第9話 その4「片穂の姉じゃ」
家から五分程度でバイト先のコンビニに着いた司は、いつものように仕事をこなし、二時間経った辺りでゴミ箱の中身を取り替えに外に出る。
慣れた手つきだが、途中、違和感。
そして辺り一帯が一瞬のうちに光に包まれ住宅街が結界に包まれる。
どこかで感じた感覚。これはたしか……。
その感覚を思い出していると、コンビニの客や店員たちが一斉に同じ方向へ歩き出すのが見える。
「人払いの結界……?」
そうだ、片穂の人払いの呪文と同じ感覚、そして同じ人々の動き。
「悪魔がまた出たってことかよ! どこだ⁉︎」
司が周囲を見渡すと少し離れた所で白い光が輝くのが見えた。
「あそこか!」
司は光の方向へ走り出す。光が見えたのが住宅街の中だったので片穂が見つかるかは不安だった。
しかし、一分と走らないうちに、再び感じる異常。
「おいおい、なんだこの量は…」
空が暗い。いや、黒い。黒い粒が、沈む直前の夕焼けを黒く染める。
昨日公園で見た時、悪魔は大体二十体前後であった。しかし、今回は一見しただけでもその五倍以上。百体は軽く超える悪魔の量。
まるで蚊柱のような、黒い塊の集合がそこかしこに飛び回っている。司は恐怖を覚える。こんなものが、この世に存在するなんて。
信じるしかないのか、目の前の現実を。
「と、とりあえず、片穂を探さないと」
先ほどの光の場所に、片穂はいるはず。そこに向かって、司は再び走り始める。
走っていくその先で、天使は戦っていた。
司が見上げると、純白の翼を羽ばたかせて悪魔に向かって天使が剣を振っている。
片穂の周りには百体どころかその二倍、三倍の悪魔が群がっていた。悪魔たちの武器はそれぞれで、槍や刀や斧の刃物系統から、ハンマーやこん棒などの鈍器系統の物まで幅広い。そしてそれぞれが天羽片穂ただ一人を狙って戦っている。
片穂が全力で悪魔を切り刻んでいく中、ただの人間は、その戦いを傍観することしか出来ない。司は立ち尽くしていた。
悪魔を圧倒している片穂でも、大量の悪魔に集中的に狙われていると、当然捌ききれない攻撃もでてくる。
避けきれない攻撃は出来る限りダメージの少ない個所に当てて耐え忍んでいるが、苦痛に歪む片穂の顔が確認できる。
片穂はひたすらに剣を振るなかでも出来る限り後ろを取られないように立ちまわっていたが一体の悪魔が虎視眈々と片穂への攻撃の隙を窺っていた。
そして、ついに大量の攻撃をしていく中で片穂に隙が生まれる。その一瞬の隙を狙って片穂の後ろへ忍び寄った悪魔からの強烈な一撃が片穂の背中に直撃する。
「きゃああああああ!」
悲鳴と共に天使が司の近くに落下してくる。
「片穂ッ!」
司は必死に片穂の落下地点に走りこみ、片穂を受け止めようとするが、勢いよく落ちてくる片穂を支えきれず、受け止めた拍子に片穂が司に覆いかぶさるように倒れる。
全身に力を入れて受け止めたので倒れるときに背中の痛みはあるが頭部を守れたのは幸いである。
「大丈夫か⁉︎ 片穂!」
「司……さん? ……すいません」
痛みに悶える片穂を見ると、体のあちこちに傷がある。その中でもやはり背中の怪我は重傷で、純白のワンピースは背中の部分が破れ、布部分は深紅に染まっており、隙間からは大きな傷が現れている。
それを見て司は動揺し、片穂に声をかける。
「片穂! 背中が!」
司の声に片穂は苦しそうな小さな声で答える。
「心配……ないです。すぐに、治ります…から」
すぐに立とうとするが、体に力が入っていない。たしかに背中の傷は少しずつ塞がってきている。これも天使の力なのだろうか。
しかしそれでも傷の治りが遅く、まだ傷は半分も塞がっていない。
そのため、片穂は未だ司に寄りかかる形でうつ伏せに倒れたままである。無理やり体を起こそうとするが、その度に痛みが邪魔をしている。
そうしている間にも悪魔たちは片穂を攻撃しようと近づいてくる。何体も、何十体も。
片穂が倒した悪魔も相当数いたようだが、それでもまだ数えきれないほどの悪魔がこちらへ詰め寄って来る。
司は片穂を少しでも守るために二人の上下を反対にして、傷が地面に触れないように支えながら、司が片穂を覆いかぶさるように屈む。
自分が悪魔と接触できるならば、片穂への攻撃は自分に当たるはずである。少しでも片穂の傷が治る時間を稼げれば、再び片穂が戦闘可能な状態になるかもしれない。そうなれば残りの悪魔たちも倒しきれるはずである。
ただ、そうなるともし悪魔の攻撃が司を貫いたとき、致命傷になるのは間違いない。
怖い、恐ろしい、手が、足が、震える。
恐怖心の中で、負の感情が司の頭をぐるぐると渦巻く。
しかし、司はその恐怖心を無理やり噛みしめ、抑え込む。
死ぬかもしれない。でも、それでも、片穂のことは守りたい。そう心が言っている。
守らなければ、後悔すると。この子は絶対に、死なせてはならないと。
「司さん……逃げて……私は……大丈夫ですから……」
小さな声で、片穂は司の手を握りながら呟く。
そんな声にも、司の覚悟は揺るがない。
「お前を置いて逃げれるかよ!」
そういった刹那、悪寒。死の気配。
慌てて司は後ろを振り返る。目の前には武器を振りかぶる悪魔。
不味い、これは確実に死――――――
「ワシの妹に何するんじゃ! ボケが!」
瞬間、目の前に衝撃と共に光が落ちてくる。それと同時に轟音が響き、突風が起こる。思わず司は目を瞑る。
「なん……だ……?」
ゆっくりと目を開くと司を攻撃しようとしていた悪魔はどこかに消え、代わりに大きな翼を背中に宿した神聖な存在が視界を埋める。
司に背を向けたその存在は、少し振り返ると笑みを浮かべながら口を開く。
「中間連絡がないから気になって見にきてみたら、こんなデーモンなんかに手を焼いておるのか。片穂も、まだまだ精進せにゃあかんのう」
その言葉に反応した片穂がその存在を視認する。そして、その名を呟く。
「……お姉……ちゃん」
「お、お姉ちゃん⁉︎」
司が驚いたのは突然片穂の姉が助けに来たことではなく、彼女の装いにある。それは明らかに片穂のほうが年上のようにしか見えない。
一見しただけでも身長は片穂よりも十センチほど低く、さらに見た目の年齢を下げにきているようにしか見えない金髪のツインテールで髪の束はちょうど肩の横に位置している。
服装も落ち着いた見た目ではあるが、片穂とは全く違って、胸元に少し装飾のある橙色のノースリーブ、そして下も同色のピタッとしたショートパンツだが、肘まであるロンググローブと膝下までの長さのブーツは片穂と同じ純白である。
小さな体なのに、その存在感は片穂よりも大きい。
頼もしい後ろ姿。これが天界トップクラスの天使なのか。
「ここはワシに任せなさい」
片穂の姉がこちらを向いて優しく言葉をかける。
その時初めて司はその顔を初めて正面から見る。身長の低さと同様に顔も童顔でどこか幼さを感じさせるが、透き通るような翠色の瞳をしており、目元は少し鋭いが片穂と方向性が違うだけでその艶やかさは見た目の幼さを物ともせずに司を魅了する。
そんな自分の姉に片穂はまだ戦おうとする意志を見せようと必死に立ち上がろうとする。
「で、でも……」
そんな姿の妹を見ると片穂の姉は静かに腰を下ろし、片穂の背中の大きな傷口に触れる。
すると、手から光が溢れだし、その光が片穂の傷を埋めて傷口がみるみるうちに治っていく。
傷が治っていくと同時に片穂の青ざめていた顔色も少しずつ本来の色に戻ってくる。
片穂の傷が治ったことを確認すると片穂の姉は再び悪魔の方を向き、
「安心せぇ。十秒で終わる」
そういうと少しだけ重心を落とし、動き出す準備をする。
「いくぞ、小童ども」
鋭い目つきが、さらに細くなる。その時司は恐れを抱いた。
純粋な殺意を感じる。ピリピリと体に違和感を覚えるほどの殺意。寒気がするほど、司はその殺意を肌で感じていた。
そして、その殺気を吐きだすように天使は小さく呟く。
「【
声が聞こえたその直後、目の前の天使は消えていた。慌てて空中の悪魔たちの群を見ると、悪魔たちが次々に倒されている。
しかし、片穂とは異質の戦いに、司は心から驚いている。
驚くべき点は二つ。その一つが攻撃手段とその攻撃力である。
片穂の姉は武器を持っていない。否、持たない。何故か。
すべての悪魔が、打撃一つで弾け飛ぶからである。
天使の拳が一撃で悪魔を無に還す。悪魔の武器など関係なしに、小さな天使の鉄拳が何度も繰り出される。
そして何よりも異常なのは速さである。片穂の場合は高速で動いているというのがわかった。
しかし、片穂の姉はまさに光速。
目で動いていることを確認することが出来ない。普通の人間の目では悪魔を殴る瞬間に少しだけ姿が確認できる程度で、一見すると悪魔が突然破裂しているようにしか見えないのである。
そうして、拳と蹴りのみで悪魔たちを獣のように蹂躙していく。
その姿を見て、司は雑な仕事をしてしまうような天使が何故天界トップクラスであるのかを理解する。誰に聞かなくても間違っていないだろう。
あの圧倒的な戦闘能力が、あの天使が天界随一の天使である証拠である。
司がたった五秒驚きに呆けていただけで、何百体もいた悪魔たちはすでに半分以下に減っている。
「ほれ! 最後じゃ!」
片穂の姉は、最後の一体も余裕を見せながらも打撃一つで消し去る。
そして、宣言通り十秒経つ頃には全ての悪魔が跡形もなく消え去っていた。
悪魔を一掃したのを確認すると、つまらなそうな顔で愚痴を呟きながらゆっくりと二人の元へ降りてくる。
「手ごたえのないやつらじゃ。全く」
「……つよ」
司は驚きのあまり言葉が出てこない。そして情けない顔をしている司を見ると、
「なんじゃこの残念な顔をしながら残念な語彙力を披露する残念な若造は」
怒涛の残念三連撃が司の思考を復活させる。
「そこまで初対面の人にボロクソ言う天使っているんですかね⁉︎」
「はっはっはっは! そう言うな若造よ!」
司の文句に対して気にもせずに、にかっと笑うと口元には八重歯が見え、余計に片穂とは逆の幼いイメージを植え付ける。そして片穂の姉は司の背中をバシバシと、いや、もっと鈍い音が響くほど笑いながら叩く。
本人は冗談のつもりのようだが、あの破壊力を持っていると軽く叩いても一般男性を苦しめるほどの威力が出てしまうようだ。苦痛に顔を歪める司を尻目に、
「命ある限り、人間はいくらでも強くなれる。気にするな!」
いい事を言っているのは分かるのだが、背中の激痛に苦しむ司にはかろうじて相槌を打つことしか出来ない。
「は、はぁ……」
すると、片穂の姉は疑問の表情を浮かべる。
「む、それより、天使化中のワシが見える上に会話できてさらに接触もできるのか。片穂。こいつ何者じゃ」
その問いかけに背中の痛みで片穂に問いかけられていることがわかっていない司は自分の名を名乗る。
「お、俺は佐種司です……。あの……お姉さんの名前も訊いていいですか?」
そのまま司は名を訪ねる。片穂がこの人について話していた時も『お姉ちゃん』としか言わなかったので、名前が気になったのである。
司の質問を聞くと、思い出したように声を上げる。
「おぉ! そういえば言っとらんかったな!」
「ワシは
天羽片穂の姉、天羽導華はそう言って得意そうな顔で胸を張った。
「そんなことよりもじゃ、片穂! 何故こいつが天使と普通に話してるのかを訊いとるんじゃ!」
自分が片穂に質問していることを思い出した導華はもう一度片穂に問いかける。
「そうだったお姉ちゃん! 大事な話がたくさんあるんだけど!」
その時、司は導華に詰め寄る片穂に違和感を覚える。
片穂が、敬語を使っていないのだ。姉妹なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それでも初めて聞く片穂の話し方に司は新鮮味を感じた。
少し怒ったように頬を膨らませて片穂は導華に詰め寄るが、そんなことは気にもしないで導華は話す。
「む? なんじゃ片穂。天界から転送された後に目覚めたら想像と全く違うことが起きてそれを全てワシのせいにしようとするような顔をしおって。もしかしてワシの転送設定がずれてこの若造の家に送ってしまったとか訳わかんない状況じゃあるまいな」
ものすごい勢いで今の状況を言い当てる導華に対して片穂は目を見開く。
「な、なんでわかるの⁉︎ そこまでわかってるならもっと早くきてよぉ!」
「はっはっはっは! 勘じゃ! ちゃんと来てやったんだから大目に見てくれ!」
大笑いしている導華が未だに白銀の翼を背から生やしていることに気付いた片穂はそれを伝える。
「そういえばお姉ちゃん、天使のままだよ?」
片穂の言葉を聞くと「おっと、そういえば」と思い出したように導華が呟くと、前に天使になった片穂と同じように導華の体が少し輝き、身を纏う光が粒となって空気に溶けていく。
光が無くなると、翼は消えて服装が変わっていく。服の色は橙色で変わらないままなのだが、服そのものは全くの別物になる。
導華の着ている服は着物であった。それも一般的なものに比べて腰から下がミニスカートのような作りになっており、太もも辺りから下まで素肌が出ているため、見た目の幼さと相まって余計に目のやり場に困る服装になっていく。
少し顔を赤くして別の方向を向く司には気付かず、導華は話を続ける。
「片穂の様子を見ると、どうやらこの若造の家に住んでるみたいじゃな。さっさとこいつの家に行こうぞ。ワシは腹が減った!」
満面の笑みで腰に手を当てて仁王立ちをする導華を見て片穂と司は呆れたようで、
「片穂……。お前の姉さん少しばかり図々しくないですかね?」
「す、すいません……。こういう人なんですよ……」
片穂の申し訳なさそうな苦笑いを見た司は気にすることを諦めた。
「そうか。これ以上食費に金を使うと限りある生活費が一気に削られている気がするけど、まぁ仕方ない……じゃあ、帰りますか」
家へ向かって歩き出そうとしたとき、司はあることに気付く。
「あれ……そういえば、俺のバイトってどうなるんだ?」
悪魔との戦いで完全に忘れていたが、今は司のバイトの時間である。
そうは言っても天使の結界の影響でこの辺りにいる人間は司だけで他の人々は結界の外に出ていってしまっているので、もうバイトも何もあった話ではないのだが。
「なんじゃ、そんなことか。これぐらいの規模と時間ならワシが勝手に記憶をいじって全ていつも通りに戻しておいてやる。別に気にすることでもないわ」
天使の力とは何て便利なものなのだろうか。司は心から感動する。
「それは助かります。ありがとうございます」
はっはっは! と笑う導華に司は丁寧に礼を伝え、家への歩みを再開する。
天使二人と人間一人は、ゆっくりとワンルームマンションへと歩いていった。
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