第11話 近くても遠くて
言いたいことがあるのなら、言えばいい。
聞きたいことがあるのなら、聞けばいい。
鈴乃は、直日にそんな言葉を何度も重ねてきた。それが正しいはずだからという鈴乃の信念。あえてしないという選択を積み重ねていく直日が許せなかった。
直日の本心は鈴乃には測れない。それがとても恐ろしくもあった。鈴乃を憎む気持ちがないなんてあり得ない。だからちゃんと言葉にして欲しかった。それは、ついに言葉になることはなく、あるはずの憎しみが鈴乃に向けられることはなかった。直日に成り代わってずっと鈴乃を罰し続けてきた鈴乃は、直日の介錯なしに救われることはない。それはきっと妄想。そんな妄想が鈴乃を支配しようとしている。
鈴乃が勝手に見繕って、あてがってきた直日の憎しみが鈴乃の中に住み着いて消えない。直日の本心なんて直日にしか分からないものなのに、鈴乃にはどうしてだろう。ただそれだけは分かっているような自信。それは相手の気持ちになってみれば想像できるなんて代物ではない。想像する前からそこにある。鈴乃の心の中にいるのはもはや直日の気持ちなどではなかった。鈴乃が創り上げた直日のようななにか。きっと、お互いに相手を見てはいない。そんな幻はどこにもいないのだ。
鈴乃は先日、楓にさえ肝心なことを聞けなかった。ふたりの何を知っているのだと。言いたいことが言えなくて、聞きたいことが聞けないのは、いつだって鈴乃自身だった。
坂を登って駅の前には桜の木。春の姿を見たことがない誰かが横を通りすぎたとしても、秋の姿からは誰かが名前をよばなければ、それが桜だと意識されることもない。駅前にあったといういくつかの商店は今はもうない。昔、角に本屋があったことを鈴乃は覚えていた。しかし民家が並ぶ風景から、以前そこに何があったのかを知ることは難しい。十年の間でも、あったはずの存在がたくさん現実から消えてなくなった。
「……そっちからなんて珍しいな」
「珍しい理由は分かってるよね。いちいち嫌な気分にさせないで」
縁司の言葉はよく癇に障る。つい感情的に返してしまうけれど、言葉を返すだけで済んでいるのだから、いくらかましなはずだ。しかしそんなやり取りがしたくて鈴乃は縁司に声をかけたわけではなかった。ひと呼吸いれて、ざわついた感情を鎮める鈴乃。
「直日のことか?」
「……まあ、そうだけど」
言葉を先取りされたというだけで不快になれる。縁司にしてみれば当然でなのだろう。おそらく推理にすらなっていない。鈴乃が縁司に用事があるなんて、直日のこと以外にありえないのだから。一対一で会話をすることなんてない相手だから。
「直日といえば、最近は元気だな。優柔不断なのは性格なんだと思うけど、はっきりしないっていうより、できない感じなんだな」
「そういうのはいい」
ペタペタとラベルを貼っていく縁司を止める。今まで鈴乃が直日に貼り付けてきたラベルとほとんど変わらないことも不愉快だ。それは、まるで縁司が直日の弁護をしているようで、理解しようとしているようにも感じられるから。でもそうだとしたら、それが実は理解などではないということにも気付いているのだろうか。「こう見える」「こう思う」はこちら側の想像にすぎないと。
「そうか? 見えているものは見えているままでいいんじゃないか。直日だってそれを望んでいるんだしさ」
「なんで、あんたがナオの気持ちを代弁してるの?」
「代弁じゃないだろ、本人が言っているんだからさ。少しくらい素直に聞いてやれよ」
一瞬、沸騰しそうになる鈴乃。おそらく今までであれば、何も言わずにその場を離れていたのではないか。けれど、今回は声をかけたのはこちら側だから。縁司に否定されるのは気に入らなかったけれど、それよりも……。
「ナオが、わたしが話を聞かないとでも言ってたの?」
「まあな」
縁司の即答に、鈴乃は言葉を失った。
そう、鈴乃は直日の話を聞いていない。もちろんそこにいて、話は聞いていたけれど、いつも心の中で直日の言動を疑っていた。相手を見ていない上に、聞いてもいない。それはそこにいても、いないということではないのか。本人ではなく縁司に言われることだってショックだった。縁司がふたりの話の内容を口外することの是非はあるだろうが、この場合、鈴乃は歓迎すべきなのかもしれない。鈴乃と直日の距離は近くにいるのにとても遠かったということ。
縁司がやれやれと言わんばかりの表情でため息をつくと繋いだ。
「……まあ、聞かないっていうより、『聞いてもらうにはどうしたらいい?』みたいな話だったけどな」
直日から見て鈴乃の態度は、「話を聞いてもらいたいけれど聞いてもらえない」ということ。そう考えてみて思い当たることがあった。あたらしい発見でもなんでもなくて、鈴乃が自分の目的のために意図的にしていることだったから。その目的こそが、「鈴乃の話を直日に聞いてもらう」こと。お互いに、ずっと目を閉じて耳も塞いで一生懸命なにかを伝えようとしている姿。それはまさに、縫い合わせられているだけで、どこも繋がっていない関係。
「で、何が聞きたいんだ?」
縁司は冷ややかにさっぱりと言った。鈴乃の感情に付き合うつもりなどないという縁司の意思表示だと感じる。鈴乃は我を取り戻して、自分を律するように頷いた。それでいい。こんな姿は縁司に見せるべきものではない。鈴乃は冷たく静かになっていく心をイメージして感情をやり過ごす。そして冷えた心で言った。
「……なんか、変なことは言ってなかった? たとえば、『見えている色が増えた』みたいな」
「……なんだ、それ」
鈴乃はまだ直日には伝えていない。というよりも楓に指摘されるまで妙だとは気付けなかっただけだけれど。
縁司は面倒くさそうに顔をしかめたが、ひとつため息をつくと視線を空に向けた。心当たりを探しているのかもしれない。縁司の視線の先には秋の空。人の心の移ろいやすさを空に例えたりもするが、もちろん天気が変わりやすいから心が変わりやすいというわけではない。そんな境界も普段は実にあいまいだ。秋の空はやがて冬に変わっていく。そんなことにも意味が与えられてきた。
昔から季節の変わり目にはなにかが乱れて邪気を呼び込むといったそうだ。立春の前日の節分の行事は誰でも知っていたけれど、本来、四季それぞれに節分はあるそうで、もうすぐ暦上の秋が終わって立冬だ。出来事だけを見て疑似的な相関をみたのかもしれない。けれど鈴乃だってそれらしい説明に納得してしまう。鈴乃にはなにが本当に繋がっているのかなんて分からなかったから。
鈴乃は今、縁司と同じ空を見ている。けれど考えていることは違うはずだ。違うことはわかっても、同じことはわからない。そんな縁司がなにか思い出したのか、口を開いた。
「そうだな。あんまり気にしてないけど、このところずっと元気だよな。直日の言ってることが変なのは相変わらずな感じだけど、ずっと元気なのが、変といえば変……なのか?」
「わからないけど、 『ずっと』って、どのくらい?」
「まあ、『ずっと』だな」
直日が元気なことは、鈴乃も見て知っている。体調の不良がないという意味では毎日元気なことが悪いとは思わない。けれど、直日ははっきりと分かるくらいに毎日が元気なのだ。それが変ではないかと問われるのは酷だと思うけれど、あっさりと否定はできなかった。鈴乃だっておそらく同じように調子は良いのだ。直日だから、鈴乃だからではなく、不調なことが普通だった人物にずっと好調が続くことは変だ……といってもいいのかもしれない。
しかし、同時にそれだけだとも思う。ゆっくりと思い返しても、縁司にはずっと元気なことの他に変なところは見当たらないのだ。特に発言に至っては直日に自覚がないのなら言葉にはなることはないだろう。
「気持ちの話もそうだけど、本人に直接聞いてみたらどうだ? 聞く気さえあれば聞こえてくるものはありそうだけどな」
どこか縁司らしくない言い回しをして、後に「俺が言えたことじゃないけどな」と付け加える。聞く気のなかった姿勢を何度もなじられているようで良い気分はしないけれど、鈴乃は内心では同意する。本心を言うか言わないかは直日の自由。けれど尋ねてみないと自覚すらできないものだってあるだろう。おそらく直日の気持ちなら、直日に問うてその答えを聞くべきだ。
つまり、鈴乃が気になっているのは直日のことではないのだ。ふたりの喜んでいる姿をずっと近くにいたはずの楓。彼女が素直に喜ばなかったことが気になっている。直日に尋ねて分かることはあるかもしれないけれど、やはり楓に直に確認するしかないのだと分かり、鈴乃は覚悟を決めた。
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