第16話 帰還

懇願するようにシトリがハツチの顔を覗いた。


ハツチには果たさずには帰れない使命があった。現在の状況はその使命を果たす好機だ。全てを焼き払う大いなる光の化身であっても、ハツチの持つ剣で深手を負わすことができた。その対象は、今ではもう虫の息だ。任務に忠実であるなら何も迷うことなどない。ともに戦ってきた同胞を焼かれたことを理由にしても充分な重さはある。


「首が必要なのであれば差しだそう。……しかし、最期に頼みを聞いてくれまいか」


何を映しているのか分からない瞳。その視線を焦点が合わないままハツチに向けている大洞の主カクハヤミ。横たわった身体はシトリが支えている。自らの半身を起こす力もないように見えた。アヤツチたちを焼いた、大洞の主カクハヤミの力は脅威だった。しかし、言葉では戦う覚悟をハツチに尋ねはしたものの、今の様子では、同じ力を振るえるようにはとても見えない。深手を負って弱っていることを考慮しても、振り返ってみれば、あれが精一杯で全力だったのだと思う。もしかしたら、アヤツチたちを相手に出し惜しみをする余裕がなかったのかもしれない。大いなる神だったのは、やはり昔の話なのだ。そんな神の頼みとは。


「……『天の末裔』よ。どうか、ひとりでは生きていけぬこのシトリに、生きる術を教えてやって欲しい」


命乞いではないだろうとは予想した。しかし、長い間を生きてきて多くのものを知っている「神」の願いにしては、あまりにも通俗的ではないかと思う。最期にそれなのか。どうしてそれなのか。


「いいえ、カクハヤミ様。……わたしは最期まで、あなた様の巫女です」


「人ではないもの」と対等な取引などあり得ない。あまりにも人が無力で取引にならないのだ。しかし、目の前の蛇神の置かれている立場は逆転している。今は、カクハヤミがハツチたちに対して無力な存在なのだ。頼みをハツチが断ったところで、カクハヤミは祟る力を残しているのだろうか。だから、これは「神」が自分の首を差し出してハツチに頼む「お願い」だ。


「憐れな娘である。どうあれど、わたしはもう長くはない。そして人の一生は短くてはかない。わたしと終わりをともにする必要などないのだ。……そう思わぬか? 『天の末裔』よ」

「わたしの望みなのです」

「……であれば、今が終わりのときである」


カクハヤミは、静かに目を閉じた。どんな思いが大洞の主にそれを言わせたのかハツチには分からない。カクハヤミとシトリの間にどんな関係があったのかも知らない。ただ、気まぐれなどではないことだけは分かった。ハツチたちを前に一度は終わりを受け入れたカクハヤミが、覚悟を曲げてでも最期に残る全てをかけて護りたいと思ったもの。シトリには「神」に、そう思わせたのだ。


シカクハヤミの肩をシトリは両腕で力いっぱい抱いた。その神と巫女は、ハツチには姉妹のようにも、親子のようにも見える。シトリは、そのまま絞るような声で泣き崩れていた。




ハツチは村へと帰還する。討伐隊全滅と引き替えにやっと大洞の主を討伐。目的を果たせたことだけがせめてもの救いだといえる。結果は悲惨なものだった。わずかに残った別動隊と合流して、村の有力者たちにハツチは簡単な報告を行った。その場にいる者たちはとりあえずの喜びを口にはしたが、ハツチたちの支払った大きすぎる代償を理解してか続く言葉は出てこなかった。


「長よ。わたしからお願いがある」

「アメノハツチ様……それは、どういったお話でしょうか」


村の長が答える。ハツチはそこに特別な感情を込めない。長はまだ老人と呼ぶには少し若くも感じる。装束などからそれだとは分かるが、その内に秘めた野心をハツチは知っている。若く見えるだけなのかもしれない。


「役目を終えた『シトリ』をもらい受けたい。巫女が必要であれば別の者をたててはくれないか」


ハツチの言葉に村長は眉を顰めた。真意を計りかねているようだ。しかし、子細を説明する義理などはない。己の謀を村長はハツチに開示しなかった。ハツチも思惑は語らない。答えに求めるものは可か否か。否であれば無視する。もとより長の許可を必要としない事実上の意思表明だ。村の長に拒否できるものではない。


「それは、娘にとっても幸いなことでしょう……。ところで、アメノハツチ様、わたくしにも確認させて頂きたいものがあるのですが……」


村長は感情を表に出さずに切り返した。その視線はハツチの後ろに向けられている。ハツチの背後にはハツチの配下が数人、真ん中に小さな輿を挟んで控えていた。輿の上には木箱が括り付けられている。村長はそれを見ていた。


「……構わないが、『神の名』の首は、人の生き死にや世の理にも干渉する力を持つ。興味で覗いて祟られたとしても、わたしにはどうすることもできないと承知しておいて欲しい」


ハツチは配下に向けて合図する。幾人の内のふたりが指示を受けて木箱に括られた縄を解きにかかった。


「い、いえ! 確認したいのは、わたしを『都』にお招き下さると、カヤノアヤツチ様にお約束を頂いておりましたので……そのことでございます」


そんな約束まであったのか。ハツチは配下の手をを止めると、ため息をつく。アヤツチのことだ。すでに手はずは整っているはずだ。しかし。


「長よ。そのことに関しては、わたしは何も聞いていない。一度、都のものに確認しよう。しかし、お前は村の民に選ばれた『村の長』ではなかったのか? 村を離れるということか」

「村を離れても心まで離れるわけではございません。都にて民情を上奏する機会を頂きたいのです」


その答えが嘘か本当か、ハツチは全く興味はなかった。どうでもいいことを尋ねたと思う。決まっていることであれば、もはやハツチに止められることではない。好きにすればいいだろう。


「それでは、巫女の娘シトリには、わたしと来てもらうが、いいな?」

「はい。では準備を……」

「それはお断りしよう。たくさんの仲間を失っているのだ。……だが、心遣いには礼を言う」


ハツチは辞令的に応答する。式典を行うにしても準備をするのは長自身ではない。民に余計な負担をかけるだけなのは容易に想像できる。


長居をしたくない空間だった。ハツチは用件を済ませると、アヤツチから引き継いだ権限で駐留している者全てに出立の準備を指示する。一通り状況を確認をすると、後のことを一度配下に任せてその場を離れた。そして、ハツチは単身で山に向かう。

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