エッセンスは1滴だけ


━━奥のスペースに案内され、紅茶まで頂いてしまった。


「あの、この本はどういう? 」


表題だけではまったく内容はわからない。


「この本は……基本的に、持っていてくれるだけでいい」


意味がわからない。


「すみません。よくわからないんですが……」


「すまないね。どう説明したらいいかな。……お嬢さん、君の"悪魔"の認識を先に問わせてくれないか? 」


「"悪魔"、ですか? 」


書物だけでも数多くの悪魔がいる。七つの大罪が今、再度ブームにはなっているかな。


「感覚と得た知識だけでも、色々な見方がありますけど……人間が畏れの対象にして、脅威に感じるもの。願いの代償に命や魂を要求されたり、強大な力を持つ存在、がメジャーでしょうか」


「うんうん。ここあるものたちにも、ファンタジーでそんなことを描かれているね」


だけど、私はまだ整理がついていないことがある。


「……でも、先程あなたが仰ったことで気になることがあります」


「ん? 何かな? 」


「書物の感想を食事に例える人は少なくないです。あなたがそうであるように。気になるのは、この本の悪魔はおなじ表現を好んでいるのか、代償に近いものなのか、と言うことです」


また怪しい笑みをした……。


「……"何らかの願いのための代償"と? 」


「は、はい……」


今度はにっこり微笑まれる。


「そうだね。近からずそうなるんじゃないかな。だが……この悪魔は"異端"でね。"ハッピーエンド"の作品が大好物なんだ」


……この女性は言葉を選んでいる、そう感じた。でも、嘘は感じられない。


「安心おし。何も奪いはしないのさ。まぁ、干渉はするかもしれない。それは"邪魔にならない"形で。フィクションでも、ノンフィクションでもおなじこと。美食で偏食な悪魔に協力してはくれまいか」


私は……気がついてしまったかもしれない。けれど、彼女が敢えて口にしないことを口にすることは、憚られた。だったら……。


「……悪意のない悪魔、なんですね? 」


「うん、珍しいだろう? ただ作品を読みたいだけなんだ。過去の作品には限りがある。だから……"お嬢さんは選ばれたんだ"」


え? 選ばれた?


「……悩んでいることがあるのだろう? "恋愛がらみの"、ね」


「れ、恋愛なんて興味ありません! 煩わしいだけです! 」


何で私、こんなに興奮してるんだろう?


「あれ? 私は興味云々は言っていないよ? 恋愛がらみの、と言った。困っているんじゃないのかな? 」


「……確かに困ることはあります。それは……幼馴染みがモテるのが原因です。小さい頃から兄弟みたいに一緒にいたものですから、登校と下校を未だに一緒にしたがるんです。もう子供じゃないんだから、別々だっていいじゃないですか。一緒に帰りたがってる女の子はいっぱいいるんですから」


何故だろう? 初対面なのに、いつも以上にすっきりと話せた。おなじ女性だからかな?


「やっかみをされているのかな? だが、不思議だねぇ? お嬢さんくらいだと、男の子は思春期だと思うのだけど。……なら、尚更その本を持ち歩いてごらん。何かしら変化があるだろう」


私はそのままお店を後にした。……妙に引っ掛かることを言われたけれど、私には関係ないと思いながら。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……さて、と」


少女が店を出ると、美女は本を開く。……少女に渡した本とそっくりな、いやおなじ本だ。


「おやおや、もう始まっていたじゃないか。ああこれは……予想している通りだね」


その本は真っ白だった。しかし、少しずつ文字が増えていく。本からは、立体のようなホログラフィーで映像が映し出されていた。

少女と少年、二方向からの目線ストーリーが描かれている。


「このままでも二人はいづれ結ばれる。だけど、現状が何年も続いてしまいそうだ。それは……"とても退屈"だ」


溜め息と共に何かを考えているようだ。

そんな彼女の背後から二つ、忍び寄る気配があった。


「……マリー、マルク」


二つの気配はビクッと立ち止まる。しかし。


「いやぁん☆ "ヴァーバラ"ぁ! 」


マリーと呼ばれた美少女が抱き着く。


「ず、ずるいよ! マリー! 」


出遅れたマルクと呼ばれた、マリーよりは少し大人びた美少年がおろおろしていた。


「今日も君たち、兄妹は元気だね」


二人に優しく微笑みかけた美女に、いつの間にか角が生えていた。衣服も少し妖艶に。

現れた二人も、背中からコウモリのような羽が出ている。


本を愛する美食、偏食家"ヴァーバラ・グレゴリー"とその使い魔"マリー・サキュバス"、"マルク・サキュバス"。

この三人は人間社会の隙間に、静かに暮らしている。"干渉"をしながら……。

それはまさに、一滴のエッセンス程度の。


「……そうだな。よし、マリー。君にしよう。頼んだよ」


「喜んで☆ 」


心底残念そうな兄を尻目に、マリーは暗闇に消えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「おい! 奈緒子! 昨日、俺より早く帰ったはずだろ?! なんで帰ってなかったんだよ? 心配するだろ?! 」


「……別に私がどこに寄ろうが、あんたに関係ないでしょ?! 」


頑張るねぇ、少年。でも、お嬢さんはうんざり顔だ。


「なぁ、奈緒……」


「宮藤(くどう)く~ん☆ 一緒に帰ろぉ~☆ 」


お? 見事に遮ったねぇ。


「いや、俺は……」


「え~? 街中とかぁ、マリーに案内してよぉ~? 」


「……私は関係ないでしょ。いってあげればいいじゃない」


少年とお嬢さんの擦れ違い。中々噛み合わないねぇ。

さて、少年は季節外れかは謎だが、今朝がたに転校してきた美少女の誘いを断れるか否か? ……いや、断れやしない。少年、お嬢さんを振り返りながらもマリーに引っ張られていくね。


「何かやな感じー」


「ねー? いきなり横取りとかー」


あー、お嬢さんたちの印象はよくないねぇ。


「可愛いって特しかないんじゃない? 」


可愛いだけで世の中渡れたら、どれだけいいだろうねぇ。

おや? お嬢さんが教室のドアを向いて……複雑な想いに浸っているようだ。

……さぁ、この一滴、どう変わるやら。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「風気持ちーね☆ 」


何ともカップルに最適な夕暮れ時じゃないか。

だがどうだ? 少年の表情は晴れやかじゃないね。こんな美少女が隣にいるというのに。


「でもマリー、ムカプンなのー。一日中マリーに夢中だったのにぃ、宮藤くんと教室出たらぁ……ガッツポーズした二人がいたのよぉ? ひどくなぁい? 」


おやおや、挑戦的だねぇ。


「だけどぉ、宮藤くんはぁ、マリー選んでくれたんだよねぇ? マリー、超嬉しい~☆ 」


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……ヴァーバラ☆ 」


「ん? マリーどうした? デート中ではなかったかな? 」


パタパタと浮きながら、マリーはニコニコしている。


「それがねぇ? 」


二人は本にまた、目を落とす。


◇◆◇◆◇◆◇◆


マリーのスマホが振動した。


「はいはぁい☆ マリーチャンでぇす☆ 」


『あたしだけど……』


着信相手は、マリーと気の合う派手なクラスメイト。


「あ、千歳チャン~♪ どうしたのぉ? 」


『デート中悪いんだけどさぁ……。葛西さんが湯島と嵯峨に連れてかれてくの見たんだよねぇ。遠目だけど、無理矢理っぽかったからさ。じゃ、伝えるだけ伝えたよ』


マリーがうふっと笑う。


『え? 何? 』


「……その宮藤くんならぁ、マリーと来るときにぃ、ガッツポーズしてた人がいたから話したんだけどぉ。マリー置いて学校に走ってっちゃったよぉ? 」


『何それ? マリー可哀想ー! じゃあ、あたしらとカラオケ行く? 』


「んー、今日はいいかなぁ。また誘ってねぇ☆ 」


◇◆◇◆◇◆◇◆


「そういうことか」


「そういうこと~☆ 間に合うかなぁ? 」


「間に合ってくれなければ困るさ」


二人は、確信めいた笑みを溢す。


たった一滴、背中を押す言葉がどんな些細な言葉でも、本心を突き動かす。恋する方を動かせば、自ずと相手も動かざる得なくなる。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「宮藤が葛西のこと好きなら仕方ねぇって思ってたけどさぁ。違うみたいだし、俺と付き合おうよ」


「待てよ、俺も葛西可愛いって思ってたんだから抜け駆けすんなよ」


少年のあんな姿を見ておいて勝手なことを言うねぇ。思い込みってのは面白いものだ。


「な、なんの話よ?! 恋愛には興味ないし、端からお断りよ! 」


強気に出るが、二人もの少年にはタジタジだね。

場所は体育館倉庫前。


さてさて、少年はどこかな?

……お? 校舎に入ってきていたね。必死な形相が分かりやすくていいねぇ。


「お、おい! 奈緒子見なかったか?! 」


スマホを持った派手目のお嬢さんがぎょっとする。


「マジできたよ……。体育館の方に湯島と嵯峨が連れてった」


「サンキュー! 」


再度走り出した。さぁ、佳境だよ!

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