シュウマツ

「人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。」(忍野メメ)


――『化物語』著:西尾維新(講談社BOX)より引用。



 ※※※※※※※※※※


 真っ暗だったので、自分の眼が開いているのか閉じているのか、それがまず分からなった。次に、いつからこの暗闇の中にいるのだろう、と俺は考えた。つい今しがたここにやって来たような気もするし、ずっと前からここにいて、いつからここにいるのか、自分の眼は開いているのか閉じているのか、そんなことをずっとずっと、永遠にも等しい間、考え続けていたような気もする。要するに、俺からは時間の感覚というものが消えていた。今は、いつから今だったのだろう?

 暗闇の中で、眼を開けてみる。だが、暗闇は暗闇のままだった。眼を開けてみたと言ったが、俺がそう思っただけで、実際には俺は眼を開くことができていないのかもしれない。命じた通りに体が動いていないのかもしれない。それとも、俺にはもう体というものがないのかもしれない。そうか、死か。おそらく俺は死んでいるのだ。そう思い至った刹那、声が降って来た。

「気が付いたみたいね」

 気が付いた?

「死んだことに気が付いたら、だんだん、戻って来るから」

 戻ってくる?

 その言葉に続いて、暗闇に横長の切れ目が入った。切れ目は上下に開き、そこから光が差し込んできた。違う、暗闇が破れたのではない。これは俺の眼が開いたのだ。

「おはよう」

 焦点が合う。薄い青が広がっていた。空だ。そして、体の感覚が戻ってくる。俺は指先を動かした。そして、起き上がった。

 起き上がると、目の前には身の丈より大きな鎌を持ったゴスロリ美少女がふわふわと浮かんでいた。

「久しぶり。意外と早い再会になっちゃったわね」

「お前がいるということは、本当に俺は死んだんだな」

「そうね。その節はありがとう。おかげで廃部にならずに済んで、今もこうして楽しく死神してるわ」

 ゴスロリ美少女はそう言って微笑んだ。

 彼女は死神だ。彼女とは、俺が何曜日だったかに子どもを助けてトラックに撥ねられ死んだ時、一度出会っている。その時は、廃部になりそうだった死神部を霊界選手権とやらで優勝させ、そのお礼として生き返らせてもらったのだ。

「今回は、どうして自分が死んだか思い出せるかしら?」

 もちろんだ、目が覚めた時点ですべて思い出した。もう一人の俺が転校生としてやって来て、そいつに放課後の教室で刺されて死んだのだ。確かもう一人の俺は、代わりにヒロインたちを幸せにするだとか、物語を正しくするだとか、そんなことを言いながら俺を殺した。奴からすれば俺の存在は腹立たしいものだったのかもしれないが、そんな理由で人を殺すとは、控えめに言って頭がおかしいのではないだろうか。同じ俺が言うのも何だけど。あと、殺されてから言うと負け惜しみみたいで格好悪いな、俺。

「私も長年死神をやってきたけど、あなたみたいな理由で殺された人ははじめて見たわ」

 死神は微笑したまま言った。確かに、ヒロインたちとフラグを立てないように慎重に生きていたことを理由に殺されるとは、自分でもびっくりだ。例えば、俺が貞操観念ゼロの極みnice boat.野郎で、ヒロインたちを次々と毒牙にかけていたとかなら、腹に据えかねたもう一人の俺に殺されてもまあ仕方ないかな、とは思うが、フラグ立てないのが主人公らしくないから殺すとか、完全にサイコパスの所業ではないか。

「……で、今度こそ俺は天国か地獄に連れていかれたり、無に還されたりするわけか?」

 そう聞くと、死神は目を伏せて語り出した。

「実は、あなたにはもう一度生き返って、もう一人のあなたから主人公の座を奪い返してほしいのよ。何故かというと、今ちょっとまずいことになっていて」

 おいおい、そんな簡単に何回も生き返っていいものなのか。いくら死神とは言え、辞めた部活に復帰してほしい、くらいの軽さで言わないでほしい。あと、もう一度生き返るって、もしかしてまた霊界選手権で魂を使った玉入れや鬼との騎馬戦をやらされるのだろうか。はっきり言ってそれは嫌だぞ。

 そのあたりの疑問はあったが、深刻そうではあるし、ひとまず話を聞くことにした。

「結論から言うと、もう一人のあなたのせいで物語世界が停止してしまったの」

 そう言って死神は、背負っていたウサギのぬいぐるみ型リュックサックから、数冊の文庫本を取り出した。

「ここに、もう一人のあなたが上書きした物語が記されているわ」

 俺は本を受け取った。『メインヒロインが多いのは仕様ですか?』というタイトルだった。ひどいな、俺なら絶対に買わない。五巻まであり、表紙にはいずれも見覚えのある人物が描かれていた。一巻は魔王と幼なじみ、二巻は異世界ヒロインと生徒会長と副会長、三巻はバスケ部の先輩、弓道部の後輩、軽音部の従姉妹、四巻は超能力者、五巻は担任教師と保健室教諭だ。カバー折り返しにある【あらすじ】をざっと読み、中身もパラパラとめくって確かめた。

 なるほど。俺を殺した後で、もう一人の俺は本当に物語を正しくやり直し、ヒロインたちを全員幸せにすべく、あらゆるフラグをしっかりと回収しているようだ。

「見たところ、別に問題なさそうだが」

 少なくとも俺が主人公をしていた時よりは、幸せな世界なのではないだろうか。

「そうね。五巻までは、ね」

 死神はそう言って、俺にもう一度五巻を読むよう促した。全部読まなくても、あらすじとラストシーンだけでいいと言われ、面倒臭いなと思いながら、目を通した。五巻はどうやら文化祭のエピソードらしい。もう一人の俺は、文化祭の準備期間に全員のヒロインとフラグを立て、誰とくっついてもおかしくなさそうな雰囲気まで完璧に持っていっていた。すごいな、やっぱりこいつ真性のサイコパスだ。

 そして、五巻のラストシーン。文化祭を明日に控え、主人公であるもう一人の俺は、文化祭当日にヒロインの中からひとりを選ぶと約束したところで終わっていた。そして、最後に六巻の告知もあった。


――――――――――

「正ヒロイン」を決める運命の文化祭。

その祭のあとの教室で、僕は「彼女」を待っている……。

ヒロイン過剰摂取オーバードーズラブコメ・通称『メロン様』、遂に完結。

――――――――――


 六巻でヒロインの中から一人を選んで完結、ということらしい。ありきたりだが、別に悪くはないまとめ方ではないだろうか。作品自体のタイトルや、ヒロイン過剰摂取オーバードーズラブコメというキャッチコピー、『メロン様』という略称などには、真冬の北海道並みの寒さを覚えたが。

「ところが、この六巻が問題なのよ」

「どうして」

「あのね、このままだと、六巻は永遠に出ないの」

 死神はそこで一度言葉を切ってから、改めて説明を始めた。

「全員のフラグを均等に立ててしまったせいで、このままでは、誰を選んでもカドが立つわ。かと言って、『誰も選べないよ~勘弁してくれ~! ハーレム生活は続く……!?』みたいなエンディングは今のご時世ご法度なの」

 知るかよ。

「最近の傾向として、あえて誰も選ばない大人なエンドや、誰を選んだかをうやむやにして、そして十年後……みたいな形で後日談を書いてふわっとさせるエンドもあるけど、あれはあれで、スッキリしないって言われてしまうわ」

 だから、知るかよ。

「そして……、ベストなエンディングルートが見つからなくって、もう一人のあなたは雲隠れをしてしまったの。そのせいで主人公が不在になり、物語世界が停止してしまった……。だから、あなたが生き返ってもう一度主人公になって、世界を再生させてほしいの!!」


「断る」


 俺は即答した。そんなくだらないことなら、天国の蓮の上でゴロゴロさせてほしい。

「そこをなんとかお願いできないかしら?」

 だから、この日バイト出てくれない? くらいのノリで言わないでほしい。

「お願い!」

「嫌だ」

「一生のお願い!」

 こっちはもう一生が終わっているんだぞ。断る。

「可愛い死神女子との合コン、セッティングしてあげるから!!」

 いらない。ここまでで、そういうのになびかない性格って分かっているだろうが。

「じゃあ、天使との合コンでどうかしら!?」

 そういう問題じゃねえよ。ていうか、どこまでも「シフト代わって!」のノリで言うな。

 その後もしばらく押し問答をしたが、俺は首を縦には振らなかった。もう一人の俺には殺された恨みがあるし、それを晴らしたい気持ちがないわけではないが、だからと言ってまた主人公を引き受けるのは荷が重い。それに、仮に俺にも責任の一端があったとしても、今回のことはやはりもう一人の俺が片を付けるべきではないだろうか。カドが立とうが、ご法度だろうが、スッキリしなかろうが、雲隠れしていないでそれなりの結末を選ぶしかないのだ。

「と言うわけで、悪いが俺は協力できない。さあ、天国でも地獄でも連れて行ってくれ」

 俺がそう言うと、死神は口をへの字にして、押し黙ってしまった。

 彼女はしばらくそうやって黙った後、改めて俺の顔を正面から見つめ、口を開いた。

「分かったわ。無理を言って悪かったわよ。……でも最後にもう一つだけ、言わせて」

「だから、何を言われてもムダ……」

「いいから、聞いて!」

 彼女は怒って叫んだ。

「私はね、もう一人のあなたよりも、あなたが主人公でいてほしいと思ってるの。物語をちゃんと再生させなきゃとかそんなことより、本当はあなたの方が主人公にふさわしいって思ってるの! それが理由! だから、無理でもムダでもあなたに生き返って、もう一回主人公をやってほしいの!」

 そこまで一気にまくし立てた後、今度は少しトーンを落として、彼女は続けた。

「……あなた、もう一人のあなたが上書きした物語を読んで、何か気が付かなかった? あなたの時と違う部分がなかった?」

 違う部分? 俺と違ってフラグを立てまくっているところか? いや、そういう話ではなさそうだ。

 しばらく考えた後、俺は思い当たった。

「お前が……、死神が出てきていない?」

 俺がそう言うと、彼女は無言で頷いた。

 死神が出てきていない、ということは。

 俺ともう一人の俺の決定的に違う部分、それは、つまり。


「そう。もう一人のあなたは、目の前の轢かれそうな子どもを助けなかったのよ」


 彼女の持つ、身の丈より大きな鎌が、鈍く光った気がした。

「でも、あなたは迷わずに助けた。フラグを立てないようにいつだって慎重に行動することが重要だ、そんな風に言ってたくせに、あなたは考えるより先に飛び込んで、自分の命を惜しまずに子どもを助けたわ。その行為は、誰よりも主人公じゃないかしら? ヒロインとのフラグを立てなくても、冷たくって現実的でも、皮肉屋のやれやれ系でも、私はそんなあなたの方が、もう一人のあなたより、断然主人公だって思ってるわ!」

 彼女は、そう言い切ると、再び目を伏せて黙り込んだ。


 しばらくしてから、今度は俺の方から言った。

「話は分かった。さっさと連れて行ってくれ」

 死神は顔を上げ、戸惑いの表情を浮かべた。

 彼女から目をそらし、俺は続ける。

「……今回は霊界選手権を手伝っている暇はないからな。さっさと俺を生き返らせて、元の世界に連れて行ってくれ」

 やれやれ。

 今回だけだ。今回だけ、主人公をしてやるよ。

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