第3話 白衣は人をつくる。
初日の作業をソツなくこなした豚平は自信に溢れていた。遣る前の状態からえらい変わり方だった。
白衣で先生の気分であり、パソコンから出るブルーの光を吸収するブルーがかった老眼レンズにプリムスを入れて斜視を矯正した彼であったが、斜視の中でも面倒な上下斜視だった。グレイの縁のメガネをかけて、老眼鏡による大きくなった目は鋭さな溢れていた。
まるで先生と間違えられた73歳の老兵は現役時代のベルサーチのネクタイを締め白いワイシャツでズボンはスーツの片割れであった。その上に白衣を纏った姿はどう見ても年齢的には院長先生のようであった。
匂いに関しては息子の院長から、無臭のクリームなどを付けて、ズボンのポケットにはラコステのワニのキャラクターが入ったハンカチを入れてテッシュは8枚にして、右のポッケに仕舞い込んでいた。ボールペンは文法具店で買った自分専用のモノで2本白衣のポケットに仕舞い込んでいた。外見上は院長先生そのものであり、立派な自分の姿に白衣は人を造るんだと感じながら鏡を眺めていた。
「馬子にも衣装だな!」
「これでは、先生のお父様ですかと言われるのは当然であり……」
「イエ! アッ! そうです!」
とトンチンカンな返答をする豚平だった。心の準備もなくいきなりのストレートパンチにダウン寸前だったが「それにしても、良くキズキましょいたね」というのが精一杯だった。すかさず、「目の間の鼻のところがそっくりですよ!」
と急に言われれば「そうですか。ありがとうございます」とピントはずれの返答をする豚平だった。突然のことで返す言葉も想い付かず。お礼を返すので精一杯だった。赤い顔で患者に対してお辞儀をしてしまった。
良く見ている患者さんがいるのには驚きであった。マスクをかけてメガネ姿の豚平の露出度は低く。良く分かったなと感心しながら、ドギマギしていた。
ニッコリと笑いながらの対応で済んだが「まさか、初日で解ってしまうなんて
吃驚したよな」
「受付は良く見られているところなんだな」と認識新になって、何か気恥ずかしさが込み上げてきた。73歳の老兵の受付は予期せぬ他人の目の視線に痛い程感じて凝視される恐さを知った。冬なのに、汗が出るような思いをしてしまった。
初日の終わりは会計の集計と掃除を行い。終礼を院長のもとに行い一日の反省や問題点を指摘して終わった。長いようで短かった1日が終わった。時の流れの中で豚平は別室で反省と疲れを癒した。「だいたい作業は分かったけど……」
「想いも寄らないことが起こるんだな」
「患者の鋭い芽を気にかけないとな」
ネオンは鮮明に見えるようになった駅のロータリーにある階段の多い診療所の1日は終わりを告げてスタッフの若い女性の明るい声が響き渡る階段を降りると院長と軽い会話を終えると駐車場へと向かった。
冬の夜は早く。6時半というのに、日はトップリと暮れてネオンなどの看板がクッキリと浮かんだ街を後に車で家路を急いだ。
自宅へ着くと、妻の門子は話を切り出した。
「何か分からないことないの?」
「そうだな、程々に上手く行っているけど、受付中にガスが溜まるのには困ってしまったな。どうすればいいの?」
「そんなのトイレへ行けばいいのよ!」
「女性もそうだったのか」
「お腹にガスが溜まってしまって苦しかったよな」
「そうか、やっぱり、トイレへ行くしかないのか」
「それは自然現象だから自然に抜くのよね」
「受付で、1ッ発やるわけにはいかないし、遣れば臭くて患者様に迷惑をかけてしまうしな」
「受付では我慢するのよ! 絶対にしたらダメよ!」
「それが解ってるから苦しいんだよな」
「立ったり、座ったりして、どうにか我慢はできるんだけどな」
「その内にお腹が膨らんできてしまうんだからね」
「スタッフも良く我慢してるなと想っているよな」
「普段から節制してさつまいもやカボチャなどを食べないように努力しているのよね」
「そうだったのか。俺も普段から食べ物を吟味して食べないといけないな」
「当然よ! 受付のプロでしょ!」
「それはそうだけど、予期せぬことが起こったよな」
「おしっこの時にガス抜きするのよね」
「俺なんかカルテのコーナーで行ったり来たりしてるんだものな。情けないよな」
「ゴリラじゃあるまいし、患者様が見ていたら変な人が歩き廻っているみたいでしょ」
「まあ、そうだろうな」
「一遍に診療所の信用がなくなってしまうわよね」
「そうは言っても、自然現象だからね」
「想いもよらなかったよな」
「何が起こるか分からない、常に頭は柔軟にしておかなければね」
「……でも、会計で名前を呼んでいるのに、トイレに入ってる患者様も困ってしまうしな」
「佐藤さん、鈴木さんと呼んでも誰も返事が返ってこないから、スタッフがトイレ中よと言われてはじめて気が付いて名前を呼ぶのを止めるんだよな」
「良く見て行動しないといけないので、気を利かせないとね」
「受付も狭い楕円のコーナーで動いていると他人に見てられると緊張しちょうよな」
「開放的で常に、患者様から観てられているから疲れるのよね」
「受付の大変さは今日1日で分かったよな」
「馴れない作業だしね」
「パパは基本が出来ていないからダメなのよな」
「急に言われたって苦しいよな。膨らんだお腹を凹まさなければね」
「私そんなこと考えもしなかったわよね」
「馴れない俺だけの悩み事かもしれないな」
「オナラが出過ぎるのは肝臓でも悪いんじゃないの?」
「そんなことないよ! 俺は禁酒してから3年にもなるしね。肝臓が悪いわけないじゃんか」
「でも、ガスが溜まり過ぎるのも良くないわよね」
「そう言えば、ママあまりオナラしないなあ」
「老化現象でガスがお腹に溜まるんでしょ」
「パパのは臭いからいけないのよね」
「誰だって、臭いだろう!」
「兄弟にも言われていて、トンちゃんのオナラ臭いでしょて……」
「そうかな!そんなことあったの?」
「何せ、受付遣っていて苦しいんだもの」
「何か傾向と対策ないの」
「さっき言ったようにトイレでして、後は動き廻るのよね」
「檻の中のおサルさんだね」
「これから、出来るだけ炭水化物を食べないような料理にするわよね」
「それは有難いな」
「今日から、ご飯は1パイにしてね」
「腹空くな!」
「おかずも消化に良いものにするからね」
「あるがとね」
「もう、大丈夫よね」
「初日だから、緊張感もあったけどな」
「直ぐに、馴れるからね」
「ママの代役も苦しいな」
「ピンチヒッターだから頑張ってよね」
「頑張れと言われたって、頑張るようもないんだよな」
「自然にガスが溜まるからね」
「予期せぬ出来事ね!」
「我慢しないで、自然にするのよね」
「最初だから、緊張はするし、先生には間違えられるし、いきなりお父さんでしょと言われれば面食らうしな」
「落ち着いて作業しなさいよ」
「明日は落ち着くと思うけどね」
「段々に馴れるわよね」
「オナラぐらいで凹まないでよね」
「ママの励ましと協力に感謝するよな」
「だって、私の代役でしょ!」
「国家試験のためのお手伝いだものね」
「そうなのね。私もパパに感謝してるわよね」
「アルガトね!」初日の話は尽きなかった。
「それにしても疲れたな」
次の日からはだいたい同じことの繰り返しなので、心に余裕が出来てきた。
「行ってきます!」
元気な声で自宅を出た豚平は畦道が、しっかり見える冬の田園を横目で見ながらの出勤は清々しく朝のクッキリとした景色は、走る車の窓から視える枯葉色の世界であって、霜が降りて薄っすらと白くなった田畑は見栄えが良く。自信が出てきた気分は晴れがましく。73歳にもなっても働ける悦びは息子に感謝する彼であった。「今日はガスの方は大丈夫だろうな」
いろいろなアドバイスを妻の門子から貰っての不安は去り気分的にも楽になっていた。30分で着く診療所の階段をスムーズに上り切ると白衣に着替えてから受付に座る気分は昨日よりも自信に溢れていた。
「おはようございます!」
スタッフは一列に並んでいる前を院長先生の声が響いた「今日も頑張りましょう」という一声で受付のポジションに着いた豚平は徐々にではあるが受付の面白さも分かりはじめていた。70歳の手習いではないが、はじめての経験というものが、まだ、新鮮に写り会社勤め43年間の内容とはまったく違った仕事に山の初登頂したような感じに近い感情が糸のように全身に走った。
「今日も元気に明るく行きましょう!」
「隣に座っているアルバイトのエリちゃんに軽めの挨拶が終わると戦闘開始の状態になって心を前向きにして、受付の作業に集中した。
新患の保険証はコピーして新しいカルテをつくり、エリちゃんにパソコンに入力して貰ってから、診察券とノートにフルネイムを読み易いようにボールペンで記入した。
エリちゃんも若いので、気ムラなところがあったが、若いからパソコンなどは直ぐに馴れて、コンビとしては上手く機能していた。新年なので、新患の数が多く。作業にスピード化が要求された。
「次から次へと新患が来ますね」
「10時からはじまるのだが、11時ごろには沢山の患者で溢れて20人座れるソファも満杯になって立って待っている人もいるような状態で、受付の仕事も忙しいさが増していった。
「早くカルテを院長のところへ回してね」
カルテを見付ける動作も機敏になっていった。
「ドンドンとカルテが流れないとね」
受付のデスクに並んだカルテの山にチェックの厳しい目が注がれた。
「これは凄いですね」
「保険証は箱に入れて絶対忘れないで記入したら患者に直ぐに返すことね」
「保険証は特に、大切ですからね」
「素早く視能訓練士に渡して患者に渡すこと!」
「そうですね」
「保険証も重なってきますね」
「順番だけは間違えないでね」
忙しいと時間が経つのが速いこと。午前中が過ぎると1時から2時の休憩時間も途切れる程であってスムーズに午後の診療となったが、この日に限って終了真際に急患が入ってきた。前から豚平の頭の中には急患に対する不安があったが、こんなに速く訪れるとは想像もしてなかった。遂に、来たか。それだけでストレスになってしまった。心はドギマギして張り裂けそうだった。
サッカーのボールが目に当たってという事故であって、最初に電話がかかってきたが、受付の判断はできないため、院長に電話を回してから判断を委ねた。
院長のオーケーが出て、5時過ぎに患者が来るということだxzつた。スタッフに緊張感が走った。他の商売とは違って責任重大な急患に対する対応は診療所の宿命であり、重要な仕事の中心的な存在だった。診療所全体に緊張感がピーンとした空気が流れて、豚平もはじめての体験にどうなるのだろうかという心配と成り行きを冷静に観察して待っていた。
付き添いの保健の先生と怪我をした生徒が駆け込んできていたのであり、確かに目の周りが少し腫れ上がり氷で冷やしながらであったが足はしっかりと歩ける状態だった。
直ぐに、散瞳薬(mydriatic)で散瞳(mydriasis)を行った。散瞳は30分ぐらいの時間を必要としていたので、帰りは6時過ぎになって遅くなるという予感がした豚平は緊張した顔で患者と院長の情報を視能訓練士から得ていた。出血はなく内出血のみの心配だけであるということが分かった。視野検査と院長による診断で、明日まで様子を見るが今日の時点では大丈夫そうだという情報に受付は安堵した。「不幸中の幸いで、良かったな」
1時はどうなるのかという不安が、無事でたいした怪我でもなかったことではなく。少し安静にしてから先生と帰って行く後ろ姿を視て、今日は終わったなと感じたら時計の針は7時を過ぎていた。
「これだから、診療所は大変なんだな」
はじめての苦痛だったことをエリと語らいながら、身体に関する診療所の対応の難しさを学んだ豚平は予告もなしに突然訪れる患者に対する処置や対応を感受して「こういうところに生き甲斐と責任があることを学び。自分の職業だった広告の企画制作とをおこなった43年間は何だったんどろうかという気持になったいた。「医療系の仕事は一般の職業とは違う人命を救うためにあるのだという大きな責任が伸し掛かってくる世界なんだ」
遣り甲斐の面でのはじめての体験に対して、人を救う難しさを感じながら反省していた。気分は何故かスッキリしていて、疲労感のない気分であった。
「今日は混んでいるのと急患で大変だったな」
「そうですよね。お疲れ様でした」
エリの目も窪んでいた。
流れる冷や汗がやっと引いて、充実感が膨れ上がってきていた。
「混んでいる割には会計もピタリと合ったし。明日からも忙しくなるなあ」
漆黒の空を眺めながら車は家路へと向かっていた。
「冬の月が鮮明に視えて、作業の疲れも取れて行くのが分かった。
「車窓の景色は癒しになるなあ」
「カーナビから流れるビートルズのイエスタデーの曲はいつもよりは心地よく聴けて心は静かになっていった。
「ストレスの解除になるなあ」独り言をいいながらのドライブだった。
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