部下になる才能

世界の広がりに適応すべし

mission1 上司を上司と思うなかれ

 週末に更新と言っておきながら、予定外の反響に筆が進みました。

 いえ正直に申し上げますと、本当は連載中の現代ファンタジーの執筆に行き詰り、こうして逃げて来たというのが本音だったりします(笑)


 さてさて表題の件です。


「上司を上司と思うなかれ」


 履き違えると大変な言葉です。


 上司を上司と思うな。


 これは、上司を『上司という職業』だと思うな、という意味です。

 上司である以上に、人間であるという認識から入りましょう、という事です。


 新入社員が二十二歳だとします。

 その教育担当者が四十二歳だとします。


 年齢差二十歳、まずここに注目すべきです。

 二十二歳の新入社員にしてみれば、二歳児に何かを教えるのと同じ状況になっているという事を、教育を受ける側が先ずは認識しておく。


 これが『部下になる才能』の第一条件です。


 社会に出ると、自分を取り巻く人の年齢の幅が急激に広がりを見せます。

 同じ組織に属し、同じ仕事に取り組むという現実を前に、どこかその年齢差に対する意識が薄れてしまいます。


 これは「目上の人として扱え」と言っているわけでもありません。

 四十二歳の上司から見た二十二歳は、二十二歳から見た二歳児と変わらないという事を認識しなさい、という事です。


 その程度にしか見られていない自分が、どうやって認めてもらうのか。

 それは一朝一夕にどうにか出来る問題ではありません。


 自分は十分に大人になったつもりでも、二歳児程度にしか見られていないのです。


 表現としては若干大袈裟だと、著者自身がそう思うので、読者の皆様も「大袈裟な」と思うことでしょう。

 ですがそれでいいのです。

 大袈裟だなと思いながら、話半分程度に認識しておいてください。年の離れた上司や同僚との会話に変化が起こるはずです。



 ここでもう少し幅を狭めます。


 自分より十、年下を思い浮かべて下さい。

 二十代の皆さんから見た中高生、まだまだ子供じゃないでしょうか。

 これは三十代であろうと四十代であろうと、それこそ五十代であろうと、十個年下だと「まだまだ若いな」と感じる事が多いようなのです。


 即ち、年上の上司の目から見た時、その年齢差に応じて「侮られる」という現実がそこに存在します。それが自然な事であり、当たり前の事であるから理不尽だと思うなかれ、という実体を簡潔に「上司を上司と思うなかれ」と表現しました。


 媚びろとか、ご機嫌伺いをしろ、と言っているわけではありません。

 ただ自然に年上として、極々自然なそこに在る年齢差を受け入れ、先ずは人として先輩であるという現実をよく解釈し、その上で仕事上は「上司」である。


 ともすると先に「上司」が来て、後から「年齢差」という事に気が付く。

 それでは遅いのです。


 社会人経験が長くなれば年下の上司という存在に出会う事もあるでしょう。

 その場合も同じです。

 自分が十個も上であれば、年下の上司からまずは年齢差で見られる。


 即ち、この部下は自分より十も年上であるにも関わらず、こんな事も出来ないのか。

 そう厳しい目で見られる事をよく理解しておくべきなのです。


 上司を上司と思うなかれ。


 先ずは人としての関係性がそこにあり、上司と部下の関係はその上に成り立っているという事をよくよく自覚しましょう。


 次回は明日更新。

 同じく「部下になる才能」をご紹介します。


 

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