第10話 その5「導華さん」

 司が扉を開けて、司は部屋へと足を踏み入れる。それに天使二人も続いて入っていく。


 自分の部屋に人を招いたことはあったが、女性二人を部屋に入れたことのない司は昨日片穂を家へ招いた時と同じ緊張を感じる。


 三人が部屋の中心へと入っていくが、実際にワンルームに三人が入るとなると少し窮屈さを感じる。導華が小柄なのが唯一の救いだろう。


 導華は胡坐をかき、片穂は正座。一見するだけだとあまり姉妹という感じではないのだが、雰囲気そのものはそっくりで司は改めて姉妹を感じた。


「お姉ちゃん! なんで私の転送先が司さんの家になってるの!?」


 三人が座ってすぐ、片穂は身を乗り出して今回の出来事の発端を訊く。


 しかし、導華の返事は片穂の予想とは別のものだった。


「それがの、天界で確認していた限りは何も異常がないんじゃ。実際ワシもこっちにきて始めて片穂の転送に手違いが起こったことを知ったんじゃよ」


 腕を組みながら落ち着いて話す導華とは違い、片穂は動揺しているようだった。


「そ、そんなことってあるの?」


「今まで、こんなことはなかったのぉ。もしワシらの力に干渉したのだとしたら、まず人間には不可能。かといって天使にそんなことするやつもおらん」


「じゃあ、悪魔が関係しているってこと?」


 片穂の自信の無さそうな推測に、導華は相槌を打ちながら、


「そうじゃな。それと片穂よ。お主はもう一つの異常に気付いておるか?」


「もう一つ……?」


 問いかけの答えが浮かばない片穂の不思議そうな顔を見ながらも、導華は声色を変えずに話し続ける。


「短期間に悪魔が出現しすぎなんじゃよ。これも今までなかったことじゃ」


「それは私も不思議に思ってたけど、デーモンしかいなかったよ?」


 片穂の不思議そうな顔のまま続ける。


「それが異常なんじゃ。力のある悪魔たちが何かするならまだわかる。ただ、昨日の攻撃でワシ以外の天使いるということをわかった上でまたデーモンだけしかいないとなると、ただの負け戦にしか見えん。意味がないんじゃよ。そもそもワシは長い間ここら一体を管轄しておるし、悪魔たちも知らんわけではなかろう」


 導華の説明で片穂はようやく導華のいう『異常』に気付く。


「そうだね。昨日みたいに人間に取り憑こうとするならまだしも、今日にいたってはまるで私が来るのを待っていたかのような動きだった」


 さすがに話についていけない。今までは何となくでもわかったが、片穂を故意に狙うことについては予想のしようもない。二人は理解しているようだが、司は二人の会話を理解するために、間に入り問いかける。


「ちょっと待て、片穂を待ってたってどういうことだよ」


 司の質問に、片穂が答える。


「言ってませんでしたね。今日悪魔たちが現れ、そこに向かった時、悪魔たちは人を襲わずにまるで私を待つかのように待機していたんです」


「それが何で異常なんだ?」


「本来、悪魔、特に下級のデーモンたちは基本的に人に取り憑くことで負のエネルギーを発生させて、自らの養分とします。そしてデーモンたちは上級の悪魔の手下のような存在なので、特別な命令をされない限りは人間に取り憑くことを優先し、私たち天使と出会ったときのみ戦闘になります」


「ってことはどういうことなんだ」


 片穂の代わりに導華が答える。


「つまり、人を襲うならデーモンだけで事足りるが、天使を待っていたのにあの戦力しかいないというのはありえないんじゃよ。そう考えると、力を持った上位の悪魔が今回の件に関わっている可能性が極めて高いのう」


「でも、この辺りに大きな力を持ってる悪魔なんていたっけ?」


「長らく関東一帯を見てきたが、そこまでの力を持つ悪魔の存在は感じとらんのう。恐らく悪魔化せずに人間のまま生活しながらデーモンを使っておるのだろう。全く、卑怯なやつじゃ」


 片穂の疑問には、導華も知っていることは少ないようだった。


「ただ、あれだけのデーモンを人間の状態のまま操れるレベルの悪魔となると、ワシらもかなり用心せにゃならんのう」


「それに、私もお姉ちゃんも戦闘したばっかりだから、早く力を回復させないとね」


「そうじゃな。今のまま悪魔が全力で攻めてきたらワシと片穂じゃあ捌ききれない可能性もあるからの」


「あんな怪力を持っているのに、それでも厳しいことなんてあるんですか?」


 司の疑問に導華は笑いながら答える。


「はっはっは! そうか。お前にはワシの力が怪力に見えるのか」


「と、言いますと?」


 司は再び疑問を投げかける。


「癒しを司る天使。大天使ラファエル、という名前を聞いたことがあるか?」


 確かに司でも聞いたことのあるような有名な天使である。どんな天使だったかはなどの細かな知識は全く無いのだが。


「まぁ、名前だけなら」


「あの方はな、ワシの師匠なんじゃよ。本人は師匠なんて呼び方するなと言っておるがな」


 その言葉を聞いても司には導華が何を言いたいのかが分からない。


「それで、その大天使様が師匠というのにはなんの関係が?」


「なんじゃ、まだ分からんのか。お主が思っているワシの力は、そもそも強さの本質が違うといっておるんじゃ」


「強さの本質?」


 それでも理解できない司に対して、溜息を吐きながら導華は説明する。


「いいか? ワシの強さは力ではなく、治療、回復なんじゃよ」


 先の戦いで導華が片穂の背中の傷を一瞬で完治させるのは目の前で見たが、しかしそれが一体強さと関係があるのだろうか。


 考えながら呆けている司を無視して導華は続ける。


「お前が怪力だと思っておるのはワシの筋力や力ではない。回復の力の応用なんじゃ。ワシが特化しているのは天使の力を制御する技術なんじゃよ」


「そうです! お姉ちゃんの凄い所はこの制御の精度なんですよ!」


 片穂が目を輝かせて司を見つめる。


「師匠に教わった回復の力はワシとは随分と相性が良くての、回復の方向性も色々と変えることが出来たんじゃよ」


「回復の方向性……それが、力になるんですか?」


「そうじゃ。ワシは回復の方向性を変えて、普通の状態の体を回復の力で活性化させて身体能力を極限まで上げているんじゃ」


「治療が出来る天使は他にもいますけど活性化を使って戦闘に応用してる天使はお姉ちゃんとラファエル様だけなのです! それと、お姉ちゃんの真骨頂である力の制御はここからさらに一歩進みます!」


「さらに一歩?」


 代わりに片穂は解説を続ける。


「お姉ちゃんは活性化と回復を同時に行えるのです!通常、活性化は天使でさえも体に負担がかかるため、十秒も持ちません。でも、お姉ちゃんはその負荷を回復できるからずっと戦い続けることが出来るのです! こんな繊細な力の制御をしながら戦うことが出来る天使はお姉ちゃんだけなんですよ!」


「その代わりに、武器を生み出す余裕がないから素手なんじゃがな! はっはっは!」


 大笑いをする導華に、司は最初の疑問を問いなおす。


「それでも、苦しい戦いになってしまう可能性もあるんですよね?」


「うむ。そもそも、天使の力というものは有限なんじゃよ。バッテリーのように考えるとわかりやすいかの。使うと減るし、普通に生活していけば少しずつ回復していくんじゃ。片穂はまだしもワシの力は決して多くは無いからな。長期戦は好ましくないのぉ」


「片穂のほうが力の量って多いのか?」


「そうなんです! 力の量だけはお姉ちゃんよりも大きいんですよ!」


 笑顔で片穂が司に詰め寄るが、


「それでも不器用過ぎて力の半分ぐらいしか使いこなせていないがの! はっはっは!」


「むぅー! いいもん! いつかお姉ちゃんよりも凄い天使になるんだから!」


 片穂は頬を膨れさせ、不満そうな顔をしながら横目で導華を見る。


「まぁそんな片穂も今日の戦闘ではかなりの力を消費してしまったじゃろ。こちらから悪魔を見つけて仕掛けることも出来るが、今のワシらだと勝てる可能性が高いわけではないからの。悪魔たちがいつ攻めてくるか分からん以上、現状は向こうの様子を窺うだけかの」


「それじゃあ、向こうが動き出すまで待つしかないってこと?」


 片穂の不安そうな表情を見ながら、導華は話す。


「不本意じゃが、先手は渡さざるを得ないようじゃのう。それでも、備えることは出来る。とにかく今は出来る限り早く状態を万全にしておくことじゃのう」


 せめて妹の不安を少しでも無くしてあげればと思い、導華は笑顔で答える。


 すると、片穂が急に立ち上がり、姉の優しさに答えるために元気よく声を上げる。


「そうだね! そしたら私、ご飯作るよ! お姉ちゃん、お腹減ったって言ってたよね?」


 その優しい言葉に、敏感に反応したのは司だけではなかった。


「待て、片穂よ。おぬし今、食事を作ると言ったか?」


「うん! あのね! 司さんが美味しいって言ってくれたの! だから大丈夫だよ!」


 その言葉で導華は司に視線を移す。その視線に司は必死に訴えかける。自らが経験した悪夢を。そして司の目を見たエリート天使の研ぎ澄まされた勘は、一瞬でその全てを悟る。


 ほんの少しだけ凍りついた導華の表情は一瞬で笑顔へと変わる。


「そうか! それはよかったのう! じゃがしかし! ワシもこっちに降りてきたのは久しくてな。せっかく来たなら下界を楽しみたいのじゃ。そして料理もワシの楽しみの一つ。ここはワシに作らせてはくれんかの?」


 天羽導華は天羽片穂の姉であり、天界で妹の成長を一番側で見守ってきた。一番側にいたからこそ、自分の妹が得意なことも苦手なことも熟知している。そして、片穂の料理の才能ももちろん導華は知っている。


 それなのに片穂の料理を食べた司が「美味しい」だなんて言う訳がないのだ。しかし、司の目を見て導華は事の一部始終を理解する。


 司が片穂を傷つけないように死を覚悟して嘘をついたその優しさを称えて、導華は自らが料理を振る舞うことを決めたのだ。


 そして、その気づかいに司は感銘を受ける。


 司は深々と頭を垂れて感謝を示した。


「あ、ありがとうございます! 導華さん!」


「よせよせ。これは礼だと思え。気にすることではない」


 導華は立ち上がり、台所へ向かう。片穂が手伝おうとするのを止め、滑らかな手つきで料理を完成させていく。二十分程度で料理が完成し、テーブルへと運ばれる。


「ほれ、寄せ合わせで作っただけじゃが、食えるものには出来ているはずじゃ」


 司の前に出されたのは導華の言う通り、豚肉と野菜を味噌で炒めた簡単な料理。しかし、今の司には何よりの御馳走に見えてしまう。


 五感全てが料理の存在を感じ取る。口から唾液が止まらない。内臓が食べ物を求めているのも同様に感じる。


 司はゆっくりと御馳走を口へ運び、一口一口を丁寧に噛みしめる。味が司の下をこれ以上ないほど刺激し、うま味を脳へと送る。


「美味しい……美味しいです……導華さん……」


 決して極上の料理ではない。普通の、一般的な料理だが、それでも司は涙を流した。理由はわからないが、胸からこみ上げてくるものが止まらない。


 食とはここまでありがたいものだったのか。


「そ、そんなに美味しいんですか!?」


 司の涙に片穂は動揺する。


「片穂の料理も美味しかったよ。安心してくれ」


「はっはっは! まあ今日はこの家に泊めてもらうことになるじゃろうからな! これぐらい当然じゃ!」


 導華の笑い声の中に、司は一つ気になることがあった。


「今……泊まるって言いました?」

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