第24話 いしのみや
しかし事態は想像以上に深刻だった。それに気付くきっかけになったのは縁司だった。どこまでが事実でどこからが夢だったのか。本人に確認しようにもその手段がないのだ。
「とりあえず今は、ふたりだけで会うのはやめておこう」
疲れ切った顔で微笑んだ直日。先日の出来事は時間をおくほどに重みを増す。直日は自分をコントロールできる自信がないと言った。鈴乃と直日、ふたりだけの空間がお互いにとって恐怖になる。追いかけるべきではないと楓は言っていたが、状況が混沌としてくる中でこのまま放置するべきなのだろうか。問題が解消するとは思えなかった。
他に頼るところが思いつかなかった。直日が縁司に同行を依頼して、3人が向かったのは下多気にある郷土資料館。事情を知っているかもしれない縁司の兄は未だに不在だった。話をすることになったのはもう馴染みといってもいい職員だ。
「それが事実だとすれば、いつの話なんだろう……」
石名原はしばらく考えると顔を上げて語り始めた。ひとつひとつ鈴乃が語った昔話に似た夢を丁寧に確認していく。それが彼女の仕事で、趣味なのだ。
「この辺りが、中央……たぶん『ヤマト政権』のことなのかなって思うけど……の支配下に置かれたのは随分昔の話だよ。自治権があって環濠集落がクニであれた頃は紀元1世紀前後までさかのぼるかな。『カクハヤミ』がひとつのクニで昔から信仰されてきた神様だとすれば……そうだね、人になる前の依り代が『鏡』だったりするのは興味深いかも。この地域で祭祀に使われた道具として銅鐸なんかは出ているけど、ふたりが見た鏡が現存していてご神体だったのなら日本最古の神鏡になったかもしれない……。一般的に……」
「そういうのは、いいんです」
鈴乃は遮った。今日はそういう話が聞きたくて来たわけではない。4人は資料館の近くの道の駅に場所を移していた。ログハウスのような内装の屋内には村が舞台になったという映画のジオラマがある。村の杉で作られた和室が展示されていて申し込めば利用もできるそうだ。観光案内のパンフレットが欠けることなく揃っている様子は少し寂しくもある。
「速瀬さん。わたしは、神様のが実在したかどうか、人智を越えた力が存在したかどうか……そういうお話はわからないよ」
向かいに座った石名原は真顔のまま言った。彼女の言動が秩序と縁遠く見えるのは、常識に繋がっているはずの糸がたくさん切れているから。けれど一緒にいて感じてきたのは、実は石名原は伝統や秩序を重んじる方の人間だということ。ほとんどの場合、誰かに対して個人としての意見はない。求めなければ言わない。それでも時折見える感情は決してささやかなものではなく興味がないことに無関心で淡泊なわけでははない。外から見えるものとと内側にあるものが随分違うのだ。
たとえば今。鈴乃の話を疑いはしても否定しないのはこちらの心情を想像しての判断ではないか。今では、むしろ石名原は感情の影響を受けやすいからこそ人との距離を置く人間なのではないかと鈴乃は思っていたりもする。
しかし今回ばかりはそれでは困る。ふたりを連れ出して国津神社に引き入れたのは石名原なのだ。思惑を確認しなければならない。ふたりは……少なくとも鈴乃は、直日を解放するために石名原が仕組んだ計画だと思っていたけれど、もしそれが今回の引き金になったのなら……石名原がこうなることを予見していたとすれば、解釈は全く違うものになる。
「わたしたちを国津神社に連れて行ってくれたのはどうして?」
「うん、それはみんなの気分転換になればいいかなって思ったからだよ。……信じられないかな」
石名原は顔を合わせていても虚空を見ている。視線が合うことはない。石名原はぼんやりとした表情のまま続けた。
「わたしは、今見えているものが全てじゃないってずっと思ってる。古いものだって今に合わせて変化して……それが新しい伝統になって村の歴史を作っていくんだしね。ふたりはまるで影の部分に『囚われることを望んでいる』ように感じたんだよ。だから当事者から少しだけ離れてみて見えるものがあったらいいなって……そう思っただけ」
「じゃあ、こうなることは予想してた?」
「信じるかどうかはみんなに任せるけど、予想はしてないよ。立花くんなら……縁司くんのお兄さんなら知ってたのかな。そうだね、あれががきっかけになったのなら、わたしに責任があるのかもしれない。ごめんね……どうしたらいい?」
石名原は目の前のグラスに視線を移すとずっとそれを見つめている。責任の在処を探しに来たわけではない。しかし周囲の人たちが鈴乃たちのことを知っていて隠しているというのは気持ちがいいことではない。知っていることがあれば教えて欲しい。
事態の深刻さに気付いたのは、学校での会話の中だった。神社での出来事を縁司を交えて確認していたときだ。鈴乃の意識が戻ってきてからの楓とのやり取りを説明しているときに縁司が口にした言葉。
「ところで、『楓』って、誰なんだ?」
縁司に深刻な様子はなく単純な質問のつもりで聞いたようだった。それだけなら楓の方は縁司のことを知っていたが、縁司は楓のことを知らないということで終わりだ。鈴乃と直日を知っていても、クラスの違う楓のことは縁司には分からないということもあるだろう。問題はそこではない。
「鈴ちゃん……おかしいよ?」
「……うん」
鈴乃も「篠宮 楓」の関係を縁司に説明しようと思ったが、ふたりの幼馴染みで同級生だということ以外が思い出せないのだ。どうして思い出せないのか。また特別な力が働いているのか。楓の家の「篠宮」にはそんなことができる手段があるのだろうか。鈴乃と直日以外には誰ひとりとして楓のことを思い出せた人間はいなかったのだ。
まるで、最初からいなかったように事実が書き換わっていた。同級生に「篠宮 楓」という名前が見当たらない。連絡を取ろうとして手にした携帯電話の電話帳にも楓の名前がない。どうやって連絡を取っていたのかも思い出せないのだ。いくら楓がテレビに出るような有名人ではないとはいっても、関係していた人々全ての記憶や各所の記録を一度に抹消するなどという大掛かりなことが「篠宮」にできるとすれば驚きを通り越して恐怖だ。
鈴乃は石名原に何を要求するべきなのか。彼女には鈴乃たち高校生にできないできることはあるだろう。しかし記憶や記録を書き換えるほどの力に対して個人でできることがあるのだろうか。
「……織津の縁者に『
そう言った彼女の姓も「
「だけど、石之宮の家はもう途絶えているはずなんだ」
「……途絶えた?」
「うん、わたしのご先祖だよ」
どうして最初に言わないのかという事実だった。しかし、それならば家自体はなくなっていても石名原は織津の縁者ということではないか。
「わたしはなんにも知らない。だから関係者といえるのかは微妙だよね。だけどね、詳しく鮮明に……たとえば事実を見てきたかのように知っている人が『残っている』ことが却って不思議なんだ」
「……どういうこと?」
「みんなが忘れてしまった『篠宮さん』のことだよ。現実離れたお話をすれば、速瀬さんは『周囲の事実が書き換えられた』と考えているようだけど、もう少し無理のない見方もあるのかな。もしかしたら……」
珍しく表情を曇らせて言い淀んだ石名原。その沈黙に鈴乃はようやく可能性に思い至る。思い至るというよりは認めたといった方が正確かもしれない。まるで存在が無かったようにされた……のではないということ。
「……今になって『周囲が書き換えられた』んじゃなくて、『ふたりが書き加えられた』状態だったのかもしれない」
それはつまり、篠宮 楓は存在しない……という可能性だった。
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