第6話 受付を忘れたひと時。

 一瞬、受付の仕事を忘れて73歳の老人は自分の趣味の世界に入っていた。

雪模様の空はどんよりして重たく。気分まで優れなかった。遣ることもなく豚平はエリとの会話で時間を経つことを忘れていた。

「日本の1~2月はどうしても寒すぎるから南洋諸島へロケに行くんだ」

 成田空港でロッカーにダウンを入れて、夏衣装に着替えながらロケ地に向かう集団は毎度のことであり、馴れた行動だった。

 エリは学生なので、海外旅行に行ったこともなく。興味深い彼の話を聞いていた。

「前にねえ、時計の撮影の時にね。申請しているのに、密輸品として疑われて空港で足止めを喰らった時は、さすがに参ったな」

「申請しているのにですか?」

「そうなんだよな。何が何だか、さっぱり分からなかったけれど、一番最初の海外ロケの時だったけれどね」

「何個も時計を持っているから、疑われたんだよな。密輸品と。後で分かったことだけどね」

「一時はどうなることかと心配したけどね。此のまま、とんぼ返りになってしまうかなと想ったよな」

「入国出来ないし、通路で立ちぱなしだったしね」

「高い航空運賃で折角、グアムまで来たのにね。なかなか、入国が揺れされないんだよな」

「グアム専門のコーディネーターまで付けていたのにね」

「最初からトラブルだったので、吃驚仰天」

「タイプで印字された書類もあるのにね」

「何かの手違いだったのかな」

「俺に報告はあるんだけど、何せ、はじめてのロケだったんで、最初に難問にぶつかってしまってね」

「ドギマギしたよな」

「心配で心臓が壊れそうだっあよな。いきなりのストレートパンチだものね」

「海外ロケの難しさを学んだね」

「言葉の問題が大きいよね」

「そうなんだね。言葉ストレートに伝わらないから余計不安なんだよな」

「スタッフ全員通貨出来なかったら。どうしようかと想ったね」

「要らぬ不安が込み上げてきてねえ。イタズラに時間だけが過ぎて行ってしまってね。いろんな計画もあるしね」

「予定がありますからね」

「そうなんだよな決められた時間内に作業を終わらないとね」

「天候もあるし、時間もあるし、最初から予定が狂ってしまってね」

「心の内はパニック状態だな」

「そりゃ、そうでしょね」

「心は焦るし、時間は過ぎて行くしね」

「悪い方へ悪い方へと考えてしまうんだね」

「はじめてのことですからね」

「段々に海外ロケには馴れてきたっけど、最初は30代の前半だからね」

「年齢もそうだけど、いきなりのパンチに面食らったよな」

「失敗を繰り返して、成長してゆくものだね」

「確かに、失敗は成功の基ですね」

「帰りのコーディネーターの主催のバーべキュウ・パーティーで豚肉の生焼けを食べて下痢だろう」

「外国では水を含めて考えて行動していたんだけど、仕事の終わった安堵感でつい、うっかり、油断してしまったんだよな」

「バーベキューで、ですか!」

「量も多かったしね。無神経だったよな」

「日本程、衛生に神経を使わないんだよな」

「飲み水も神経を使っていたのにな」

「原因が分かっている下痢だったんで、ビオフェルミンを飲んで治ったけどね」

「最後の最後でミスをしてしまったな」

「気が抜けないですね」

「最後には、お土産をスタッフが買うから、番兵だろう」

「男女のスタッフの撮影だからスタッフも多かったしね」

「どのくらいの人数でしたか?」

「そうねえ、10名以上だね」

「サイパンのディンギーの時は映像関係者も含めて20名以上だったよな」

「凄い数ですね」

「食事代だけで、前渡金といって、持ってきたお金が足らなくなってしまって、再度送って貰ったからね」

「カメラマンのスタジオで立て替えてもらったからね」

「ドル払いだから、両替して円からドルにしなければ、いけないしね」

「自分の分は当時の東京銀行で両替したけどね」

「お金の管理が大変で、大掛かりなんで、プロディーサーという外部の専門家に任せたからな」

「自分ひとりですべてを行うこともできないしね」

「手分けして、作業を熟すんだよな」

「グアムの時計の時にはココスという当時は無人島で、今はホテルが建っているんだけどね。モーターボートで渡るんだよな」

「真っ白な砂浜のビーチであって、この世に、こんな素晴らしい景色があるのかなと思うくらいだっよな」

「感激だったよな」

「そんでしょね」

「言葉じゃ、表せないくらいだな」

「行ってみたいですね」

「今はホテルがあるから俗化してると思うよ」

「開発で、自然が壊れて行くね」

「そうなんだよな。夜なんか星が落ちてきそうだったよな」

「そうでしたか」

「日本ではお目にかかれない光景だったね。日本に帰る飛行機の中で窓から視える景色は無彩色に近いクレーの世界なんだな」

「天候がハッキリしないしね」

「日本の中間色の文化が良く理解出来たよな」

「サイパンには以前から不可思議な話があるんだよね」

「エッ! ドンな話ですか?」

「幽霊が出るんだって……」

「今時、本当何ですか?」

「この俺が実際に体験したんだよな」

「恐い!」

「ロケで疲れて寝入ったら。夜中にドキドキして薄っすらと目を開けると何か人の気配がするんだよね。ジッと見てると人の輪郭だけで、後は透明なんだよな」

「よしてくださいよ! そんな話」

「後で、カメラマンに話したら、この業界では有名な話なんだって」

「アー、そうだったんですか」

「ホテルの1室だったけどね。名前は言えないけどね」

「いろいろな戦いがあった所ですからね」

「でも、何となく日本兵とは思えないかなり大きな人だったみたいだね」

「それも輪郭だけで透明だからね」

「その時は夢心地だったので、分からなかったんで、別に気にはしていなかったんだよね」

「そうですよね。眠いですからね」

「自分の体調も影響してると思うよな」

「誰でも見るものではないですよね」

「そうなんだよな。後になんってから腑に落ちないんだな」

「その時に目を覚ましたのは俺だけだしね」

「後で考えると幽霊だった気がするだけだよな」

「そんなもんなんですか」

「サッキ言ったように自分のコンデションのこともあるしね」

「でも、後で、怖いとか気分が悪いとかという印象じゃないんだね」

「恐くなかったんですか。本当に!」

「心はスッキリとした気分だったよね」

「南方の幽霊は爽やかなんですか?」

「そうなんだよね。後味が悪くないんだよな」

「日本の幽霊とは違いますね」

「そうなんだよな。あくまでも、サイパンの幽霊なんだね」

「一知半解の表現だけど、南洋の幽霊なんだよな。あくまでも……

「ジトジトしていないいんだものね」

「じゃ、まだ、良かったですね」

「あんまり、他人には話していないけどね」

「受付があまりにも暇だからね」

「いいんじゃないか。こんな時もあるよね」

「……でも、ヘンテコな話ですね」

「永く生きていると、思わぬことを体験するんだよね」

「ご冗談でしょ! まだ、お若いのに……」

恐がるエリに対して調子にのって話を進める豚平だった。

「日本の幽霊や亡霊よりは具体的にどちらかというと西洋のゴーストに近かかった感じがする」

「そうなんですか。ゴーストですか……」

「割合とサッパリしていて、ジメジメしていないんだ」

「陰気じゃなくて、どちらかというと陽気なゴーストだな」

「そんならよかった。怖過ぎますからね」

「今までに、幽霊って信じていたの?」

「まだ、そんな体験をしてことがないから、分からないですけどね」

「学生だし、無理だよな」

「この歳になって体験するんだよね」

「話には、訊いていたんですけれどもね」

「実際には体験したことがないということだね」

「今のよことはそうですね」

「幽霊というよりは亡霊に近かったよな」

「かなり具体的に覚えているんですね」

「目と脳に焼き付いているからね」

「幽霊は輪郭がボンヤリしてるけど、亡霊はどちらかというとしっかりして、林間だけで、後は透明だったね」

「恐いですよね。まるで、透明人間みたいですよね」

「そうだよな。透明人間に近いんだよな」

「身体が寒くてゾクゾクしますね」

「寒い日にごめんね」

「真夏だったらいいのにね」

「その時は、仕事に集中してるからあまり気にならなかったけど、跡で考えたらゾッとしたよ」

「場所柄、カラットしてたから、何か乾燥した感じだったけどな」

「直ぐに、疲れていたから、寝入ってしまったけど、あとで、何だか想いだすんだな」

「理由は分からないけどね」

「目に焼き付いているんですよ。きっと……」

「そうなんだね。忘れないんだよな」

「この歳でだらしないけどね」

「歳には関係ありませんよね」

「一部始終見てしまったもんだからね」

「吃驚されたでしょ!」

「後で考えてみればね」

「サッキ言ったように、その時は何にも感じなかったんだよな」

「後で考えてゾッとしたね」

「でも、いい体験だしたね」

「73年間も生きていればね」

「人生とはいろいろなことがあるね。思いも寄らないことが起こるんだよな」

「他に幽霊みたいなモノ見たことありますか?」

「そうねえ<小さい時だったけどね」

「エッ! まだ、あるんですか?」

「5~6歳の時に、信州へ疎開していた時にね」

「人魂を見たんだよね」

「薄暗くなったんで、兄と表で小便しようと出たんだな」

「田舎だから田圃の畦道で立小便しに行ったんだ。お墓がある方から、人魂がふわりふありと浮かんで飛んで行くんだよな」

「エッ!そうなんですか」

「兄はおったまげて家に駆け込んだんだけど、この俺はジッと一部始終見ていたんだよね」

「度胸ありますね」

「何だろうかと興味があったからね」

「お一人ですか」

「そうだったんだね。結構、大きくゆったりと飛んで行くんだな」

「最後は左手の河原の方へ飛んでいったけどね」

「そこまで、見ていたんですか」

「そんだったな。虫の集合体だという説もあるけど、何だか良く分からなかったな」

「まったく、当時は理解出来なかったな」

「先は進行方向に丸くなっていて、ス~ッと尾を引いているんだね」

「浮世絵に出ていたものとそっくりだったな」

「絵で見たり、聞いたりはしていたんだけど、実際に見て見るとやっぱり、人魂なんだよな」

「ワッ! 怖い」

「寒くなんって来ましたね」

「そんなに、夢中にならなくてもいいのにね」

「ちょっと、トイレに行きます」

 エリは顔を引きつらさせてトイレに駆け込んだ。

「話さなければ良かったな」

 暫くするとトイレから出てきたエリは普通の顔に戻っていた。

「色は赤と黄色の鮮やかな色だったな」

「見た目には綺麗だったよ」

「夕暮れで周囲が暗かったしね」

「寝ぼけ眼で、ぼんやりとした形だったけど、色は鮮やかだったな」

「頭はボオーっとしてたけどね」

「私は見たことない」

「自然が多くないとダメ見たいだよな」

「山奥の北アルプスが見えるところで、昼間は雪で覆われた連邦が見えるところさ」

「いいところですね」

「夏は別荘地だけど、冬は寒いぜ!」

「銭湯帰りに手拭が凍ってしまって、剣のように真っすぐに立つんだよな」

「シンシンと冷えて寒いんだよな」




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