第19話 誓約
被害は大きくならずに済んだ。生き残ったハツチの配下と合流してからは、急速に事態は収拾に向かった。カクハヤミの討伐から外されていたハツチの配下の中には、高い戦闘能力を持ったものがいた。村を制圧する際に大きく貢献した彼らを見て思う。討伐隊の人選には経験や能力以外に選考理由があったのかもしれない。簡単にいえば不穏分子として討伐から隔離されていた可能性も考えられる。
村の平静を取り戻す過程で村の長他数名を捕らえた。村の人間に中央の者へ指示を出す権限などない。放火はハツチの仲間だった誰かが指揮したのだろう。厳しく追及してみたが、ハツチが知る以上のことは知らない様子だった。野心を利用されて、使い捨てられた彼らだが、恩情は必要だろうか。それを村の者たちに決定させることは酷にも思えた。実際、行動に選択権がなかったという彼らの言い分も理解できるし、おそらく村の消滅など想定していなかったという言葉は嘘ではない気がした。燃えるはずの村に何も持たされずに取り残されていたのだ。
アメノハツチは「ミコト」であることをやめている。中央の意思を無視して村の行く末に介入してしまったことも踏まえると、これからもかつての味方と敵対することになるのだろう。ハツチの離反は村をその抗争に巻き込んでしまうかもしれない。駐留していた者たちは一掃したが、戦力としてはわずかに残っていた勢力にすぎない。その本体は正面から戦って勝てる相手ではないのだ。意思に逆らった。それだけで村を焼き払おうと思えば、理由にするには充分だ。
カクハヤミが滅んで、ハツチが出頭すれば村は救われるかもしれない。住人が生き残る道筋としてはありえる。しかしハツチにそんなつもりは毛頭ない。自身はもちろん、シトリの身だって差し出しはしない。村人たちが何を望もうが、シトリと静かにに村を離れる心づもりでいた。終わる将来しか見えないのならば、先が見えない逃避行の方がいくらかましだ。それも悪くもないだろう、と。
「アメノハツチ様……ありがとうございました」
「皆さまのおかげで、命を救われました」
「わたしたちの村をお守り下さって、申し上げるお礼もございません……」
それはおかしい。ハツチたちが持ち込んだ災いのはずなのに。
残った住民はハツチに責任を求めない。もとより中央から距離をとって抵抗し続けてきた村の人々だった。中央と繋がろうと画策していた長たちが失脚して、それぞれの意思が明らかになっていくにつれて見えてくる住民たちの宿望。シトリの父がそのひとりだったように、ひとつになることに抵抗する意思を多くの者が示す。以前よりも強く。
「……これで終わりではない。むしろ状況はさらに厳しくなるはずだ」
ハツチの動向の如何に関わらずこの地は戦場になるだろう。生き残るためには最終的にはこの地を捨てて逃げる他になくなる。本当にそれでいいのだろうか。大切なことを取り違えてはいないか。中央の脅威を強く村の人々に説くべきか迷う。しかし、それは逆にハツチが村を抱き込んで売り渡すことにならないか。村人たちに生きることを諦めなければいけないほどの罪などないはずだ。考えた結果ハツチは予期できる状況を説明した後、この地に残ることも離れることも、それぞれの判断に任せた。
「わたしたちは……残ろうと思います」
「他に当てもありません。村と運命をともにします」
村に住む者たちにとっては代々受け継いできた地で、今までこの地で生まれ育って、この場所だけで生きてきた。離れることがハツチの想像をこえて困難だということを知る。行く当てがあるかどうかも問題だろう。移り住んで生きていくことを選べる者が全てではない。
「皆さんの判断は仕方がないと思います。ハツチ様が思い悩むことではありません」
「……シトリは、どうするつもりだ」
「わたしは……やはり、村のためにできることがあれば尽くしたいです。ですが……」
シトリは言葉に詰まった。それは、自分に幸せな未来を望んでくれたカクハヤミの形式上の命令があるからか。それとも村に縁がないハツチに従うべき者としての遠慮か。
結局は多くの者が村に残ることになった。彼らに待つ戦いは生き残りをかけたものですらない。つまり、自分たちの最後の場所を、自分たちで選ぶということ。ハツチに迫られている決断は情を殺して村を離れることだった。なるがままに任せればいい。村に残るほどの義理なんてないのだから。ハツチの配下の者たちの未来はどうするのだ。カクハヤミに託されたシトリの将来はどうなるのだ。すべきこと明らかなはずなのにどうしてそんな簡単なことが決断できないのか。それが兄弟子たちがハツチに事実を秘匿していた理由なのかもしれない。
「答えなど分かりきっているはずなのに……だ」
「……そう、でしょうか」
村の者たちを見捨てることになるという思い。シトリの生まれ故郷ではないか。ハツチたちを売り渡さなかった人々だっていた。そんなふうに、この村に残るための義理を見つけてしまう。ばかばかしいことなのだろう。すべきことは分かっていて、それが切り捨てなければできないことだということも分かるのだ。ただ、未熟な感情で切り捨てたくないだけ。
「我々は、ハツチ様の望むままに」
「ハツチ様の望みのために力を尽くすことが、我らの望みでございます」
挑戦的にも見える笑みを浮かべて答えた。仲間たちからの反対はなかった。どうしてなのだろう。そんなに簡単に信じるものを変えられるのか。
「……変えてはいないのだと思います。皆さま、最初から組織ではなく『ハツチ』様を信じていらっしゃるのですよ」
シトリは微笑んだ。「自分が主に対してそうでしたから」と言うかのように。
大洞山のかつての洞窟には天井も壁もない。そして長い間あったはずの主の姿も、気配もすでにそこにはなかった。
「大洞の主、カクハヤミよ。わたしたちは、わたしたちの意思でこの地に残ることを決めた」
「最後を迎える場所は、わたしが決めます。どうか身勝手をお許しください」
もちろん答えなどはない。これはふたりで交わした誓いだった。
村の中央でシトリがこの地の万代の安寧を神に祈り、神に成り代わって舞いを披露している頃、ハツチは施した事前準備を確認して回っていた。アメノハツチの力は糸。繋いで、縫い付けて、結ぶ。ハツチは戦いに向いていないといわれた能力を戦闘に特化している。村の周囲には幾重にも蜘蛛の巣のように罠が張り巡らされていた。特別な力を持つ者だけを退けるそれも、おそらく気休め程度にしかならないだろう。しかし張り巡らせたものには進入を防ぐ他にも大きな意味がある。有効かどうかは分からなかったが。
村には近隣の村々に散っていた者たちまでが戻ってきていた。それほどに命を賭ける価値があるということなのか。まるで、恐れているのはハツチだけのような気さえしてくる。できると信じなければできることもできない。この地を守り抜くという強い意思に悲愴感がない。
まるで祭りの前のようだ。いや、これは祭りなのか。再会を喜び、旧交を温める人々。彼らにはハツチに見える現実が見えていないのだと思っていた。しかし現実が見えているのはむしろ彼らの方なのかもしれない。明日のことは分からない。そんな渦中で今を大切にする方法はひとつではないのかもしれないと思う。
「村がこんなに賑やかなのは何年ぶりでしょうか。不謹慎な言い方かもしれませんが、これも皆さんが覚悟を決めたからこそ見られた光景です。……この度のことがなければ、二度と会うこともなかった方々ですから」
「そうかもしれないな。……シトリも充分楽しんでおくといい。ただ長く生きるだけでは得られないものも……あるというからな」
「はい、ありがとうございます。ハツチ様」
争いを望んでいるわけではない人たちが争いから一番遠い場所にいるわけではない。むしろ、力に対して無力な分、武力を行使する対象として都合がいいという思想。戦う以外に手段がなくなったとき、生き残るのは戦うことを磨いてきた方なのだ。
相手の弱い部分を利用して攻めるのは戦いにおいてのみとハツチは心に決めていた。しかし今までは行為を正当化できる相手をあてがわれてきただけだった。相手が邪悪で人より強い力を持っているのだからそれでいいのだと信じていた。
「ハツチ様には、大変な定めを背負わせてしまいました」
「定めとはあらかじめ決まっているものをいうのではないか? お前がなにかを感じる必要はない。わたしたちにできることは抗い、その定めを覆すことだけ」
それができることなのかどうかは分からない。しかし、諦めるべきかどうかも分からなくなっている。不思議な希望が生まれていた。そこに根拠などない。できることは、ただ死力を尽くすのみ。
そして、そのときがやってくる。
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