第5話 交差する思惑
直日から呼び出しがあって家を出た。
最寄りの駅までは鈴乃の足で20分ほど。集落を出て旧道を北へ。
天気は良いし手荷物もないのに身体が重いのはどうしてか。それは嫌な予感がしたから。
『鈴ちゃんと話がしたいんだって』
電話越し、直日の言葉に鈴乃はつい、話があるならそちらから来いと言ってしまった。
そうしたら、本当に来てしまった。家に案内するわけにもいかないので、駅まで出向くことになった。それは自業自得なのでいいとして、直日が妙に乗り気なのが気に入らない。
旧道は崖の縁を沿うように通る。アスファルトで舗装はされていたけれど、積み重なった落ち葉で黒ずんだ様子からも、ほとんど交通量がないことが窺える。大きな自動車では対向することが難しいほどの道幅で、村を走る電車を利用する人間と、駅周辺の集落の住民が利用するだけの生活道路になっていた。途中、山を貫いてまっすぐ走る新道を横断して、鈴乃は駅へ向かう。
道に張り出した落葉樹の葉が、秋の色になりはじめていた。右手には神河が合流する雲出川が流れているが、下流域には町ひとつにもなる大きな三角州を持つ大きな雲出川も、ここではまだ岩の間を流れる谷川だ。河岸には大きな石が転がり、少し離れて様々な植物が根を下ろしている。
落葉樹のアーチを抜けると、駅が見える。
小さな無人駅で、周囲にはなんの施設もない。ひっそりとした駅には小さな自転車置き場と電話ボックス。軒下に自動販売機とベンチが置かれているだけ。
直日が鈴乃の姿を確認して手を振る。
鈴乃はそれに応えるわけでもなくため息をひとつついた。
「いったい、なんなの……?」
鈴乃は苛立ちを隠さない。直日は困ったように笑いながらまあまあと言う。
どうして直日が手引きをしているのか。
直日の隣には、クラスメイトの男子生徒がいた。
もちろん以前から知っていたが、鈴乃が困惑するのは、その生徒が掃除道具で殴った相手だったから。
あのときは奇襲で、しかも武器を手にして相手にしたのだ。鈴乃がしたように暴力で報復しようというのなら、鈴乃にはどうしようもない。おそらく直日にも止められないだろう。それを知っていて直日はここに連れてきたのだ。こんな状態で何を話すというのか。学校でできないような話をするような仲ではなく、むしろ関係は険悪で最悪なはず。
そこまで整理して、やはりそうかとひとつの結論を出す。
――ばかじゃないの?
仲を取り持とうというのか。直日が平和主義なのは結構だが、あまりにもおめでたすぎる。
自分を散々からかって、いじめを扇動していた首魁ではないか。
唆されて鈴乃を売り渡そうとするのであればまだ分からなくもない。……それで直日の学生生活に平穏が戻るというのなら、直日にとってはやむを得ない判断なのかもしれないけれど、直日の性格や今現在の言動を見てそんなつもりでないことは分かる。
鈴乃よりわずかに背の高い直日。鈴乃は直日の隣の縁司を見た。その直日が華奢に見えるくらいの体格の良さ。これから起きるかもしれない事態を想像して、思わず身体が震える。恐ろしさを感じている自分が悔しいけれど、直日の心情は信じられたとしても、縁司の思惑が直日の思い描いた通りであるなんてとても思えない。
学校でできないような話をこんなところでする理由も思い当たらない。
「速瀬」
縁司が鈴乃に声をかける。呼び捨てにされる筋合いはない。鈴乃はその一言に苛立つ。
無表情か、むしろ怒っているような仏頂面に見える表情。
鈴乃は思わず唇をぎゅっと結んで、心を構える。
「速瀬が俺のことをどう思っているのかは分かってるつもりだった。けど……」
「……」
――「けど」なに?
「お前が俺のことを憎いように、俺は『こいつ』が嫌いだったんだ」
縁司が直日を横目で睨んだ。こいつ呼ばわりされた直日は苦笑している。
直日のことを嫌いだと、わざわざ鈴乃の前で宣言する理由が、鈴乃には分からない。
縁司はなにがいいたいのか。挑発のつもりだろうか。
「でも……俺の行動が、速瀬にここまでのことをさせるとは、正直、思ってなかった」
縁司は自分の右側頭部に手をやった。白いガーゼが見える。
そうだ。鈴乃は狙いすました卑劣な手段で縁司にケガをさせたのだ。にも関わらず、縁司自身が鈴乃に穏当な処分を望んだのだと聞いている。それがどうしてなのかを鈴乃には未だに知らない。
「速瀬、悪かった」
見上げるほどあった上背の縁司が、鈴乃の眼下に頭を垂れた。
――え?
なにに謝っているのか。鈴乃はますます分からない。どうして縁司が自分に頭を下げるのだろう。謝るべきだとしたら鈴乃方だったし、それに……。
「なんで? あんたが謝る相手はナオじゃないの……?」
この縁司の後頭部にはもう一撃必要なのだろうか。それをくれということなのか。
怒りの感情が土台を失ったように宙に浮く。自分が混乱していることは自覚できたけれど、なにをすればいいのかは分からない。
「鈴ちゃん。立花くんは僕にも謝ってくれたんだよ。不本意だと思うよ。立花くんは僕のことが嫌いだから。……でも、鈴ちゃんにあんなことをさせたことを後悔してるし、その原因が僕に対する態度だったのなら自分が悪かったって……そういうこと」
直日が口を挟んだ。
なんだろうその理屈は。それで直日に謝ったことになると思っているのか。直日もそれでいいのか。空中に浮いていた怒りがまた鈴乃に根をおろす。
そんな謝罪はとても受け入れられない。鈴乃が声を上げようか、無言で立ち去ろうか迷った瞬間、頭を上げた縁司が口を開いた。
「速瀬、それに葛城。それは違う。……葛城のへたれた性格はたしかに気に入らなかったけどな、俺が嫌いだったのは『葛城の一族』なんだよ」
「――いい加減、わけのわからない言い回しはやめてくれる? 『葛城の一族』にナオは入るでしょ?!」
「入らないな。……もう、入らない」
縁司は即答した。
葛城直日は「葛城」の一族に入らないと。
「こいつは、俺の知ってる、『葛城の一族』なんかじゃない」
立花縁司の立花家も元は葛城の臣下だった。宮ノ下よりも
縁司は、直日が葛城の一族の傷になっていることは知っていたが、それでも葛城の庇護の元ぬくぬくと育ったものだと思っていたようだ。実際、縁司がどんな思いで今まで生きてきたのかを鈴乃は知らない。
「速瀬の一発で目が覚めた気がするよ」
縁司は鈴乃も葛城の犠牲者だと思っていたようだ。同族だと。
直日を気にかける鈴乃の様子に縁司は両親たちの姿を重ねて見ていたという。それ故の同情だった。いわば、鈴乃が直日に寄り添うさまがさらに縁司の憎しみを加速させていたわけだ。事実を無視して。
けれど直日は縁司に縋って訴えたそうだ。鈴乃がどれだけ自分のことを思って大切にしてきてくれたのか。それは直日が葛城だからなどではないことを。その姿は必死でいつもの飄々とした直日ではなかったという。
縁司は語らなかったけれど、直日は相当のことをしたのだと鈴乃は感じた。
「目が覚めたのは僕もだよ。立花くんたちのしてることになんにも思ってなかったわけじゃなかったけど、僕も『葛城』だから仕方ないのかなって思ってた。……でも、鈴ちゃんは、僕が『葛城』だからなんてどうでもよくて、『
直日は静かに付け加えた。
――ちょっと、まって。
みんなおかしい。どうして、まるで美談のようにしようとするのか。鈴乃のしたことは傷害で、立派な罪だ。決して許されることではない。まして殴られた本人が感謝なんて、まるで狂っている。
自分の感情のために、正義を偽装して力任せにハンマーを振り下ろしただけ。そんな凶行がふたりの判断力を破壊したというのなら、それも自分に取り憑いた呪いのせいか。
鈴乃の動揺を察してか、直日が前に歩み出た。
真剣な表情で鈴乃の目を見る。話を聞けと。
「鈴ちゃん。僕らがこうなったのは、鈴ちゃんのせいじゃない。ずっと繰り返してきたけど……。でも、僕らが『8月豪雨』のときにみたものがなんなのか、それが分かるかもしれない人がいたんだ」
「――?!」
唐突に語られた「8月豪雨」。ずっと、鈴乃が、おそらく直日も口にすることを避けてきた記憶の中の出来事。
「俺の兄が郷土資料館で働いてる。村に残った古い伝承を調べてきたんだ。……行ってみないか?」
鈴乃や直日の周りの人たちの多くが知っている当時のふたりが語ったとされる妄言。
直日が言わずとも、縁司だって知っているのだ。
そして縁司は、それがただの夢ではなかったのかもしれないと思っているのか。あるいは、それは償いのつもりか。
しかし、確かめてどうなる。
鈴乃は思いながらも気持ちは揺れていた。
遠くで鉄橋を渡る電車の音が聞こえてくる。
「8月豪雨」で流れた橋も今では架け直されて、電車が町と村を繋いでいる。鈴乃と直日の切り離されてしまった夢の記憶は、はたして現実と繋がるのだろうか。
「はっきりと言っておくけど、ナオが許しても、わたしはあなたを許さない。だから、あなたもわたしを許さない。……それでいい?」
鈴乃は静かに怒りを押し殺して言う。念を押してなにが守られるというのだろう。過去の自分のプライドだろうか。偽りだとしても、心の平穏だろうか。
「ああいいよ。それで」
縁司は目を閉じて言った。
鈴乃は返答を確認して頷いた。ひとつ深呼吸をして向き直る。縁司に正対した。
「あなたが何を語ろうと言い訳にしか聞こえない。でも、今回のことは誰がなんと言おうと、悪かったのはわたし。……傷つけてごめんなさい」
鈴乃はゆっくりと頭を下げた。鈴乃だって不本意だ。
それは意見の表明。お互いの立ち位置の確認。許されるためではなく、縁司の謝罪に対しての返答だった。
「速瀬。それに葛城も、お前ら変わってるよな。……ほんと」
鈴乃の深く下げた頭上で縁司の言葉が聞こえた。
変わっているからなんだ。変わっていないでいられたのは遠い昔の話だ。好きなように評価したらいい。
「……『葛城の一族』じゃないって言ってくれるなら、僕は『直日』でいいよ。その方が立花くんも呼びやすいよね?」
「……ああ。じゃあ俺も『立花』くんじゃない方がいいな」
「うん、縁司くん」
しかし。簡単に馴染もうとする直日。
鈴乃は気持ちを逆なでされた気分でつい、俯いたまま舌打ちしてしまった。
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