火曜日

「まったく、小学生は最高だぜ!!」(長谷川昴)


――『ロウきゅーぶ!』著:蒼山サグ(電撃文庫)同作品アニメ版より引用。



 ※※※※※※※※※※


 火曜日の朝のホームルームで担任が「転校生を紹介する」と言ったが、俺は寝不足だったのでほとんど聞いていなかった。昨日の下校途中に異世界転生してしまい、一年かけて地下九十九階まであるダンジョンを攻略し、こちらの世界に戻ってきたところなのだ。戻ってきたら自宅のベッドの上で、半日ほどしか時間は経っていなかった。心身とも非常に疲れていたのでそのまま寝直したが、その時点で早朝の四時。七時には母に起こされ、いつも通り登校した。ゆえにとても眠い。できれば毎日九時間は寝たいタイプの俺にはきつい。

 転校生が入ってきて、その見目麗しさに教室がざわついたが、俺にはそのざわめきは心地良いノイズに感じられますます眠くなった。かろうじて転校生がロングヘア―の女の子ということは分かった。うとうとしているうちに転校生の自己紹介は終わり、転校生はたまたま俺の隣の席になったようで、俺が寝ているのも構わずに話しかけてきた。

「……また、逢えたね」

 うるさい。眠いんだ、寝かせてくれ。

「こっちの世界でも会えるって、ずっと思ってた」

 うん、分かった、後で聞くから……。そのまま俺は眠りに落ち、俺は午前の授業をほぼぶっ通しで熟睡した。

 すっきりと目が覚め、ちょうど昼休みだったので購買にパンを買いに行った。パンを買って教室に戻ろうとすると、何者かに後ろから制服の袖をつかまれた。振り返ると今朝の転校生だった。

「やっと捕まえた! 授業が終わったらすぐに出ていっちゃうんだもん。そんなに照れなくてもいいのに」

 ああ、忘れていた。別に照れてはいないが、忘れていたのは少し悪かったかなと思った。

「なんだか、こっちで普通の高校生として会うと不思議な感じだね」

 転校生はそう言ってはにかみ、それを見て俺はようやく彼女が誰だか思い出した。昨日転生した異世界で出会ったヒロインだ。しかし、異世界でともに冒険したヒロインとこちらの世界で再会することはそう珍しくはないので、俺にとっては不思議な感じというより、あ、昨日はどうも、くらいの感じだった。

「地下七十七階で死んじゃった時は、もう本当にダメだと思ったよ」

 死んだ時はダメだと思う暇もないと思うのだが。

「でも、地下九十五階にあったクリスタルで、まさか私を生き返らせてくれるなんて……。本当にありがとう」

 異世界転生では当たり前のことをしたまでだし、そこまで感謝されても逆に戸惑う。それにしても、いちいち階数とかよく覚えているな、この転校生。

「こっちの世界でまた逢えるなんて、本当に奇跡みたい」

 うっとりと語る転校生を見て、面倒だと感じた。おそらく彼女は、思い込みの激しいメンヘラタイプか、もしくは昨日初めて転生を体験したのではないだろうか。初めての転生の際には、異世界で出会った冒険者仲間に対し強い親愛の情を抱きがちだ。そのため元の世界に戻ってもその相手を探したり、ひどい場合にはストーキングに及んでしまったりする場合もある。転生を日常的に体験するようになれば相手と適切な距離を保てるようになるのだが、慣れるまでは転生のたびに「運命の出会いだ!」と思ってしまう人も少なくない。

 中にはその感情を利用して、転生初心者の異性を狙い、冒険後にこちらの世界で意図的に再会を演出して惚れさせ、その挙句性的に弄ぶ「異世界セフレ詐欺」や、恋愛感情を覚えさせた後で金銭を騙し取る「異世界美人局」というものもある。この転校生なんか、一発で異世界セフレ詐欺にひっかかりそうだ。いや待て、それともこの転校生が初心者を装った異世界美人局かもしれない。

 どうしたものか。冷静に、異世界での人間関係はこちらに持ち込まない主義であることを伝えるべきだろうか。毅然と伝えれば、異世界美人局ならそれで引き下がるだろう。しかし、もしも単純にこの転校生が転生初心者だったりメンヘラだったりした場合、余計に想いに火が点いて、ストーキングなどをされてしまうかもしれない。その場合は、あなたの感情は異世界転生初心者にありがちな錯覚的な恋愛感情ですよ、と伝えるべきなのか? それこそ火に油か? それに、昨日一緒に異世界を救っただけの他人に、そこまで懇切丁寧に説明する義理もないような気もする。

 結局、俺は「異世界とこっちの人間関係は分けるタイプなので……」とだけ伝えて頭を下げ、足早にその場を離れた。転校生がこれでストーキングなどをしてきたらその時はその時だ。無視し続ければ、俺が諭さなくても周りの女友達あたりが「それ、異世界転生初心者にありがちな疑似恋愛だよ~、目を覚ましなって~」と彼女を慰め説得してくれるだろう。

 教室に戻るとまた転校生に捕まるかもしれないので、中庭でパンを食べることにした。すると、近所に住む一学年上の女生徒が通りがかり、俺の顔を見るなり、折り入った話があるのだが力を貸してくれないかと声をかけてきた。せめてパンを食べ終わるまで待ってほしかったが、彼女は構うことなく俺の隣に座って話し始めた。バスケットボール部に所属しているのだが、今度の大会で優勝しないと廃部になってしまう。そこで力を貸してほしいのだという。しかし俺は特に運動が得意なわけではないし、第一、女子バスケ部にどうやって助っ人をしろというのか。性転換でもしろというのか。たかが部活動のために。数日間コーチとして特訓をつけてくれるだけでいいんだ、幼い頃よく遊んだ仲じゃないかと言われたが、それほど親しかった覚えはない。それに、数日の特訓で優勝できるなら苦労しないだろう。しかし彼女は引き下がらず、小学生の頃に公園で遊んだ時、君がバスケの楽しさを私に教えてくれたんだ、だから今の私があるんだ、と熱をもって語られたが本当に記憶にない。人違いではないだろうか。繰り返し「無理だ」と伝えたのだが、結局彼女は「分かった。でも良かったら放課後に練習だけでも見に来てほしい」と言い残して去っていった。だから無理だって。

 やっと落ち着いてパンが食べられると思ったら、今度は近所に住む一学年下の女生徒が通りがかり、弓道部が今度の大会で優勝しないと廃部になっちゃうの、力を貸して! おにーちゃん! と言ってきた。学校でそう呼ぶのはやめてほしいし、そもそもそんな呼ばれ方をするほど親しかった覚えはない。彼女にもすげなく「無理だ」と繰り返したが、結局彼女も「分かった。だけど、がんばってる姿を一度でいいから、おにーちゃんにみてほしいんだ。練習だけでも放課後に見に来て。私、待ってるから!」と言われた。行く気はない。そして俺はお前の兄じゃない。

 今度こそパンを食べようと思ったら次は同学年の従姉妹が通りがかり、コンテストで優勝しないと軽音部が廃部になってしまう、ドラムを叩いてほしいと言われた。たとえタンバリンでも断る! 楽器なんてやったことがない! と答えたが、「分かった。だけどせめて私の歌を聞いてから決めてほしい。放課後、音楽室に来て」と言われた。従姉妹の歌は昔、親戚でカラオケに行った時に聴いたことがあるが、お世辞にも上手いとは言えなかった。行くまでもない。

 その後も、通りかかる微妙に知り合いくらいの間柄の女生徒に、次々と部活を手伝ってほしいと言われた。もう全部廃部にしたらいいと思う。

 ひとりの話を聞くたびに一個パンを食べるペースだったが、何故か話を聞いた後は腹にたまった感じがせず、俺は話のたびに新たにパンをビニール袋から取り出して食べた。ビニール袋の中のパンはいつまでもなくならず、俺はのべ二十個以上のパンを食べ、紙パックのコーヒー牛乳を二十本以上飲んだ。パン、廃部、コーヒー牛乳、パン、廃部、パン。パン、廃部、コーヒー牛乳、廃部、廃部、コーヒー牛乳。パンパン廃部、コーヒー牛乳、パン、廃部。パン、とみせかけて廃部、からのコーヒー牛乳。

 パンパン廃部! パン廃部! コーヒー牛乳パン廃部! パン廃パン廃コココヒー! ツタカンタンタンスタタンタン! パンパンコーヒー! ハイギュウニュウ! パンパン廃部! パン廃部!!

「そのリズム感! 私の目に狂いはなかった!」

 従姉妹が走り戻ってきてそう叫んだが、無視した。

 放課後になり、俺はまっすぐ下駄箱に向かった。今日は担任からの呼び出しも生徒会による投網トラップもなかった。体育館にもグラウンドにも部活棟にも近付かないよう注意を払い、俺は校門をくぐった。交差点でも、トラックが突っ込んでこないか確認した。仮にトラックが突っ込んできても大丈夫なように、俺は車道から距離をとって信号を待った。あらゆるフラグを立てないよう、常に慎重に行動することがこの世界では重要なのだ。

 その時、俺の目の前でボールが弾み、車道へと転がっていった。

 ポーン、ポーン、と跳ねるボールを追って、まだ幼稚園くらいの幼子おさなごがおぼつかない足取りで進む。幼子の目にはボール以外映っていないようだ。

 振り返ると、母親と思しき女性は友人と話し込んでいる。見上げると、信号はまだ赤のまま。正面に目をやると、乗用車とトラックが行き交う車道に、ボールと幼子が吸い込まれていく。

 あらゆるフラグを立てないよう、常に慎重に行動することがこの世界では重要だ。

 そうは分かっていても、体が先に動く時があるし、動くべき時がある。

 俺は迷わず飛び出して、幼子をつかまえた。そして彼を歩道に引き戻し、すぐに自分も戻ろうとした。幼子と俺に気が付いたトラックが急ブレーキをかけた。

 瞬間、景色がスローモーションになり、轟音が響いた。

 衝撃を受けた俺の体が宙に舞った。


 目が覚めると、俺は俺を俯瞰していた。

 トラックに撥ねられた俺の体の周りに、人だかりができていた。幼子は泣いていたがケガはなかったようで、母親に抱かれていた。母親も泣いているようだ。トラックの運転手は何事かを叫んでいて、近くにいたサラリーマンが電話で救急車を呼んでいた。ほどなくして救急車のサイレンが聞こえてきた。

 実体のなくなった俺は透き通り、空に浮かんでいた。

 どうしたものかと考えていると、さらに高い空の上から、身の丈より大きな鎌を持ったゴスロリ美少女がやってきてこう言った。

「お願い、力を貸して! 今度の霊界選手権で優勝しないと死神部が廃部になってしまうの! 優勝したら、特例としてあなたを生き返らせてあげるわ! 悪い話じゃないでしょう?」

 無理だ、と言うわけにもいかないか。

 やれやれ。

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