第3話その3「お腹が……減りました」


 今までほとんど話さなかったにもかかわらず、司の気遣いに答えるために大きめの声を出したのが失敗だったようで、司との初めての会話を噛んだ天羽片穂は熟したリンゴのように赤面し、目線を下にする。


 せめて片穂が傷つかないように盛大に片穂が噛んだことをスルーして沈黙が二人の間に入り込む前に会話を再会する。


「そ、そしたらさ、今朝のことについて訊きたいんだけど……」


「け、今朝のことは本当に申し訳ありませんでしたっ!」


 ゴンッ! っとテーブルからの大きな音が部屋に響く。


 やめてくれ。これ以上話しにくい雰囲気を作らないでくれ。


「え、えっと、別に今朝のことは気にしてないんだけど、それよりも俺の部屋にいた理由が訊きたいんだけど……」


「それは、お姉ちゃんが間違えて設定して――」



 そう言いかけて片穂は口を手で押さえて言葉を止める。そして白々しく斜め上を見ながらまた話し始める。


「――っていうのは冗談でですね! えっと、司さんの部屋に来た理由は訳あって言えないんです。申し訳ありません」


 徐々に声量が減っていき、片穂は悲しい顔でまた下を向く。


 かなり口が滑ってしまっているようだけど、と突っ込みたくなった司だったがそこを堪えて、今は片穂の話を聞くことにする。


「そ、そうだ! そういえば、さっき公園で帰る家がないって言ってたけどそれは本当なの?」


「はい……こっちにくるのは初めてなので間違えてこの部屋に来てしまった以上、帰る場所はないです……」


「こっち……?」


 この片穂の言い方だと、自分の家にいた理由はさておき『初めてこっちにきた』ということは地方に住んでいて東京に来たか、外国から日本に来たかだが、黒髪と流暢な日本語からおそらく前者であると司は見当をつける。


 そして、『間違えてこの部屋に来た』というのも気になる。引っ越そうとして隣の家を訪ねてしまったのなら納得できるが、寝て朝起きるまで間違えたことに気付かないなんてことはありえない。


 不可解な点が多すぎる。とりあえず先に考えた以前の住所について聞いてみる。


「東京に来る前はどこに住んでいたんだ?」


「来た所はちょっと特殊で説明が難しいんですけど、ここからは結構遠い場所にあるはずです」


 やはりこういった質問も曖昧にしか答えは返ってこない。さらに気になるのが遠い場所にある『はず』という言い回しである。


 地方から上京してきたのなら素直に遠いと言えばいいのにそれすらもはっきりと言わないことにも意味があるのだろうか。


「遠い場所……ね。その場所のことも訳あって言えないのかな」


「はい。申し訳ないです。もし話してもよい時になれば、全て話しますので……」


 この件についてこれ以上訊いても意味が無いと考えた司は質問を変える。


「そっか。それじゃあ、さっきお姉ちゃんって言ってたけど、連絡を取ることはできないのかな。見た感じケータイを持ってるようにも見えないけど電話番号が分かるなら俺が掛けるからさ」


「ケータイ、けいたい……ですか? あぁ! ケータイですね! 私も連絡したいのは山々なんですが……今は、出来ないんです」


 少しケータイへの反応について違和感があるがこういったことの返事は期待できないので今はスルーする。


「うーん。俺に出来ることなら力になってあげたいけど……何かあるかな」


 片穂は少し考えて、考えがまとまったのか返事をする。


「なら……すごく、変なお願いをしてしまうんですが、いいですか?」


 ここまできてお願いを無視することは司にはできない。片穂が少しでも安心できるように胸に手を当てて笑顔で、


「あぁ! 乗りかかった船だ! 最後まで聞いてやろう!」


「今日から何日か、ここに泊めていただけないでしょうか!?」


「………へ?」


 せっかく作った笑顔が一瞬で消えた。


「なんだって?」


「長くても四日でいいんです。司さんの家に私を泊めてほしいんです」


 少し時間をかけて片穂が言っていることを理解した司は声を上げる。


「意味分かんねぇよ!」


 言っている言葉は理解したが、その意味が、理由がわからない。何か手伝うにしたって親戚との連絡や知り合いを見つけてほしいならば喜んで協力するのだが、今日出会ったばかりの男の家に泊めてもらうなんて変じゃないか。


 それよりも第一に、


「そんなこと言ったっていいのか⁉︎ こんな一人暮らしの男の家で⁉︎」


 問題はそこである。家族で暮らしている家に泊めてもらうならまだしも、佐種司は一人暮らし。普通は不安などが多いはずではないのか。


 しかし、司の心配を振り払うように片穂は司に接近する。


「そんなこと関係ないです! こっちに来てからまともに会話をした人が司さんだけなんです! お願いします! 頼れる人がいないんですよぉ! 外の人たち冷たいんです!」


 身を乗り出して司の肩を掴みぶんぶんと振り始めた。振られながら片穂を見ると助けを求めた目に涙がうるうると滲み、今にも目から落ちそうであった。


 きっと司に公園で再会する前に何人かに話しかけて無視をされたり、なんとなく断られたりしたのだろう。


 そんな悲しみを思い出して泣きそうな少女の願いを断る勇気など司にあるわけがなく、


「わかった! わかったよ! 数日、お前のことを泊めればいいんだろ⁉︎ 部屋も狭いし料理も決まった種類しか出来ないけどそれでいいならいくらでも泊めてやるよ!」


「……いいんですか?」


「その代わりに訳ありの理由を全部訊かせてもらうからな!」


 ここまできたらとことんまでやってやる。全部訊くまで帰してやるものか。


「はい……そうですね。こんなによくしてくれた人にたくさんの隠し事をするのは心が痛いです。話せる範囲で少しずつですが、話します……でも……その前に」


 ぐるるる、と片穂が手でさする腹部の内側から内臓たちが司に空腹を訴えかける。


「お腹が……減りました。何か、食べさせてもらってもよろしいでしょうか」


「お、おう」


 泊めてやると意気込んだ矢先に食事を出さない訳にもいかないので司は冷蔵庫へ手を伸ばす。


 予想はついていたが、冷蔵庫の中はすっからかん。飲みかけのお茶やジュースと、司の白飯の友である梅干しが開封状態で保存されたものしか残っていなかった。司はそっとすかすかの白い箱を閉じ、


「近くにファミレスあるから、そこで何か食べようか。今日は日曜日で学校もバイトもないし、もう開店してる時間だろうから食料を買いに行くついでに飯食べに行くか!」



 明るく、食料がないのを誤魔化して外食を提案する。


「はい! ありがとうございます。感謝です!」


 はきはきとした返事をした片穂は、司が立ち上がり玄関に歩くのにつられて腰を上げてその後に続き、二人は外へと歩きだした。

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