第18話 反抗

丘を越えれば村は見える。ハツチには越えなければいけない試練がいくつも待っていた。予想されるどんな失敗の先にも「終わり」は紐付いている。


「ハツチ様、うまくいくのでしょうか」

「うまくいくようにするしかない」

「……はい。わたしはカクハヤミ様の……いいえ、これよりはハツチ様に従いましょう」


銀色の弓と矢筒がシトリの肩に、腰に括り付けられた小さな袋にもカクハヤミから下賜された品々が入っているのだろう。特別な力を一切感じないのは、その様に加工されているのだろう。身なりは巫女の装束ではなく、狩人というよりは斥候か。ハツチの足手まといにはならないという決意が感じられた。音の鳴らない鈴がついたつちぶえを首から提げて、シトリはそれをお守りのようにずっと握っている。


ハツチの荷物の方にはカクハヤミの鏡が入っている。彼女が意思を持つ以前に宿っていたというかつての依り代からは、隠しておけないくらいの力が残っている。討伐の証として通用するのではないかと用意したものだ。村の人間は騙せても、中央の者たちは簡単にはいかないはずだ。鏡以上のものはないということで、カクハヤミ自身から譲り受けた。


まずは村に戻って、駐留している仲間と合流しなければいけない。ハツチ直属の部下にも相談すべきことがあるのだ。


かすかに香りがした。香りというよりは臭いだ。ハツチが丘の向こうの景色を目にしたときに違和感が迫った。おかしい、燃えている。


――村が、燃えている……?


一瞬、頭によぎったのは「火」を操る蛇神カクハヤミだが、彼女はすでに人間の方法でも火をおこせない「神」の抜け殻である。もちろん火を放つに足る理由も思いつかない。では眼下の火はなにか。不注意でおこった火事だとでもいうのか。


「……まさか」


ハツチの指示を無視して、同胞が何かをした……のか。


「……っ!」


シトリも異変に気付いたようだった。声ともいえない声をあげる。しかし、眺めているわけにもいかない。


「わたしは、村に戻る……お前は」

「……わたしにも、カクハヤミ様からお預かりした力があります。お役に立てるはずです!」


判断を迷った。しかし、シトリはハツチたちとカクハヤミの決戦に気配を殺して闖入し、兄弟子に矢を向けたような娘だ。言葉ほど従順でないことを知っている。巫女であることを求められないシトリにあったのは淑やかさではなく、荒事に真っ先に飛び込みそうな燃える心。まさに、それこそが「火」の巫女だった。


「お前を危険にさらすことは、わたしもカクハヤミも望んでいないことは分かるな? 状況が悪いことを悟ったらひとりでも逃げることができるか」

「はい、ハツチ様。わたしにできることはわずかです。足手まといになるようであれば引き返し、祠でお待ちします」


シトリは早口で答える。この場で問答は無用ということかもしれない。ハツチはやむなく認めた。シトリは満足そうに微笑むと、止めていた足を再び村へと向ける。それにハツチが続く形になる。従者はどちらなのかわからないくらいだ。


早足で歩きながらシトリは小袋から何かを取り出す。


「わたしに何かあれば、これが赤へと変わります。よろしければお持ちください」


シトリから受け取ったものは、板のように堅いモミジの若葉だった。カクハヤミの餞別のひとつなのだろう。ハツチはそれを知っている。「カエデ」などと呼ばれる護符だ。しばらくの間、持ち主を離れてからも生命徴候を色を、本人に知らせる。それをハツチに渡す意味とは。


「どうぞ、わたしに構わずに先にいらしてください」


後から追いつくのでとにかく急げという意味だった。シトリの速さに合わせていては到着が遅れるだろうと。ハツチはシトリの心意気を素直に認めて、状況を確認することを優先させる。前を向くとハツチは歩みの速度を上げて駆けだした。シトリを振り切って加速する。全速力で一気に丘を駆け下りた。




村に入るとハツチは配下の者が倒れている姿を見つける。何があったのか確認しようとしたがすでに事切れていた。いくつかの場所で火の手が上がっていて、誰かが意図的に火を放ったのは明らかだった。ハツチは状況を粗方、把握した。


――まさか、ここまでだとは……。


声にはならずに呆然とした。カクハヤミの討伐に失敗したことがすでに知られている。大洞の山に立ち上った光の柱や、地形を変えるほどの威力を持った閃光などは、村にいたものにも充分に見えていただろう。それほどの力を持った存在を、いくら精鋭とはいえあれだけの人数で討伐などできるのだろうか。そんな疑念が生まれる可能性は考えていた。だからこそハツチは偽装し、それが上手くいくのかも不安だったのだ。しかし、皆に生まれたのは、疑念を通りすぎて、迷いも生じない確信だったのかもしれない。


背後から刃がハツチを襲った。明らかにハツチを「アメノハツチ」と知っての一撃だ。降りかかる火の粉を払って確認する。それは間違いなく同胞のものだった。精鋭を欠いているとはいえ「神の名」に対する戦闘集団なのだ。慎重に対応しなければいけない。しかし、ハツチも相手の手の内を知っている。村に駐留している仲間たちには一対一を想定した戦い方はできない。殊にハツチを相手にするなど、「神の名」にひとりで挑むことに等しい。ハツチも包囲されずに各個撃破であれば、個人の能力で遅れを取るつもりなどなかった。


中央から派遣された仲間たちには、ハツチの直属の者を除けば、もとよりハツチの指示に従うつもりなどはなかったのかもしれない。村を制圧するだけなら「神の名」を持った仲間たちにとって問題にもならない。では火を放った目的はなんなのか。ハツチは空間に括り付けた付けた糸を蹴って宙を舞う。仲間の刃をかわして相手を縛り上げながらでも、それは簡単に想像できてしまった。


確かめずに断言することが一方的だということは理解している。しかし誰にどうやって確かめるのだろう。真意を語るだろうか。もはや彼らは仲間とは呼べないのだ。戦いにおいても火を振りまくように戦うのは意図してのことだ。かつての仲間たちが村に火を放ち、焼き払おうとする理由はつまり、「の神」カクハヤミに濡れ衣を着せるためなのだ。「無辜の民たちが『神』を騙る邪悪な存在に焼かれて村が滅んだ」という出来事を作り上げる。それは人の心情を操り、より多くの民衆の支持も得られるだろう。中央での危機感も高まり、再編された討伐隊はさらに強力な戦闘集団になり、全体的な武力強化へと波及する。


目的のために手段など選べない。「障害になるもの敵対者を排除しなければどんな理想も現実になどならない」という信念。信じる正しさがひとつではなく、選択肢が残っている以上、全ての人がひとつを選ぶことはない。ではどうするのか。中央が出した答えは、「統一」を優先させることだった。ハツチの想像が及ばなかったのは、障害の排除が理解を超えてに行われるということ。答えの見えないものから無理矢理に作り出した、ひとつの答えが招いた結果なのかもしれない。


この度の討伐の成否など些事だった。ただ、できるまでやるだけなのだ。過程で村を焼き払うことなど織り込み済みだろう。しかし、何を知ったところで遅きに失したといえる。ハツチには燃え上がる火を止めることができない。引き返して立て直しを計るしかないのか。


「『火』をもってカクハヤミ様を貶めようなんて……!」

「無念だが、わたしの力では……」

「いいえ、諦めません。……村のために捧げられた命ならば、尽きるまで戦ってみせましょう」


シトリは首のつちぶえを構えた。鳴らないはずの鈴が音が聞こえて景色が様相を変える。背景に溶けていく周囲の色は、いわば神域だ。シトリの笛の音が広がる神の領域の縁を追いかけていく。音が届くと燃えさかる炎が瞬く間に立ち消えていった。それは「火」を操った、かつてのカクハヤミの威光。


その通りだ。ハツチはひとりではないし、まだ諦めるには早いのだ。放たれた火が消えればハツチにもできることがある。抵抗しまだ生き残っている配下の者がいるはずだ。まずは村に残る敵対勢力をハツチや彼らのやり方でもって制圧してみせよう。

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