第10話 大神聖者様

 聞き覚えのある声だった。自然とナナと目が合う。ナナは小さく頷いた。


 魔悪人メグが仮面をとる。


「お前には二度と会いたくなかったのにね……」

「母さん……」


 聖者たちに“再教育”のために連れて行かれた時、母さんを見たのは、幻覚ではなかったのだ。


「えっ、魔悪人メグは……ナナ様とタクマのお母さんなの?」


 ミキが驚いている。当たり前だ。俺だって頭の中がパニックになっている。妹と好きだった人が魔悪人だっただけではなく、母親までも魔悪人だったとは……。


魔悪人は世界中に5人しかいないのではなかったのか。それが、こんな身近にいるなんて、いったい俺はどんな星の下に生まれたんだ……。


「でも、母さんの名前はヨシコだろ。魔悪人メグって……」


「ああ、それは母さんはメグ・ラ○アンに憧れていたからね。お前だってそのことは知っているだろ」


 それで、髪もブロンドに染めたのか……、良く見ると目も青いカラコンをつけている。母親にこんなにもイメチェンされると、恥ずかしさとショックで心が痛くなった。


「まったく、母親も妹も魔悪人なのに、自分はただの悪人で、聖者にされてしまって、おまけに間引きの対象になっているなんて、タクマさんは本当にタクマさんなのね」


 エミさんが俺を見て、わざとらしく大きくため息をつく。久しぶりに再会するとよくわかる。本当にキレイな人だ。聖者になって、心もきれいになれば、こんなに素敵な女性はいないのに……。


 俺はエミさんのあたまをなでずにはいられなかった。


「な、なにをするのよ! やめて!」


 エミさんが俺をキッと睨む。


「タクマさん、私に触れないで! だいたい私は魔悪人だから、聖者には……」


 そう怒っていたエミさんだが、表情がだんだんと優しくなってくる。


「……ありがとうございます。タクマさん。私をお助けいただいて感謝しますわ」


 エミさんが俺に頭を下げる。


「こ、これは、まさか……、タクマが……」


 母さん、いや魔悪人メグが動揺していた。


 ナナも俺を見て驚いている。


「どうしたの? 何が怒ったの? おばさん、何だか気持ち悪い……」


 ミキが戸惑っていると、


「ミキさん、私は生まれ変わったのです。タクマさんが、私を魔悪人から聖者にしてくれたのです」


とエミさん言って、聖者ならではの笑顔を浮かべる。


「おばさんが、聖者に……。そんな、魔悪人を聖者にできるなんて……、タクマ、あなた……。それに、どうして、体の点滅が止まっているの?」


 ミキが俺を見て警戒する。


 俺が手の平を見て確認すると、ミキの言う通り赤い点滅がいつの間にか止まっていた。


「今の私にはわかります。タクマさんは、聖者になり間引きの対象になっても恐れることなくその運命を受け入れました。そして、例え悪人どもとはいえ、放っておくことができずに助けることにしました。その清い心が認められ、大神聖者様になられたのです」


 エミさんらしくない。こんなに俺を褒めてくれるなんて……。エミさんにキレイな心を与えたいと思ったけれど、何か違う気がする……。


「危ない!」


 エミさんが俺の前に立つ。


 ダッダッダッダッダ。キヨシが機関銃で撃って来た。ペンキ入りの銃弾とはいえ、こんな至近距離で撃たれたら……。ペンキまみれになったエミさんが膝から崩れ落ちる。


 俺はエミさんを抱きかかえようとするが、手錠が邪魔でそうすることができない。


「エミさん! しっかり! エミさん!」


「よ、よかった。タクマさんがご無事で……、どうか悪人からこの世界をお救いください」


 エミさんはそう言って、意識を失ってしまう。


 許せない、そう思った。でも、怒りを感じることはなかった。むしろ、こんなひどいことをしたキヨシを救ってやりたいと思う自分がいる。


 俺はいったい、何者になってしまったのだ?


 辛い。何が辛いのか、もはやよくわからないが、何かが俺の中でぶつかりあっている。


「……早く、病院に連れて行かないと……、ミキ、手錠を外してくれ」


 俺がそう頼むが、


「ごめんなさい。それはできないわ。おばさんは、エミさんは私たちが病院に連れて行くから……」


とミキは断る。罪悪感はあるようだ。


すると、上空から戦闘ヘリのマングスタが下降して来る。誰が操縦しているのかは、難なく予想できた。また、ナナと目が合う。気のせいか、泣いているように見えた。


「タクマ、今のあなたに世界は救えないわよ」


 魔悪人メグはそう言い残すと、着陸したヘリに乗って去って行く。娘にかけた鎖の錠のカギを外さないで行くなんて……。


「ナナ様、行きましょう! 鎖はあとで切断します」


 ミキがナナを戦車に連れて行こうとするが、


「早く、タクマの手錠を外してやれ」


と言って、ナナは動こうとしない。


「……それはできません。カギを、カギを奪うのを忘れてしまったのです」


とミキは答える。


 確かに白バイ隊員から手錠を奪った時、カギを一緒にとっている様子はなかった。


「さあ、ナナ様、皆お帰りを待っています。早く、ここから逃げましょう」


 ミキがナナの腕を掴むが、


「黙れ! 黙れ! 黙れ!」


とナナはひどく苛立った様子で、ミキの腕を払う。


「ミキ、もう時間ない。聖者たちが戻って来る。一旦、引くぞ!」


 キヨシが緊迫した声で言う。

 避難していた建物から、カッパを着た聖者たちが出て来ていた。


「ミキ、急げ!」

「で、でも……」


 しびれを切らしたキヨシは、戦車を発進させ、自分だけ逃げて行く。


「あっ、待って、キヨシ……」


 ミキの呼びかけもむなしく、戦車はどんどん遠のいて行く。


 俺とナナとエミさんとミキは、あっという間に聖者たちに囲まれる。


「タクマ様は先に建物の中に避難してください。私たちはヒダマリ様のご命令通り、この者たちを連れてすぐに行きます」


 一人の聖者が俺にそう言うと、傘を開いて差し出してくれた。


 なぜだろう? 俺はその傘を受け取ることができなかった。


 聖者たちの中には、あの白バイ隊員もいて、俺の前にやってくると、持っていたカギで手錠を外してくれた。


 俺はすぐにエミさんを抱きかかえる。


「私にお任せください。すぐに病院にお連れします」


 白バイ隊員がそう言ってくれる。


「必要があれば、“再教育”もお任せください」


と言って、白バイ隊員は俺からエミさんを受け取ろうとする。


「ち、近づくな!」


 俺が声を震わせてそう言うと、白バイ隊員が後ずさりする。


「ど、どうなされました、タクマ様……」


 白バイ隊員だけではなく、他の聖者たちも動揺していた。


「ナナ、ミキ、行くよ」


 俺はエミさんを抱きかかえて、聖者たちの中を歩いて行く。聖者たちは、俺に道を開けた。


 ナナとミキは、俺の後について来てくれた。


 聖者の誰かが、わざと傘を落としてくれた。ミキはそれを拾うと、エミさんに雨があたらないように、傘をさしてくれた。


 聖者たちの一人の体が、赤く点滅し始める。


 すぐに間引きが始まる。



 何も言えなかった。ただ、小さな子供のように涙を流すことしかできなかった。


 この横須賀の米軍基地跡まで乗ってきたピックアップトラックは、七色のペンキでフロントガラスも、ミラーも、車体の全部を塗られていて、とても走行できる状態ではなかった。


 とは言っても、唯一運転できるナナが鎖で縛られたままなので、このピックアップトラックに乗って行くことはできなかったのだが……。しかも、ナナは独学で運転を覚えただけで、免許を持っているわけではないので、公道で運転させるわけにはいかない。


 どうして、キヨシにはこんなことができたのだろう? 自分が助かるためか? いやきっと、他の悪人ども守るためなのだろう。そう思いたい。そう信じたい。大神聖者となった俺が追いかけて来る可能性を少しでも減らしたかったのだろう。決して、仲間のもとへ俺がやって来ないようにしたかったのだろう。


 早く、エミさんを病院に連れて行かないと……。俺が思案していると、サイレン音を鳴らして、1台の救急車がやって来る。


 救急車は猛スピードで近づいて来ると、ドリフトをして見事に、俺たちの前に横付けした。


「早く乗って!」


 運転席の窓ガラスを下げて、サキさんがそう言った。相変わらず胸元が開いた制服を着ている。


 ミキが後ろのドアを開けてくれたので、俺はエミさんを抱きかかえたまま、救急車に乗り込む。そして、ナナとミキも乗り込むと、ミキがドアを閉めた。その瞬間、救急車は勢いよく発進する。


 俺はエミさんを担架に寝かせる。ミキもそれを手伝ってくれた。ナナも心配そうにエミさんのことを見ている。


 理由はわからなかったが、俺は必死に堪えていた。ナナの頭をなでてやろうと思ったが、エミさんを見ていると、そうしてはいけないように思えた。


 人は聖者でも悪人でもない存在にはなれないのだろうか?

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