第3話 古井戸の少女

 都内近郊、電車を乗り継ぎ2時間ほど。このあたりは最近、農地が新たに分譲され、新興住宅地になったそうな。あちこちに新築らしき建売住宅が並んでいる。地図を頼りに住宅街を通り、目的地を目指した。


 那智は取材撮影用のデジカメをネックストラップでぶらさげて、後ろをてくてく着いてくる。アシスタントという触れ込みだ。石塚ともすでに面識あるので問題ないだろう。従兄弟って設定だから、親戚の女の子の小遣い稼ぎに簡単なアルバイトをさせているって感じである。


「このあたりの公園があるはずだけど・・・」


 角を曲がった先にそれはあった。待ち合わせ場所だ。東屋のベンチに石塚が座って、手を振っている。となりにいるのは誰だろう。


「こちら霊能者の櫻宮さんです。本日は取材への同行をお願いしてます」


 合流した石塚が同行者を紹介した。


「さ、櫻宮 さくらみやたからです。ほ、本日は、よろしくお願いいたします・・・」

 

 おい、大丈夫か?もしものために霊能者が来る、とは聞いていたけど、那智と変わらん背丈の、ちびっこいのが来たぞ!霊能者って言うからスーツ姿のお化粧濃いオバハンか、眉毛細い和服のおっさんが来るのかと思ってたのに!


「お化粧濃いオバハ・・・いえ、おばあちゃんは最近、体調崩してて、私が代わりに来ました・・・」


 さらりと酷い事、言おうとしなかった?今、すごい気が弱そうなのに祖母ディスってなかった?しかも、なんか巫女服着てるし、コスプレ?霊能者の方って、割と普通な感じの服装なんですね~、そりゃそうですよ~ってのが普通だよね?アピールすごくね?目立つよ!目立ち過ぎだよ!


「むぅ。こやつ、あなどれぬ・・・」


 那智、従兄弟キャラ忘れてるから!


「おい、石塚。大丈夫なのか、この娘は?」


 こっそり耳打ちする俺に石塚は


「あらー、センセは別に幽霊とか信じてないんですから、大丈夫でしょう?こういう企画には、霊能者の先生なんかにご一緒いただくのがお約束ですから」


 心霊現象なんて信じてないし。そういう意味じゃないし。それにしても石塚、だからなんで俺はセンセで他は先生なんだよ。


「この近くに噂の古井戸があるそうです。とりあえず行ってみましょうか」


 石塚の先導で住宅街へ向う。こうもたくさん同じような家が並んでいると、まるで迷路に迷い込んでしまったかのようにも思える。住人は道に迷ったりしないのだろうか。自宅への道順、覚えるの大変そうだな、なんて思いながらしばらく行くと、住宅街の真ん中、建物と建物に間にぽっかりと隙間が空いていた。

 

 どこもかしこも、最近生まれたばかりの真新しさに埋め尽くされているのに、ここだけが置き去りにされてしまったような。日常と日常の狭間で、ここだけが忘れられてしまったような。そんな場所だった。

 

 イヌビエやらヌカキビやら雑草が生い茂り、まさに草ぼうぼう状態。古井戸なんて言うからすっかりロンゲの白い人が出てくるような、石造りの丸井戸を想像していたのだが、実際には錆びだらけになった手押しポンプがその痕跡を示している程度であった。


 恐らくは、小さな掘抜き井戸なのだろう。井戸そのものは生い茂る草木でよく見えなかった。どうやら人が落ちて云々かんぬんといったような因縁は無さそうだ。


「ここに毎晩、同じ時刻に小さな女の子の幽霊が出るらしいです」


 石塚が自分のタブレットを手繰りながら説明する。


「毎晩?そんなに出るのか?」

「ええ、この近くに住んでるイラストレーターが目撃したそうです。これがその時、彼が見た女の子で・・・」


 タブレットを見せてもらったところ、暗闇にぽつんと白く浮かび上がった、おかっぱ頭の少女が描かれていた。なんでイラスト?写真とか動画じゃないの?


「写真よりも自分の感性で表現したかったそうです」


 なにそれ?いいよ、今はそういうの。そのこだわりは仕事で活かせ。


「はっ!みなさん、注意してください!」


 それまで、おとなしく縮こまっていたちっこい霊能者が、突然、臨戦態勢に入った。なにやら緊張した面持ちで、周囲を警戒している。こっそり那智に耳打ちしてみる。


「例の幽霊か?」

「いや、違うな。こういう場所は、雑多な気配が集まり、おかしなモノを引き寄せやすいのじゃ。それを感じたのじゃろう」


 那智が神通力とやらで、俺に視界を共有させた。眼に走る痛みは相変わらずである。なんだか、もやもやした小さな黒い影がたくさん、あたりを漂っている。


「形にもならない澱みじゃな。大量に集まると厄介じゃが、この程度ならどこにでも沸く。こういった薄暗い場所はあれらには心地よいのじゃ。どうやら周囲に新婚夫婦達の『きゃっきゃうふふ』が充満しておって、ここまで追いやられておるようじゃ」


 なんか結婚に含むところでもあるの?そういや石塚からも変なもやもや湧き出てるし。


 ちっこい霊能者は手印らしきものを結び、宙を切り裂いた。残念。敵は後ろだ。ちょっと大きめの影が、櫻宮の背後を漂っている。えいっ!えいっ!と印を切るが、惜しい。外れだ。全て、すかっ!すかっ!と空振っている。


「どうやら気配は感じておるようじゃが、見えてはいないらしいのう」


 おいおい、大丈夫なのか?


「・・・手強いですね。こうなったら最後の手段です」


 もう出すの?大技。ボスどころか、まだ相手、スライムくらいだよ?


 ちびっこ霊能者はぶつぶつ何か唱えながら、複雑な印を指先で操っている。おもむろに懐から取り出したのは金剛杵であった。密教では、帝釈天の武器とされる安鎮の宝具だとかなんとか、昔なんかで読んだな。あんな道具使うんだ・・・とか思ってたら、なんかすごいものを見てしまった。


「・・・うんっ!」


 小さな体からは想像できない程の気合い。おい、それ出すとしたら最終回にだよね?巨大な光の帯が櫻宮の小さな両手から、はるか天空に向って打ち出され、周囲を漂う黒い影どもは一瞬で四散した。

 

 普通では目に見えないらしく、石塚は平然としている。俺は物理的な衝撃波に晒されたかのように、てか、巨大送風機の罰ゲーム喰らったかのような有様なのに。


「これはすごい。法力だけでいえば大師クラスじゃ」


 那智が感心している。光明真言呪というマントラだそうだ。大日如来に帰依し、光明を放つ呪文みたいなものって言ってたが、光明というか、どうみてもコロニー〇イザーだったぞ。あれは。


「そんなにすごいのか?」

「喩えるなら現役時代のカ〇シゲみたいなもんかの。当たれば必ずスタンドじゃ」


 俺、結構ファンだったんだから、そういうこと言うのやめれ。


「ふう・・・もう大丈夫です」


 周りの影はあらかた消し飛んでいたが、肝心のヤツはまだその辺を漂っていた。なにが大丈夫なのか全然わからないが、ほぼ無害だと那智の判定が出ているので、スルーすることにした。


「お前達、こんなところで何をしている!」


 スーツ姿の男が俺達を見咎めて声をかけてきた。石塚が慌てて対応する。


「ああ、すみません。ここの古井戸を取材に来ていて・・・」

「ここは私有地だぞ!許可は取っているのか?不法侵入で訴えられたくなければ、とっとと出て行け!」


 取り付く島もなく、俺達は追いやられることになった。確かに許可は取っていなかったのだが、どうも怒り方が尋常ではなかったように思える。


「まあ、新興住宅地で幽霊の噂なんて立ったら、せっかくの新築物件にケチが付きますからね。周辺住人が口をつぐんでいるので、噂が広がりにくいようです」


 それであんなに神経質になっているのか。幽霊の噂のせいで、あそこだけが分譲地として売れ残ってしまっているのかもしれない。


 日が傾いてきたので、駅前まで出て食事をとることにした。ファミレスで済まそうとしたのだが、ちっこいの二人組が海鮮居酒屋がいいと主張。お前ら、やる気あるのか?石塚は他の仕事があるらしくここで退場となったが、心底、口惜しいといった表情で帰っていった。こいつら宵の口から飲む気満々じゃないか。


 さすがに未成年に酒を飲ませるわけにいかん、と櫻宮に宣告したところ、しっかり成人であることがわかった。店側からも身分証の掲示が求められ、彼女の免許証をみた俺とお店のホールスタッフ、眼球どこいった?くらいに目が点になる。石塚とたいした変わらない年齢だった。


 あと、なんで那智が免許証持ってるの?年齢、はたちですか。ぷぷっと吹き出したら向こう脛を蹴られた。大体、飯食いに来たんだよね?日本酒ボトルで頼むとか、しかも五合じゃなくて一升瓶だよ?いい加減にしなさいよ、君達。


 もっとも、幽霊の出るという真夜中まで時間を潰さなければならなかったので、刺身やら天ぷらやらをつまみに、ちびちびと酒をなめる。いや、ちびちびやってたのは俺だけでちっこいの二人がまさに鯨飲。

 

どうして俺の周りには酒豪ばかりが集まるのか。まあ、鮍の肝醤油添えにカジキのお造りなんて旬のものが取り揃えられていて、なかなかに美味かったからよしとしよう。


 さすがに居酒屋一軒では時間がもたないので、駅前唯一のネカフェに入る。ちょっと調べたいこともあったし、酔い覚まし兼ねてPCに向う。そうして日付が変わる頃合いまで、石塚に連絡取ったりしながら時間を潰した。


「そろそろ、移動するか・・・」


 帰り支度を整えブースの外に出てみたが、連れのちっこいのが出て来ない。取り合えず様子を見に行くと、那智はマッサージチェアでいびきをかいていた。頭を攪拌してたたき起こす。


「んむう・・・あと5分」 


 お寝坊さんか!襟首つかんで連行し、櫻宮が入ったブースの扉を開けた。ディスプレイには、ひと目でそれとわかるBL系成人向けサイトが表示されており、俺は無言で扉を閉めた。


「違うんです!違うんです!これは違うんです!」


「なんのことでしょう?わたし何も見てませんから」


 敬語使ったら櫻宮、涙目になってた。ごめんなさい。趣味は人それぞれだから。大丈夫だから。俺はそれ以上、掘り下げるようなことはしなかった。武士の情けってやつだ。


 ひと悶着ありつつも、噂の幽霊が出没する時刻には件の古井戸にたどり着いた。時間も時間なので、周辺の家々はすっかり寝静まっている。空き地となっている古井戸を照らすのは街灯の灯りだけで、日中みた光景とは様相が一変し、暗闇が深く辺りを支配していた。俺は暗くても綺麗に撮れるという触れ込みの高感度デジカメを用意し、その時を待った。それは何の予兆もなく訪れた。


「きた・・・」


 那智が呟く。古井戸跡のあたりがぼんやりと明るくなった。提灯に灯を入れたかのように、暗闇に滲み出した明かり。その色はまるで温度を感じさせず、月の光のように澄んでいる。その静かに灯る月明かりの中に、小さな女の子が佇んでいた。


 イラストのイメージ通り、というかイラストの方が、ありのままの姿を表現できるというイラストレータの言葉が、確かなものだと腑に落ちた。少女の輪郭は儚げで、暗闇に浮かび上がるその繊細な陰影は、決してデジカメでは写し取ることはできなかっただろう。


 少女は何をするでもなく、ただ、そこに立ちすくんでいた。少し俯き加減で、まるで何かを待っているかのように。噂通りだ。この古井戸の少女はいつもただ、そこにいるだけだった。時の流れに取り残され、いつも何かを待っていた。たったひとりで暗闇の中に佇んでいるのだった。


「あれは悪さするようなものではないようじゃな」

「はい、なにか強い想いに囚われて、あそこから離れられないようです」


 ちっこいのふたりは、いつの間にか意気投合している。櫻宮は一見、頼りなげに見えてもそこは霊能者、那智の正体に思い当たるものがあったらしい。自分よりも年下(外見上では相関がかなりややこしいが)であるはずの那智に対して、礼節ある接し方をしている。目撃情報では少女はこのまま、何をするでもなくそこに居続け、そうして夜明け前に静かに消えてゆくということだった。だが、今夜は違った。


 両眼に鋭い痛みが走る。なかなか慣れないな。那智が俺に視界を寄越す、特有の痛みを感じて、それが何かが起きつつあるという警告であることを悟った。


 少女を包む白い明かりが何かに侵食され始めていた。見覚えのある黒い影がその周囲に漂い、さながら魚群の中で暴れまわる凶暴な鮫のごとく、光を喰らい踊っていた。少女は抵抗することも出来ず、頭を抱えて蹲っている。


「なんだ?あれは?」

「なにか、すごい嫌な気配を感じます!これは・・・悪いものです!」


 ああ、櫻宮は見えないんだったな。普通の人間が見える幽霊は見えても、こういうのは見えないんだっけ。


「あのままでは喰われてしまうじゃろうな」

「なんとか出来ないのか?」


 那智は呆れ顔で俺を見た。


「相手は幽霊じゃぞ?お主とは何の関わりもない人外のものじゃ。それを助けようというのかや?」

「それは・・・」


 確かに少女は幽霊だ。人の世にあらざる存在。俺にそれを助ける理由はない。だが、助ける手もなく、怯えて蹲る少女の姿が憐れだった。ただひたすら暗闇の中、孤独に何かを待ち続ける少女が哀しかった。偽善といわれてもしかたないが、人の理の外にあるものにも善やら悪やらがあるのなら、それが偽者でも構わない。俺が気に食わないのだから仕方ない。


「なんとかしてくれ」

「わちきの契約はお主の守護じゃ。別料金になるぞよ」


 守銭奴め。了承した俺ににやり、と笑ってみせた那智が口元で何かを囁くと、侵食されていた少女の明かりが、直視できないほどの強さで輝きを増した。黒い影が光に押し戻される。


「影の本体が近くにおるはずじゃ!見えるか?」


 周囲は暗闇に包まれていたが、今の俺の視界は天狗のそれだ。あたりを見渡すと、光量が増した白い光に照らし出された、おぞましい影の姿を見つけることができた。


「わちきがわっぱを護る。お主はちびっこを使え!」


 ちびっこを使え?なにそれ。あ、そうか!


「櫻宮、昼間のあれ、出来るか?」

「え?あ、はい。大丈夫です」


 俺は櫻宮を抱えて、黒い影の本体に向けた。はわわわ、と足をばたつかせて慌てているちびっこ霊能者を砲台にみたてて、


「今だ!放て!」

「あわわ、はいぃっ!」


 極太の光の帯が周囲をなぎ払う。黒い影はのたうちながら光に飲み込まれ消滅した。暗転。光の終息とともに静寂が訪れる。そこにはごく当たり前に、深夜の住宅街という風景があった。


 ぼんやりとした灯りの中に、少女はまだ立っていた。それまでと違って、幼い少女は俺達を見つめていた。ぺこりと小さくお辞儀をして、少女は闇に消えていった。俺はその光景に毒気を抜かれ、しばらくぼんやりしていた。小脇に抱えたままの櫻宮に抗議されるまで。


「降ろしてください~」

「おお、すまん」


 櫻宮を解放したその時、誰かの走り去る足音が聞こえた。見ると街灯の灯りの下、逃げてゆく男の姿があった。追いかけようかとも思ったが、男はすぐに見えなくなってしまった。


 那智が道端に落ちていた何かを拾い上げ、俺に見せる。それはぼろぼろに焼け焦げた和紙の欠片だった。墨でいくつか文字が書かれている。複雑な形をした漢字のようなもの。見たこともない文字だが、それはとても禍々しく、強い悪意を感じさせる。


「どうやら、あの幽霊が邪魔だという輩がおるようじゃの」


 気が付けば空が白み、夜が明け始めていた。








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