第14話 試作種の……

「はい、どうぞ」

 あらかた片付けると、折れた脚のかわりにポットを使ったテーブルの上に、フミがお茶を並べる。

 俺たちは生地が裂けたソファーに座り、それをいただく。

「あ、ありがとう」

 ナナがかしこまっている。

「クックックッ」

 俺がほくそ笑んでいると、

「何がおもしろい!」

とナナに睨まれてしまう。

「ナナさん、かわいい顔が台無しですよ」

 フミがそう注意すると、

「す、すみません」

とナナが謝る。

 無敵だ。フミがいれば、俺は無敵だ。

「タクマさんに、こんな素敵な奥様がいたなんてまったく知りませんでしたわ。タクマさんも言ってくれたらよかったのに。おふたりはどこで知り合われたのですか?」

 完全に猫をかぶった状態のエミさんが尋ねる。

「今日、初めてお会いしました」

「うん、そうなんだ」

「えっ、今日は初めて会うって……」

 ミキがまったく理解できないといった顔で驚いている。それは、ナナもエミさんもサキさんも同じだった。

「本当は病院にお見舞いに行きたかったのですが、許可がでなくて……」

 フミがそう言うと、

「ああ、確かに毎日面会を申し込んでいる女性がいると病院で聞いたことがあります」

とサキさんが教えてくれる。

 なんて健気な……。フミさんをお嫁さんにできるなんて、俺は世界一の幸せ者だ。

「皆様にご挨拶できて嬉しかったですわ。それではあなた……」

 フミが俺の目にサインを送る。

「そ、そうだな。そろそろ戻るか……」

 俺とフミが席を立つと、

「フミさん、タクマ様に変なことされないように気をつけてくださいね」

とミキが真顔で忠告する。

「フフッ」

 フミが愉快そうに笑う。

「ミキ、変なことって、お二人はもう夫婦なんだから」

とサキさんが言う。

「そ、そうですね」

 ミキが恥ずかしそうに頬を赤くする。

「それに、私はそのためにこの船に乗ることにしたのですから」

 フミがそう言うと、

「そのためとは?」

とナナがくいつく。

「タクマさんの子を身ごもるためです」

 ププーッとエミさんがお茶を噴き出す。

「さあ、あなた、行きましょう」

「うん」

 俺とフミは手をつなぐ。なんて暖かい手なんだろう。

「一つ聞きたいことがある」

「なんだよナナ、邪魔するな」

「どうしてタクマがこの船に乗ることを知っていたんだ?」

 ナナにそう尋ねられると、フミが黙り込む。

「そうそう、私もそれが不思議だったのよ」

 エミさんがそう言うと、ミキとサキさんも頷く。

「まさか、タクマ。お前、そのことをフミさんに聞いていないのか?」

 ナナにそう言われ、俺の目は思わず泳ぐ。浮かれ過ぎで、そんなこと考えてもいなかった。それに今思えば、スタンダードルームのカギは閉まっていたはずだ。フミはどうやって中に入ったのだろう?

 全員の視線がフミに集まる。

 エミさんは髪留めに手を伸ばしている。フミに手を出そうとしたら、俺が許さないぞ。

「実は私……」

 全員が息を飲んで、フミの言葉の続きを待つ。

「実は私、神、なんです」

「えっ、ええーーー!」

 驚いたのは俺だけだった。

「ねえ、今の笑うところなのかしら」

「た、たぶん」

 サキさんとエミさんがそう小声で話すと、

「アハハハッ、アハハハッ」

 ナナとミキが気をつかって笑う。

「……冗談ではありません。ナナさんは、8歳までおねしょしていました。エミさんはこの客船の大富豪とあわよくば結婚するチャンスはないかと考えています。ミキさんはオリンピックの決勝でわざと負けたことを今でも本当は後悔しています。サキさんは胸の大きさでエミさんに負けていることが悔しくて豊胸手術を考えています」

 フミがそう言うと、ナナ達の表情が青ざめる。どうやら全部当たっているようだ。もちろん、ナナが8歳までおねしょしていたことは俺も知っている。

「まさか、そんなことが……」

 エミさんはそう言うと、髪留めに伸ばしていた手を、膝上に戻した。

「神、と言っても試作種の神です。私も“再教育”を受けて、あらゆるものが見えるようになってしまったのです」

 フミは、なってしまった、と言った。望んでいたことではないのだ。

「そして、間引きの対象も私が決めることになって……」

「えっ?」

 驚く俺を見て、

「タクマさん、あの時は本当にごめんなさい」

とフミが謝る。

「私、どうやって、間引きの対象を決めたらいいのかよくわからなくて……、それで何も考えないで、心の目で顔は見ないようにして、適当に決めていたのです。本当にごめんなさい」

 フミはそう言って泣き崩れる。

 俺はすぐにフミを抱きしめる。どんなに苦しかったことだろう。そんなことを任されるなんて……。どんなに自分を責めたことだろう。

「もう大丈夫。大丈夫だよ」

「ありがとう、あなた……」

 フミが少し落ち着きを取り戻す。

「……それで、私は自分が間引きの対象にしたタクマさんが、“再教育”されることを知って、私みたいになってしまわないように助けようとしたのですが……、まだ人を操ったりする力はないので……」

「まだってことは……」

 ナナが尋ねると、

「はい、いつかその力も開花するかもしれないと再教育者たちが言っていました」

とフミが答える。

「ちょっと待って! フミ、もしかして“再教育”のこと覚えているの? ねえ、フミ、覚えているのかい?」

「痛い……」

「ご、ごめん」

 俺は思わずフミの肩を強く掴みすぎていた。

「覚えているというより、後で自分がされた“再教育”を見たのです」

「いったい、何をされたの? あっ、思い出したくないことだったら言わなくていいからね」

「大丈夫です。それにタクマさんにはお話しするべきだと思っていました。ごめんなさい、私ったら、子作りのことばかり考えてしまって……」

 なんだかとてもグッとくる言葉が含まれていたが、今は“再教育”のことを聞くことに集中する。

「私が今から言うことはただの言葉です。実際に行われる“再教育”は、とても言葉で表せるものではありません」

 フミのその言葉に、全員が恐怖を感じていた。

「世界中の戦争で怒った惨劇を、“再教育”では実際に体験させられます。食事も与えられない方がましというくらいひどいもので、捕虜になった兵士が食べていた……とんでもないものを……」

 フミが思わず嗚咽する。

「だ、誰か水を……」

 俺がそう言うと、エミさんがサッと動いて、水を取って来てくれる。

「フミ、これをゆっくり飲んで……」

「あ、ありがとうございます」

 水を受け取るフミの手が震えている。フミは水には手を付けず、

「あそこでは、人間の悪の部分を徹底的に見せられ、脳と体にその恐怖を植えつけられるのです。そして、善良な心を育てる薬を処方して、より聖者度の高い聖者をつくりだしているのです」

 フミは真実を語っている。“再教育”という言葉を聞いて、俺の体も震えていた。

「あなた、大丈夫ですか? こんなに震えて……」

 俺より何倍も辛い思いをしているはずなのに、俺の心配をするなんて……。

「ごめん、頼りない夫でごめん。でも、俺、強くなるから。フミのために強くなるから」

 俺が柄にもなくそう言ってフミの手を強く握りしめると、

「フフッ」

とフミが笑う。

「タクマさんはタクマさんのままでいてください。私はタクマさんのことを全部知っています。そして、タクマさんのことが好きになったのです。再教育者から結婚の話が届いた時は本当に嬉しかったです。両親もとても喜んでくれたのですよ」

 俺の全部を知って、好きになった? 誰にも解けない謎が地球上に誕生してしまった。

「早く孫の顔が見たいと言って、もう大変なんです」

 ああ、それで子作りに積極的だったのか。優しくて、健気で、両親想いで、フミは完璧な女性だ。あれっ、待てよ、完璧な女性……、こんなに完璧な女性が世の中に存在するのか?

「タクマ、フミさんから離れろ」

 ナナが強い口調で言う。

「えっ?」

 ナナ達の方に目をやると、全員立ち上がって、身構えていた。

「ナナ、エミさん、ミキ、サキさん、何をする気なんだ?」

「完璧すぎるんだ」

 ナナがそう言うと、

「私たちは同性だからよくわかります」

とエミさんが言う。

「私もいろんな大会でいろんな国に行きましたが、こんな女性に会ったことはありません」

とミキも言う。

「残念だけど、フミさんは……自我をなくしているようです。他の聖者たちとは違い、完全に自我を奪われてしまったのね……。病院で同じような聖者たちを見て来たけど、ここまで自我を奪われてしまった聖者はいなかったわ」

 サキさんが切なそうに言う。

 俺はフミの前に立ち塞がる。

「何を言っているんだよ! フミは、フミは、とても辛い思いをしてきたんだ! これ以上、フミに辛い思いをさせようとしているんだったら、俺は絶対に許さないぞ!」

「どけ、タクマ、お前は自分の弱さを自覚しているだろ」

「ナナ、俺だって男だ。確かにお前たちには勝てないかもしれないけど、ボロボロになってでも大切な人は守ってみせる」

「タクマさん……。大丈夫です。手荒なことはしませんから。ただ、私たちはフミさんを自由にさせることに脅威を感じているだけなのです」

「エミさんの言う通りです、タクマ様。今までの聖者や、神聖者セブンとはわけが違います。フミさんは、たった一人で世界を変えられるようになるかもしれません。そのために、完璧な聖者にされてしまっているのです」

「まだ力が完全ではない今のうちに捕まえることができれば、私たちでフミさんを助けられるかもしれない。フミさんに自我を戻すことができるかもしれないの。タクマさん、フミさんのことが本当に好きなら、よく考えてみて」

 ナナ達がフミのことを恐れているだけでなく、心配していることはよくわかった。でも……。フミが俺の背中にしがみつく。

「助けて、タクマさん……」

 俺はフミの手を握ると、ドアを開けて、外に駆け出した。


「待て、タクマ! 今の助けては……」

 呼びとめるナナの声が聞こえたが、俺は無視をして走り続けた。

そして、スタンダードルームを目指したが、階段を降りたところで、ただならぬオーラを放っている聖者と出くわした。

 細身で背が高く、白いタキシードで身を包んだ20代前半くらいの男だった。どこかであったことがあるような……。

「これはこれはフミ様。どうしてここにおられるのですか?」

 その男を見て、フミがひどく怯えていた。俺もその男を見てゾッとした。思いだしたぞ、こいつは……。

「フミ、この男は……」

「さ、再教育者で、大神聖者のリセルです……」

「初めまして、タクマ殿。私は残念でなりません。せっかく、大神聖者の仲間ができたと思ったのですが、また悪人に戻られてしまったようですね。また大神聖者になれるといいのですが……。まあ、立ち話もなんですので、3人でご一緒にお食事はいかがですか? 私は、自分の望みさえ叶えば、他のことは気にしないたちなので、ご安心ください」

 つまり、俺がいうことを聞けば、ナナ達には手を出さないということか……。

「わかった。フミさん、俺が絶対に守ってみせるから、行きましょう」

「……もちろんです。私は、あなたの妻です。あなたについて行きます」

 パチパチパチッ。リセルは大げさに拍手をすると、

「ああ、これはなんと美しい夫婦愛でございましょう。ぜひ私にご結婚のお祝いをさせてください」

とオペラ調に言う。

 他の聖者たちは、俺たちのことをまるで気にしていなかった。いや、関わらないように視線を外していたようにさえ思えた。

「さあ、参りましょう」

 俺はフミの手をしっかりと握りしめ、前を歩くリセルについて行く。

 この男がなぜ生きているんだ? リセルは俺が初めて見た間引きの対象者の男だった。あの時間引きされてピックアップトラックで運ばれたはずだった。

 ブラッカ達や、俺たち人間の試作種を次々とつくっている件といい、聖者たちは俺たち悪人が見えないところでいったい何をしているんだ?



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