第17話 17話
俺とフミさんが特別室から出ると、レストランから乗客や乗務員の姿が消えていた。リセルも後についてきている。
レストランは驚くほど静まり返っていたが、エントランスから騒がしい声が聞こえてくる。
嫌な予感しかしない。
「はい、次! 痛いのは一瞬だけだから我慢してくださいね!」
エントランスでは、ナナとエミさんの前に2列の列ができていて、サキさんが誘導している。
「こら、そこのおじさん! 逃げちゃダメ!」
ミキは聖者たちが逃げないように見張っていて、逃げようとする聖者を容赦なく投げ飛ばして、強制的に並ばせていた。
ナナとエミさんは、まるでアイドルの握手会のように、聖者たちを次々と往復ビンタしている。
「な、何をしているんですか!」
俺が詰め寄ると、
「いくらデラックススイートルームでも、何時間も閉じこもっているのは我慢できないみたいで……ナナがこの船を占拠すると言い出して、それで私たちも……」
とサキさんが説明する。
「せ、占拠って……」
ナナとエミさんに往復ビンタをされて、聖者から悪人に戻った者たちが、ところどころでケンカを始めている。
フミさんはこのことも見えていたのか? まるで驚く様子がない。
「これは素晴らしい。どんどん悪人を増やしてください」
リセルは両手を広げて大げさに喜ぶ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ、こんなのダメだ……。
「やめろーーーーー!!」
俺が大声で叫ぶと、ナナとエミさんの手が止まる。
「悪人は、悪人は……滅びるべきなんだーーー!! 聖者の皆さん、悪人どもを聖者にしてください!」
ナナ達も聖者たちもきょとんとしている。
「早く!!」
俺が再度叫ぶと、ようやく聖者たちが動き出す。悪人どもは慌てて逃げ出すが、この船の中では逃げ場はない。
聖者たちは、ナナ達にも迫って行くが、次々と撃退されてしまう。
「タクマ、何があった?」
ナナに尋ねられ、俺はもうすぐ悪人パンデミックが発生することを説明する。
「今、世界は聖者だらけで確かに異様だよ。でも、悪人だらけになってしまうよりは、ずっとましに決まっている。俺は自分のことばかり考えて、悪人のままでいようとしたけど、もう聖者になるって決めたんだ」
「結婚して、気でも狂ったか?」
ナナは何かを疑っているようだった。気配を察すると、背後に迫っていた聖者から杖を奪い、その杖を使って殴り倒す。相変わらず老人に対しても容赦ない。
「まったく、これじゃきりがないわ」
エミさんは聖者を手刀で倒すと、他の聖者に頭をなでられないように、素早くバック転で避ける。
ミキもサキさんも、迫って来る聖者を次々と撃退していたが、呼吸は明らかに乱れてきていた。
「行きますよ」
いつの間にか、フミさんがエレベーターを止めて、中で待っていた。
リセルも一緒にいる。
「よし、あれに乗るぞ!」
ナナがそう言うと、エミさんもミキもサキさんもエレベーターに向かう。
聖者たちがその邪魔をしようとすると、
「お下がりください」
とフミさんが手の平を前に出して、聖者たちを吹き飛ばした。
「何なの、今の?」
エミさんが珍しく素の表情で驚いていた。
フミさんは、“見る力”だけではなく、“操る力”にも目覚め始めているのだ。フミさんと出会った時、スタンダードルームで、ドレッドヘアーの少年が部屋を出て行って二人きりになったのも偶然ではなかったのだ。フミさんが、少年を出て行かせていたのだ。
「……行くぞ」
ナナは一瞬だけ立ち止まると、またエレベーターに向かって走り出す。それを見て、エミさんもサキさんもエレベーターに向かって走り出す。
ミキだけは立ち止まったままだった。
「ミキ、早く行くわよ」
サキさんが呼びかけても返事をしない。
何か様子が変だ。俺はミキのもとに駆け寄る。
「どうしたんだ、ミキ……」
ミキは一点だけを見つめていた。
その視線の先には、アジア系の少女がいた。
「知り合いなのか?」
「知り合いもなにも、私がオリンピックで負けた相手よ……」
ミキはそう言って、アジア系の少女を睨みつける。
アジア系の少女は聖者らしく頬笑みを浮かべている。
「なにがおかしいのよ! へらへらしやがって! うぉーーー!」
ミキはアジア系の少女に向かって駆け出す。
「ヤ、ヤメテクダサイ」
アジア系の少女がそう言っても、ミキは構わずに胸倉と腕を掴んで投げ飛ばす。
「早く立ちなさいよ。本気で勝負しましょう」
「イヤデス。ワタシハ、モウタタカイマセン」
「はあ? 何言っているのよ! もう家族の心配をしないで思いきり闘えるでしょ!」
「スミマセン。アノトキハ、ウソヲツイテイマシタ。ホントウハ、カゾクハブジデシタ。スミマセン。ユルシテクダサイ」
アジア系の少女はミキに土下座して謝罪をする。
ミキの拳が怒りで震えている。頬から涙がポタッとこぼれる。
「ふ、ふざけないでよ。私が金メダルを目指してどんな思いで練習していたのかあなたわかっているの! ごめんですまされるのは聖者だけよ!」
ミキはアジア系の少女の髪を鷲掴みにして顔を上げると、思いきりビンタしようとするが、
「やめておけ。痛い思いをするのはお前の方だ」
とナナに腕を掴まれて止められる。
「ナナ様……」
ミキはできる限り堪えていた涙を解放する。
ドカッ!
「ウッ……」
ナナはアジア系の少女のお腹を思いきり蹴ると、顔を踏みつけた。
「聖者になったからって、許されると思うなよ! お前がこの豪華客船に乗っていられるのも、卑怯な手で金メダルをとったおかげだろうが! このくされ外道め!」
ナナはさらに杖で、アジア系の少女を叩こうとするが、杖が突然折れる。
「まったく、やっかいな嫁をもらったもんだな、タクマ……」
ナナの視線の先には、手の平をこちらに向けているフミさんがいた。
そして、フミさんが手招きする仕草をすると、俺たちの体は宙に浮いて、エレベーターの中にビュッと移動する。
「それでは参りましょう」
フミさんは、エレベーターに俺とナナとエミさんとミキとサキさんを入れると、閉じるのボタンを押す。
「ちょ、ちょっとフミさん、こいつも一緒に連れて行くのですか?」
エレベーターの中にはリセルが当然のように乗っていた。
「俺は聖者になると決めましたが、こいつのことはどうも信じられないというか……」
「怖いのですね」
フミさんにそう言われ、俺は素直に頷く。
「タクマさん、私も同じです。リセルを先ほどからエレベーターから出そうとしているのですが、上手くいきません。私の力はまだ大神聖者には効かないようです」
チンッ。エレベーターのドアが閉まり、上昇して行く。
5階、8階、14階、最上階についてもエレベーターは曲がりくねりながら上昇して、スポッと何かから抜けるような感覚がしてようやく止まる。
チンッ。エレベーターのドアが開くと、水平線が広がっていた。
「ここって、どこ……」
俺がエレベーターから降りようとすると、ナナが襟首を掴んで止める。
「バカ、下を見てみろ」
エレベーターは煙突の上に止まっていた。ナナに止められなかったら、十数メートル下まで真っ逆さまだった。
「でも、どうしてここに……」
俺が疑問に思っていると、
「カーキャン! カーキャン!」
と懐かしい鳴き声が聞こえて来た。
そして、眩しかった日差しが、突如何かに遮られ、日陰になる。
俺がエレベーターから顔を出して上を見上げると、300mはあるこの豪華客船よりも大きくなったブラッカがいた。
「これは随分と成長したものだな」
ナナ達も顔を出して見上げている。
「せ、成長って、大きくなりすぎでしょ!」
「タクマ殿、これくらいで驚かれては困ります。異世界からは、もっと大きな種族もやって来るのです。早く慣れてください」
リセルは平然としていた。
「では、参りましょう」
フミさんはそう言って、自分の体を浮かせてエレベーターから出ると、俺たちの体も浮かせて、フュッとブラッカの背中まで飛んで行く。
「すっごい、フカフカ! 雲のベッドで寝ているみたーい!」
エミさんがブラッカの背中で寝転がる。
「どれどれー」
「エイッ」
サキさんとミキも思いきりダイブする。
ミキも少しは元気を取り戻したようだった。
俺はブラッカの背中を優しくなでる。
「久しぶり、ブラッカ。元気だったみたいだな」
「カーキャン!」
体の大きさには似合わないほど、ブラッカは相変わらずかわいい鳴き声をしていた。
「よし、ブラッカ、悪人どもが乗った貨物船まで連れて行ってくれ!」
「カーキャン!」
貨物船に追いついて、フミさんに悪人どもを聖者にしてもらい、悪人パンデミックを防いで見せるのだ。リセルも手出しできないだろう。
と思っていたら、海中からこれまた巨大なウツボが顔を出し、リセルがそのウツボに飛び乗る。
「ご紹介しましょう。私のペットのマリアです」
「ぺ、ペットって、デカすぎるでしょう」
「おや、お互い様だと思いますがね。このマリアは異世界のドラゴン、正確には竜とかけあわせた試作種なので飛行も可能です。私たちの計画の邪魔はさせませんよ」
リセルは本気で悪人パンデミックを起こす気のようだ。
「これも見えていたのか?」
ナナがフミさんに尋ねる。
「……いえ、私が見えていたものと違います。どうやら、リセルはこの未来を隠していたようで……私が見たのは……違う竜……」
突然、フミさんが意識を失う。
「フ、フミさん!」
俺は慌ててフミさんを抱きかかえる。
「どうやら、目覚めたばかりの力を使いすぎたようですね」
サキさんがサッと駆け寄り、フミさんの脈をとる。
「安静にすれば大丈夫かと思います。あくまで、普通の人間の場合の話ですけど……」
「フミさんは、バケモノではありません!」
俺は思わず声を荒げてしまった。
「ご、ごめんなさい」
サキさんが謝る。
「別にサキさんが謝ることは……」
とミキが言う。
その通りだ。フミさんのことを、バケモノと呼んだのは今の俺だけだ。サキさんはそんなことは言っていない。
「フミ様のことを、よりによってバケモノ呼ばわりするとは……。タクマ殿、やはりフミ様は返していただきますよ」
リセルがそう言うと、ウツボ竜のマリアが海中から完全に姿を現し、ブラッカの前で浮遊する。鋭い牙を見せて威嚇している。
「カーキャン! カーキャン!」
ブラッカも負けじと吠えるが、鳴き声がかわいすぎて迫力はない。
「行け! マリア!」
リセルが命じると、ウツボ竜のマリアが、ブラッカのクビに噛みつこうとする。
ブラッカはススーッと体を縮小させ始め、俺たちが背中に乗れるくらいの大きさになり、マリアの攻撃を回避する。
「体の大きさをコントロールできるのか。大したものだ」
ナナに褒められるなんて、ブラッカが羨ましく思えた。
「なんだよ、だったら最初からこの大きさで来ればよかったのに。バカデカくて、驚いただろうが」
「タクマ様は相変わらず察しが悪いですね」
ミキがため息をつく。『タクマ様』という呼び方でごまかされるが、ミキも結構俺に毒づいている。
「飼い主に、成長した姿を見てほしかったのですよ」
エミさんがそう教えてくれる。
「なるほど、そういうことか。ブラッカ、悪かったな、文句言ったりして」
「カーキャン!」
良かった。これくらいの大きさなら、頭をなでたりして、かわいがることができる。
ブラッカの背中をさすっていると、大きな牙が真横に現れる。
マリアの牙で、上を見ると、ギョロっとした大きな目と目が合う。
「タクマ殿、逃がしませんよ」
マリアの頭の上に乗ったリセルがそう言う。
すると、前方から黒く巨大な飛行体が近づいて来る。まるで竜のようなその飛行体は、リセルとマリアの方へ突っ込んで来た。
「カーカーカー」
それはおびただしい数のカラスの群れだった。
リセルとマリアの周りを旋回し、視界を遮る。
「カーキャン! カーキャン!」
ブラッカはその隙に、一気に速度を上げて、リセルとマリアから逃げ去って行く。
フミさんが見た竜とは、あのカラスたちのことだったのか。
俺はフミさんが落ちてしまわないようにしっかりと抱きかかえる。サキさんもそれを手伝ってくれた。
「最っ高! ジェットコースターより気持ちイイ!」
そう言っているエミさんの胸が風で大きく揺れる。
「何、ニヤついているんだ。嫁さんにチクッてやるぞ!」
「痛ッ!」
ナナが俺にげん骨をする。
「タクマ様、聖者とか悪人とか関係なく、不倫する男は女の敵です。妙なことしたら許しませんからね」
ミキがそう言って、古典的に指の骨を鳴らす。
「あら、私は既婚者の男性は大好物ですけど」
サキさんはそう言うと、胸の谷間を俺に近づける。
ゴクッ。思わず唾を飲むと、
「痛ッ! 痛ッ!」
ナナに再びげん骨をされ、ミキに目を突かれる。
「確かに人のものになると、不思議と魅力的に見えることありますよね」
エミさんまでそんなことを言い出す。
「黙っていろ、おばさんども」
ナナがそう言うと、ナナとミキ対、エミさんとサキさんの視線がバチバチとぶつかる。
こんなに気持ちのいい飛行中でも、いざこざが起こるとは……。やはり、この機会に悪人は全員、聖者になった方がいいのだ。
一刻も早くキヨシたちの貨物船に追いつき、悪人パンデミックを食い止めるのだ。
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