第7話 答えをください
平日の資料館は閑散としている。
資料館の展示は主に中世以降。南北朝時代に北畠氏が居城を構えたことによって栄えたこの地域の歴史が並んでいる。実際、奈良時代以前の文書などが残っていれば国宝級で、村の資料館などに展示が許されるはずもない。
鈴乃たちが見た石の通路などが実在するとすれば、どの時代の遺構になるのだろう。発見され公表されたとしたら大変なことになりそうだ。たとえば、1,000年以上前の建造物など大がかりな調査を行ってもその名残が見つかるかどうか。人の営みの跡など数百年もあれば影も形もなくなってしまう。神話とはそのくらい遙か遠い昔の世界の話なのだ。
バスを降りてもまだ釈然としない気持ちを抱えたまま、鈴乃はひとつため息をついた。
「じゃあ、お兄さんはいつ帰ってくるの?」
「しばらく帰れないそうだ。……悪かったな、鈴乃」
「……あなたに下の名前で呼ぶことを許した覚えなんてないけど」
冷ややかに言う。縁司と視線は合わせなかった。
仲良くするつもりも最初からなかったけれど、鈴乃の自覚できるほど不機嫌なのは肝心の人物が居ないからだった。駅で合流したときに聞かされ、まるでだまし討ちに遭った気分だった。さらに募る不信感。
だとしても、縁司の好意で紹介してもらったこと。鈴乃は自分の態度が相当に酷いことも自覚はしていた。縁司と直日は、どうしてなのかうまくやっているようだったし、もしかしたら、ふたりには本当に心境の変化があったのかもしれない。しばらく様子を見て確かそうなら、鈴乃も縁司に対する態度を改めなければいけないのかもしれない。
資料館が縁司の兄の代理ということで、別の職員が案内してくれることになっていた。
その職員は
顔を合わせたときから妙な感じはした。こちらを向いているはずなのに焦点が合っていない。時折自分の手を開いたり閉じたりして、それを見つめたりしている。あまり他人のことをいえた立場ではないけれど、変わった感じの人だなと鈴乃は感じた。
「うーん、わたしも詳しいことはしらないんだけどね。まあ、答えられることはあるのかな?」
石名原は独り言のように「こっちこっち」と言い残すと、ひとりでどんどん先に行ってしまう。しかたなく一行は後を追った。
最初の部屋の角にある小さなスペース。石名原はパネルの前で立ち止まるとこちらへ向き直った。
パネルには「大蛇退治の伝説」が、おとぎ話風の文章で綴られていた。先日、神河に架かる橋の上で楓が語った村に残る昔話だ。
パネルの横で石名原は首を傾げて虚空を見つめている。鈴乃は彼女が見ている方向を確認してみたけれど天井があるだけだった。石名原にはいったいなにが見えているのだろう。湧いてくる大丈夫なのだろうかという思い。
直日は特に気にとめた様子もなく、真剣な表情で前屈みになってパネルを見つめている。縁司はというと渋い顔で石名原の方を見ていた。代理がどんな人物なのか兄に聞いていなかったのかもしれない。その石名原は視線を気にする様子もなく口を半開きにしたまま置物のように立っている。パネルを見るもよし、自分を見るもよし、……なんて思っているかどうかは分からないけれど、石名原はこういう人なのだろう。あまり気にしない方がいいのかもしれない。
「あの、私たちは雷に打たれて重体に陥ったことになっているんだけど……」
鈴乃は置物と化している石名原に声をかけた。無反応なのかと思ったが、すぐに応答はあった。
「あ、聞いてるよー。ふたりが見たものがなんなのか……だよね。うん、本人がわかんないんだからわかんないね。……夢とかそういうのじゃないのかな?」
最後の「な?」を発音した顔のまま、前傾姿勢で石名原は鈴乃の顔を覗き込んできた。急に詰め寄られても困るのだけれど。
「それは夢だろう」ではまるで資料館に来た意味がない。石名原は固まったまま次の質問を待っている様子だが、質問が見つからなかった。鈴乃は気まずくなって思わず顔をそらすと直日がこちらを向いた。
「石名原さん。……えっと、縁司……立花くんのお兄さんなら、僕たちが見たものがなにか分かるかもしれないって、聞いたんです」
直日が少し遠慮がちに尋ねる。石名原は直日の方を向いて困惑顔で首を傾げていたが、ぱっと得心したように表情を変えると、何度も頷いた。
「ああ! うんうん、立花くんは、この伝説と織津神社の神様を重ねてるみたいなんだよね!」
石名原は無表情のまま腕組みをすると、肘のあたりで指をトントンとたたき始める。そして思い出したようにまたパネルの方を向いた。品定めをするように目を細めてパネルを見つめる石名原。展示物なら職員は毎日見ているのではないか。単に視力が悪いだけかもしれないが難しい顔をしてしばらく凝視していた。しかし、今度は誰の質問も待たずに石名原は話を再開する。
「昔話に出てくる皇子様なんだけどね、これって、織津神社に祭られている神様の『
石名原はパネルの方を向いて話始めると止まらない。なにかのスイッチが入ったようだ。やる気がない人ではないようだ。ただ、語る内容が直日の質問の答えになっているのかは分からない。話の内容が理解できないからか、鈴乃には関係のないことを一生懸命語っているようにもみえた。もしかすると、空気が読めないといわれてしまう類いの人なのかもしれない。
しかし、隣の直日はパネルを見つめたまま頷きながら興味深そうに聞き入っている。鈴乃の感覚の問題なのだろうか。縁司などはどう思っているのかは分からないけれど、彼の感性が標準的なのかどうかも疑わしい。そんな、何者か分からない石名原だったが、話は続いていた。
「で、気になるのは、織津神社に合祀されていた『
自問自答を交えながら語る石名原。何を言っているのかはもちろん、何を伝えたいのかが鈴乃にはさっぱり見えてこない。
まだまだ続きそうだと彼女の話をシャットアウトしそうになったとき、機関銃のように話が止まらなかった石名原が、少しだけ言い淀んだ。
様子を確認すると真顔だった表情が少し緩んで微笑んでいるのが分かった。
「立花くんはこの神様が昔話の蛇だったんじゃないか……って考えてるみたい。ちょっと強引な気がするよね……」
一転、穏やかな感情のこもった調子で石名原が言った。
「カクヤキハヤミ」なる神様が蛇だという解釈が強引なのかどうかは鈴乃は知らない。けれど、彼女は立花の仮説に対して懐疑的なのだということは分かった。しかし石名原の微笑みから受ける印象は、立花を馬鹿にしたり、否定している感じではなく、むしろ支持的な彼女の姿勢見えた。
「神様の名前にはいろんな表記や正式な名前があったりするんだけどね、ダムに沈む前に寄贈された文化財の中から戦国時代に焼け残ったとされる文書が見つかって、そこに『
ダムというと「君ヶ野ダム」のことだろう。雲出川の支流、八手俣川に建設された多目的ダムだ。過去にダム湖に沈んだ集落があったことは鈴乃も知っている。しかしそれがなんなのだろう。「カクヤキハヤミ」という名前が「カグオカミヤギハヤミ」と長くなっただけ。
「『
石名原は、自分が知っていることは相手も知っているという前提で話をしているのだろう。もしくは、相手がなにを知らないのかが分からない人なのかもしれない。
自分が郷土資料館の職員で、相手が普通の高校生だとすれば、話せばいい内容も、選ぶ言葉も見当はつけられるだろう。
なにかを真剣に考えようとしたとき、ときに常識は疑わなければいけないだろう。けれど、それは常識がなくてもいいということではない。常識を踏まえたうえで別の見え方を探すのだ。でなければ、考えたことを他者と共有して検討することができない。ある種の研究員や専門家というのは持っている常識が一般人と違うのかもしれない。それは石名原の言い方が悪いとか鈴乃がものを知らないとかいう話ではない気がする。
「……って、みんな、わたしが何を言ってるのかわかんないよね? まあこんな感じだから、わたし解説員下ろされちゃったんだけど……。で、なんの話してたっけ?」
石名原は苦笑して俯いた。その一瞬だけ、鈴乃には石名原が気落ちしたようにみえた。
ふざけているのではない。彼女なりに一生懸命なのだろう。しかし、課題があることを自覚しているのに修正できないのはなぜか。
いずれにしても、鈴乃は石名原と会話を成立させることは難しいとは感じた。彼女の言葉には相手に向けられたものを感じない。石名原はずっとひとりで自分と喋っているのだ。
石名原はまた、声の調子を戻して話しを始める。
「あ、そうそう! 主祭神だった『カグヤギハヤミ』だけど、『大蛇』だったから退治されて末社に遷されたんじゃないんだよ。機織りが村の主力産業になったから『アメノハツチ』が主祭神に取って代わっただけ。昔話では『退治した方』ではなく『退治された方』が主祭神として祭られていた意味、それはね……」
ああそうか……と鈴乃はもうひとつの可能性に気付いた。おそらく石名原は聞いている相手の気持ちを考えながら話はしているのだ。しかし、自分の言葉が相手に伝わらないことを知っている。だから必死でたくさんの言葉を投げ続ける。
鈴乃も自分の言葉が伝わらないことは知っていた。だから諦めて自分の考えていることは語らない。しかし、石名原は伝えようとしているのだ。それが相手に伝わらなくても。
もしかしたら、選んだものが違うだけで、本質は似ているのかもしれない。
鈴乃も考えていることを石名原に伝えてみようと思った。伝わらないかもしれないけれど。
「石名原さん。主祭神っていうのは、その神社で一番大切にされてる神様のこと?」
鈴乃は石名原に質問する。石名原は虚空を見つめたまま鈴乃の質問に答えた。
「うん。普通はそう」
「主祭神が昔話の大蛇だということは分かったけど、災いの元だったはずの退治された大蛇を神様として祭る……なんてことは、普通なの?」
「あ、うん。退治された側の神様が、退治した神様と一緒に祭られることは珍しくはないよ。……でも、退治された方が主祭神なのは珍しいかな」
何となく一瞬、歯車が合った気がする。しかし、石名原の歯車は鈴乃が加えた力の大きさを無視してまた加速していくのだろう。でも……。
「石名原さん。『結論』を聞かせてください。『わたしたちが見たものがなんだったのか』。あなたのお話ではなく、立花さんの仮説から導き出される可能性を」
鈴乃は石名原の目を真っ直ぐに見た。石名原は目を丸くする。鈴乃は彼女と視線が合った気がした。石名原は目を伏せて少し考える様子をみせる。そして照れるように笑った。
「速瀬鈴乃さん。……あなたは立花くんみたいなこと言うんだね」
石名原は真顔に戻って続けた。鈴乃の求めた「結論」を語る。
「うん、立花くんの仮説ではこうだよ。……主祭神として祭られていたということはずっと畏れられてきたということ。大蛇は完全に退治されずに存在を残した。『結論』を言えば、あなたたちが見たのは『大蛇の怨念がみせた幻影』かもしれない。そして、あなたの見た黒い鏡は、退治することができず、たとえば、誰かが封を施した『大蛇の存在そのもの』だったのかもしれない」
石名原はもう言葉を加えなかった。彼女には鈴乃たちに伝えなくてはいけないものは、もうないのだから。
「鈴乃が見たものがなんなのか分からない」という石名原の言葉は本当なのだろう。けれど期待にはなんとかして応えなければいけないという思いはあるのだろう。石名原は立花に代理の役割を与えられ、その責任を果たそうとしていた。
――あなたが思うほど、あなたには期待していない。
そんな言い方をすれば、きっと酷い。けれど、鈴乃それを言ったのだ。おそらく周囲の誰も、石名原に石名原以上のものは求めていない。質問には答えられるものだけ答えてくれたらいい。他はいらない。それが彼女を黙らせる一撃になった。
期待は人を後押しもするが、惑わせたりもする。
石名原は鈴乃の言い方に怒っただろうか。であれば後で思い切り、気に入らない生意気な娘だったと罵ればいい。それで楽になって、それでいい。
また機会があるのなら、解説員の石名原がしたいと思う話をちゃんと聞いてみたいとも思った。
それでは、鈴乃に与えられた「役割」はなんだろう。誰が何を鈴乃に「期待」しているのだろう。
郷土資料館にあったのは「答え」ではないのかもしれない。しかし今、鈴乃の考えるべき課題が見つかったような気がした。
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