第20話 決戦

火では村は焼けない。それが中央の者たちに充分に伝わっていなかったのは幸運だった。戦う相手がアメノハツチであることを相手は知っている。糸は火と相性が良くない。ハツチはそれを逆に利用した。相手が火を使うように誘導したのだ。


ハツチが村の周囲に張り巡らせた罠は燃えるものを準備していた。戦いに多くの武器を抱えたまま臨むことはできない。より有効で扱いやすいものを選ぶ。高い能力を身につけたハツチやアヤツチたちは特殊で、ほとんどがなにかの道具を必要とする。アメノハツチを相手に特別な武器として「火」を選んだ者は、シトリの笛の持つカクハヤミの威光によって武器を失った。


ハツチという「神の名」と対峙するという名目で能力を無差別に住民へ振るうことを無力化する。古い神のカクハヤミは「人の営みに神が介入することを禁止する約定がある」と言ってはいなかったか。では、その「人」とは誰なのか。破ったものを誰が諫めるというのだ。ハツチの知っている「人」と「人」の争いにも偽装された神の力が介入している。ハツチたちが与えられた力こそそれではないか。


能力を禁止されればハツチはただの人だ。人の力とはどこまでをいうのか。彼らが教えたやり方で、ハツチは自分が信じてきた流儀で彼らと戦う。相手の能力を制限し、自らの力を最大限に振るうのだ。カクハヤミのように介入せずに一方的に奪われて滅びを待つくらいならば、神の力を利用してでも抗う。それを誰が罰するというのか。


戦いになれば相手はただの敵だ。その背景にあるものや背負うものなど知らない。そう訓練されてきている。どちらが正統かなど意味を持たない。正義をなすために戦ってきたつもりで、その中身は能力の競い合いなのだ。感情が停止する。言い訳など聞かない。命乞いなどさせはしない。


カクハヤミの加護が「神威」を扱う者たちをただの人形にした。ハツチの「神威」が返り討ちにする。ハツチは「人」の戦い方を捨てて、宙を駆ける。先行して標的になる。


「数の力で叩き潰そうとするなど、ずいぶん甘くみられたものだ」


ハツチには攻撃のほとんどが届かない。当たってもなんの傷も残らない。それが「神の名」の「神威」。完全に準備不足なのだ。遠征の疲労など言い訳にならない。追い詰められたものがどんな行動をとるかなど火を見るよりも明らかなこと。手段など選ばない。


恐れている様子を装って、まだ交渉の余地があるかのようにみせかけた。勇ましく実直な「反逆者」と対峙したときのように。状況を把握したつもりにさせた。無垢で純真な「童神」を葬ったときのように。即席の結界などあえて張らせて満足させておいた。日陰に住む臆病な「山姫」を自滅に追い込んだときのように。簡単に無力化できるものなど無意味だ。卓越した能力者がいたのかもしれない。しかしハツチたちは初動でそのほとんどを黙らせている。


卑怯だといえばいい。ハツチたちは相手が人ではない「邪悪で強い存在だから」という理由をつけてそれをやってきたのだ。自らのやってきたことを思い知るがいいだろう。望み通り「邪神」のように相手をしよう。


切れない糸が刃のように四肢を切断していく。抵抗する力だけを奪い息の根は止めない。手負いのまま放置した方が確実に戦力を削げるからだ。無惨に身体を切り刻んで上空に吊し上げる。情を持ち込んだ者の戦意を挫くためだ。ハツチにとって「邪悪な者」のなす所業だ。しかし自分たちが行ってきたことではないか。


しかしハツチの力は無限ではない。態勢を立て直す時間を与えるわけにはいかない。一気に攻め潰そうとしても突出することはできないのだ。防衛線を破られるわけにはいかなかった。地の利はあるが、それもシトリがカクハヤミに成り代わって操る力があってこそ。後方のシトリが生命線になっている。


「神威」が振るえなくなっていく。ハツチは空手だった両手で武器を構えた。体格の良くないハツチの身体に不相応の大きさの刃鎚。瞳に力を込めて歯を食いしばりそれを振り回した。血飛沫が舞う。それでも、ハツチは力で叩き潰す。


七色の力が空中を舞って散る。種々の「神威」が発現し始めた。一方的だった攻勢も均衡が取れ始める。減っていく味方。なお増え続ける敵の数。じりじりと戦線が後退する。しかし、ハツチは前線に立って決して倒れない。止めていた両側の髪が解けて血を吸って赤黒く濡れていた。刃や矢がハツチに届くようになってくるが、しかし――。


「これから、だ! アメノハツチの首を取って見せろ!」


「人」と「人」の戦いはここからなのだ。ハツチの耳にはシトリの笛の音がまだちゃんとと聞こえている。左足を踏み込んで、振りかぶった刃槌を全身で振り下ろす。その一撃は相手を何もかも丸ごと押し潰す。ハツチが武器を振るう度に背景に赤い染みが増えた。


名誉のためでも、未来のためでもない。自らが選んだ終わりのために、この命が尽きるまで。


四方を「神の名」を持ったハツチの配下だった仲間たちが守り続けていたが、防衛線の反対側が崩れたのが分かった。しかし、ここで下がっては敵の主力が村になだれ込んでしまう。仲間たちを信じるしかない。


アメノハツチを呪う声が聞こえた。しかしそれは、人ではないものの力で人を従えてきた者たちの驕りが招いたこと。剣や矛の鋭さも、扱う者を潰されては意味などない。どちらかが全滅するまで終わらない。ハツチは命が続く限り目の前の敵を動かない人形の山に変えるだけ。すでに赤い池は、海になっていた。


そして、シトリの笛が止んだ。


「神威」を取り戻した敵の力に村が一気に飲み込まれる。勝敗ははじめから決していた。吹き上がる炎。火の神を戴いた里の最後だった。戦いは終わった。残るのは一方的な蹂躙。制圧でも征服でもなく跡形もなく全てを破壊するだけ。


敵を全滅させて村の中へ走る。建物はことごとく全壊して炎上している。敵の屍はおびただしい数だ。もはや敵味方の判別も不能だったが、燃えさかる火の中に動いているものの姿が見当たらない。人ではない力を使い相手を道連れに力尽きていったに違いないお互いの最後。過去にどちらも全滅という結果の戦いをハツチは目にしたことがない。いくらかは逃走しただろうが、相手にとっても生き残るための戦いにすらならなかったということだ。


ハツチがモミジの護符を握りしめて走る先は村の中央。まだ少し薄い光を残す丸い篭がある。檻のような格好のその篭も編んだ全面の糸が破断していて、もう役目を果たしていない。


「ハツチ様……申し訳、ございません」


その場には生き残ったふたりの仲間の姿があった。ハツチの配下だった者だ。ふたりとも全身が傷だらけだ。ふたりの視線の先は檻のような篭の中。そこには身体に深々と矛の刺さった身体が横たわっている。シトリは他にも全身に無数の矢を受けていた。


「……いや、お前たちはここにやってきた敵を全滅させたのだろう。充分だ」


ハツチはふたりに答える。篭は檻などではなくシトリを護るためにハツチが編んだものだ。容易に燃えないし破壊もされないはずだった。しかし「神の名」を持ったものたちからの絶対の安全を保障できるようなものなどハツチには作れない。


ハツチの手のひらの「カエデ」は赤から黒に変わっていた。それは、すでに主だったものが事切れていることを意味している。


「最後まで『神威』を振るい続けました。……まさに『火』の巫女でした」

「わたしたちにもう少しだけ力があれば、……彼女は、絶望を目に焼き付けて最期を迎えることもなかったはずです」


ふたりを責めることなど絶対にできない。結局、この事態を止められたのはハツチだけなのだ。周囲の判断に任せるような顔をして、実際は自分が彼女たちの運命を決められなかっただけ。多くの命を無駄に失い、何も残らなかった。シトリも自覚していたのだ。自分が成り代わって振るう力が、村を守る細い生命線になっていることを。最期に何を思ったのだろう。焼けるような悔しさではなかったのか。


予想もできて覚悟をしていたはずの結末。到底、受け入れられない。何があっても止めるべきだった。積極的に指揮をとって指示をすれば皆、従ったのではないか。村の住民たちに、ハツチの仲間たちに、幸せな未来もあったかもしれない。シトリと追っ手を逃れてしばらくは遠くの地で平穏に暮らせたのかもしれない。約束された幸せなどなくても、少なくとも最悪の事態だけは避けられたはずだ。周囲の心情を酌んだなどというのは真っ赤な嘘だ。ただ、責任を放棄して、自分に支持的な者たちから憎まれることを恐れただけだ。


蛇神カクハヤミが見つめ続けて、その後悔で「神」であることをやめたという現実。それが目の前にある。こんなことが繰り返されるのか。ただ見守り続けるだけなど、できるはずがない。ハツチは足りなかったのだと思う。もっと介入して、歪みを正すべきだったのではないか。


知らなければよかったのだろうか。そんなはずはない。何が正しく、正しい行いはなんだったのか。ハツチは、シトリの身体に突き刺さった矛を抜いて、炎の海に投げ捨てた。自問自答を打ち切る。


そんなことはもうどうでもいい。今、残されていることをハツチはすべきだと思った。生き残ってしまったのだから諦めるわけにはいかない。

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