第23話 夢と昔話と現実と

閉じた夢を見ていた。どこにも合意のない長くて独りよがりな夢。そこには他者は介在せず繰り返される自問自答だけがあった。飛躍した結論によって身を焼いて、その炎に巻き込まれて滅んでいく者たち。それは誰かの記憶なのだろうか。そして――。


「……やめて! やめてって!」


くぐもった声が聞こえた。誰の声だっただろうか。自分はそれを覚えている気がする。首が絞まる力がゆるんでいた。そういえば……。


「ナオくん、目の前にいるのは鈴ちゃんだから! ちゃんと、見て!」


固定しているものが自分の首から失われて、動かない身体が切り離されて宙に浮いた。身体に圧迫されている部分があって、それが自分の身体の重さによるものだと理解した。潰れている方が下でそうでない方が上だ。顔や腕にイガイガしたものが触れている。


捩れている身体を戻そうとしても力が抜けていてうまく動かない。重い瞼を少しだけ開く。目に映るものを理解するのに時間を要した。石の地面。神社の石段。傾いた視点を正面に向ける。


――ナオ。


声を出そうとするけれど上手くいかない。鈴乃は思い出す。


「ぼくは……」


開いたままの自分の両手を見つめて呟く、茫然自失の直日がいた。


「鈴ちゃん、大丈夫っ?!」


くぐもった声の主は楓だった。鈴乃に駆け寄ってこちらを覗き込む。大丈夫なのかどうかは正直なところまだ分からない。けれど鈴乃はひとまず微笑んで楓に応える。


鈴乃。それは確かに自分の名前。しかしつい今まで違う名前で呼ばれていた気がする。鈴乃は声の出し方を確かめるように、目の前のふたりの名前を呼んでみる。


「……楓。……ナオ」


声が出た。身体に痛みが戻ってくる。倒れたときに強く打ち付けたのかもしれない。


「……鈴ちゃん!」


直日が鈴乃の声に気付いた。我を取り戻したのか慌ててその身を鈴乃に寄せる。真っ赤に染まった直日の姿はもう見えなかった。


「なに、するの……ナオ。すごい力で、驚いた」




意識がはっきりと戻った。身体の感覚はいつも通りのはずだけれど不思議な違和感が残る。直日は沈んだ表情で石段に座って俯いている。鈴乃が意識を失う前の直日の様子は気なるけれど狂っているというよりも正気を失っていたようだ。鈴乃が見た月明かりは幻覚だったのだろうか。参道には陽の光が差し込んでいる。長い時間この場所を離れていたような感じがするけれど、実際にはほんのわずかな間らしい。


しかし、楓だ。まず、どうして待ち合わせに現れなかったのか。そして、今になって目の前にいるのはなぜか。


「その時間、わたしは織津神社ここにいたよ」

「……それ、どういうこと?」


楓の言葉が嘘でなければ、ここで合流できなかったのはおかしい。鈴乃が見たものはなんなのだろう。織津神社ここではない織津神社ここがあったということなのか。鈴乃はなにを尋ねるべきなのか迷った。


「鈴ちゃん……何が、あった?」

「わたしが教えて欲しいくらいなんだけど……。楓こそ、なにか知ってるよね」


曇った表情の楓。そして小さく頷いた。


今まではぐらかしてきた楓が肯定した。切迫した状況がそうさせたのか。こうなったのは楓の想定外なのかもしれない。楓が止めなければおそらく鈴乃は死んでいた。直日は、鈴乃を殺していた。


「楓は、何を知ってる?」

「……わたしの家は織津に縁がある。だから、少しだけ知ってるけど、ほんの少しだけ。……鈴ちゃんは、何を知りたい? 見たものを教えてくれる?」


今、神社の管理は他所から禰宜が派遣されて行われている。以前はその役割を代々受け継いできた家があったらしい。篠宮がそれだったならどうして隠していたのだろう。楓は「何があったのか」ではなく、「何を見たのか」と尋ね直した。鈴乃の置かれている状況を把握しているのだろう。鈴乃は少し考える。話すのは構わない。けれど、それは楓が鈴乃の質問に答えるのなら……だ。


目の前の友人は信用できるのか。付き合いは長い。今まで、楓は誠実さを欠く人間ではなかった。鈴乃たちを利用する素振りもなかった。しかし、ふたりにとって重要なことを隠してきた。それが篠宮のルールなのかもしれない。けれど、それが楓への信頼を揺るがしている。鈴乃はこの友人を信用してもいいのだろうか。


「見たものを聞いてどうするの? それが楓の役割?」

「わたしは……ふたりを、守りたい。『役割』なんて、もう関係ない」


楓は険しい目つきで静かに答えた。否定した声がわずかに震えている。苛立ちだろうか。その感情は鈴乃に向けられたものではない。この場にいない誰かに対して。楓は「守る」という。では、鈴乃たちは何から「守られる」のか。篠宮であればそれができるのだろうか。


鈴乃は見ていたものを話すことにした。しかしおそらくは夢。不確かな事実からは遠い鈴乃が見た長い夢にすぎない。そこから読み取れたものが何かの証拠になるのだろうか。楓に聞いてみなければ分からないこと。まずは話そう。鈴乃は織津のカミサマの名前を持った人間たちが登場する夢物語をする。




「そっか。……それは、里に残る伝承の話だね」

「わたしは聞いてない。カクハヤミは悪いカミサマでアメノハヅチが退治したことになってるんじゃなかった? 違う話もあるそうだけど、石名原さん……資料館の人からもこんな話は聞いてないし、わたしは知らない」

「……鈴ちゃんが見たのは残っているいくつかの話の内のひとつ。でも、それは昔話。実際に里にいたはずの人間がみんないなくなってしまったなら、何が起こったのかなんて誰にも分からないし、残るはずない……」


鈴乃は記憶を辿り見た夢の概略をふたりに語った。鈴乃の話の後にそう付け加えた楓。淡々と指摘する。それが妥当なのかは分からないけれど、俗説であろうと楓はこの話を知っているのだ。


「『ハツチ』に『カクハヤミ』、その巫女だった『シトリ』……」

「……鈴ちゃんは、覚えていないかもしれないけど、どこかでその伝承を聞いていたんじゃない? 確かなのは、鈴ちゃんは『速瀬鈴乃』だし、ナオくんは『葛城直日』だから」


静かに呟くように鈴乃に語りかける楓。ただ表情は物憂げで、鈴乃の話を気持ちよく聞いていたわけではないようだ。曖昧になっている夢と現実に線を引こうとする楓。しかし、鈴乃には楓によって引かれた境界線が信じるに値するのか分からなくなっている。その通りだと納得できない。鈴乃を問題から遠ざけようとしているだけにも思える。


夢かもしれないし、昔話かもしれないけれど、実際に現実に影響を及ぼしているのだ。知らないままの方がいいとは言えないのではないか。


「ほんとうにごめんなさい。ぼくはどうして……」

「……まあ、わたしは大丈夫みたいだし、ナオはもう気にしなくていいから。……もちろん、タダでは許さないけど」


ずっと黙って聞いていた直日だったが、酷く落ち込んでいて悔やむというよりも恐れているように見える。正気でなかったのならどうしようもない。少しでも気が済めばいいと思って、鈴乃はあえて代償を請求しておいた。強気を装う鈴乃だけれど、先程のことを思い出せば直日と視線を合わそうとするだけで鈴乃だって身体が震える。今の方が恐ろしいくらいだ。それが直日の意思とは無関係だったとしても。


しかし、直日は鈴乃に「ハツチさま」と言わなかったか。不鮮明な意識の中で聞いた声。本当に直日の言葉だっただろうか。もしそうだったなら、同じ夢を同時に見ていたということなのか。そんなことがあり得るのだろうか。


「……ナオは覚えてないの?」

「ぼくがしたことは覚えてる。……鈴ちゃんみたいに、ぼく以外の誰かが何してたのかを見て、はっきり覚えているわけじゃないけど、自分が自分じゃなくなってた感じはするよ」


直日は鈴乃と目を合わさずに、俯いたまま疲れ切った表情で答える。


「ふたりとも。夢は夢だから。たとえそれに近いことが本当にあったんだとしても、ふたりには何にも関係ない。ナオくん、あなた自身がどうしたいのかを忘れないで。鈴ちゃんも、そう。……ふたりがそれを追いかける必要はない」


強い口調で言う楓。しかし……。


「でも、実際に問題が起きてる」

「……ごめん。言い間違えた。必要がないんじゃなくて、『追いかけてはいけなかった』んだよ」


楓は譲らない。不愉快だという表情で訂正する。


「それは、どうして?」

「鈴ちゃん、いい? これは気持ちの問題で、心の問題……。この際だから、はっきりと言うけど、ふたりともちゃんと心当たりがあるはずだよ、原因となった出来事に。だから、ふたりの抱えている罪の意識が重なって、夢や昔話の世界に都合良く引っ張られてしまう。……これはね、信仰なんかじゃなくてオカルトの世界……だから」


怒っているのは明らかだった。そしてどこか焦っても見える。本当に楓の言う理屈で状況が説明できるのだろうか。「都合良く引っ張られる」と楓は言った。では、一体誰の都合なのか。それは、きっと楓の怒りが向いているところにいる誰かなのだろう。


鈴乃はたくさんのことを知った。過去にあったかもしれないたくさんの出来事。それが今、鈴乃の周りで起きることに繋がっているのかもしれない。そう思い至ったけれど、楓が指摘するように関連付けること自体が危険である可能性もある。ただ、感情を露わにして取り乱してまで必死に鈴乃を説得しようとする楓の姿からは、本当にふたりの身を案じていることが分かった気がする。


楓を信用するかどうかは鈴乃が決めること。言っていることに嘘があるのだとしても、やはり、友人を信じてみたいと思った。

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