第19話 殺意華咲く

 晩秋の霧はねばりつくようにアメンブルクまでの道を塞ぎ、その中を暗い焦燥感に囚われた戦士たちが征く。数多の落伍者、離間者を出しながらの行軍は地の利のある土地とて一昼夜続き、二日目の昼頃、霧の果てに街灯りを乱反射させるアメンブルクの街が、連なる小丘越しに見えた。


 ほんの十日ばかり前まで、そこはユアン・ホー・シーにとって自分の庭にも等しき場所だった。住民は並べて自分に首を垂れ、慈悲を乞い、与えられた労役や納税義務に黙々と従っていた。ユアンに率いられたホーの男たちの従士団は、彼らに圧制を強いた。歯向かうものは容赦なく罰し、領内の反抗勢力を根絶やしにした。そのおかげで、ユアンとホーの男たちの元には多くの物資や人が集まったのだ。


 だが、それらはレムレスカ帝国軍の報復的侵攻の前にすり潰された。臣従を誓わせた下従士たちはいつの間にか姿を消し、配下に置いた自由民兵士の多くは逃亡、もしくは行軍の最中に謎の敵により命を落とした。何よりも、戦力の中核となるべきホーの男たちの被害が甚大だった。過日の会戦で各個撃破され、そしてこの撤退中も落伍者、死亡者が出た。栄華から一転したこの惨状に、ホーの男たち自身が辟易していた。一体なぜ、こんなことに。


 そしてそれは彼らを率いるユアン・ホーにとっても同様だった。今、目の前に見える本拠地に軍を引き入れ、体制を整える必要があったが、それが果たして出来るほど、住民たちは従ってくれるのか、確信が持てなかった。最悪、住民の反抗を受け、館に籠城する羽目になるかもしれない。


 ユアンは部下に命じて隊列を組み直させた。拠点が目に見えてきたことで兵士たちも平静を取り戻し、黙って従った。その数、凡そ六百。


 余りに惨めだったが、そんなことはおくびにも出さず、ユアンは傲然とした君主の顔をして象戦車の上に座り、行軍を再開させた。


 長い間周囲を覆っていた霧も、漸く陰りを見せ、徐々に薄らいできた。アメンブルクを囲む小丘を回り込み、正面に都市を守る城門が見える。すると、本来ならここで出迎えるべき門番がどこにもいないことにユアンは気づいた。その上、日中であれば解放されているべき門は閉じられている。


「おい、どうして閉めているんだ。即刻開けさせろ」


 命じられた部下は戦車を降りて門に近づいた。するとそれまで無人だった城壁の上に人影が現れ、近づいた兵士に向かって投槍が放たれた。その槍はまるで導かれるように過たず兵士の身体を貫いて絶命させた。


 その様に動揺する周囲を一喝し、ユアンは門に向かって叫んだ。

「おい! 一体どういうことだ! 門を開けろ! 俺はシー王国国王、ユアン・ホー・シーである!」


「断る」


 重々しく、門前に立つ兵士たち全てに聞こえる大音量で何者かの声が返ってきた。


「誰だ!」


「私だ」城門の上に作られた見張り台の上に人が立った。頃合いよろしく、霧が晴れていくとその姿は明瞭に、ユアンの目に映った。


 それは、人だった。ただの人ではない。可憐な、そして凛々しく涼やかな面をした、緋色に塗った鎧を纏った人間の女だった。


「何者だ! 人間!」ユアンの部下の一人が誰何の声を上げた。


「私はシー王国国王、ウファーゴ・ツァオ・シー陛下よりこの門の守備を仰せつかっている、レムレスカ帝国軍第十三軍団代将、スピネイル・ハジャールである。無頼の賊徒に門を開けることは出来ない」


「ぞ、賊軍だと!」


「そうだ。貴殿らはいずこの者なりや?名のある氏族の縁者なれば、それを証明するべく手斧を掲げられたし」


 淡々と、だが響く声で伝わるスピネイルなる女の言を聞いたユアンは激怒した。


「馬鹿が! 誰が何と言おうと、ここは俺の国だ! 門を開けろ! 俺はシー王国の王、ユアン・ホー・シーだ!」


「以前はそうだったかもしれないが、今は違うのだ、ユアンとやら。身の証を持たぬ者は去れ。ホーの者たちよ、あるべき汝らの住処へ帰るがよい」


 自分の思っていた以上の苦境が立ちふさがっていたことにユアンは戦慄した。




 今、自分が生まれ育った都市の城門の上にいることが、どれほどありふれていて、なおかつ、どれほど特殊なことなのかに思いを馳せるホン・バオ・シー、いや、スピネイル・ハジャールだった。


「向こうはどう出るかな?」


「引くも進むもできない軍団に出来ることなどたかが知れているさ」


 脇に立つヨアレシュにそう答える。見るとヨアレシュは胸壁にもたれかかっていて、大層疲れているようだった。


「この台座に呪いは掛けたんだろう? 今は少し休んだらどうだ?」


「まぁまぁ、気にしないで。これから君がどうするのかを見ていたいんだ。君の感情の決着を、この目で見ていたい。そうしないと、忙しくって君の傍にいられないインファに伝えられないし、伝えないと酷く怒るよ」


「ふふ、そうか。あまり気持ちのいいものじゃないかもしれないがね」


「いいさ。キュレニックスもウファーゴも好きにやったんだから、君も好きにしていいはずだよ」


 手をひらひらさせてヨアレシュは持たれた格好のままぐったりと座り込んだ。


「ほらほら、相手が見ているよ。がんばれ、スピネイル」


「……ありがとう、ヤオジンのヨアレシュ」


「感謝するにはまだ早いよ」


「……そうだな」


 スピネイルは城門の前に集う、ユアンの軍勢を見下ろした。


「さぁ、身の証を立てるか、立ち去るか、どちらか選んでもらおう」


「黙れ! 人間ごときに従うものか。総員、戦闘態勢だ。門を破るぞ!」


 ユアンはそういうと象戦車の中に入り込み、法螺貝が吹き鳴らされた。隊伍を組んでいた従士や兵士たちが武器を構えて城門に迫る。


「仕方ないな。トゥラク隊長、攻撃を」


「任された! 総員、投槍準備せよ」


 胸壁の影に潜み待ち構えていた第十三軍団精鋭、重槍重歩兵とその隊長トゥラクは、代将の命に即座に従った。


 胸壁を覆いつくして立つ重歩兵は、手に手に得物である重槍を構え、門を食い破ろうと集るオークたちの脳天めがけて投げつけ始めた。


 あらかじめヨアレシュが槍に掛けていた、外不の呪いの効果により、槍はどれ一本たりとも外すことなく命中した。一瞬にして数百人の戦友が討ち死にしたことで、ユアンの軍勢は浮足立つ。


「ええい、使えぬ。ならばこちらは爆石と砲撃だ。戦車兵各位、攻撃用意。城門と門の上にいる連中を攻撃しろ!」


「あい、あい」


 戦車内室で戦車兵たちが目まぐるしく動き回って攻撃の準備を整えると、のぞき窓から投石が、開口部から突き出た槍から砲撃が開始された。


 頭上に落ちてくる爆裂する鉱石の雨に重歩兵たちは城壁の上を逃げ回った。砲撃による衝撃は門扉をひしゃげさせ、その力は台座に立つスピネイルまで伝わってきた。


「ユアンの奴、味な真似をする。だが、ここがシー王国の都であることを忘れているな」


 スピネイルは台座より下がると胸壁の合間に隠れて爆石を凌いでいたトゥラクに駆け寄った。


「どうだ? 被害は?」


「皆、この手の攻撃は慣れてきましたからな、案外、旨い事よけておりますよ。ただ、このままじゃ攻撃が出来ない。せっかく魔術人殿に必中の呪いをかけていただいたのに」


「なぁに。実をいうとな、あの呪いは保険みたいなものなんだ」


「なんだってぇ! それじゃ私が身を切った意味がないじゃないか。じゃんじゃん投げつけておくれよ」


「まぁそう言うな。隊長、例のものは運び込んでありますね?」


「え? ああ、はい。ウファーゴ殿が館を接収した際に持ち込んでおきましたが、本当にお使いになるので?」


「ええ。他の方は知らないでしょうが、私は使い方を知っているのです」


「それはそれは、オークでもないのによくご存じですね……砲撃槍、でしたか」


 スピネイルは頷く。


「向こうはこちらが人間だから爆撃はしてこないと思っている。そこをつく」


「分かりました。今すぐ持ってきましょう。誰か! ここに!」


 トゥラクは幾人かの手勢を集めると、頭上に爆音が響く中、城壁を形作っている塔の中へ移動し、それらを持ってきた。


 人の背丈ほどもある、太い金属の筒。先端に向かうほどすぼめられた形は槍そのものだ。トゥラク達はそれを四人で担ぎ、後のものが箱に詰め込まれた爆石を抱えてきた。


「今、胸壁に据え付けますので」


「いいえ、このままでいいです。誰か、火縄をください」


「そんな! こんな重いものをどうやって……」


 トゥラクをよそにスピネイルは置かれた砲撃槍に手を掛けた。なじみ深い、冷たく重い感触だった。それは館の武器庫の奥に収められていた、ホン・バオ・シー専用の砲撃槍だ。これを持って戦場を駆け抜けた気持ちが蘇る。闘い、殺戮の予感に震え、心が闘志で真っ赤に染まる。


 両の瞳が赤く光ると、スピネイルは一息に砲撃槍を担ぎあげた。周囲の驚く声を無視して、爆石を装填、火縄を繋いだ。


「皆、伏せよ!」


 雄々しく叫ぶと同時に、砲撃槍が火炎と共に衝撃を放った。分厚い鉄をぶち叩くような大音響の後に、城壁に取りつこうとしていた兵士と従士を薙ぎ払った。


 ユアンの部下たちは、自分たちが何をされたのか理解できなかった。


「な、なんだ! 何をされたんだ!」


 その意識の空白を突いて、第二、第三の砲撃が彼らを襲う。


 ようやく彼らは、自分たちが爆石の破壊力に晒されていることに気付くが、その頃には立ち上がって戦えるオーク戦士の数は、半分もいなかった。それほどこの砲撃は巧みに狙われたものだった。


 スピネイルの砲撃により動揺したのはユアンも同じだった。人間が砲撃し返してくるとは考えていなかったのだ。


「ま、まずい。象戦車を下がらせよ。上から砲撃されるぞ!」


 象戦車は高みから砲爆撃することを目的に作られた兵器だ。それゆえに、自分より高い位置からの攻撃を受けられるようにはできていなかったのだ。


 戦車兵たちはこの命令に忠実に従った。象戦車がゆっくりと旋回してアメンブルクからの退路を取ろうとした。


 それを見て反応したのがユアンの部下たちだった。自分たちを率いるはずの王が自分たちを見捨てて逃げようとしているように見えたのだ。


「敵は浮足立っている。トゥラク隊長、一斉攻撃だ」


「了解! 総員、槍構え! 投げて投げて投げまくれ!」


 それまで頭を押さえつけられていた重歩兵たちは一斉に立ち上がり、手前が持ち合わせていた槍を遮二無二眼下のオークたちへ向けて投げ放つ。それに合わせてスピネイルも砲撃を加えた。


 ユアンは統率を取るために矢継ぎ早に指示を出したが、兵の士気は完全に崩壊していた。


「もうだめだ! 俺は逃げるぞ!」


「助けてくれ!」


 戦場を離脱する兵士、そしてホーの男たちの従士が続出するのをユアンは車内から見てしまった。


「ちくしょう、どうする? 各員、状況を報告しろ」


「砲撃用爆石、投石用、ともにあと三十粒を切りました」


「象使いが負傷して内舵の象の操縦が困難になっています」


「屋根の一部が衝撃ではぎ取られました。そこを狙われれば室内まで、被害が……」


 明るい報告が一つもない中で、ユアンは自分が進退窮まっていることを理解した。


 だが、逆にユアンはこの極まった状況に置かれたことで、自分の身を守るために何をするべきかを冷静に導き出した。


「……降伏するぞ」


「陛下!」


「まぁまて。相手は人間だ。少数対少数なら負ける。集団対集団なら勝てる。ならお前たち、一対一なら負けるか、勝てるか?」


「人間と一対一なら、俺たちは絶対勝てます!」


「そうだ。お前たちは俺と違って、力に優れた真なるオークだ。だから、俺が降伏を申し出て、向こうの親玉が城門に降りてきたところを見計らって襲い掛かれ」


 偽の白旗を見せる、ということだ。


「どんな戦いも勝ったものが全てを得るのだ。お前たちを勝たせてやる。俺と共にこの国の中枢となるか?」


「なる! なります!」


「よし、いい返事だ。では、待て」


 ユアンは車内から上部の台座に出て、城門へ向けて懐にあったハンカチーフを振った。


「降参だ! 降伏する! 攻撃をやめてくれ!」


 ユアンの叫びが通じたのか、投槍も砲撃もぴたりと止まった。辺りは硝煙と血の匂いが漂う死の空間だった。ほんのわずかなオークだけが、かろうじて息をしていた。


「貴方たちに降伏したい。城門まで降りてきていただきたい」


 この声にスピネイルが答えた。


「ユアン・ホーと言ったな。それが真実なら、ホーの名を持ちながら武器を持ち、他の氏族の領地へ戦いを挑んだ罪は重い。その罪を背負う覚悟はあるんだな?」


「オークの習慣法に従い、その罪を背負おう。だから、貴方に武器を預けたいのだ」


「……分かった。しばらく待て」


 それを聞いてユアンは内心ほくそ笑む。城門の守将を奸殺し、開かれた門から一気に内部へなだれ込み、混乱する敵軍を攻撃する。そして門を制圧し、その次は市内へ乗り込み、館にいるだろうウファーゴ・ツァオなる男を引き出して殺せば、再びここが自分の住処となる。そんな遠大な謀の絵図面を引いていた。


 やがて閉じられていた門がゆっくりと開き、その中心にたった一人立つ、小さな姿があった。間近で見ればその姿はいよいよ小さく、そして凛々しく美しかった。それには生き残りのホーの男たちまでもはっと目を奪われるほどだった。


(こんな小さな奴に、俺は追い詰められているのか)


 なまじ自分がオークとしてはあり得ぬ矮躯ゆえに、猶更その事実が忸怩たるものとして突きつけられる。歯噛みする顔を隠し、ユアンは象戦車を降りた。


「降伏の証として、武器を預かりたい。その腰のものを外されよ」


 人間らしからぬ、流暢なオークの言葉で話す女に、ユアンは腰の刀を鞘ごと引き抜きながら近づく。慎重に間合いを計り、一足で飛びつける距離に達した瞬間、抜刀して切り捨てる腹だ。


 ユアンはこの女の顔を見た。真珠の大玉から削り出したような、艶やかで透き通った白い肌に、大きな瞳でこちらを見ていた。


 その瞳は妖しく真っ赤な光をたたえてユアンを見ていた。今、ユアンの足が計った間合いの端を踏む。瞬間、ユアンは渾身の力で踏切り抜刀、鞘を投げつけて相手を怯ませ、鞘ごと相手を斬るべく振りかぶった。


「捉えた! 死ねい女!」


 顔にぶち当たった鞘に怯んだ女の首が少し下がった。そのまま首を切り落とせる、とユアンは歓喜を覚え、その距離はついに手で触れられるほどまで詰まった。


 が、その刹那に女は顔を上げ、ユアンと目が合った。地の底の溶岩のごとく赤黒く燃える瞳はユアンを射抜いて有り余るほどの殺意に満ち、その怒りが目に見える陽炎のようにあたりに発散され、物理的な壁があるかの如くにユアンを遮った。


 それは実際、ユアンの動きをほんのわずかとはいえ、鈍らせた。予想だにしないほどの闘志を前にして、ユアンの身体は持ち主に抵抗したのだ。そしてそれが、命運を分けた。



 刀術を修めるために鍛えられたユアンの目をもってしても捉えられない速さで間合いを詰めた女が、その細腕でもってユアンの右肩と左腿を掴むと、それぞれを逆方向に引き、その四肢を引き裂いた。痛みを感じる間もなくユアンの腕と足は千切れ、身を覆っていた鎧は砕け散った。



 地面に落ちた時、ユアンは自分の身に何が起こったのか、全く理解できなかった。小さな人間に傷を、それも致命傷を負わされたのだ、という事に気付くときには、すでに傷口から体液がほどばしり、その中で溺れかねないほどに傷が広がっていた。


 両軍の兵士がその惨状に呆気にとられた中で、ただ一人、当事者であるスピネイルだけが血化粧を纏った姿で立っていた。彼女は背後で血の池の中をのたうち回るユアン・ホーに近寄ると、腰から剣を取ろうとした。


 だが、何を思ったのか、それをやめ、近くに転がっている千切り取ったユアンの腕が握っていた刀をもぎ取り、その薄く鋭い切っ先を息の絶えかけた男に向けた。


「必ず殺す、とあの時言ったな?ユアン・ホー」


 低く、だが確実に相手に聞こえるように囁いた声音は冷たい死神の歌だ。これから死を与える者に対する、復讐者の計り知れない感情の籠った声に、ユアンは自分が相対していたもの、この一連の転落劇の裏で暗躍していたものの正体に、遂にたどり着いた。


「そ、んな、お、まえ、は、ホ……」


 言い切る前にスピネイルの握っていた刀が振り落とされた。


 矮躯のオークとして生まれ、優れた知性を持ちながら追放の憂き目にあい、その知性ゆえに新興の王国で重用されたホーの男は、その歪に成長した野望の果てに、こうしてその命を果てさせた。

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