第5話 その5「天使 カホエル」

 レストランを出発してから再び歩くこと十分程度、二人が訪れた公園は今朝片穂が途方にくれて体育座りをして半べそをかいていたベンチのある公園である。日曜日の昼間なので普段は人も当然の如く多い。


「ここってこんなに大きな公園だったんですね。さっきはあまり周りが見えなかったので改めて見るとびっくりです」


 先ほどもいたのにまるで始めてこの公園に来たかのようにキョロキョロと周りを見ていた。


「天羽さんが座ってたベンチは木とか多くて遠くが見えないからね」


 司の発言にピクッと片穂が反応する。司にも見える反応だったので気になって、「どうした?」と軽く訊いてみると、


「天羽さん、ですか……」


 少し悲しそうで、どこか寂しそうな顔。


「あれ? もしかして、名前間違えちゃった?」


 下を向く自分の顔を覗き込む司の顔に気付いた片穂は、はっと思い出したように、


「い、いえ! 合っていますよ! 天羽片穂です!」


「そっか。なんか悲しそうに見えたから間違えたかと思ったよ」


「そんな顔していましたか。ごめんなさい。気のせいです。忘れてください」


「わ、わかった」


 たしかに初めて片穂の名前を呼んだのだが、ここまで悪い反応をされたらどうしたらいいのだろうか。


 家に泊めるなどと意気込んで言ったけれど、うまくやっていける自信がどんどん薄くなっていく。


 司は俯きながら目的のベンチへ歩いていく。片穂を見つけたベンチ付近はランニングコースでもなく遊具からは少し離れているので、案の定人はいなかった。


 ベンチに二人で腰掛けると、まず司が口を開く。


「訊きたいことが多すぎて何から訊けばいいのか分からないが、何から教えてくれるんだ?」


「えっと、簡単に説明するなら何から話すべきでしょうか。じゃあまずは私自身のことについて説明しますね!私、実は―——―」


 瞬間、片穂が何かに気付いたように会話を止めて、力強く立ち上がって周りを見渡す。


「ど、どうした?」


 司の動揺は急に話を止めたことにもあったが、それよりも片穂自身への変化にあった。


 明らかに、雰囲気が違う。さっきまでは天然でふわふわした可愛らしい女の子という雰囲気だったのだが、今はそれとは全く異質のもので、目つきも先ほどとは変わっている。


 警戒と少しの緊張、そして何かへの敵意。野性の猛獣を感じさせるほどの雰囲気の大きな変化に対して、司は動揺を隠せなかった。


 そんな司を無視して、片穂は遠くを見つめる。


「どうやら、手っ取り早く伝える方法が近くにあるみたいです」


「どういうことだよ」


「その方がこちらに取っても都合がいいんです。とりあえず向こうへ行きます。ついてきてください」


 話についていけない。一体何が起こっているのか。


「ちょっ……訳わかんねぇよ!」


 そう言っても片穂は聞く耳を持たず、歩き続ける。司はとりあえずついて行くが、ついて行った先の公園中央の広場で視界に入ったのは司の人生では見た事もない光景。


「……何だよ……。あの黒いのは……」


 少し遠いので明確な判断はできないが、この世界にはあってはいけない異質な存在であることは確実だった。


 人のように見えるが、人ではない。飛んでいるのだ。人の形をした何か、漆黒の塊が空中を飛行している。


 なにか槍のような棒状の長い武器にも見えるものを持っているのが見えるが、詳しくは判別できない。


 そして、もう一つ異常なことは、周りで運動している老人も、遊んでいる子供たちも、その存在に気付いている気配が一切ないことである。


 まるで何も異常がない、普段と同じ一日を過ごしているようにしか見えないのだ。


 もしかしたら自分は今、幻覚を見ているのだろうか。片穂に話を先延ばしにされすぎて気が触れてしまったのだろうか。


 司は不安になり、隣に立つ片穂に視線を移す。やはり今まで見てきた天羽片穂の優しそうな女の子、という顔ではない。真剣で隙のない表情。


 あの表情と目線を見るに、片穂はあの『何か』に気が付いている。そしてそれが何であるのかも知っているような顔。


「なぁ、あの黒い飛んでる塊はなんだ」


 そういうと片穂は少し驚いたように、


「見えるん……ですね。やっぱり…私が司さんの部屋に来てしまったのも、それが原因かもしれませんね」


 なんなんだ、一体。何を言っているのか、何が起こっているのかも全く掴めない。


「だからわかんねぇって! 何を言ってんだよ!」


 強く言うと、片穂は目線を『何か』に向けたまま話し始める。


「……『悪魔』という概念は知っていますよね。あの黒い塊は一般的に下界で悪魔と呼ばれる存在です。あの大きさと外見から推測するに、あれは下級の悪魔である『デーモン』でしょう」


「……あく……ま……?」


 理解が、追いつかない。この少女は一体何を言っているのだ。


「はい。そして私は長きに渡りこの地区を悪魔から守ってきた姉に代わり、悪魔から人々を守り、導く役目を与えられました」


「わからねぇよ! この意味不明な状況と悪魔に何の関係があるっていうんだ!」


「突然で理解できないのも無理はありません。でも今見ているのが事実です。あの黒い塊が悪魔。そして、私はその逆です」


「逆…? 分からない。一体君は何なんだよ!」


 すると、片穂は決意したように表情を固めて、ゆっくりと口を開く。


「私の、人間としての名前は天羽片穂です。そして、もう一つ」


 言葉と共に片穂の周りに淡い光が集まる。眩しいと感じる一歩手前の優しい、白い光。


 司は目を離さない。否、離せない。その存在の偉大さに、神聖さに、神々しさに。


 光が片穂を包み、輝きが増し、彼女を隠し始める。


 そこで司の脳は眩しいという感覚をやっと知覚し、ようやく反射が瞼を閉じさせる。そして光が片穂を隠しきって、散っていく。


 司は再び片穂を見る。片穂の外見には雪のような白銀の大きな翼が付け加えられている。いや、違う。生えているのだ、翼が、少女の背中から。


 バサッと音を立てて翼が開き、風を起こすのを感じ、その両翼が雪であるような錯覚がようやく無くなる。あの翼は確実に天羽片穂の一部であると、認めざるを得ない。


 さっきまで着ていた司の高校用ジャージは純白のワンピースに変わっており、腰回りにはサファイアのような青く輝く宝石が幾つか施されている。


 透き通るような青い宝石と共に片穂の双眸も黄金色に輝いており、その存在は人間とは一線を画している。


 そして、その身に纏うもの全てが少女の美しさをより一層際立たせている。


 その姿は見間違えることはない。それを識別することに経験など必要ない。




 ――――目の前に、天使がいた。




「私は――カホエル。『天使カホエル』――私の、もう一つの名前です」


 天使は凛々しく、力強く、自らの名を名乗った。

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