第7話 その2「私、天使なんです」
「それで、今回は全部教えてくれるんだよな?」
今朝と同じように二人は部屋の円形テーブルを挟むように座る。
「はい。全部お話します」
司の胸の深いところから、息が漏れる。
出会ってからまだ数時間も経っていないが、今までの日常の何倍も濃い数時間を過ごした感覚だった。しかしその濃い時間も、ようやく終わりを迎えるのだ。
「やっと全部教えてもらえるのか……。長かったな。それで、何を教えてくれるんだ?」
片穂はしっかりと、司の目を見て、真面目に、真摯に、真剣に、
「私、天使なんです」
「うん」
「えっと……天使です」
「うん。それで?」
「………驚かないんですかぁ!?」
「いや…悪魔と戦う時、『天使カホエル』って普通に言ってたよね?」
公園の一件があり、片穂が天使だと知っていたのが理由ではあるのだが、心から驚けない自分がいる。初めて会ったときから感じた既視感と親近感。
これは一体何なのだろうか。俺は、片穂に会ったことがあったのだろうか。
司が思考を巡らせていると、片穂がそれを遮るように身を乗り出し司に顔を近づけ言葉をぶつける。
「そ、それはそうですけど、天使ですよ!? 昔から天使が降りてきたら偉人から奴隷まで洩れなく喫驚仰天の大驚失色って天界の人たちみんな言っていましたよ!?」
言っている片穂のほうが驚いているように見えるのは気のせいだろうか。
「その天界の想像以上の楽しそうな雰囲気は置いておいて、さっき公園で充分すぎるほど驚いたから、これ以上はかなりのことを言われない限りは驚かない自信があるね」
胸を張って腕を組む司を見た片穂は不満そうに頬を膨らませる
「なんだか悔しい気分です」
「なんか悪いな。それにしても、どうして天使が俺の家に来たんだ?」
ここからが本題。このために司は片穂を探し、食事を奢り、天使となって悪魔を退治するのを見届けたわけなのだから。
「司さんの住むマンションを先ほど改めて拝見しましたら、私が住む予定だった場所はここで間違いないようなんですけど、部屋に転送する過程で手違いが起こっちゃったみたいなんです。本当なら司さんの隣の部屋に住むことになるはずだったんですけど…」
そういえば、たしか隣に最近若い男の人が引っ越してきたらしい。近所付き合いが悪いらしく、挨拶をした人もいない上に、その人をほとんど見たことがないという人もほとんどで、司もその一人である。
「隣、ねぇ。たしかについ最近引っ越してきたみたいだけどそこは確認出来なかったの?」
「そういったことはお姉ちゃんがやってくれたんですけど、あの人雑な所が多いんですよ」
苦笑いを浮かべる片穂に対して、司はずっと気になっている質問の一つを問いかける。
「さっきからお姉ちゃんお姉ちゃんって言うけど、今はどこにいるんだ?」
「そのことも話していませんでしたね」
司の質問を聞くとすぐに片穂の苦笑いから苦い要素が吹き飛ぶ。
「私のお姉ちゃんは日本の関東一帯を担当している女天使なんです。そして他にもいる天使の中でも天界トップクラスのエリート天使なんですよ!」
まるで自分のことのように姉の自慢をする。
「そんなエリート天使のお姉ちゃんなのに仕事は雑なのか?」
「て、天使は事務仕事が微妙でもエリートって言われることはあるんですよ!?」
どうなってんだ天界の仕事事情は……。
吹き飛んだ片穂の苦い要素が呆れた司の顔に移ったようだった。
「そ、そうか。じゃあ一体何が凄いっていうんだ?」
「それは会ったら分かります。是非、楽しみにしておいてください」
片穂の笑顔が司にグイッと近づいてくるので、例の如く司は反射的に顔を横に向ける。
「気にはなるけど、まぁいいか。それで、そのお姉ちゃんには連絡は取れない、と」
「はい」
申し訳なさそうに片穂はコクリ、と頷く。続けて司が問う。
「それは連絡手段がないってことか?」
「半分正解ですね。実は私が今回下界に降りてきたのは新人天使下界研修だからなんです。もうすぐお姉ちゃんの担当している地域の一部を私が引き継ぐことになるのですが、その前に私は下界に降りて何度か研修をしなければならないのです」
研修生の天使なんて漫画でも聞いたことでもない響きに司は少し驚きながら、
「天界にしてはずいぶんと最近の社会人みたいなシステムを採用してるんだな」
「なんだか神様もここ百年で急に人間の技術が発達するものだから新しいものに興味津々みたいですよ」
先ほど公園で見た天使への神々しさが微塵も感じられなくなった瞬間だった。
「想像していたのと全然違ってなんとも言えない気持ちだよ」
「天界の方々もよく下界に降りて遊んでいるらしいですからねどの世界にも時代があるんですよ」
「そんな夢の無い話はいいんだよ。それで、下界研修とやらとエリート天使のお姉様に連絡が取れないのはどう関係があるんだ?」
少しずつずれていく話の流れをまた元の筋へ修正する。
「基本的に下界研修では、他に頼らず独立して生活できる力を養うと共に天界だけで学ぶのではなく実際の下界で体験することが目的となっています。そして、研修期間が四日あるのですが、その二日目、つまり明日ですね。その時に中間報告ということで天界から連絡がくるのですけど、それまでは天界の誰とも連絡をとることが出来ないようになっているのです」
今までかなり軽い話だったが、そういった所は意外としっかりしているようだ。
「なるほどね。じゃあ明日の夜には片穂のお姉さんに連絡して住む場所をなんとかしてくれるってことか」
片穂は頷きながら「そうなります」と呟いた。
「ちなみに、その連絡っていうのはどうやって取るんだ?」
これも大事なこと。もし連絡を取る手段が手元にあり、、今回のような住居を間違えるという事態が起きていることを明日ではなく今日中に報告できるのならば、この状況が進展するのではないだろうか。
「それはですね。天使の力が備わった鏡を使うと天界のお姉ちゃんと連絡が取れる仕組みになっているんです! どうですか! 凄いでしょう!?」
「えっと……じゃあその鏡はどこにあるんだ?」
「たしか、天界から転送される時に、転送先の部屋に同様に転送されるって説明された……ん……です……けど……」
嫌な予感がしてくる。恐る恐る司は周りを見渡す。
「ある……のか?この部屋には無いみたいだけど…」
片穂は洗濯機の横で洗濯待ちをしている純白のワンピースを拾い上げる。
「き、きっと、ワンピースのポケットに入って……」
片穂の言葉が、止まる。そして、
「司、さん……?」
やめてくれ。それ以上は聞きたくないよ、片穂。
「ど、どうした?」
「このワンピース、ポケットがどこにもないんですけどぉ……」
案の定、という言葉がぴたりとハマる音がした。
「そ、そいつは……残念だな」
「どうしましょう司さん! これって、私ずっと天界に帰れないってことですかぁ!? 困ります! すこぶる大変にとってもかなり困ります!」
司の肩をがっしりと掴み、泣きそうな顔をしながら片穂は身を乗り出して司の体を前後に動かす。
「わ、わかってるから体を揺するな! 離せって! 酔う! 酔うから! ちゃんと連絡取れるまで家に泊めてやるから!」
頭が揺れる。少し気持ちが悪くなってきた所で司の言葉を聞いた片穂は腕を止める。
「ほ、本当ですか?」
「あ、あぁ……いいって別に。そんなに困る要素もないし」
「あ、ありがとうございますぅ……」
目に浮かんでいた涙を袖で拭ってまた座りなおす。
「か、構わないよ。気にすんなって」
「はい……」
なんとか話題を切り替えて、何となく暗くなった雰囲気をどうにかしたいところなんだが……。
そこで司は別方向の質問をすることにした。
「そういえば、片穂って何歳なの?」
考えてみるとこれもとても大事な質問の一つ。今まで見た目で同年代だと判断していたが、人間ではなく天使というならもしかすると何百歳と言われてもおかしくない。
そしてもしその予想が本当だったら司と片穂の年齢差が大きければ大きいほどこれからの片穂との接し方にぎこちなさが生まれてしまうかもしれない。
「えっと……天使に加齢っていう概念はないんですけど、人間の歳にしたら十七か八ですね」
よかった。同い年として、今まで通り接することができるのは楽なのでとても安心した。
「じゃあ、学校とかに行くこともあるのか?」
当然の疑問だったが、これに関しては片穂は即答した。
「いえ、今回の研修では学校に行くことは含まれていません。感覚的には旅行と考えてもらったほうがわかりやすいと思います」
つまりは中学生がやる職場体験に近いものだろうか。本当に天界やら天使は神話と違ってずいぶんと近代化しているんだな、と司はむしろ感心した。
こうして訊いていく中で、司の中にもう一つ生まれる疑問。
「こんなにも色々話してくれるなら、なんで最初から全部話してくれなかったんだ? ちゃんと話してくれたらもっと前から手伝えることもあっただろうに」
この質問にも片穂はすぐ答える。
「天界では、天使は必要以上に人間と関わるのは禁止されているんです。天使は常に人間を導く役目です。導くとしても、実際に進み、努力するのは人間でなくてはありません。もし頻繁に天使が人間の前に姿を現してしまうと、天使頼りになってしまう人間も多くなります。それでは自分の力で解決しようという気持ちが人間から消えてします。そうならないように、天界で規則が決まりました」
「規則?」
「導く、又は守る以外の理由で天使と関わった人間の、天使についての記憶を消すという規則です」
片穂の少し寂そうな顔。嫌な思い出でもあるのだろうか。
「ってことは、俺の記憶も消えちゃうのか?」
「その規則に反しないために、今まで黙っていたんです。出会ってすぐに天使だと話してしまったらそれはもう記憶消去の対象になります。なので、話しても仕方のない状況になるまで話せなかったんです」
「それが、悪魔たちの攻撃ってとか?」
片穂は静かに頷く。
「はい。今回は異例中の異例です。司さんの家への誤転送、悪魔の攻撃、そしてなによりも司さんの体質です」
「それって、悪魔が見えるっていう?」
公園でも片穂が言っていた『見えている』という言葉や、周りの悪魔を認識できない人たちが多いというのも、自分の特殊体質ということになるのだろうか。
「そうです。普通の人は悪魔や天使は見えません。今の私は人間と同じ状態なので周りからも見えるのですが、天使化してしまいますと悪魔と同じく認識が出来ない体になります。そして、仮に見えるとしても司さんのようにはっきりと見ることができる人はほとんどいません」
「でも、俺がそんな特殊な体質だとしても、俺は今まで天使も悪魔も見たことないぞ?」
これが一番の疑問。実際に悪魔と天使が見えるのは確かであるが、それは今日初めて体験したことであって今までに悪魔や天使など薄らも見たことがないのだから。
「基本的に悪魔や天使を見るためには、きっかけが必要なのです」
「きっかけ?」
「悪魔たちを見ることができる体質の人でも、最初から見える人は人類の歴史でも数えるほどしかいません。見える人々の大半が何かしらの形で悪魔や天使と接触した場合、その力をきっかけとしてその存在を見ることができます」
「俺の場合はそれが片穂だった、っていうことか?」
「恐らくはそうです。人間の状態でも、私が天使ということに変わりはありません。私とともに行動していることが司さんの体質を覚醒させたのだと思います」
司は納得したように「なるほど」と一言言うと腕を組み、少し考える。
「つまり、そういった事態になってしまえば俺の記憶は消えないのか?」
「きっと、例外になるはずです。こんな状況、聞いたことがないですから」
司の記憶は消えない。そう聞いて司はどこか安心する。理由ははっきりとはわからないが、こんな不思議な出来事を忘れてしまっては勿体無いという気持ち。
それと、片穂と過ごした時間は忘れたくない。そう思う自分がいた。
「そうなら、俺は忘れたくないな」
片穂がその司の言葉に敏感に反応する。
「そうですね」
そう言うと司に聞こえないような小さな声で、
「もう、忘れてほしくはありませんから……」
片穂の言葉がはっきりと聞こえなかった司は訊き返すが、片穂は、
「い、いえ! なんでもありません。やっぱり忘れてしまうのは悲しいですもんね」
今日何度か見てきた片穂の寂しそうな表情。やはり何か嫌な出来事でもあったのだろうか。司は「そうだな」と言ってから気不味くならないように別の話題を考える。
少しばかり続く沈黙の中、司が口を開く。
「そうだ。今日は日曜だからいいけど、俺は高校があるから昼間は家にいないんだけど、片穂はどうするんだ?」
司のバイトは月曜、木曜、土曜日の週三回である。明日は月曜日でバイトがあるので、学校から一旦帰ってきたらすぐに準備をしてまた家を出て帰ってくるのが夜の九時過ぎ。明日は一日中片穂を一人にしてしまうのである。
司の不在を聞いた片穂は再び身を乗り出して大声を出す。
「えっ!? 司さんいないんですか!?」
「ついでにバイトもあるから明日は帰って来てからすぐ夜まで出かけちゃうけど」
片穂はさらに声を上げる。
「ええぇ!? 夜もいないんですか!? 私、何をして明日一日過ごせばいいんですか!?」
そう言って先ほどと同じように司の肩を掴み、揺する。さっきよりも勢いが強い。自分の部屋で吐くのだけは嫌だと逆に意識してしまったことで気持ち悪さがこみ上げてくる。
「だから体を揺すらないでくれって! 本当に気持ち悪くなってきたから! とりあえず離してくれ!」
片穂はうるうると瞳を湿らせてゆっくりと手を離し、静かに座りなおす。
「うぅ……淋しすぎます……。どうすればいいんですかぁ…」
そんなに悲しい顔をしないでくれ。あまりにも片穂が寂しそうな顔をするので、何を言ったらいいのかわからず、言葉に詰まる。
「どうするって言ったって………」
司は考える。どこかに出かけて暇を潰してくれ、と言いたいところだが、片穂一人で出かけさせるのは何かと心配である。なにせ、天羽片穂は行く当て無しに外に飛び出すとものの三十分で途方に暮れてベンチに体育座りをしてしまう女の子なのだから。
もし迷子になって自分がどこにいるのかわからなくなったなら、次は見つけてあげられる自信が全くない。それならば、自分が不在の間に片穂が家で出来そうなことを考えなければ。
少し考えて司は一つ質問をしてみる。
「ちなみに、片穂って料理はできるの?」
そう、家事である。女の子ならきっと家事のようなことなら暇をせずに過ごしてくれるのではないか、という安易な考え。それしか思いつかない自分はやはり情けない。
「えっと……一応天界で勉強はしたんですけど、食材自体はまだ触ったことが無いので、申し訳ないですけどやってみないとわかりません……」
料理について何も知らないということではないのなら、期待してみる価値はあるはずだ。
「なるほど、じゃあ今日の夕飯を任せてもいいかな?」
「もちろんです! 泊めていただく以上出来る限りのお手伝いはやらせていただきます!」
司は心から感動していた。
なんという純粋な誠意だろうか。こんなにも綺麗な心がこの世に存在していたのか。こんな美しい心に触れたのはいつ振りだろうか。
「それなら明日は家事とかしてもらえないかな? そうしたらきっと一通り終わることには学校から帰ってくるだろうし」
片穂は納得したようで、笑顔で答える。
「なるほど! それならばなんとかなりそうです! では、早速夕食を作らせていただきます!」
「ありがたいな! じゃあ………あ!」
夕食を作ろう、いうところで司はある事を思い出す。
「悪魔だなんだって色々なことが起こりすぎて夕飯の食材を買いに行くの忘れてたじゃあねぇか!」
司は立ち上がり声を張り上げる。
そもそも、ファミリーレストランに行くついでに食料を買いに行こうと言っていたのに悪魔が出てきて片穂が天使になって、買い物のことなんか全く忘れていた。
「なら一緒に買いに行きましょう!」
片穂が元気よく提案をする。
「そうだな。それならまず、何を作るか決めようか」
司の言葉に片穂は目を輝かせて身を乗り出す。
「じゃあ! 今日連れて行ってもらったレストランのおむらいすを作ってみたいです! 私、昔作り方教わったことあるんです」
それならば話が早い。できることなら一人ぐらし最大の苦労である食事を少しでも楽に出来るかもしれない。もしあまり上手ではなくても、手伝ってもらうだけでも効率の変化は計り知れない。
「そうだったんだ。なら早く材料を買いにいこうか」
「そうですね。必要な食材もほとんど憶えていますので安心してください」
「そりゃあ心強い! いざ!スーパーへ!」
二人は再び玄関のドアに手をかける。
扉を開けると、沈みかけの太陽が今日の仕事を終えようとしていた。
「もう夕方か……」
「夕焼け……綺麗ですね。実際に見るのは初めてです。こっちでは朝日を見る暇もありませんでしたからね」
今までずっと違和感のあった『こっち』という話し方だが、片穂が天使だとわかった今では自然と聞き流せるほど理解が出来る。ただ、今までの話を思い出すと天使の住む世界はずいぶんと素朴なものだ。
「片穂がいた世界ではこっちの世界のものは無いのか?」
「天界には下界の物質は存在することができませんので、映像を通して見ることしかできません。料理もレシピや食材を見ることはできるのですが実際に触ることができません。なので、これから作るおむらいすはとても楽しみなのです」
片穂の期待に胸を膨らませた表情がとても輝いているのを見て、司自身も片穂の料理を楽しみにしながらスーパーへ向かって歩き始めた。
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