第23話 連合の策謀
火入れ前の黒葡萄酒を掬い取ったような夜だった。季節は中夏、山岳ではともかく平地では雨は減り、太陽は高く昇り日中の照りは激しいものの、陽が落ちれば一転、雲のない空へ熱気は逃げていき、冷え冷えとした風が吹く。
黒森林を切り開き、人間ともほとんど接触することもないこの地に住まうオークたちは、東部より持ち込んだ独自の文化をこの地で維持している。切り開いた山林の中に、獣皮で作られた住居で暮らすのだ。だがそんな北部オーク諸族たちの領域にあって少ない例外の地がイルリューティス、祭礼の都市だ。都市と言っても小高い丘の上を造成し、質朴な階段状の正餐台、火を焚き礼拝するための御堂などを備え、一方でオークの信仰する地神の恵みである鉱物を採取する坑道が掘られた地である。
本来、特定の季節以外は少数の技術者しか住まないこの場所に、現在はなんと五千人近いオークが集まっていた。そのほとんどが、戦士として族長に呼集された自由民か、族長に直属する従士である。当然、都市の施設に収容しきれないため、彼らの多くは持ち込んだ自分たちの『家』を張り、寝起きしている。
御堂の中では夜中とはいえ、薪が組まれ身の丈に迫る高さの火柱が囂々と燃え上がっていた。そしてその火柱を囲むように、数人のオークが座っている。
老壮に差し掛かったオークたちの身を包む衣装は上質の毛織物と皮革、樹皮で形作られている。また、彼らの頭には細部の装飾は異なるが一様に真鍮あるいは銀製の環が被せられていた。族長の証である。
出席者は皆、顔色が悪い。眉間に深い皺が刻まれ、事態の深刻さに心痛めている。
「かき集めた一万の戦士が、一晩で半分になってしもうたとはな」
「忌々しい小さき者とツァオの長め。あやつは全ての氏族を自らの部族に取り込むつもりか」
「ふん。小さき者に担ぎ上げられた弱小部族が図に乗り負って……」
「管を巻いていても仕方あるまい。先陣を任せたキャッサとタルイの長は捕まったと見るが賢明だな」
一同の中で最も高齢であるマタル・ユイ族長は、それでも何かこの集まりを建設的な意見を出す場にするべく話を続けた。
「キャッサとタルイは恐らくツァオに恭順することになるだろう。あやつらが抑えられると聊かまずいことになる。まず食糧の当てが細くなる」
「既に各々の里から備蓄用の黒麦や干し蓮根を、イルリューティスへ運び込ませてあるではないか」
「それでどれだけ食いつなげると思っているのだ? 既にアメン川岸を住処としていたヘオ族が奴らに下ったことで、奥東部の氏族との交易が出来なくなっているのだぞ」
奥東部、すなわち大半島よりさらに東の地に住む、オーク諸族に連なる半農半猟遊牧の民との繋がりが断たれたことは、アメン北部のオークたちにとって、まさに毒矢の傷のごとくじわじわと集団としての体力を奪われる結果となった。
陸路を経由する隊商を汲めば、奥東部との交易は可能だろう。だがそれは複数の部族の領域を超えねばならず、それは通過の度に通過料として一定の金品を差し出さねばならない。結果として交易による獲得は目減りするし、何より川を用いた交易より運び出せる量が少ない。希少品を扱うならともかく、今欲しい武具や食料を獲得するには向かない話だった。
「我らの里は戦士として民を駆り出しておる以上、田畑からの収穫はさほど期待出来ぬのだ。逆にツァオたちは人間やモグイ族と交易できる。長く戦えば全くこちらの不利よ」
「そんなことは分かっておるわ! であるから我らは普段の諍いを納め、このイルリューティスにて連合の誓いを立て、一致団結してツァオと小さき者と戦うべく、打って出たのではないか!」
赤ら顔のラアド・レイ族長が怒鳴り返す。
「卑しいツァオの戦士どもめ! オークの恥さらしめ! 斧を打ち返すこともなく守り続け、刃を振るうのは小さき者に任せるなど、奴らの斧は曇り切っておるわ!」
「だが、それで我らは敗れたのだ」
この中では最も年少であるマサ・ヘオコ族長がラアオを宥めて言った。恰幅の良さが部族の豊かさを示すオークの社会にあって、彼はやせ形の体を精一杯着ぶくれさせて、先輩格の族長たちと渡り合うべく手を広げて話した。
「皆、聞いてくれ。私はあの戦の後、ツァオの軍勢の動向を知るために奴隷を一人遣わしたのだ。敵陣に潜み、情報を持ち帰り見事生還出来たなら、自由の身にしてやると言ってな」
「ほほう、この懐寂しい情勢で奴隷を解放してやろうとは気風のいい話だな。で?」
「自由への渇望は恐ろしいものだな。奴隷は見事私の元へ帰ってきた。私は奴隷からツァオの陣営につい
て聞き取ると、その者を自由にした。この手でな」
マサは腰から手斧を抜き地面に突き立てた。装飾の施された斧頭には、まだべっどりと血糊の跡が残されている。
「戦士たちや従士たちの手綱を緩めるようなことを口外されるわけにはいかぬよ」
「うむ。見事だ」
武威と権威の使い振りにラアドは感心した。
「それでツァオの者らの、次の動きはなんだ?」
「小さき者らの手勢に負傷者が増えたらしく、奴らは一旦アメン北部へ下がるが、一部はまだこの近辺に留まって、我らの動きを見張るつもりのようだ」
「ツァオの長は何処にいる?」
「小さき者らと共にアメン北部へ」
ツァオ、すなわちアメンブルク王国の軍勢の主力は、言うまでもなくオーク戦士と従士団だ。先の会戦の決め手が人間の軍団による突撃にあったとしても、それは変わらない。
「今再び、我らの連合が総員を挙げて出撃しても、ツァオの長の戦士達と共倒れするのが精々、といったところよな」
「では如何にするというのか。ヘオコの長よ、そこまで周到に策を張るなら、我らに何か言うことがあるのではないかな」
マタルが力強い眼光で若き族長を射竦める。既に独断で密偵を使うという過分な行いをしているのだ。これ以上の発言は下手を打てばこの座から叩き出され、夜陰に背中から刺されて部族ごと吸収される、などと言うこともありうる。誓いを立ててはいるけれど、部族同士の対立は忘れられていないのだから。
だが、敢えてここでマサ・ヘオコは腹案を取り出した。そうせねばどの道、自分の部族とその独立を守ることは出来ないのだという覚悟があったからだ。
「遺憾ながら我々がいくら糾合し、戦士たちの士気を鼓舞してもツァオと小さき者の軍勢には勝てぬ。既に我々は三度も敗れているのだ」
「負けを認めるのか貴様ァ!」
いきりたったラアドが先ほど突き立てたマサの手斧を引き抜き持ち主へ投げつけた。額を割るべく迫った斧頭だったが、マサはそれを大胆にも指先で掴み取った。
「ここでお主がいくら怒鳴り叫ぼうと、過去は変えられぬのだ! 自重せよレイ族長!」
若輩と見下していた者に一喝され、武断派を気取っていたラアドも流石にたじろいだ。もとより他族の長を殺傷するような行動を衝動的に取った、という負い目もある。睨みつけられながら不承不承座り込んだ。
「……だが、我々にはまだ五千の戦士がいる。これだけでは我々は勝てぬ。新たな仲間が必要だ」
「既に目ぼしい部族には声を掛けたではないか。この他のどこに我らに助力しようという者がいるというのだ?」
「この中でダオ・オーク族に使者を送った者はおられるか?」
座を占めていた、それまで発言を許されていなかった他族の長たちは互いを見合わせた。
「おられぬだろう。私もそうだ。レイもユイもそうでありましょう」
「当然だ。あいつらはオークであってオークではない」
ふてくされたようにラアドが答える。
「同じ言葉とルーンを用い、同じく地神を奉るが、あの者らは厳密にはオーク諸族の枠の外にいる部族だ。此度の闘いは我らの自由を守るための闘い。あやつらは関係ないであろう。関係なき者を糾合することは出来ぬ相談だ」
マタルは得々と、内心目をかけているこの小部族の長にオークの論理を説いた。
だがその言にマサは首を横に振って答えた。
「確かに、我らの父祖がこの半島に移住してきた頃、海の彼方の島を住処としていたダオ・オークは、既に相当に我らとは異なる部族となっていたと聞き及ぶ。だが当代のダオの長リシン・ダオは、彼の島の全域を己の庭のごとく強固に支配し、今は再びこの大半島との繋がりを持とうと様々な働きかけをしておられる。長の方々も、あの青い肌の、潮の香を漂わせた使者を迎えた経験がおありではないのかな? 私は、ある」
発言に座がざわつく。マサの言葉は余りにも大胆だ。
「ユイの長、マタル殿。この場に集う部族で最も大きな貴方の里には、きっと来ているはずだ」
「確かに、来ていた……。底の平たい船を輿のように担いだ青い使者たちが我が里を訪れ、挨拶と交易を求めておった」
「実は今、私の里に訪れた使者を留め置いているのです。彼を使い、ダオ・オークを我らの陣営に加えるのです」
「タダで加えることは出来まい。無論、オーク習慣法を楯に協力を求めることは出来るだろうが、見返りを与えねばならん。マサ・ヘオコよ、お主はダオに何を与えられるというのだ?」
マタルの問いにマサはしばし沈黙したが、意を決して言った。
「知っての通り、我がヘオコの里は海岸に近く、漁港を持っている。私は長の権限で、それを彼らに割譲するとしよう」
落ち着き始めていたはずの座が再び騒めいた。ヘオコの里の漁港、その規模は近隣の部族と比べても特段に広く、高度に整備されているのだ。そこを根城にしている漁船団は沿岸から河口を経て河を上り、川魚まで漁獲していく。他にも滋養に優れた海藻や塩の生産も行っていたので、この部族は他族からは格好の交易相手であった。それら豊かな財産を生み出す、長年に渡り手を加えて作り上げた設備を丸ごと差し出すというのだ。半ば得体のしれないダオ・オークたちに。
だが、これが逆に他族の長達に、この提案にマサ・ヘオコが本気で取り組むつもりであることを印象づけさせた。己の部族のかけがえのないものさえ費やし、この闘争を戦い抜くという覚悟を感じ取ったのだ。
それに看過された他の部族の長達が声をあげる。
「ヘオコの長! ダオ・オークに漁港を贈るなら、私の里からは玉の原石を出そう。この闘いは我ら全員の闘いなのだ。お主の里一つからそれほどの財を出させるわけにはいかん」
誰かがそう口火を切ると、次から次へと族長たちが自分たちのもつ様々な財産を提示し出す。慌てたマサは彼らを一旦制して、鉄筆と筆記用の革を用意した。
「今からこの皮と筆を回すので、各部族はそれぞれ、ダオ・オークに差し出してもよいと思えるものを、長の名前と鉄印と共に記してくれ」
部族の長達は手元に回ってきた革に思い思いの品と名、そして長の印である鋼鉄の印璽を押し、マサの手元に戻した。マサはそれを一瞥してからマタルに渡した。
「……うむ。この品々を我ら連合からダオ・オーク族への報酬とし、彼らを我らの陣営に召喚する。御一同、異存はないな?」
「なし!」
「なし!」
「……ない」
不面目である、と言いたげな眼差しだったが、最後はラアドも同意を表した。
「よし。では御一同、各々割り振られた持ち場へ戻り、ツァオの軍勢と小さき者らに備えられよ。抜かりなく……」
マタルの号令を合図に集会は解散し、各部族の長達は自分たちの率いる戦士の待つ幕舎へと引き上げた。
マタルは小部族の長達が居なくなった頃を見計らい、手元の皮をマサに返した。マサがその文面をちらと見直すと、なんと自分の署名の部分が塗り潰されていた。
「これだけのものを用意すれば、お主の港を差し出さずとも良いだろう。ヘオコにはダオとの交渉を全て任すゆえな」
「……ご厚意に感謝します。マタル・ユイ」
「厚意ではない。もしお主がダオの取り込みに失敗すれば、一族郎党は悉く奴隷となり、ホーを名乗ることとなるだろう。心して掛かれ」
厳めしい老年のオークは、対峙する年若の族長にそう言うと、御堂の奥へと引き上げて行った。
マサもまた、己が選択した使命を胸に自分の家族が待つ幕舎へ帰った。急ぎ文書をしたため、早駆けの出来る従士を使って里にいるダオの使者と連絡を取らねばならない。マサが覚えている限り、既に使者は里に二十日は留め置かれている。十分な歓待を与えてはいるが、もしやすれば里から去っているかもしれない。その時は、船を用立ててブレッドヴァルまで使者を送ることになるだろう。
大半島北西部に横たわる海、ダオフリースを容易く超えることが出来るのは、それこそ海を渡れるダオ・オークの廻船くらいなものだ。ヘオコの熟練漁師であっても、あの青黒い海を渡り切ることは容易ではない。だがそれでもマサは非情に、族長として支配下のオークたちに命令し、海原へ乗り出させる覚悟を決めて足を速めた。
ラアドは従士たちが不寝番に立つ小屋の中に入る。中では女が一人、炉に吊るされた鍋をかき混ぜて主人を待っていた。
「お帰りなさいませ……」
「酒だ! 酒を持て」
ぶっきらぼうに命じられた女は、オークらしい肉置きの良い体を動かし、壺から錫杯に麦酒を注ぎ入れて差し出した。
敷き皮の上にどっかりと座ったラアドが杯を受け取って口にしていると、女はこの赤ら顔の族長の隣に座り込んだ。
「随分と気を荒立たせておりますが……」
「気にするな。お前が知るところではない」
「あいな……」
ぼんやりと受け答えた女はラアドが自身の膝を叩くのを合図に、彼の膝へ頭を乗せた。髪に込められた香料から薬草の匂いが漂っている。
この女の名はベイシャン。ラアドの治めるレイ・オーク族に属する薬師にして、ラアドの主治医であり、愛人でもある。
一族内でも、また数々のオーク諸族間の縄張り争いにあっても、血の気の多い武闘派で鳴らしたラアド・レイは、族長となってから今日まで、脅し賺し、あるいは実力行使によって支配領域を広げ、隣接する小部族を呑み込んできた。そういった意味では、アメンブルクの前身を築いたラン・バオ・シーに近い気質の持ち主と言える。
ただ、ラアドは自身の地位を固めるため、直系の親族さえ滅ぼしてきたという過去がある。彼には三人の兄弟がいたが、皆何らかの形でラアドと対立を深め、決闘の末打ち倒されている。
順風満帆に見えた彼の人生だったが、年を経るにつれ、徐々に陰りが見えるようになった。族長である彼は他族の長の家系より妻を娶る機会が何度とあり、実際に彼の家には本妻を含め四人の妻がいる。強いオークの男の元に複数の女が囲われることはさほど珍しいことではないが、これまで彼は子宝に全く恵まれなかった。やっとのことで得た子供は半年を経ても目が明かぬ白子で、怒りのあまり手ずから縊り殺し、川に流した程だ。
そんな中、ある小部族を囲い込み、まんまとその農地ともども自分の物とした時、ベイシャンを見出した。散薬作りを技術者より仕込まれたこの女は、ラアドの衰え始めた肉体を癒し、またその健康な肉体に次代の長の血を宿すための器として見初められた。ベイシャンも、自分が元居た部族の安堵を条件に、彼の手の中に落ちたのだった。
「ヘオコの若造め。出しゃばりおって……」
「主様、今宵の薬をお飲み下さいませ……」
ベイシャンの声にラアドが頷いた。「よこせ」
「あいな……」
ベイシャンは鍋で焚かれていた薬湯を腕に取り、そこへ懐から出した干からびた褐色の肉片を削って入れた。それを口に含み、ラアドの唇に重ねる。
「ん……」
「んむ……」
薄若草色をしたベイシャンの肌に薄っすらと潤みが増す。
滋養強壮、精力快復をもたらす六肢羆の肝を飲ませて、ベイシャンはラアドから離れようとした。
だが、ラアドの手が一歩早く、彼女の腰に力強く巻き付いた。
「あっ……」
「つれないことをするな」
「いけません、このような時に……」
「このような時だからこそだ。明日には死んでしまうかもしれんのだからな」
荒っぽく敷き皮に押し倒されたベイシャンの下帯に手を掛け、赤ら顔のオーク族長は嘯いた。
「静かにしておれよ。従士たちには毒だ」
「ううう……堪忍でございます、どうか、どうか」
「くどいぞ」
帯を外され、薬師の装束が解かれると、服の下に押し込まれていた豊満な肉体がラアドの目に飛び込んできた。若く、柔らかで、生気に満ちた肉体に、死の足音が微かに聞こえ始めた男が飛び込んでいく。
女薬師は暫くの間、嗚咽混じりの苦し気な声をあげていたが、男の施す熟練の手管の前に、ゆるゆると抵抗をやめ、やがて受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます