第2話 酔いどれ天狗

 石塚から鬼説教を喰らうところだった。そりゃそうだ。カードキー持ったまま荷物ごと突然、部屋から失踪したわけだから。

 

 様子伺いのためホテルを訪れた石塚、すわ!なにごとか!と電話してきた。というかこの女、俺に寝起きどっきりを仕掛けようとして、貞〇ばりのヅラを装着し、明け方の部屋に侵入したらしい。灯りはつけっぱなしだったのだが、ヅラ装着は想像以上に視界が悪く、俺が逃走時に蹴倒した椅子に思い切り向こう脛を打ちつけたそうな。


「青タンになりましたよ」


 知らねーよ!で、蛻の殻となった部屋の様子を見て、慌ててフロントへ駆けつけたのだが、そのおどろおどろしい形相にナイトフロントの担当者が腰を抜かした、と。


「めっちゃ怒られましたよ」


 だから、知らねーって!なにしてるの?いい歳こいて。やめてくんない?


 俺が石塚の説教を回避できたのは、ひとえに原稿の進み具合によるものだ。夕方には上がるだろうと伝えたら機嫌が直った。普段はWEB入稿してたのだが、カードキーの回収もあるので夕方伺いますとのこと。ついでに原稿チェックもするんだと。そんなわけで俺は、自室にてPCに釘付け状態である。


 集中、集中・・・んごが~!


 できるかーい!


 那智と名乗った自称天狗は、俺のベッドを占拠して大いびきだ。ビールを数缶やっつけた後、秘蔵の純米大吟醸に手を付け、つまみまで要求。炙った姫鱈でひとしきり酒盛をし、今しがたベッドに潜り込んだ。


 追い出してもよいのだろうが、ちょっと躊躇われる。昨夜のような出来事が取材中にまた起こるかもしれない。そんな時、ひょっとして、もしかして、場合によってはコイツの助けが必要になるかもしれない。

 

 いや、そういう意味じゃないよ。怖いとかそんなんじゃねーし。幽霊だの妖怪だの悪霊だの、そんなもん信じてないし。そう、昨夜のは何かのトリックを使ってたんだよ!であれば、看破しなきゃだし。そうすりゃ守護契約?そんなのしなくていいし、300万なんていらないし。そう、そうだから。トリック暴くまでだから。

 

 そんなこんなで、やかましいいびきにも耐え、なんとか原稿が上がった。気付けば日も傾きかけている。那智は一升瓶を抱えて気持ちよさそうに眠っていた。酒瓶を取り上げてみたところ、ほとんど残ってなかった。

 

 ああ、楽しみにしてたのにな・・・あ。

 

 やばい。実にやばい。これはどうみても若い女を連れ込んでる絵ヅラにしか見えない。じきに石塚が来るというのに、これはやばい。

 

 もちろん俺の交友関係について石塚にどうこう言われる筋合いはないのだが、そんな理屈が通用する相手ではないのだ。身の危険を感じる。そうだ!隠そう!こいつ隠そう!


 ごとり


 物音に振り向くと、そこに貞〇がいた。なぜか足元に懐中電灯が落ちている。なんでだ?サブいよ、石塚。なんで合鍵持ってんの?

 

 夕陽が差し込むマンションの一室。一升瓶を抱えたおっさんと、酔い潰れて横たわるショートパンツ姿の若い女。そして〇子。静かだった。冷や汗がぽたりと背中に。


「なにをしとんじゃ!おのれはぁぁっ!」

「ヒー」


 貞〇が吼えた。違うベクトルで怖い。スペック上、貞〇にはビール瓶の首を手刀で落とすなんて機能は付いてないはずなんだが。


「・・・ん~?」


 どすばた騒がしい気配に、天狗娘が眼を覚ました。


「おお、よかった!おい、あのバケモノに説明してくれ!誤解だって」

「・・・おお、お主か。300万は用意できたかえ?」


 時が止まった。貞〇の髪が徐々に逆立ってゆく。ヅラなのに。


「貴様、ちょっと小金稼いだくらいで愛人こさえようってか・・・」

「ち、違う!誤解だ!違うんだって」


 間男テンプレか。


「こんの外道があっ!」


 石塚のコークスクリューハイキックが、俺のこめかみに命中した。俺は薄れゆく意識の中でつぶやいた。石塚さん、室内ではハイヒール脱いでくださいね。ここ、俺の部屋だから・・・


「・・・うう、ん、ばんぼ、れいよ・・・はっ!」


 俺は自分のベッドで目を覚ました。一日に何度、気を失ってんだか。新記録だよな。


「・・・そうなんだ。センセにこんな可愛い従兄弟さんがいらっしゃったとは存じませんでした」

「この春、進学のため上京したんです~。母からついでに叔父の様子みてきてって言われて」


 俺も初耳だよ。こんな親戚がいるなんて。それより、なんでお前ら酒盛りしてんだ?石塚まで飲んでるし。ふたりの会話から読み解くと、どうやら俺の従兄弟であると話をつけたようである。ないことないこと、よくまあ、あんなストーリーを行き当たりばったりで思いつくものだ。作家になれるぞ。てか、普通に会話してるじゃん。キャラ設定どうなってるの?


「センセ、原稿チェック終わりましたから。おつかれさまです」

「ああっ!また俺の愛しの吟醸酒を・・・」


 テーブルにはすでに数々の酒肴が並んでいる。お取り寄せの三宝漬まで食い尽くされていた。


「いやあ、お先にいただいてました。今日はこのまま直帰なんで」

「おのれ・・・」


 那智はご機嫌で帆立の干し貝柱をほぐしている。そうそう、それが正しい食べ方。大事に食べなさい。いや、違う。そうじゃなくて。なんだこいつ、どんだけ飲むんだ。二十四時間無制限飲み放題か。


「ああ、そうそう。今回の件でセンセにぜひ、連載をお願いしたいって話がありまして」

「えっ、ほんと?」


 石塚の出版社で出しているホラー系の月刊誌には、何度か読み切りを書かせてもらっていた。単発の文庫だけでなく連載も持てるとなるとこれは大チャンスである。時代が俺に追い付いた!


「今回の件でセンセ、って評判になりまして。この連載企画はもうセンセにお願いするしかないって編集会議で満場一致に」


 ・・・嫌な予感しかしないんですけど?

 

 企画書に眼を通して、眩暈に襲われる俺。要するに、本気でやばいという噂の心霊スポットを突撃取材し、それをベースにして短編連載するという、タブロイド感満載の企画だ。これか。那智のいう星巡りというヤツは。

 

 無言で企画書を握り締めている俺を察したのか石塚が


「センセがお断りになるというのでしたらこのお話、千石寺先生にお願いすることになると思います」

「なん・・・だと・・・」


 千石寺雅人。今、話題の人気ホラー作家。イケメン。なのでテレビ出演なんかもちらほら。作家がテレビ出演なんてなんなの?ああ、腹立たうらやま・・・いや、うらやましくなんかないんだからねっ!・・・やる。やります。やりますとも!あんな野郎に負けてたまるかよ。

 

 やなヤツなんだ。出版社主催のパーティでも、なんかわけのわからん女はべらかして、二次会、三次会でもクラブのねーちゃんとか、みんな総取り。先生、先生って持ち上げられて調子に乗ってやがる。ところで石塚、なんで千石寺は先生で俺はセンセなの?


「その時に何か因縁があったのかえ?」

「なんにも」


 構われてないもの。視界にすら入ってないもの。


「なんじゃ、男の嫉妬はみっともないのう」


 当たり前のように人のモノローグに入ってくるんじゃない。この人外め。常識考えなさいよ。


「では、お引き受けいただくということで報告させていただきます。わたしはこれでお暇いたしますね」


 ひょいひょいと残っていた姫鱈をくわえて、石塚は帰り支度をはじめた。猫か。食い意地張ってやがる。


「なにか?」

「いえ、なんにも」


 たまにこいつ、エスパーなんじゃないか、と思うことがある。女って怖い。そうして石塚は帰っていった。さて、残る問題は・・・


「時に那智さんよ。支払い、カード使える?」

「現金一括おんりーじゃ」


 明日、銀行行かなきゃな。


 単行本出版に向けてばたばたと時間は過ぎ、ひと段落ついたところで連載の準備を始める。気が重い。リスト見るたび重くなる。重い。重すぎるよ、このリスト。


 取材候補の心霊スポットリストなんだけど、石塚が

「編集部総力を挙げて調査、厳選した真性やばいスポットのリストです。必ずご満足いただける代物ですよ」

  と。こえーよ。何してくれちゃってんの。てか、都心部だけでこんなにあるの?聞いたことないのばっかりなんだけど、それがリアルってもんです、なんて言われて、心底引いたわ。

 

 再開発で放棄された工場の中にある医務室。

 閉鎖された映画館跡の映写室にある、勝手に動き出す映写機。

 新興住宅地のど真ん中にぽつんと残された古井戸。

 〇〇線某駅近くにある通行止めになったままの地下歩道。

 有名ショッピングモール内にある借り手の付かない貸店舗。

 

 その他、30件あまり、ずらずら~っといわくつきの物件がリストになっている。なにこれ、俺が行くの?全部?ちょっと、なにこれ?やだこれ?


「ほほう、こりゃ一筋縄ではいかぬ物件ばかりじゃのう。素で出かければし・・・いやいや、危ない目に合うこと請合いじゃ」

「今、なんて言いかけたの?し?しってなに?死ぬの?」


 横合いからリストを眺めて怖いことを言う那智。今日は裂き烏賊をアテにビールだと。こいつはあれから、ほぼほぼ俺の部屋に住み着いてしまっている。たまにふらりと出かけてゆくこともあるが、大方は居ついて酒盛りをしているのだった。


 意外なことに読書も好むようで、俺の蔵書を読み漁ったり、何処から持ち込んだのかわからない、古い和洋の書物を読みふけったりしている。私家版の宇治大納言物語なんて一体、どこから手に入れたものやら。

 

 本棚の一角に那智用のスペースができていたが、出自が怖くて触れやしない。都内にある古書店の店主と、古くから懇意だそうで、そのうち引き合わせてやろうと言っていた。


「あの男の店も取材リストに入れていいようなものじゃからのう」


 変わった質感の革で装丁された、年代物の洋書の横合いからのぞく那智の笑顔は正直、ちょっと怖かった。マジヤバ心霊スポットな古書店ってなんだよ。絶対行きたくない。


 大体、天狗だなんだと言ってるが、そんな伝説上の存在が、なんでこうも生々しいのか。飯を食えば酒も飲む。やれ風呂がぬるいだの、熱いだの文句を言う。それほど衣装持ちではないようだが、着替えも数パターン持っているし、馴染みの店なんかもあるらしい。


 片手間でちょっと調べてみたのだが、天狗って割りとダーティな存在なんだよな。古い説話上なんかでは、どちらかといえば悪者として扱われている例が多い。こいつ、ほんとに信用していいのか?などと疑念が沸いて、那智にそれとなく聞いてみたところ――


 わちきが天狗と名乗るのはな、わちきが元は人だからじゃ。遠い遠い昔のこと、わちきはお主と同じ人間じゃった。それがある時、とある神と縁ありてお側に使え、時経るうちに、わちきの有様が変わったのじゃ。


 天狗の多くは元は人間よ。人は善事も為せば悪事も為すじゃろう?わちきらどころか、神も仏も人間の認識次第で姿を変える。自然の中で生まれたある種の力が、人間の思いによって体現したものが神仏よ。

 

 不思議に思わぬかえ?西洋と東洋では神や死後の世界についての概念がまるで違う。同じものを見ているのに異なる姿で具現化しておる。それは人が長いこと積み上げてきた考え方や想いが、それぞれの地域によって異なった形で変化していったからじゃ。

 

 特にこの国では、神性は万物に宿るという考え方が古くから根付いておる。善なるもの、悪なるもの、光あるもの、闇あるもの。万物に神が宿るのであれば、これらは全て同じものじゃ。


 故に神仏は、善事を願えば僥倖をもたらし、悪事を願えば災厄をもたらす。畏れ、敬うべきもの。そのように特化した自然の力がこの国の神仏、魑魅魍魎の正体よ。わちきらにはそもそも善も悪もないのじゃ。何を為すかでそれが決まるというのは人の理と同じじゃて。

 

 そんなふうに那智は言っていたが正直、半分も理解できていない。無神論者の俺にはハードルが高い話だ。


「そのうち、わかるじゃろう。わちきと付き合いがあるというだけで、入り口に足を踏み入れたようなものじゃからの」

 

 そんな日々が流れて季節は初夏を迎えようとしていた。


「・・・って、小奇麗に幕間入れてんじゃねーよ!」


 今日は朝から怒られてる。石塚無双。


「落ち着け、石塚。何をそんな怒ってるんだよ」

「いい加減、最初の取材先を決めてくれますかね~?センセ、このままだと初回から原稿落とす勢いなんですけど?」


 気が進まなすぎて全然決まってない。俺は手元のリストになんとなく〇つけてみたりして、選考している振りを醸して誤魔化す。


「あ~、その話ね。あ~、前向きに検討中なんだけどね。あ~」


 石塚は獲物を襲う隼のごとき早業で、俺の手元からリストを奪い去った。


「ああっ!だめよ!だめだめ」

「貴様、これ、うまいラーメン屋ランキングのリストじゃねーか!なんの取材するつもりなんだよ!」

「いやあ、ラーメン屋情報は大事だよ。取材先で、いかにうまいラーメンを並ばずに食べるかという・・・」


 あ!やめて!首は絞めないで!苦しい!って、そのまま持ち上げてネックハンギングツリーって、椅子に登ってまでその技出すか?死ぬ!死ぬから!ギブギブギブ!


「お兄ちゃん、情けないな~。ほら、ここ、ここなら大丈夫じゃない?」


 従兄弟モードの那智がリストを指差す。年上の従兄弟をお兄ちゃんと呼ぶ設定らしく、入念にキャラ作りしているようだ。ブレないようにね。んで、どれどれ。その指が指し示す物件は・・・

 

 新興住宅地のど真ん中にぽつんと残された古井戸。

 

 それ、行くのか・・・どう考えても貞〇つながりじゃん。



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