マジックオークの島

第22話 歴史の巨人たち 『麗なる女獅子』

 ソフロニア大半島に君臨したレムレスカ帝国後期に出現した、スピネイル・ハジャールという人物について、同時代人たちの記録は様々な形で残され、今日でも研究者にその材料を提供している。


 伝アウディマイヤのエイケンによる『我が息子へ送る書簡集』はそれらの中でも長らく第一級の記録として、古今の学者が引用してきた当時の著作である。これはエイケンが中隊長として軍務に付き、後に近衛隊隊長としてレムレスカに居を定めるまでの間、故郷に残した家族、特に息子に宛てて送られた手紙をエイケンの息子が纏めたものである。


 エイケンの一族は地主であったらしく、軍務に付いた当初から騎馬を許された身分だった。彼はアウディマイヤから首都レムレスカへ送られた後、そこでアメンブルクへ向かう中隊五百人の総指揮官となり、五十人いた騎兵の一人となった。


「甘い潮の香が既に懐かしくなる父の軟弱さを、お前は笑うだろう。私が貸し与えられた男たち、レムレスカ本土の各地より集められた屈強な兵士たちは皆、これより向かう地について思いめぐらせざるを得ないのだ。固く締まった大地、地味豊かだが冷たい風の吹く土地、そこに住むのは荒々しい肌を土や葉の色で染めたようなオークたちなのだ。遠く故郷を離れ、異人たちの中で暮らすことを喜べるほど酔狂なものは兵士にはなれない。だがこれも帝国臣民の誇り高き義務であることを強く意識するとき、我々の足運びは力強く、先人たちの敷いた道を踏みしめるのだ」


 北部属州の都、サヴォークで物資の補給としばしの休暇を過ごしたエイケンの中隊は、そこから伸びるアメンブルク街道を進んだ。


「ホーたちが敷いた切石はまだ真新しく、鑿の跡さえまだ消えぬものだった。だがそこを行き交う商人の馬車や荷馬は多く、サヴォークとオークたちの都の間で、盛んな商取引が行われていることを示している。我が隊は五日を費やし、両国の境界を越え、アメンブルクへとたどり着いた。息子よ。それを見た私の気持ちを正確に伝えられるか、私には自信がない。だが一つ、はっきりと言えるのは、アメンブルクの市内に招き入れられた我々が思ったのは、心地よい裏切りと言えるものだったのだ。なるほど、確かに風は故郷よりも冷たく、空は灰色がかってはいた。行き交う平服姿のオーク巨人たちに、当初こそ目を奪われた。しかし、辻で話す住民の世間話をする様や、開かれた商店から聞こえる威勢のいい呼び声は、言葉の意味こそ読み取れないものの、我々レムレスカ帝国人の作る、街並みとさほどの違いもないように思えたのだ」


 記述の前後から、エイケンが派遣されたのはオーク戦役から三年が経過した頃であるとされ、既に両国間の盛んな交流が根を深く広く張っていたことを示している。


 その後、遂にエイケンは帝国本土でも名を知られた『赤い姫騎士』と対面する。


「館内の一室にて、私は初めて立志伝中に詠われたかの御仁とお会いした。お前も旅回りの芸人が歌う『麗なる女獅子』を聞いたり見たりしたことがあるだろう。私が見たハジャール卿は平時らしく鎧姿ではなく、市井の子女と遜色のない革と麻織を重ねた衣服を纏っておられたが、軍人の証ともいえる飾り緒の入ったマント、そして文机に立てかけられた反りのある武骨な造りの剣が、この方が歌われるだけの実体を持った、決して飾りではない本物の軍人であると感じた。ハジャール卿は私の着任を確認し、私が預かっていた数幅の書類を受け取ってから、ねぎらいのお言葉を掛けて下すった。

『エイケン隊長、遠路はるばるこの地へ赴いてもらい、感謝します。今後は私の指揮下で帝国と王国の為に働いてもらうことになるでしょう。今はこの地の空気と水に早く慣れることを期待します。誰もが当初はオーク諸族と軒を並べて暮らすことに驚き、肩を竦ませるが、すぐに貴方も彼らを良き隣人として遇せるようになりましょう』

 そう言って私に微笑んだハジャール卿の尊顔は真に可憐、その声は玉で作った琴のように麗しい響きだった。肩や腰に流れ落ちている艶やかな黒髪と対照的な、白い肌と黒い瞳の彼女を前にして、私は形容しがたいほどの高揚を覚えた。それは健全な成長と教育を受けない帝国市民には……そのような者がいるとは私は思えないのだが……きっと毒のように深く体を蝕むに違いない」


 初対面の時の印象が強かったのか、折に着けエイケンはスピネイルについて言及している。


「……組打ちを監督されたハジャール卿は、最後に我々の中隊より精鋭を選りすぐり、御自ら稽古を授けられた。選ばれた五人の中に私も含まれたことは、素直に喜ぶところであったが、その後は己の未熟を悔いることとなった。息子よ。お前は父が手槍で猪を狩る様を見たことがあるだろう。旅の時野営する私たちを襲う狼を追い散らしたこともあった。昔から武器の扱いは慣れていたし、それまでも軍隊で訓練も欠かさなかったが、ハジャール卿の前では何の役にも立たなかったのだ。五人が一斉に突き出す刃引きした槍を、刀と鞘で巧みに受け流し、軽やかかつ素早い足運びで、指呼の間合いまで詰め寄ったと思った時には、既に五人纏めて一度ずつ打撃を頂戴していた。唖然とする我らをハジャール卿は叱咤し、何度も槍を打ち込ませた。並び立つと頭一つ半は小さいハジャール卿の体だが、打ち返してくる打撃は早く鋭く、骨まで通るような力強さだった。我々が息を喘がせ汗を滝のように流すまで、たっぷりと組み稽古を取らせたハジャール卿は、我らにお声を掛けて帰っていかれた」


「アメンブルク王の率いる従士団員と組み稽古をされるというハジャール卿に付き人として同行した。応対された筆頭従士のハイゼ・フェオン卿は実に気風の良い御仁であられたが、私の目にはいささか無作法な方と見受けられた。ハジャール卿はこの歓待を大楊に受け取られ、まず従士たちの稽古風景を見学された。片言でしか理解できないオークの言葉だが、ハジャール卿は実に流暢に話しておられ、彼らからの信頼も厚いようであった。お陰で我ら帝国人の、アメンブルクでの評判の半分はハジャール卿に依るものと思う……」


「……アメンブルク王から帝国への贈答品を送り出す準備に、ここ数日は追われている。二十台の荷馬車に載せられた高純度の鉄器、毛皮、毛織物、象牙はサヴォークへ運ばれ、やがてレムレスカ元老院と皇帝の元へ贈られるだろう。王は『帝国の友人』の地位を受け、我らのような帝国軍の支援を受けている見返りとして、これらの贈り物をするのだそうだ。ハジャール卿はこれらを運ぶ荷馬車隊に50人の護衛を付けた。そしてさらにモグイ族から10人の傭兵を得て、彼らを先ぶれとして送り出した。モグイ族はハジャール卿というより、卿に仕えている侍従に礼を尽くしているように見受けられた。ハジャール卿の意思が、侍従を通してモグイ族へ及ぶようである……」


 帝国の公文書にはこの時贈られた品々についての細目が残されている。斧頭八十振、槍の穂先百振、短剣百振、宝剣十振、象の毛皮と狼の毛皮合わせて五十枚、毛織物五十反、象牙五本その他諸々とある。これらを多いと見るか少ないと見るかは歴史家の判断が分かれる所であるが、帝国はこれの見返りとして新たな兵の派遣や、軍資金として金貨千枚入りの櫃二十箱を送っている。


 さて、アメンブルク王の贈り物がなされた時季は、同時にアメンブルクによるアメン川北部域の、まだ帰順せざるオーク諸族への侵攻が開始された頃と一致する。後世の歴史家は、これを『第三次アメンブルク攻勢』と呼ぶ。既に二度に渡る攻勢により、アメンブルク王国はアメン川両岸を手中に収め、さらに北東部に広がる黒森林と、そこに土着したオーク諸族に対し、王の支配下に入ることを要求した。北部の諸部族は連合してこれを拒否、攻勢が開始されることとなった。


 エイケンの記録に、この時のアメンブルク王国の陣容が詳細に記されている。


「ウファ―ゴ王の元に集ったオーク部族長は、それぞれの部族を象徴する造形を施した指物を掲げ、その元に集まった戦士たちは、手に手にウファーゴ王より貸し与えられた斧や棍棒を握った。アメンブルクの王となって後、八つの部族と十三の炉を掌握した彼は、彼に従う族長たちが集めた三千の兵、自らが支配する一千五百の兵を揃えて発った。我々もスピネイル・ハジャール卿以下二千五百の兵力を以てこの一軍の片翼を成し、進発することとなった」


 帝国の記録ではアメンブルクに派遣された部隊の数は一千五百とされていたが、その後の調査により、三年を経て千人の増員を得ていたことが分かっている。すなわち、この頃のスピネイルは二千五百の兵を擁し、またウファーゴ王より贈られた戦闘用の象、モグイ族の傭兵さえもその指揮下に加えていたこととなる。これは帝国軍軍制下では一軍団に匹敵する勢力である。


「かつて帝国で将軍ではない者がこれほどの勢力を率いることはなかった」とエイケンが記すように、元老院より選出される将軍の資格を持たない、形式上は複数中隊を率いるに過ぎない将校が持つには過大な兵力であった。後年、これにはサヴォーク総督キュレニックス・マグヌスの手によって半ば黙認されていたものであったことが発覚している。


 総勢七千の兵力はアメンブルクを出発し、アメン川北岸に築かれた当時の橋頭堡ブッフケルンに到着。さらにそこから北部に進んだ。攻略目標は北部諸部族の勢力圏内にあり、北部連合が拠点としていたイルリューティスであった。イルリューティスは (現在でもそうであるが) オーク諸族の合同祭祀が行われる一種の宗教都市であり、聖別された地下から多様な鉱物が採掘される鉱山都市でもあった。ただ、後にアメンブルク王国の領有がされた頃には、既に採鉱は減産傾向にあったという。


 進出してきた王国軍に対し、部族連合も拠点より出陣、両軍はアメン北部に当時広がっていたとされる原野のどこかで衝突した。具体的な会戦場所は現在でも専門家の見解が分かれ、エイケンも「ブッフケルンより北東に進むこと二日」とのみ記している。


 だが、同じエイケンの記録には、後世の我々に興味深い資料を提供している。重要な部分のみ抜粋しよう。


「……象を一人で駆るハジャール卿を先頭に突撃陣形を組んだ我々は、王らオーク戦士たちが足止めしている敵陣の横腹へ突き刺さった。私も配下に付けられた10人の騎兵と共に突入し、胸当てが黒く汚れるまで相手の血を浴びた。槍で目の前にいたオーク戦士の頭を叩き潰した時、視界の端で恐るべきことが起きていた。象の上で刀を振るい部隊を鼓舞していたハジャール卿へ、敵方から落鞍させるべく無数の鎖が投げつけられ、手に持つ刀や鞘にまで絡みつかれた卿が鞍から引きずり落とされたのだ。私は隊を率いて卿を守るべく象の傍へ寄ろうとしたが、間に立つ敵戦士に阻まれてしまった。巨漢のオークたちの間に落ち、もはやこれまでかと思われたが、ほどなくして陣中においても肌身離さぬ将校のマントを翻し、ハジャール卿が飛び出してきたのだ。緋色に染められた鎧の上からさらに血潮を浴びておられ、その手に握られた刀からは鮮血が垂れ、鞘は中ほどから折れ砕けていた」


 ……後代、スピネイル・ハジャールは様々な形でその偶像が作られた。石像に、絵画に、レリーフにされたスピネイルは、製作年代によって細部は異なれど、かなりの程度、様式化された姿をしている。黒い髪、白い肌、緋色の鎧に象を伴う女武者として。


 だが、戦士にして将軍として描かれた彼女の携える武器は、自身の象徴でありながら一様ではない。ある時は刀、そしてある時は、鞭を携えた姿で、彼女は描かれている。


 これは一体、何故なのか。


 この謎を解くカギが、嘗てのレムレスカ帝国領より離れた島国、ブレッドヴァルに遺されている。ブレッドヴァルは、アメンブルク王国を築いたツァオ・オークや、その前身シー・オークらが大半島に到来する前にやってきたオーク氏族、ダオ・オークが渡来し、支配した島である。


 ブレッドヴァルの現代の首都、エグバルト・スヴァン郊外に建つ『継血の祭壇』では、現在でも考古学者による遺跡発掘が続けられている。その中で、公文書保管庫と思われる地下空間が発見され、当時の貴重な記録文献が日の目を見ることとなった。


 未だ解読が不十分なものの、このエグバルド・スヴァン文書の中に驚くべき一文が残されていた。



『南の海を渡り、ツァオ族の戦士達がリシンの庭へやってきた。リシンは戦士の長と話し合いをし、『彼女』から刀を受け取ると、礼として玉の鞭を与え、ツァオ族は去った』



 果たして、この『彼女』とはスピネイル・ハジャールのことなのだろうか。


 再びエイケンの記録を振り返ると、興味深い箇所が現れてくる。


「……我々は青いオーク戦士の放つ奇怪な技を撥ね退け、恭順せざる部族らの籠る城塞を抜け、見事彼らの長達の身柄を手にすることが出来た。そして十日ばかり休息の後、イルリューティスを望む地へたどり着いた」


 しかし、どう考えても妙なのである。


 これより時代は下るが、歴史家アマセイヤ・ハルはこう残している。

「私は一路、ブッフケルンより五日かけイルリューティスへ達した。未だ開拓の進まぬ凍える黒い森を貫く新街道では、人の気配を感じさせるものは、この踏みしめる道以外なにもない」


 つまり、エイケンの時代、仮に道が険しくても十日も足止めするまでもなく、イルリューティスに軍は到着できたはずであること。そしてブッフケルンからイルリューティスの間には、彼の言う『城塞』なる物は存在しなかったということである。


 そしてエイケンが書き残した『青いオーク戦士』とは、いったい何者なのか……。



 アメンブルク王国がイルリューティスまでその版図を拡大したこの攻勢により、エイケンは手傷を負ったらしく、後日、治療中の将兵を見舞いに来たスピネイル・ハジャールを病床より目撃している。


「……魔術人の施薬により、血肉の正常な働きを取り戻すために、やむなく与えられた眠りだったが、負傷兵を見舞われたハジャール卿のお姿を見ることは出来た。卿もまた激しい行軍の後とあって疲れの見えるお顔をなされていたが、苦しみ眠る兵士たちにお声を掛けられ、我々の健闘を湛えて下さった。卿もアメンブルク王より私的な褒美を戴いたと仰られ、その証か、卿の腰には常の刀ではなく、珠鎖で作られた煌びやかな鞭が佩かれていた」


 人類とオークの歴史に、美麗と勇壮を以てその名を遺した女武者、スピネイル・ハジャール。


 彼女の物語には、未だ多くの謎が残っている……。

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