使と同様に力の量には底がある。
そして、相手が回復を専門としているのならば当然戦い続けていくと不利になるのは回復が出来ないほうである、と勘違いをするのだ。
活性化とその負荷と外傷の回復を同時に行うことで大量に力を使う導華の方が不利になってしまうのに、敵はこちらの望むように短期決戦に持ち込もうと考えるのである。
アザゼルの言葉に、導華は虚栄を悟られないように強気で返事をする。
「やれるものならやってみよ」
「そのつもりだ」
短期決戦に移った悪魔と天使の攻防は先ほどよりも勢いを一層増して、嵐はさらに大きくなり、吹き荒れていた。
導華の死闘の横で、片穂は着実にデーモンの数を減らし続けている。何千といた悪魔の数はすでに二桁まで減っていた。
残り少なくなってきた力を振り絞り、片穂は再び剣に光を圧縮させる。そしてもう一度片穂は悪魔の群に大技を放つ。
「はぁああ!!」
再び剣から光の斬撃が飛び、悪魔たちを一掃する。残る悪魔は、斬撃の衝撃で地面に叩きつけられた数体のみである。
片穂は剣を下向きに構え、急降下して倒れている悪魔に突き刺し、残る悪魔も数秒足らずで片付ける。
全てを倒しきった片穂は、一呼吸置いてから、横の嵐に向かって叫ぶ。
「お姉ちゃん! 周りのデーモンは全て倒したよ! 思う存分、暴れて頂戴!」
笑みを浮かべながら、片穂は敵の殲滅を報告すると、導華もそれに笑顔で答える。
「よくやった片穂! 後は安心してワシに任せ―――」
しかし、その笑顔が一瞬にして険しい表情に変わり、声を張り上げる。
「避けろッ! 片穂ッ!」
「え――――」
悪魔の奇襲。
大技を使って敵を一掃した疲労と、全てを倒しきったと思い込んでしまった油断が一瞬の隙を生んだ。
その隙を、機会を、隠れていた悪魔は逃さない。
狙い澄ました悪魔の槍は天使を突き刺そうと一直線に向かってくる。
高速で槍は片穂へ近づく。そして、
悪魔の槍は、佐種司を貫いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます