木曜日
「え? なんだって?」(羽瀬川小鷹)
――『僕は友達が少ない』著:平坂読(MF文庫J)より引用。
※※※※※※※※※※
木曜日の朝のホームルームで担任が「転校生を紹介する」と言った。しかし、その言葉に続いて教室に入ってくる生徒はいなかった。
担任教師はしばらく静止した後、ハッと我に返り、教室を出て廊下を見回した。そして教壇に戻り、出席簿で肩をトントンと叩きながら、すまない、私の勘違いだったようだ……おかしいな、今日も転校生が来ると思っていたのだが……とひとりごちた。まあ、これだけ毎日転校生が来る方が普通に考えておかしいのだ。担任教師の感覚が狂って、朝の挨拶のように口をついて出てしまったのだろう。いや、待て。もしかして今日の転校生は透明人間とか、人の記憶に残らない能力者とかなんじゃないのか? すでに教室のどこかに存在しているが、俺やクラスメイト、担任教師の方が転校生を知覚できていないだけなのでは? ……と、そこまで考えたところで、俺の方がこの世界に毒されているな、と気が付いた。透明人間はどうか分からないが、仮に認識できない能力者なら、こちらにとってはいないも同じだ。気にするだけ損だろう。
気を取り直して、と口に出し、担任教師はホームルームの連絡事項に入った。今日の最大の議題は、近々行われる文化祭の実行委員決めである。立候補もしくは推薦によりクラスから四人が選出される。担任がまずは立候補を募ると、俺の左右、そして前で同時に手が上がった。紅い髪の魔王、異世界で一緒に冒険した転生ヒロイン、そしてテレパシー使いの超能力者。いずれも転校生だ。やる気があって大変結構。
しかし、あと一人は立候補では決まらず、推薦で選ぶことになった。
「はいはい! わらわは、隣の席のこの男がいいと思う!」
魔王が立候補の時と同じく、前のめりに手を上げて俺を推薦した。月曜に転校してきた日以来、特に会話もしていないのに、どうして俺を推薦するのだ。嫌がらせだろうか。
「あの……、私も、彼がいいと思います」
異世界でヒロインだった女の子も、恥ずかしそうにそう言った。彼女とも、転校してきた日に購買で冷たくあしらってから喋っていない。なんだ、魔王もこの子も、俺がすげなく扱ったことを恨んで、ここぞとばかりに復讐しているのだろうか。
「同意」
超能力者の女の子も、テレパシーでなくはっきり声に出してそう言った。
「他に推薦はいないのか? 私としても、一人は男子生徒がいた方がいいと思うし、良い人選ではないかと思う。みんなはどうだ?」
担任教師まで、俺で決定しようとしている。残りのクラスメイトたちも特に異存はないらしく、このまま俺が抵抗しなければなし崩しに決まってしまうだろう。数の暴力、無言の圧力というものは恐ろしい。
俺は、受験のために塾に通っているのでそんな時間はない、仮に選ばれても十分に協力できないだろう、それに性格的にも自分で協調性がないことを自覚しているので自信がない、ということを伝えた。すると、担任が「それこそ、協調性を身に付けるチャンスなのではないかな? それに君が思うより君は、みなに一目置かれているよ」と分かった風なことを言った。断る。勉強が忙しい。と次は強めに言った。そうすると今度は両隣から「よいではないか、高校二年の文化祭は一生に一度しかないのだぞ? 数週間の間くらい、勉強から離れてみるのもわらわは大事だと思う!」「そ、そうです! 勉強なら、良かったら私も手伝いますから。一緒にやりましょ?」と、それぞれ魔王と異世界ヒロインの子に言われた。
分かっている。これは別に嫌がらせやいじめではなく、フラグなのだ。文化祭が始まればなんらかの形で参加しなくてはならないし、参加したなら、そこで何らかの挫折を経たのちなんらかの精神的成長を果たし、さらにはヒロインたちとなんらかの絆を深めなくてはならないのだろう。望む望まないにかかわらず、だ。おそらく、ここで俺が立ち上がって教室から出ていったとしても、その間にクラスメイトによる投票などが実施され、実行委員最後の一人は結局俺になるのだろう。
断り続けても埒が明かないと判断し、俺は実行委員を引き受けた。放課後、早速第一回の文化祭実行委員会があるとのことで、魔王、異世界ヒロイン、超能力者と連れだってミーティングの行われる教室に向かった。
「あらっ! 新庶務候補じゃない? 気が変わって生徒会に入る気になったのかしら?」
教室に入ると、ちょうど入口近くに座っていたロシア人クォーターのお嬢様生徒会長にそう言われた。この間完膚なきまでに泣かされておいて、よくもまあそんな高飛車なことが言えるものだ。
「会長が認めても、私はお前を新庶務とは認めていないからな」
隣に座っていた副会長がそう言って俺を睨んだ。新庶務に就任する気はないから安心してほしい。
生徒会の連中を無視し、自分たちのクラスに割り当てられた席に座る。そうすると、今度は背中をツンツン、と突かれた。
「ねえ、なんであんたのクラス、あんた以外女子ばっかりなのよ」
振り返ると、隣のクラスに所属している幼なじみが立っていた。頬をふくらまし、憮然としている。
「しかも、あんな可愛い子ばっかり……!」
ここで難聴系鈍感サイコパス男であれば、アイツ、なんで怒ってんだ……? とでも言うのだろうが、俺は一般的な感性の持ち主なので、ああ、嫉妬しているんだな、と率直に理解した。クラスが離れてしまって寂しいけれどそれを表に出せない所謂ツンデレ系黒髪幼なじみが、アイツと文化祭で同じ実行委員になれてラッキー! って思ったら、周りがライバルだらけで嫉妬しているんだな、と率直に理解した。安心してくれ、お前も含め誰ともフラグを立てる気はない。
と、いうことは。俺はぐるりと教室を見回し、文化祭実行委員のメンバーを確かめた。一年生の席には近所に住む弓道部の女子がいて、俺に向かってパタパタと手を振っていた。声を出さずに、おにーちゃーん、と口もパクパク動かしている。だから、そんな風に呼ばれた覚えはない。三年生の席には、近所に住むバスケ部の女子がいて、俺と目が合うと、照れ臭そうに目を逸らした。それから同学年の中には、軽音部に所属する従姉妹もいた。背中にギターケースを担ぎ、だるそうに髪をいじって俺に気付いていない振りをしているが、さっきからチラチラ俺を見ていることは知っている。もちろん文化祭実行委員の担当顧問となるのは俺の担任の美人教師と、セクシーな保健室教諭だ。月曜から今日までに出会ったヒロインが勢揃いか。さすがに死神はいないらしいが。
実行委員は役割ごとに何組かに分けられ、俺の部署は公平なくじびきにより、今紹介したヒロイン全員プラス俺というメンバーになった。男女比おかしいだろ。くじびきアンバランスにもほどがある。
そして、俺とヒロインズによる文化祭企画会議が始まった。
早速魔王が発言する。
「はいはーい! わらわはロミオとジュリエットがやりたい! ……お、お主、男が一人なわけだし、ロ、ロ、ロ、ロミオにしてやっても良いぞ!」
ロミオの従者Bでいい。なんなら、照明とかでいい。
「じゃあジュリエットは私ね。相手がコイツなのが気に食わないけど、まあ、昔からの腐れ縁だし? 私くらいしか相手できないでしょ?」
そう言って、幼なじみが牽制した。
「ちょ、ちょっと待ってください……、わ、私、毒を飲むシーンに憧れがあって、えっと、だから、あの、わ、私がジュリエットでも……」
すかさず異世界ヒロインも参戦する。それにしても理由がメンヘラ過ぎないか。
「いーや、劇より音楽だ。歌なら私が歌えるし、ドラムならコイツが叩ける」
そう言って従姉妹が俺を指さす。だから、叩けない。
「ちょっと待ってください! 的当てとかはどうですか? 私、弓道部だから得意ですよ。ねっ、おにーちゃん!」
得意ジャンルを聞いてるわけじゃないし、おにーちゃんって誰だ。
「バ、バスケは!?」
却下。体育祭じゃない。
「君たち、落ち着きたまえ。そうだな、リアルお医者さんごっこなんてどうかね? フフフ」
保健室教諭が蠱惑的に笑う。お前こそ落ち着け、仮にも教師だろう。
「お待ちなさい! ここは出し物を決める場ではなく、仕事内容を決める会議! そこで私が生徒会長として仕切らせていただき、補佐にそこの男子にまずは手伝ってもらおうかしら? 力仕事もあるでしょうしねっ」
「会長、力仕事ならあんな男より私が!」
立ち上がった会長に、副会長がそう言ってから俺を睨む。オーケイ、君は百合的な視点からのライバルだが最終的には惚れてしまう枠なんだな、理解した。
(じゃあ、私も、照明)
お前は話に乗ってくるのが遅い。
「議論が活発なのは結構だが、みんなひとまずクールダウンしよう。そうだ、ただ一人の男子である彼の意見も聞いてみようじゃないか」
そう言って担任教師が俺に水を向けた時には、俺はすでにこっそりとその場を離れていた。
ふう。
悪いが帰らせてもらおう。付き合い切れない。
俺は教室に戻り、置きっぱなしだったカバンを肩にかけた。
放課後で誰もおらず、夕日が真っ赤に教室を染め上げている。最高の青春のシチュエーションだ。もしもヒロインがたった一人なら、その一人が俺を追いかけてきて、どうして抜け出しちゃうのよー、とか言うのだろう。そしてきっと良い雰囲気になって、一緒に文化祭の成功を目指し、時に挫折し、時にラッキースケベにも遭遇し、最終的に一回り大人になるのだろう。しかし、あんなにたくさんヒロインがいてはとても手に負えない。この世界では、あらゆるフラグを立てないよう、常に慎重に行動することが重要なのだ。
本当に、誰かが代わってくれるなら代わってほしい。
やれや
「やれやれ、と君は言うんだろうね」
誰かの声がした。
俺は驚き、見回したが、やはり教室には誰もいない。
「代わってほしいんなら、代わってあげようか?」
やはり、声だけがする。
もう一度ゆっくりと教室を見回すと、窓際に誰かが現れた。立っていたのではなく、浮き上がるように現れた。
「こんにちは」
男だった。夕日の逆光で顔が見えないが、どこか見覚えのある男子生徒だった。
「誰だ」
俺が聞くと、彼はこう答えた。
「今日の転校生だよ」
今日の転校生?
「君の考えは正解だったんだよ。だって、今日までは君が主人公だったんだから」
今日の転校生。俺の考え。透明人間。認識できない能力者。
そういうことか。
次は、能力バトルか。本当に、やれやれだ。
「……うーん、君さ、何か勘違いしてない?」
男は窓枠にもたれていた手を離し、ゆっくり俺に近付きながら話した。
「君、主人公らしい振る舞いを放棄して、フラグを立てずに、全部やれやれでやり過ごしてたら、何も起きないと思ってたんじゃない? でもさ、そういうやれやれ系の主人公こそ、テンプレそのものだと思わないわけ?」
こういう思わせぶりな奴も無視するに限る。そう思って俺は後ろを向き、教室から出ようとした。
「待ちなよ」
待たない。
トン、
背中に、衝撃が走った。
熱い。と思った後に膝の力が抜け、俺はその場に倒れ込んだ。それから、背中に痛みが広がった。
上から、男の声がする。
「無視すれば大丈夫って思ってた? 後ろを向いた主人公が、ぽっと出のキャラに刺されることなんてないって思ってた? 主人公だから都合の良い能力で戦って倒して、ちゃんと明日は「金曜日」が始まると思ってた?」
やばい。痛い。い、いた、いた、いたたたたたたた、うわ、なんだ、これ、血が出てるし、脂汗? みたいなのも出てる、刺された? 刺された! フツーに刺された! え? え? あ、いたい、いたいいたいいたいいたい、いたいたいたたたた、いたい、いたいよ
「主人公なら、ちゃんとヒロインは大事にしなきゃ。警告してくれてた子がいたでしょ?」
警告? あ、いたい。ああ、私は警告。無間地獄、その果ての贖罪。え? え、いたたたたた、え? これのこと? え、うわ、死ぬの? 本当に? 転生とか、そういうのもなくて、だって、え、本当にいたい、え、え、え、
「僕が代わりに、ちゃんと全部のフラグを回収して、ヒロインたちを幸せにしてあげるよ! みんながハッピーで、安心の、最高の物語だ! それこそが、ラ! ラ! ライトノベル! だから」
そう言った男の顔が見えた。
そこにあったのは、俺の顔。
「だから、安心して死ね」
ざくざくざくざくざくざくざくざく
いたいいたいたいたいたいたいたいいた
ざくざくざくざくざくざく
いたいたいいたいいいたいいたたた
いたい
※※※※※※※※※※
「お前の目に見えているものが、現実とは限らない」(セルティ・ストゥルルソン)
――『デュラララ!!』著:成田良吾(電撃文庫)より引用。
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