第21話 レムレスカの姫騎士


 急遽決まったレムレスカ行きのために大急ぎで支度をし、サヴォークを出発したのは日も暮れてからになった。一行の構成はキュレニックス、スピネイル、インファ、ヨアレシュ、そして数人の重歩兵が護衛兼用人として随行する。全員が馬に乗り一刻でも早く到着することを目指した強行軍だった。


 とはいえ騎馬に不慣れなヨアレシュはインファの後ろに乗せられた格好で、冷たい風吹く冬の道を彼女にしがみつきながらがたがたと震えていた。


「あはっ、ささ、寒いっ!」


「んっ、そんなに強く掴まれては手綱が取れませんっ!」



「うふっ、インファ暖かいなぁ。えへへ」


「ああもう鬱陶しい。無駄に大きなものを押し付けないでくださいまし」


「なにさーいいじゃない。スピネイルとこういうことしたいんでしょ? 代理だよ代理」


「貴方とお嬢様ではまるきり違いますわっ!お嬢様はもっとこう、しなやかで、無駄がなくて、でも必要十分な膨らみが……」


「ああ、はいはい。ごめんねごめんねーおっきくて」


 ……なにやら後方でわちゃわちゃしているのを聞き流し、スピネイルは遥か南のレムレスカで待つ己の去就を思った。


 早馬を飛ばした一行は、本来徒歩で七日は掛かるディヴォンまでの道を三日で駆け、ディヴォンで支度を改めた後、新たに馬を換えて出発、二日をかけレムレスカへと入った。


 レムレスカの中心区画に座す帝国大公堂に参上したスピネイルとキュレニックスは、すぐさま元老院議員が詰めている大議場へと案内された。


 半地下に作られたすり鉢状の議場の底で、色も怪しく炊かれた無数の灯火で照らし出された二人に、在席していた元老院議員たちの無数の視線が注がれる。


 当直の議会進行役の議員がロウ板を片手に話し始めた。


「ここに負わします帝国臣霊に守られし勇士たる諸父兄たちへ。また新たに加わった者たちへ。この者らは先のオーク戦役に際し、戦陣に立って帝国と臣民の利益と安寧を守るべく身心を賭し、そしてそれを成し遂げたる二名であります。一人は我ら元老院に列し、此度の出兵に際し選任され、第十三軍団の旗印を授かったキュレニックス・マグヌス。もう一人は魔術人ヨアレシュが市井より見出し、戦役の火中でキュレニックスの名代を果たしたサヴォーク貴族、スピネイル・ハジャール」


 名を呼ばれた二人は一歩前に出て、周囲の目に対して礼を示した。


「さて、元老院は貴公らに問う。先の戦役においてキュレニックスはスピネイルの提案せしいくつかの献策を承認し、実行した。すなわち、サヴォーク周辺域に侵入したオーク族の一派を調略、乃至は庇護下に置き、次にサヴォーク解放の後、第五軍団より兵力を接収、これを持ってシー王国を名乗るオーク族の領域に攻め込み、これを撃退し、新たなオークの王をその地位に就けた。これらに相違はないか」


「……相違なし」


「同じく」


「では、再び問う。これらは帝国の諸権益を司る我ら元老院の関知しえぬ時と処で行われしことであり、帝国軍団を指揮する将軍とその配下の権を越えた行いである。とはいえ、戦争とは常に流動する水のごときものである。元老院はそのために、二人に戦中におけるこれらの行いの大義名分を説明するための機会を与えることとした。もし、説明に納得がゆかねば、元老院は二人に罰を与えるだろう」


 厳かに進行役がそう言うと、灯りの下で二人を見る元老院たちのまなざしが、注意深く、これからの発言を値踏みするべく鋭さを増した。


「さて、まずはキュレニックス・マグヌス。貴方の言葉を聞こう……」


「承知した。ではまず、元老院諸父兄にお送りした、此度の闘いの報告書を思い出されたい。そこで……」


 と、キュレニックスは示された箇所について、その判断の正当性を主張する細やかな説明を始めた。それは傍で聞いていたスピネイルには至極当然のものと思える程度には筋道の通った話だった。


「私はこの度の戦に際し、己の財産を投げ打ち精鋭の兵を整えて臨んだが、私個人の懐に帰した財は殆どない。敢えて言うなら、サヴォークとアメンブルクの間に生まれたモグイ族の荘園との誼のみを携えたにすぎぬ。とはいっても、モグイ族と誼のなき元老院議員など、数えるほども居ないということは、諸父兄らに言うまでもなきことである」


 身の潔白を訴えながら、最後にささやかな笑いを供してキュレニックスの話は終わった。モグイ族の商人たちと付き合いのない元老院など居ない、というごく当たり前な話を持ち出して、此度の闘いで個人で得た物が何もないこと、すなわち全て帝国の利益のためであることを周囲に印象付けた格好だ。


 元老院議員たちもキュレニックスの説明で大方満足したのか、眼差しから緊張を緩ませたのが伝わってくる。その中で、進行役はスピネイルへ言った。


「次に、スピネイル・ハジャール。貴公の話を伺いたい」


「勿体なくも元老院議員各位に、私からお話することはありません。お話しするべきことは全て、キュレニックス将軍がお話いたしました」


「しかし、卿はツァオ・オーク族と交渉し、帝国に引き入れた上に、彼らを率いてアメンブルクの開城を成したではないか。これらは真か否か、元老院は興味を持っているのだ」


「何故ですか? 私が女だからですか? まだ若いからですか? だとすれば……心外です」


 思わず鋭い言葉が出てしまったスピネイルに、周囲がざわつく。ハッとして、スピネイルは謝罪した。


「申し訳ありません。ですが、私は魔術人ヨアレシュを警護する護衛士として、思いつく限りの行動を取ったに過ぎません。すなわちサヴォークの速やかな、かつ永続的な安定です。その為に、一時の危険を負うことを避けなかっただけ。それだけは、お伝えしたく思います」


「ううむ。あい分かった。それでは両名、下がってよし。追って沙汰あるゆえ、それまでレムレスカ市外へ出ることを禁ずる」


 

 喚問から数日後、二人は改めて元老院に召喚され、待機室へ通された。


 スピネイルが入ると、既に元老院としての正装に身をやつしたキュレニックスが静かに時を待っていた。


「来たかスピネイル。まぁ座れ。どうやら長引いているようだ。大分会議が紛糾しているようだぞ。全く、何を言われるかわからんというのは憂鬱なものだ」


「そういう割には随分とお顔が晴れやかではないですか。……何を言われるか、閣下にはおおよそ予想がついているのでしょう」


「まぁな。だが、最後の最後まで結果は分からん。私の掴んだ情報が正しいかどうか、それはここを出て諸父兄の言葉を聞くまでは知ることは出来ん」


 二人は狭い待機室で向かい合わせに座った。窓一つない部屋は燈火で照らし出され、灯心の燃える音だけが静かに聞こえるのみだった。


「私の伯父は過去の政争に敗れた折り、財産を没収された上にまともな裁判も受けられず刑死した。その後、私は家督を継いでから伯父の名誉を回復させ、再びマグヌスの家に繁栄をもたらすべく働いてきた。此度の戦役に際し、私は折りに着け報告を送り、別口の友人にも頼み込み、市井の人々にも見聞きできるよう取り計らった。知っているか? 貴公は今やレムレスカ子女の間では『赤き女騎士』として有名なのだということを。貴公を取り立てて、北部に平和を取り戻した英傑として私の名も謳われている」


「大変結構なことです。ですが、私に謳われるほどの価値があるかどうか……」


「そう謙遜するな。人が人を謳うのは、誰もが同じではないからだ。武に優れた者、文才のある者、手職ある者、あるいは遊芸を身に着けた者でもよい。誰もが一様に違い、しかし懸命にそれらの持つ宿業と向き合い生きている。……お主も己の業と向き合って生きるべきではないか」


「私の、業……」


 スピネイル・ハジャールの業とは、ホン・バオ・シーから引き継いだオークの業だ。闘い、勝ち、誉れを尊び、掟の元の公平を守る。


 それは人間としてのスピネイルが備えていてよいものなのだろうか。


「己の業を知り、そしてそれに逆らわずに生きろ。亡くなる以前、私は伯父にそう教えられた。私は己の業、マグヌス家の名を高めることに尽くしてきたし、これからもそうするだろう。たとえこの後に罰を受けようと……。であるから、貴公も世を儚む前に、自らの業を尊べ。そうするだけの資格が、貴公にはあるのだから」


「それは許されることなのでしょうか?」


「許す? 誰が? 臣霊も神霊も見守りこそすれ、許さぬからと言って罰することなどない。罰するのは生きている者よ。生きている者を恐れる必要はない。何せ、切り込めば死ぬるのだからな、魔術人と違って……」


 そこで戸口が叩かれ、当直の者が議場までの案内に入ってきた。言いかけた言葉を飲んで、キュレニックスは立ち上がり、そのものについて出ていく。スピネイルも慌てて立ち上がった。


「閣下。なぜそんな話を私にしたのです?」


「なぁに。……気まぐれよ」


 青年将軍の晴れやかな横顔がそう告げて、薄暗い廊下の中へと消えていった。


 呆然とするスピネイルを、別の案内が促し、歩き出す。燈火の嫌に少ない廊下を抜け、先日と同じ大議場へと抜けた。


 進行役議員が声を張った。


「元老院議員キュレニックス・マグヌス。並びにサヴォーク貴族スピネイル・ハジャール。元老院から二人に訓示する」


 二人は元老院全員の目の届く壇上に立つと、元老院の一人が立ち上がり、近づいてきた。老齢だが足腰のしっかりした人物で、いかにも元老院の意思を代表する者という風格がある。


「まず、元老院議員キュレニックス・マグヌス。汝を此度の功績に鑑み、サヴォーク属州総督へ任命する。合わせて第十三軍団将軍の任を解くものとする。次にスピネイル・ハジャール。汝をシー王国改めアメンブルク王国へ送る駐留部隊の軍指揮官に任命する。これはアメンブルク王ウファーゴ殿の御意向を、当元老院の審議の上反映したものである。詳しきは追って知らせる故、下がってよろしい」


 重々しくも発せられた、その言葉の意味を理解するにつれて、キュレニックスは自信たっぷりに頷き、スピネイルは何が何だか分からず言葉も出なかったが、ようやっと、からからに乾いた舌先で質問を絞り出した。


「ち、駐留部隊の指揮官、とは、なんでしょうか?」


「うむ。アメンブルク王国はいまだ帰属せぬオーク諸族に対抗するため、我が帝国に軍事的援助を求めている。しかし、帝国は南洋の列島属州を襲う海賊、およびベルベル海岸に興った異教徒の国とも干戈を交えている上に、オーク戦役においても多額の財並びに人員を費消しておる。そこで、先の緒戦で軍功ある貴公の力量を評価し、貴公に半軍団規模の軍組織を行う権限を与えて派遣することとしたのだ」


 一個軍団を指揮するためには、元老院が将軍に任ずる必要があり、そのためには元老院議員である必要があるが、それを行うほど余裕がないので、半分だけの軍団を作り、その運営を任せる、ということだ。


「これほどの権限を受けた帝国淑女は過去に例がない。謹んで軍務に励むがよい」


「……はい」


 呆然と、ただ頷くことしかできなかった。


 スピネイルは自分がどの経路を辿って公堂の外へ出たのかすら定かではなかったが、外は既に日が南中に登り切り、冬空に爽やかな陽光を投げかけていた。


「……閣下はこの裁定をご存じだったのですか?」傍らに立つキュレニックスに問う。


「初めに言っただろう。この耳で聞くまでは知ることは出来ないと。だが、自分の耳で聞き、突きつけられることで知ることも多い。卿の武人としての業が、帝国と王国に友好の橋を架けることを私は願うが、卿が何を思って此度の任務を受けるかは、卿自身の胸一つ次第よ」


 それを聞き、スピネイルの手は自然と腰に帯びた刀に触れた。


 血塗られた武器だ。しかしそれはまさにスピネイルの宿した業そのものと言えた。仇なすものを切り倒し、思いを繋ぐ。多くの人を巻き込んで。だがそれの、なんと眩しく輝かしく見えることだろう。


 己の身に湧き立つ、得も言われぬ凶暴な喜びを深くかみしめていると、公堂の影にいる二人を目指して歩いてくる二人の姿があった。インファと、ヨアレシュだった。


「お嬢様! キュレニックス閣下!」


「その様子だと厳しい沙汰じゃなかったみたいだねぇ~」


「二人とも、出迎えとは痛み入るな。インファ殿、スピネイル殿は栄転と相成ったぞ。一緒に祝ってやってくれ」


「栄転……?」


 自分の口から言いづらい中、スピネイルはぽつぽつと、自分が元老院から与えられた任務について話す。インファはそれを聞いて飛び上がって喜んだ。


「それでは、帝国は一軍の将としてお嬢様をお認めになられたのですね」


「すごいじゃ~ん。よっ! 帝国一の女将軍!」ヨアレシュも陽気にはやし立てた。


 スピネイルは我がことのように喜んでくれる二人を見た。考えれば、二人は自分の復讐に巻き込んだようなものなのに、そしてその結果として自分がこのような待遇を得たというのに、そんなことは思いつきもしないらしい。


「……インファ」


「はい」


「私は、見ての通りの女です。帝国の風土を好いているけれど、同時に血と暴力がなければ生きられない。私と共にいる者は、多くの苦しみと困難を負うかもしれない。それでも私は、この任を受けて、多くの人を巻き込んで、往こうと思うの」


「存じておりますわ……あなた様の往く処、どこまでもインファはお伴致します」


 潤んだ瞳で見つめ返すインファの手を、スピネイルはそっと自分の手で包んだ。


「幾久しく、お仕え致しますわ」


「ありがとう……本当に、ここまで私を連れてきてくれて……」


 不意に、スピネイルの目も潤み、一粒の涙となって二人の重なる手に落ちた。その時、スピネイルは自分の中にわだかまる、ホン・バオ・シーとしての自意識に別れを告げ……しかし、決して消え去ることなく……改めて、スピネイル・ハジャールなる、一個の人格としての己を捉え直すことが出来たように思えた。オークのごとき勇ましく強い、帝国の女騎士として。


 しんみりと煙る雰囲気をヨアレシュがけたたましく割った。


「な~に二人していい雰囲気作ってるのさ、いやらしい。あ、そうだ! アメンブルク行くなら、私もついて行っちゃおうかなぁ。軍団を作るなら、ヤオジンの力は必要でしょ?」


「魔術人ヨアレシュ、お主あれほど寒いのは嫌だとごねていたではないか。アメンブルクはおそらく、冬のサヴォークより寒いぞ?」


「む。んーでもさ、スピネイルとインファにくっついていくと、なんだか愉快なことがありそうじゃない。レムレスカみたいなお高く留まって凝り固まった処より、そういうところの方がヤオジンには都合が良いの!」


「そういうものかぁ?」


「そういうものよ。ね、いいでしょ? スピネイル様ぁ?」


「……ふふふ、そうだな。好きにすればいい。こうなったら私は、誰であろうと巻き込んでやるぞ。私が暴れられるところまで、付いてくる気があるならな」


 そう言って、スピネイルは猛然と公堂の庇から飛び出し、市街区への道を駆け下りる。


「お嬢様!?」


「スピネイル!?」


「こうしちゃいられない! 今すぐにでも必要な物資と資金を調達して、アメンブルクに行ってやるのさ!二人とも、さっさと付いてきなさい!」


「そんな、それほどお急ぎにならなくても!」


「おいてかないでよ~」


 インファとヨアレシュは先を行くスピネイルに追いつくべく駆け出す。


「置いてかれたくなかったら、私の前に出るんだな!」


 走るスピネイルは、黒い髪を波打たせ、弾む息に白い肌を紅潮させる。


 まだ見ぬ試練と困難を打ち破ることを夢見る、オークだった人間の姿を、千年を閲してそそり立つレム

レスカの串型塔オベリスクが、オレイカルコスの曇らぬ輝きで見下ろしていた。

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