第4話 小さな灯り
明け方に撤収と相なったので、翌日は寝て過ごした。なぜか櫻宮もそのまま俺の家に泊まり、車で迎えに来た石塚と共に俺のベッドを占拠している。
なぜに家主が居間のソファで寝むらにゃならんのか・・・まぁ那智が来てからというもの、ずっとそうなんだけれど。新しいベッド用意しないと身体をどこか痛めそうだ。
実は昨日、石塚にあの古井戸のある土地の持ち主について調べてもらっていた。ネカフェのPCで調べた限りでは、分譲地として売り出されているといった様子はなかった。元が農地ってことは、何か理由がなければ周辺の土地を売り払い、あそこだけ残すはずはない。意図的にあの場所だけ残したのではないか、と思い当たったのだ。
土地の持ち主に当たれば何かわかるだろう。
地主とは割りとすんなりコンタクトが取れた。予想外だったのは那智がその地主と知り合いだったこと。都内に複数の不動産を持つ資産家の大奥様だそうだ。その取引を中心とした事業は既に息子夫婦や孫に引き継がせてはいるものの、ごく最近まで、既に亡くなった旦那と共に現場で手腕を揮っていたそうな。それが今年に入ってから体調を崩し、自宅で静養するといった生活を送っているらしい。
那智経由でアポイントを取ったのだが、調布にある邸宅に招かれ、ちょっと腰が引けている俺である。どうにもこうにもセレブとか相手にするのは苦手だ。
ただ、電話で件の幽霊についてお話を伺いたいとストレートに告げたところ、上品そうなご夫人が言葉に詰まり、やがて
「こちらもぜひ、その幽霊について話を伺いたい」
と、なにか強い想いを押し殺しているかのように俺に告げた。大まかにはこのような、むしろ先方が乗り気の運びで、ご夫人のお宅へ訪問することとなったのである。
とにかくでけぇ。お邸を見た俺のひとこと。庭園風の庭には池まである。その池が俺の部屋(2LDK)より広いよ。錦鯉に負けてるよ、俺。
ハウスメイドの案内で応接間に通され、しばし待つ。家具、調度品も立派なもので、革張りのソファはえらく座り心地がいい。まぁ、ホームセンターで購入した自宅ソファと比較するのがそもそも間違っているのだが。
同行しているドS編集者とミニマム霊能者はしきりとキョロキョロしているが、那智だけは平然と出された紅茶を楽しんでいる。明らかにアンティークのボーンチャイナと思われるティーカップに気後れし、手を付けてもいない俺とは大違いだった。
程なくしてご夫人現る。俺の予想に反することなく、和装のよく似合う上品な方であった。ご丁寧な挨拶をいただき、名刺を交換する。同行者について簡単に説明してから本題へと移った。
ご夫人は当初から、噂の幽霊についての仔細を事細かに聞きたがっていた。幽霊の噂話は元より、俺達が目撃した時の話に至っては特に、一言も聞き漏らすまいという姿勢で、食い入る様に聞き入っていた。
時には震える手を握り締め、時には堅く目を閉じ、何かに耐えているかのようだったが、石塚のタブレットに表示された幽霊のイラストを見た時、ご夫人はついに堪え切れず嗚咽を漏らした。
「あの子は・・・あの子はまだ待っているのですね・・・」
そうして一頻り涙を流した後、ご夫人はぽつりぽつりと幽霊にまつわる因縁を語り始めた。
戦後の混乱が冷め遣らぬ頃、二人はとても仲のよい友達だった。共に大戦で親を失い、親戚に預けられていた。お互い、家事の手伝いで井戸へと水汲みに訪れたのが初めての出会いだったそうだ。
それからというもの、二人はいつもその井戸を待ち合わせ場所にして、たくさん語り合ったり、遊んだり、共に同じ時間を過ごしたという。ご夫人は三つ年が上だったこともあり、お姉ちゃん、お姉ちゃんと懐く少女をとても可愛がった。
誰もが貧しい時代、親類の家で肩身の狭い思いをする中で、二人はまるで本当の姉妹のようにお互いをいたわり合ったという。
そんな小さな幸せを見つけた日々が、ある時、突然、終わりを迎えることになってしまった。ご夫人が遠方の、別な親類に引き取られることになったのだ。急な話でもあり出立は慌しく、ついにご夫人は少女に別れを告げる暇もなく親戚に手を引かれ、旅立つこととなったそうだ。
ご夫人はその後、親戚の家で働きながら必死に勉学に励み、大学まで無事に卒業することができた。そして東京での就職先を見つけ、ようやく上京を果たしたのだった。
ご夫人は真っ先に少女に会いにいったという。あれからどうしていたのだろう?さよならさえ言えなかった。なんとしても彼女に会って謝りたい。今はどうしているだろう?幸せに暮らしているだろうか?様々な思いを胸に、少女の親類の家を訪ねた。
しかし、ご夫人の願いは叶うことはなかった。
少女はご夫人が旅立って間もなく、はやり病で亡くなってしまったと、ご夫人がいなくなったその日から、少女は毎日、待ち合わせの井戸で大好きなお姉ちゃんが来るのを待っていたと、年老いた少女の親戚が教えてくれた。大人たちが何度言っても、明日は来るかもしれないからと言って聞かず、約束の井戸でひとり、優しい姉が来るのを待ちわびていたという。
ご夫人は泣いた。いつか少女に会いにいくのだ、と決意したあの日から、一度も流すことのなかった涙が堰を切って溢れ出した。果てることがないかと思われた涙が枯れ果てた時、ご夫人は少女の墓前で再び決意した。あの約束の場所を守ろう、と。
「その後、わたくしは必死に働きました。事業を興してそれが軌道に乗った頃、あの子の親類からあの土地を買い取ることができたのです」
しかし、そうして少女との思い出を守ることが出来るようになったにも関わらず、ご夫人はどうしてもあの場所に行くことができなかったという。罪の意識がそうさせているのか、悲しい思い出がそうさせているのか、ご夫人にはわからなかった。そんなある日、古井戸に幽霊が現れると噂が立ち始めた。
「もう一度、あの子に会いたい。会って寂しい思いをさせたことを謝りたい。そう思う気持ちと、決して許してはもらえないだろう。どうして今更、あの子に会うことができるというのか、という思いで板挟みになり、これまで答えを出すことができませんでした。しかし今日、お話させていただいて、ようやく決心することができました」
ご夫人はもう泣いていなかった。俺をまっすぐに見据える眼差しには、強い決意がみなぎっていた。また、先だって現れた怪しげな男には心当たりがあるという。
「恐らく、孫に雇われた者でしょう。幽霊の噂に手を打つと息巻いていたそうですから」
どうもこの孫というのが、ボンボンというか、可愛がられて甘え放題で育ったせいというか、出来がよろしくないらしい。いくら諌めてもタチの悪い連中と連れ立って悪事に手を染めたりすることを止めない。
今回は幽霊の噂を払拭しあの土地を売り払い、自分の懐に入れようと画策しているようだ。祖母の思い出を小遣いに替えようとするなど、言語道断の輩ではないか。
櫻宮の見立てでは、あの場に残された和紙の欠片は、陰陽道などで用いられる術師の従僕、式神を使うための呪符だそうな。しかも描かれている文字から、かなり悪意の篭ったものだと考えられるという。
そういった呪いを専門的に生業とする霊能者が用いた可能性が高く、場合によっては少女の幽霊が新たな下僕として捕らえられてしまう事も有り得ると、真剣な表情で説明してくれた。どうやら一刻の猶予もないようだ。俺達は再び、あの古井戸へ向った。
草木も眠る丑三つ時とはよく言ったものだ。日中、元気に生い茂っていた雑草達も、いくらかその頭を垂れているかのようで、鮮やかに彩られた真新しい新築の住宅も、真夜中の闇の中では黒く塗りつぶされ、その圧力に軒を下げている。気の早い夏虫の囀りさえ躊躇いがちな、静かな夜だった。
そんな静寂の帳の中に灯る、月明かりにも似た小さな灯り。それは幼い少女の祈りにも似た、小さな灯火であった。灯りの中に少女の姿が浮かび上がる。
「・・・蛍ちゃん、あなたなの?ああ・・・」
溢れる涙をぬぐおうともせずに、同行していたご夫人が少女に駆け寄る。もはや逡巡はなかった。彼女はかつての姉として、また今はその母のように強く優しく、少女を抱きしめていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!蛍・・・・」
『違うよ、お姉ちゃん。ごめんなさいじゃなくて、ただいま、だよ』
少女の声が優しく響く。その澄んだ灯火に似つかわしい少女の名。
『おかえり。お姉ちゃん』
少女もまた、姉を、母を強く抱きしめていた。
『泣かないで、お姉ちゃん。わたし、怒ってなんかないよ。お姉ちゃんにありがとうって言いたくて、ずっと待ってたの』
いっぱい、いっぱい優しくしてくれて、ありがとう。
いつも遊んでくれて、ありがとう。
お姉ちゃんがくれた、ふかしたおいも、とっても美味しかった。
わたしが泣いてるときは、いつも慰めてくれた。
わたしが笑っているときは、いつも喜んでくれた。
いつも一緒にいてくれたね。たくさん、たくさん、ありがとう。
お姉ちゃんが苦しいときも、悲しいときも、いつもわたしのことばかり思ってくれてたこと、わたし知ってるよ。
だからね、伝えなきゃって思ったの。
ありがとう。ありがとう。
わたしのこと、いっぱい愛してくれてありがとう・・・
長い時を経て再び結びついたふたりの思いが昇華し、たくさんの光の粒になって天へと登ってゆく。そのひとつひとつが二人の思い出のひと欠片であった。まるで蛍の儚い光の粒のように宙にたゆたい、ゆっくりゆっくりと空へと帰っていった。
そうした、優しく静かな邂逅を邪魔するもの――その時、黒い影が周囲に湧き出した。
感動の再会に水を差しやがって。予想通りとはいえ、俺は本気で頭にきていた。わらわらと姿を現した数人の男。後ろで偉そうにふんぞり返っているのがご夫人の孫らしい。
「やめなさい!この土地は手放すつもりはありません!金輪際、手出しは許しませんよ!」
怒りを露にするご夫人に対して、孫はへらへらと笑って答えた。
「それじゃ僕が困るんですよ、お祖母ちゃん。おい、構うことはねぇ。ババア諸共、こいつら片付けちまえ!」
こいつ、マジ屑だな。その孫の隣で、怪しげな風体の病人じみた男が、ぶつぶつと何かを唱えだした。その他大勢は荒仕事のために揃えられた
あー、だめだ。もう我慢の限界だ。こいつら許せん。
「はわわ、危ない!センセ!逃げて!」
櫻宮、お前までセンセかよ。
俺に最初に飛び掛ってきた男は、同じ速度で孫の向こう側まですっ飛んでいった。フルスイングでぶん殴ったからな。手加減はしたが、しばらくまともにモノが喰えないだろう。
「ばあさんのお墨付きだ。お前らは俺が躾してやる」
おろおろするばかりの櫻宮を、石塚が宥める。
「大丈夫、大丈夫。ああなったセンセは掛け値なしに強いですから。わたし、対センセは無敗ですけど、もしガチで三本勝負したら一本取れるか取れないか、ってくらいなので」
残りの男達三人がまとめて襲い掛かってきたが、拳骨三発で終わった。歯ごたえが無さ過ぎる。わずか二分で乱闘シーンは終了し、カップラーメンの待ち時間ほどの間も持たなかった。
「なにをやってるんだ!おい、先生!さっさと片付けろ!」
あとは孫と怪しい術者だけだった。術者の唱える呪いの声が大きくなるにつれ、少女とご夫人を取り囲む黒い影が大きくなってゆく。
「おい、那智!」
「大丈夫じゃ。ほんに愚かな奴共め。怒らせたらいかんものを、怒らせてしまったようじゃぞ」
その時、にわかに雷鳴が轟き、稲光が走った。白い光の中から、ぬうっと頭をもたげたもの。それは大きな白蛇であった。しかもただの蛇ではなく小さな角を持ち、さらには手足すら生えている。
「蛟じゃの。水に宿る竜の眷属じゃ。どうやらあの井戸に古くから棲んどって、ふたりのことも、ずっと見守っておったようじゃのう」
蛟は雷を呼び、影を綺麗さっぱり吹き飛ばしてしまった。少女にひと睨みされて、躾のなってない孫と術者はへなへなと崩れ落ちた。
こうしてこの夜の出来事は幕を閉じたのだが、なんだよ。労働したの俺だけじゃねぇか。なんでお前らが祝杯挙げてるんだよ。俺の酒で。
それから一月ほどたったある日のこと。俺は連載第一回目の原稿を無事入稿し、束の間の休息を楽しんでいた。今日は朝から那智もおらず静かな休日、居間のソファに寝転んでテレビを見ていた。
「ふんふん、なかなかいい物件だね。部屋も綺麗に使ってるし」
「そうであろ。おすすめなのじゃ」
俺の安息をぶち壊して、玄関が騒がしくなった。ずかずかと部屋に上がりこんできたのは那智とセレブご夫人である。あの一件以来、ご夫人は急速に健康を取り戻し、現場復帰したらしい。
孫は性根を叩き直して来いと言わんばかりに、スパルタ修行で有名な禅寺に無一文で放り込み、息子夫婦は監督不行届きで降格、社内には綱紀粛正の嵐が巻き起こったそうな。
「これなら、このくらいで・・・今までの資金を足して、こう!」
「おほー!やったのじゃ!ついにやったのじゃ!」
ご夫人の叩いた電卓をのぞいて、那智が狂喜乱舞している。
「何事ですか?」
「おお、お主!いいところにおったの。印鑑を用意するのじゃ!ほら、早く早く!」
テーブルの上に、次々と大量の書類が並べられてゆく。ご夫人に同行してきた秘書さんの仕業である。それは俺が所有するマンションの譲渡書類一式と、あの那智が世話になっているという神社の土地、物件の権利書等々、法的手続きに必要な書類一式が揃えられていた。
「ナニコレ?」
「このまんしょんを売って、これまでのわちきの貯金と足せば、あの神社を買い取ることができるのじゃ!これでお社は安泰じゃ!よかったのう、お主」
あまりの神展開に頭が付いていかない。なに言ってくれてんのかしら?この娘は。
「あの・・・大奥様、これはどういう・・・」
「この奥方はお社の大家さんじゃ」
青天の霹靂。鳩が豆鉄砲。おい、那智。お前、最初から知っていやがったな。
「センセにはこの度、大変お世話になりました。今回はお礼として相場の倍の価格でこちらのマンションを買い取らせていただきます。都内中心部に一戸建てをお持ちになるわけですから、決して損にはならないと思いますわよ」
にこにこと笑うご夫人。やはりあなたもセンセなんですね。しかし俺の視線は先刻からその背後に釘付けになっている。十畳のフローリングにところ狭しと、とぐろを巻く巨大な白蛇。その頭には小さなおかっぱ頭の少女が跨っている。那智が部屋に入ってきた時、両眼が痛んだので予感はしていた。
ご夫人は結局、あの土地を手離したそうだ。それは那智と櫻宮が
そして今や祭神と化した少女と白蛇がご夫人の背後を護っていた。やばい・・・すごい見てる。白蛇、すっごい目で俺を見てる。
「でも、なんで俺が・・・」
「別料金分じゃ。お主は了承したはずじゃったが」
そう来たか。
「まぁ、断ってもよいのじゃが、礼もなしとなると祟らねばなるまい。あとな、蛇の祟りも怖いぞよ」
少女がこしょこしょと那智に耳打ちしている。
「七代祟るそうじゃ」
・・・実印どこにやったっけな。
判子を着いた途端、ご夫人お手配の引越し業者がどやどやと上がりこんで来た。次々と家財道具が運び出されてゆく気配を背中に感じながら、俺は窓辺で煙草を燻らせる。
あれ、なんだろう。目から流れる熱いものが止まらないよ。
グッバイ、マイルーム。明日から俺、神社に住みます。
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