第4話 聖者による聖者のための間引き
ブラッカの後を追って小一時間ほど走ると、林を抜けて山間にある国道に出た。普通ならこんなに走れないが、エロい妄想が無限の力を俺に与えているようだった。
そして、ブラッカと一緒に国道を走っていると、1台のピックアップトラックが追いついてきて、横付けしてきた。
「こんなところを走って、どうなされたのですか? 近くの街までお送りしましょう。さあ、お乗りなさい」
運転していた40代後半くらいの、ダンディーな男がそう言って、ニコッと笑みを浮かべる。
この話し方、この微笑み方、この男は街が居なく聖者だ。
「さあ、早く。私も用事があるものでして」
ダンディーな聖者が、身を乗り出して助手席のドアを開ける。
「あ、ありがとうございます」
俺はブラッカを抱きかかえて、助手席に乗り込む。何も恐れることはない。俺はもう、神聖者セブンのヒダマリに頭をなでられている。このダンディーな聖者から危害を加えられることはないだろう。それに、断って逃げたほうが面倒なことになりそうな予感がした。
ダンディーな聖者の運転するピックアップトラックは法定速度40kmをしっかり守って走行していた。
何一つ話しかけてこない。ただ、ニコニコしている。その沈黙に怖さを感じた。
5分ほど国道を走ると、十数人の人影が見えてきた。
ダンディーな聖者がピックアップトラックを減速させて、前方の人影に向かって手を上げたので、その集団が聖者たちであることがわかった。
国道を塞いでいた十数人の聖者たちの前にピックアップトラックを止めると、
「少し待っていてください」
とだけ行って、ダンディーな聖者が降車する。
車内からはよく見えなかったが、十数人の聖者たちは何かを蹴ったり、踏みつけているように見えた。それもかなり強い力で、笑顔を浮かべながら、繰り返し蹴っていた。
2、3分経つと、聖者たちは分散し、国道の脇に停めてあった各々の車に乗って去って行く。
国道の中央には、もはや年齢がわからないほど蹴られ、この世を去った男が横たわっていた。
ダンディーな聖者はその男を肩に担ぐと、ピックアップトラックの荷台に乗せ、再び車内に戻って来た。
しまった。あまりの出来事に、逃げるタイミングを逃してしまった。いや、逃げるタイミングなどあっただろうか。どの聖者たちも俺に無関心そうにしていながら、しっかりと見張られていたような気がする。
ダンディーな聖者は何事もなかったかのようにエンジンをかけて、荷物を積んだピックアップトラックを発進させる。
ちょうど路面に眠気防止の段が設置されていて、そこを超える度に荷台のあの怖ろしい荷物が跳ねる音がした。吐きそうになるのを必死に堪えた。
「間引きです」
「えっ」
ダンディーな聖者は笑顔のままそう話し始めた。
「世界から争いがなくなりました。それはとても素晴らしいことです。しかし、何もしなければ人口はどんどん増えて、食料難に陥ってしまいます。そうならない為に、こうやって間引きをして、人口を調整しているのです。あなたも聖者になったら、参加してもらいますよ。どっち側になるかは、わかりませんがね」
ブラッカが膝の上で震えている。効果はないだろうが、俺は背中をさすってやる。俺の膝も手も震えていた。
「人間を間引くって……、どうやってその相手を決めているのですか?」
「運です」
「運?」
「そうです。間引く対象となる聖者は、体が赤く点滅するようになります。誰がいつそうなるのか、それは誰にもわかりません」
そんなことが行われているなんて、まったく知らなかった。なんだこのとてつもない恐怖感は……。
「す、すみません。ちょっと、トイレに……」
「この付近にトイレはありません」
ダンディーな男は笑顔でそう言うと、加速するでもなく減速するでもなく、相変わらず法定速度を守ってピックアップトラックを走らせる。この2年間、聖者たちから逃げている時に、こういうトラックを何度か見かけたが、荷台には同じように間引きされた者が積まれていたのだろうか……。
ダメだ。我慢できない。尿意は本当だった。とてつもない恐怖感に襲われ、今にも失禁してしまいそうだった。
すると、ブラッカが外に向かって、
「カーキャン! カーキャン!」
と独特の声で吠えだした。何の合図かはピンときた。
それは、ダンディーな聖者も同じだったようで、ピックアップトラックを国道の脇に停車させると、スマホを取り出した。
俺はその隙にブラッカを抱きかかえて、ピックアップトラックから降車して、林の中へと逃げ込んだ。
無我夢中でブラッカと一緒に走って逃げた。後ろからダンディーな聖者が追いかけて来る気配はなかったが、それでも俺は走って逃げずにはいられなかった。
得体の知れない恐怖から、あのピックアップトラックから1mでも先に離れたかった。衣服に狂気の匂いがへばりついているような気がして何度も嗚咽した。尿意はいつの間にか消えていた。
聖者は俺の想像より、はるかに怖ろしい存在だった。無垢な狂気が、平和な世界を保とうとしている。聖者にはなりたくない……、聖者にはなりたくない……。そう、心の中で何でも叫びながら林の中を走っていると、一人の聖者と出くわした。
すぐに聖者だとわかった。彼女の体は赤く点滅していた。面倒なことには関わりたくなかったが、彼女のことを放っておけなかった。
年齢はナナと同じくらいだろうか? ショートボブが良く似合っていて、眼力の強さから普段は活発なタイプだと思われたが、今は目の奥に恐れが滲んでいた。
「大丈夫。俺はまだ聖者になっていない」
「助けて」
彼女は俺に抱きつくと、大粒の涙を流した。聖者たちに気づかれないように、泣き声は出さないように堪えている。
「近くに仲間がいるんだ。魔悪人の仲間がね。彼女たちなら君を助けられるかもしれない。俺はタクマ。君は?」
「ミキといいます」
俺からゆっくり体を離すと、ミキはそう教えてくれた。
「よし、ミキ、行こう」
俺が手をさしだすと、
「いえ、大丈夫です。さっきはうっかり抱きついたりしてしまってすみませんでした。先に歩いてください」
と拒絶されてしまう。ミキは服に汚ない物がついたかのように、手で払う仕草をした。
「カーキャン」
ブラッカが俺の足に体を寄せて慰めてくれる。
「あなた、いえ、タクマはさっき、私のことを無視して逃げようとしたでしょ。でも、私の顔を見て急に足を止めた……。助けてもらえることには感謝するけど、はっきりいってキモイ悪人ですね」
人生にモテ期が3回もあると言った奴を見つけたら、絶対に殴ってやる。残酷な期待をさせやがって!
ブラッカの後を俺がついて行く。そして、その後からミキがついて来る。この距離感が何だか切ない。
「でもさ、聖者にも恐怖心は残っているんだね。間引きの対象になっても、穏やかに受け入れるのかと思っていたよ。少し、安心した」
「それは違います。私みたいに逃げる聖者はまずいません」
「えっ?」
「これは私の推測だけど、私は完全に聖者になってはいなかったのだと思います」
「どういうこと?」
俺が足を止めると、
「ちゃんと進んでください! 絶対に追手が来ますから!」
と言って、ミキに小石を投げられる。確かに俺の知っている聖者はこんなことをしない。それにミキの言う通り早くナナやエミさんたちを見つけないと、ダンディーな聖者が仲間と一緒に追いついて来るに違いない。
俺は歩きながらミキに尋ねる。
「完全に聖者になっていなかったってどういうことなのさ?」
「私が思うに、聖者といっても、人によってその聖者度が違うと思うのです。でも、みんなそれに気付かれないように、根っからの聖者を装って暮らしている……。もちろん、そんなこと口にしたら、聖者のなりそこねとして“再教育”に連れて行かれるかもしれないから、誰も何も言いませんが……」
ミキと話していると質問が次々と出てくる。
「なんなの、“再教育”って? どこに連れて行かれるの?」
「詳しいことはわからない。でも、たまにいるんです。具合も悪くないのに、救急車で運ばれて、戻って来た時には笑顔を常に絶やさない、聖者の中の聖者になっている人たちが……。誰がそう言い始めたのかはわからないけど、それを“再教育”と呼ぶようになっていました」
どうやら、世界に聖者があふれ、平和になってハッピーになりましたというわけではなさそうだ。悪人のまま逃げていることに多少は罪悪感を感じていたが、やはり悪人として存在する必要があるように思えた。
「カーキャン! カーキャン!」
ブラッカが翼を動かして、大きく吠える。どうやら、やっと追い付いたようだ。
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