第17話 北土の闘い
第十三軍団はサヴォークを出発すると、暫くの間は街道沿いに進んだが、やがて近郊にあるチャンバオ砦を境に主隊はそのまま北上、副隊(通称:新第七軍団)は北西へ進み、進路は分かれた。
副隊は枝道を頼りに丘陵に分断された沃野を進むと、やがてアメン川流域部に広がる湿原地帯に到達した。西方の東方の内海から東に向かって流れ込むアメン川は下流に行くにつれ複雑に別れ、あるいは合流を繰り返し、やがて湿地帯を作る無数の支流と本流に至る。
湿地に入ると、象の足が見る間に泥濘の中へと沈み込んでいく。すると象は器用に脚を掻いて泥の中を半ば泳ぐように進むのだ。
その様に驚いた兵士たちが象の進む道を開けるために隊伍を広く取ったところを、三騎の象、すなわち代将スピネイル、ウファーゴ族長、従士ハイゼが進む。
かき回された泥道を避け、その後ろをインファが指揮するモグイ族傭兵隊、トゥラク首席百人長が指揮する寄騎された重槍重歩兵隊の二組が続き、隊伍の中央として魔術人ヨアレシュを中核とした騎馬隊、後列を他の帝国兵たちが固めていた。その隊列は自然と緩やかな楔形を成していた。
『出立より5日、やや急ぎ足ながら、またここまで足を運ぶことになるとはな』
『この当たりがツァオ・オーク氏族が北方より移り住んだ場所なのですね』
『そうだ。私の父が引き連れたツァオ・オークは、この地を選んだ……いや、選ばされたというべきか。当時既にこの一帯はシー・オーク族の息のかかった部族が入植しており、我らはこの不快な泥濘の地に入るしかなかったのだ』
湿地帯に根を下ろしたツァオ・オークは、その後半世紀の間ここに居留した。泥濘は主食である黒麦が育たず、自生する大黒蓮の根が食卓を占めるようになり、あとは僅かな家禽と河川で採れる魚が手に入る食料だった。近隣の部族との交易もそれらの食料品が主な提供できる品目で、他には川床から時折見つかる希少な鉱石くらいなものだった。
『今乗っているこの象たちも、その昔嵐の過ぎ去った翌日、川べりに打ち上げられていた一抱え程もある巨大な輝石と引き換えに手に入れたものだよ。当初は象を飼育して交易品としたかったが、泥濘の中で生まれたのはスピネイル殿の乗っているそ奴のみ』
『苦しい生活を送っていたのですね。心中察します』
『それが今やどうだろう。一度ここを去って舞い戻ってきた私は、大ばくちを打とうとしている。それも自分の財産を投げ打ってではなく、他人の思惑に乗ってだ。実に不思議なる境遇よ』
『……ですがそれも、ツァオ・オークの民草のためと思ったためでしょう』
そう言いながら、スピネイル……ホン・バオ・シーもまた、自分の不思議な境遇に思いを馳せた。自分で半ば選んだことではあるが、今の自分はレムレスカの将だ。ほんの少し前まで、敵対していた陣営で、殺しまわっていた相手の兵士たちを率いている。
そして今では、かつてほどオークのホン・バオ・シーだった過去に対し、執着がなくなってきているような気がしていた。スピネイルと名乗り始めたため、かもしれない。しかしそれでも、スピネイル・ハジャールは進軍をやめようとは思わなかった。今に至る過去の象徴となったユアン・ホーとの因縁に決着をつけることには、やはり何か自分の中に意味があるのだ、と信じて。
『ウファーゴ族長。過去は過去として、今は未来に思いを馳せましょう。この先に立つ、ユアン・ホーの軍勢を退散させた先に、貴方と、貴方の帰りを待つツァオ・オークの未来があるのです』
『……そうか。そうだな』
『ええ、そうですとも』
その言葉はどちらかというと自分自身に向けられたものであることを、スピネイルは理解していた。
第十三軍団副隊が迂回路を取って進むころ、主隊四千五百とキュレニックスはアメンブルク街道を北上、はや二日目にはシー王国勢力圏に侵入した。
キュレニックスは三日目の朝になり、主だった将校と百人長を招集、作戦を説明した。
「皆、言うまでもないとは思うが、これまで我が帝国軍がオーク戦士の軍団と戦う時、言い伝えられてきた戦訓を振り返ると、私の手元にある諸君らの兵卒のみで正面から戦うことは、大変な困難が予想される」
『オーク戦士一人は帝国兵十人に匹敵する』何年にもわたるオーク諸族との闘いの中で培われた経験則であり、実証されてきた事実として、これは兵士たちの中に根付いていた。
「サヴォークを襲ったシー王国の軍勢を抑えるべく、嘗ての第七軍団は第八軍団を動員し、常時の定数である四千五百を上回る兵を揃えて戦ったが、やはりこの戦訓を覆ることは出来なかった。だが一方で、我々はサヴォークを開放する過程で、少数のオーク集団に対しては、同じく少数の部隊によって対抗し得てきたことも事実である」
「大軍になると数の利がより向こうに力を与えるということでしょうか」幕僚の一人がつぶやく。
「あるいはオーク諸族の持つ爆石戦術の効果は、大軍になってこそ最大限に発揮されるのやもしれない。肝心なのは『大軍にて会戦すれば我々は負ける』ということだ」
「ではどうするおつもりですか?」
「簡単だ。会戦しなければいい。大軍にならなければいい」
あっけなく将軍がいうものだから、並び揃った将校たちは二の句が継げなかった。だがキュレニックスはここまで移動する間、いやサヴォークで出撃準備や市の整備に着手している間も、ずっとこの戦いについて考えてきたのだ。だから彼は不安げに自分を見てくる部下たちに対して悠然と、ある程度自信をもって話し続けた。
「いいか、我々の目的はシー王国の軍勢を消耗させ、迂回路を取って侵攻している副隊への対応を遅らせることにある。その為の策を授ける。ただしこの策は、これまでの帝国軍では余り正道とは見なされなかった闘い方だ。後に非難を受けるかもしれん。だが、敢えて私はそれを取る。そうしなければ勝てぬし、サヴォークも守れぬ。皆付いてきてくれ」
将校たちはキュレニックスの言葉に頷いた。
早速、キュレニックスは将校たちに指示し、軍団を9つの小部隊に分割した。すなわち、キュレニックス自身が指揮する隊と、将校たちから選出した8人の隊長が指揮する、それぞれ500人からなる部隊である。
次にこの小部隊を四方面に分散させ進撃させた。敵勢力圏に入った各方面の小部隊は、発見した集落群へ襲撃、最低限の物資を略奪したのちに火を放って逃走する。
逃走した小部隊と交代で別の小部隊が領内に入り込み、また略奪と襲撃を行う。これを数度繰り返すこと二日、各方面は武装したオーク集団の抵抗を初めて受ける。この者たちはユアン・ホーに追従してシー王国を乗っ取ったホーの男たちからなる従士団に所属する在地領主や代官たちとその手下であった。
抵抗勢力とはいえ、その数は50人を超える程度の数であり、五百人の部隊を組むレムレスカ帝国軍は十分な戦いを演じることが出来た。これは隊を組む兵士たちが小集団のオークと戦う経験を積んでいたことも大きい。
各方面が徐々に戦闘状態に入ると、その様は中核に陣取るキュレニックスの隊に迅速に伝えられた。キュレニックスは隊を分けるとき、己の手駒として引き連れてきた騎兵の殆どを手元に残しておいたのだ。その代わり、歩兵はほとんどいない。
各部隊の間をキュレニックス隊から出た騎兵が往復し、戦況を連絡すると、キュレニックスは百の騎兵を率い、劣勢になりそうな小部隊の方面へ合流し、戦況の側背面から介入して味方の部隊を立て直させる。そしてまた連絡を受け、別の部隊へ走り去っていく。
この作戦は兵を分散させ、その動向を逐一把握せねばならないという大変に困難な部分があったが、効果は絶大であった。そしてこの困難な部分さえ、キュレニックスは解決していた。鍵は、魔術人が隊を分ける前に施していった呪いである。
魔術人ヨアレシュはサヴォーク出発前にこの作戦を聞いたのち、百枚の帯布を用意させ、それらに呪いを掛けた。ウェイダ村で林全体に呪いを掛けるために、鎌に布を巻いたのと同じ要領で、魔術人は自分の身体をアゾット剣で切り裂き、血飛沫が布を染めた。
この布はそれぞれの位置を持つ者に伝える、迷わずの呪いが掛けられた。キュレニックスはその布を自分と連絡兵が持つことで、互いの位置が即座に伝わるようにしたのだ。
だがそれを推しても、この作戦は多くの困難が付きまとった。兵士たちは自分たちが、いつオークの大軍に襲われるのかという不安を覚えずにはいなかった。キュレニックスは足を止める間もなく、そんな部下たちを助けるために馬を駆り、戦場へ駆けつけた。キュレニックスは将校たちの中で誰よりも戦うことで、部下たちを勇気付けた。
「お前たちの将軍が援軍に参ったぞ!」小部隊を指揮する将校が、戦場へ割り込んできた騎兵隊を指して兵士たちを鼓舞する。対峙するオーク戦士集団が後退しながら爆石を投げつけると、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように分散して爆風を避け、爆風の過ぎ去った後を騎兵が槍を掲げて駆け抜けて、逃げようとするオーク戦士の背中へ突撃の力を乗せた槍の穂先が襲い掛かる。
いくつかの集落をこのような形で奪取した第十三軍団主隊はしかし、いつまでも奪い取った集落にとど
まらず、さらに奥へと進み同じように集落を襲撃した。
徐々にアメンブルクへと近づくため、抵抗のために立ちふさがるオーク戦士集団の数と質は増していくものの、四つの方向から入り込んだ帝国軍に対し、同じく四つの集団を作って送り込まねばならないシー王国は、当然一個方面に送り出す戦力の数が少なくなる。そして少数対少数の闘いなら、帝国兵は十分に対抗できた。
シー王国勢力圏内に侵入して七日目が過ぎた頃には、第十三軍団主隊はアメンブルク街道を中心とした広い領域へ戦火を拡大することに成功した。この『少数の部隊を分散進行させ、敵に消耗を強いる』戦術を、キュレニックスは「毒矢戦術」と称した。毒を受けた傷のようにじわじわとオーク戦士たちはその数を減らすこととなり、戦線で挙げられた首級の報告が数々届けられた。
赫奕たる戦果が兵士たちを勇気づける中、七日目の夜になりキュレニックスはシー王国勢力内にある、
名もなき丘を占拠し、ここに陣を張った。連絡を受けた各小部隊はこの丘へめがけて撤退、集結すると部隊の再編成に取り掛かった。
「敵の動向を掴み切れないのが残念だな。捕虜をとっても意思の疎通ができない」
「ですが閣下、襲った集落の備蓄物資や住民の構成などを見ますに、いまだかなりの人数が待ち構えているのではないかと」
幕僚の報告にキュレニックスは頷く。
「おそらくアメンブルク近郊に集結させているのだろう。でなければ困るというものだ。せっかくこのように決戦におあつらえ向きの場所で待っていてやっているというのにな」
「閣下は会戦はお望みではないのでは?」
「会戦はしないが、相手にはするように見せかける必要がある。だからこその、この地よ」
会戦に対して丘を取るのは常道である。ここに立ち止まる限り、シー王国側はレムレスカ軍団から圧迫を感じ続けることになる。だから、必ずオークたちは大軍を率いてこの丘を奪い返しに来る。
「さて、だからこそ向こうの動きが知りたいのだが……」
「閣下、偵察に出ていた騎兵隊が返ってまいりました」
「通せ」
キュレニックスの前に連れてこられた騎兵は、荒れた息を整えながら敬礼した。
「報告します! 前方に重武装のオーク戦士が大軍となってこちらに近づいております! その数、凡そ二千!」
「それなりに減らしてやったつもりだったが、まだまだ居るな。象はいたか?」
「はっ。戦列後方にて約三十頭ほど。それと……」
「なんだ。言ってみろ」
騎兵は促されると、言い淀んだものを思い返しながら答えた。
「車です。戦列の最後尾を、二頭の象に引かれた巨大な車が控えていたのです」
「車だと? ……もしや、戦車か」
「戦車……ですか?」
隣で聞いていた幕僚もしかとは信じられなかった。戦車とは騎兵の育成が確立される以前に使用されていた、馬に引かせた台車のことだ。
「戦車とは古めかしいものを持ち出したものだな。だが、好都合だ。戦友諸君、これからが毒矢戦術の第二弾だ。散々に蛮族たちを翻弄してやるんだ」
使えない連中どもだ、とユアン・ホー・シーは頭二つは高い位置に座しながら、前方を進むオークたちを見やった。
サヴォークを取り返した人間の帝国が、近いうちに自分たちへ襲い掛かってくるだろう程度のことは予想していたが、それに対し、せっかく日向を出歩ける立派な身分に付けてやったホーの男たちは、絶え間なく仕掛けられた小競り合いに押し負けて、おめおめとアメンブルクに逃げ込んでくる始末。
仕方なくユアンはアメンブルクに逃げ込んだ自由民を徴用し、軍を組織した。中核になるのは当然、ユアンに心酔してシー王国を簒奪したホーの男たちが鞍替えして結成された従士団だ。その数、凡そ五百。
それに旧従士団のうち、ユアンに臣従を誓った旧従士によって編成された下従士部隊が五百、あとはホーの男たちが反抗する旧臣勢力から接収した領地より徴用したオーク自由民たちだった。従って兵の士気はとても低い。
昨日まで自分たちを虐げていた領主たちが、自分たちの身を守ろうと言って、武器を持たせて兵士に仕立て上げられても、やる気になどとてもなれないものだ。
当然、ユアンもそんな自由民兵士たちの心情をよく理解していた。だからユアンは、前もって作らせていた戦車……『象戦車』の使用を決定した。
これはレムレスカ帝国軍がその昔作り出した攻城兵器を参考にユアンが技術者たちに作らせたものだった。前面に二頭の象、そして戦車の中にも二頭の象を配置して動かすこの巨大な移動構築物は、歪な矩形をしており、表面には何重にも獣皮が貼り付けられ、側面からは武器庫の底に眠っていた錆だらけの槍が何十本と植え付けられいて接近を許さない。そして獣皮の中から爆石や据え付けられた砲撃槍による攻撃を行うことが出来るようになっていた。
それは戦場に持ち込まれるにはあまりに仰々しい『動く城』であった。
だが何よりも恐ろしいのは、これは敵ではなく、むしろ味方を攻めるために存在することだった。巨大な戦車の頂上に座し、絶大な支配力を誇示するユアンの意志一つで、この殺戮機械は敵にも、味方にも攻撃の向きを変え得る存在として自由民たちに映った。そしてユアンも、そのような恐怖の視線を否定しなかった。
まったく、まさにこれは矮小な肉体に過分な頭脳を持って生まれた、ユアン・ホーが望んだ理想の肉体に相違なかった。強大で、凶悪な武装。他者を見下ろす高み。その位置からユアンは、四方遍くすべてのオークを支配する野望を高ぶらせるのだ。小さき人間の帝国など、適当に利用するだけして捨て置くのみ。端から眼中にはない。
そんな高見に立つユアンの目にも、前方にそびえる丘の中腹に陣取る帝国軍の陣容が見え始めた頃、戦車の背後を上ってホーの男の一人がやってきた。
「頭ぁ、見えましたぜ」
おっかなびっくり声をかけた男を、ユアンは冷たい目で振り返った。その冷え切った視線を浴びた男は電撃を受けたように小さく飛び上がったが、かろうじて悲鳴は上げなかった。
「陛下、と呼べと言っただろう」
「へ、へい。陛下。如何いたしましょう」
「いつもの通りにしろ。下従士を押し立てて相手を消耗させ、次いで貴様らが行く。従士隊が仕上げを行う。俺はここからお前たちを指揮する」
「へ、へい!」
「ふん。無様な戦いをしたらお前たちの頭の上に爆石が降ると思え。しっかりやれよ?」
薄く笑うユアンがあまりに恐ろしく、男は顔を伏せたまま命令を受けた。
男が命令を各部隊に伝える間に、ユアンは戦車上部の台座を立ち上がると、台座の下に設けられた梯子を下りて中に入った。中は並のオークなら3~4人が立てるほどの広さがある部屋になっており、三方が獣皮に覆われた格子窓を持っていた。
「首尾は?」
「いつでもいけますぜ。投石用爆石200粒、砲撃槍用爆石50粒、どこへでも飛ばして見せまさぁ」
中に詰めていたホーの男たちの中から厳選した、ユアン子飼いの『戦車兵』たちは、胸を張って答えた。
「うむ。だがまずは外にいる連中が動き出してからだぞ。まぁ、いざとなったら踏みつぶしてしまっても構わないがな」
「へ! うすのろ従士共なんざ、こいつの足元にも及ばねぇですぜ」
「これからは俺たち戦車兵の時代だ。従士なんてのは時代遅れよ、なぁ大将!」
「陛下と呼べ、陛下と」
熱っぽい部下の呼びかけを適当にあしらいながら、ユアンは部屋の中に設えられた特別席に座り、天井から吊り下げられた筒を引き寄せた。この筒には鏡が取り付けられていて、中を覗くと外の景色が見えるようになっているのだ。
「全員、配置に着け。俺が命令するまで発砲はするなよ。前列が動き次第こちらも動く。敵を丘から引きずり下ろすんだ」
「了解!」
野太い男たちの声が狭い部屋で響く。
麓に布陣したオーク戦闘集団を認めたキュレニックスは、部隊長たちを呼集して作戦を説明した。
「……以上だ。再三、言っておくが、我々は会戦しない。それを相手に悟られぬように動くのだ。だが、お前たちの命は、私が出来る限りの手を使って守る。存分に戦うがよい」
「はっ!」
隊長たちは将軍の下から部下たちの方へ去っていく。そして指図された陣形を組んだ。それはここまで実行してきた毒矢戦術の変形ともいうべきものだった。まず、前述の戦術に合わせて編成された五百人の小部隊はそのままに、各部隊を縦横に三列、整列させた。キュレニックスは後列の中央に場所を取り、そこから各部隊の進捗を見定める運びとなる。
両軍が布陣を済ませると、両者の前列がじりじりと距離を詰め始める。この場合、丘の上にいる帝国軍
の方が有利だが、それに勢いづいて攻めかかったりはしなかった。帝国軍前列は身に着けた盾をがっちりと組み合わせ、壁を作って敵前列の動きを捉えた。
オーク戦闘集団前列を成す下従士は、平服に荒織の黒い貫頭衣、そして片手には手斧を持つという、大変に質素な装備をしていた。その眼は冷たく、暗い、死の情念に取りつかれた者特有の物だった。闘いしか知らない彼らは、従士という地位をはく奪されてもなお、戦いの舞台に立てる今の待遇に甘んじている。身を守るものの殆どない、捨て石の様な立場だ。
その刹那的な己の在り様が彼らを戦場の狂気に駆り立ててた。指呼の間まで迫った下従士たちは、雄たけびを上げて帝国軍に突撃、手に手に斧を振り上げて叩きつける。帝国兵は、それを受けるとぐっと立ち止まり、攻撃を楯の壁で受け止めた。そしてそのまま、押し込まれるままにじわじわと後退を始める。
後退する前列に呼応するように、中列の部隊が左右に分かれて横から抜け、敵軍の側面に回りこもうと動き出した。するとそれに反応したオーク集団の中列、すなわちホーの男たちの従士団が左右に誘引される。彼らはここまでの小競り合いで、散々帝国軍に煮え湯を飲まされてきたのだ。
そんな奴らに包囲されるのは是が非でも防ぎたい。だから包囲が出来上がる前に抑え込むべく、矢継ぎ早に隊伍を崩して左右へ伸張、中列部隊と接敵を計る。接敵された中列部隊は、接敵状態を維持しながら、これまた前列と同じくじわじわと後退を始めた。
「閣下! 前列が我々の方へ迫ってきます!」
「狼狽えるな。各員、駆け出す準備をしろよ。だが、もう少し、もう少し……」
キュレニックスは敵の動きをじっと見定める。敵と味方が接敵したまま、互いの隊列を崩したように見せかけながら離れていく。ただし敵の後列にいる象騎兵と巨大な戦車は、今だ手つかずのままだ。
丘の上より観測できるのは、前列、そして左右に分かれた中列に引っ張られて分離したオーク戦闘集団の、細切れにされた姿だった。せっかくの大軍も、これでは台無しだ。そしてバラバラになったオーク集団の間に十分な隙間が出来た。
すかさず、キュレニックスは法螺貝を力いっぱいに吹き鳴らして馬を駆けだした。
「各員! 私に続けー!」
緒戦の闘いで一団となった突撃機動に慣れていた、キュレニックス直轄の部隊を成す兵士たちは、その声を聞いて即座に反応し、キュレニックスと共に突撃した。その矛先は左右に分かれた中列が誘引している、敵中核集団の横腹に向けられた。
「全員で敵のわき腹をえぐってやれ!」
「閣下! 象の一群がこちらへ動いています!」
追随した騎兵の一人が指をさす。象騎兵と、それに続く戦車が自分たちに向かって動き出したのだ。だが、巨体ゆえにその挙動は鈍い。
「かまうな! 肝を据えろ!」
将軍が叱咤する中で、象騎兵、そして戦車の上方から何かが飛び出てこちらに迫った。それは胡麻粒のように小さく見えたが、それが何かわからない帝国兵はいなかった。
「爆石が! きます!」
「走れ! 走れー!」
駆け抜けるキュレニックス部隊の上に爆発が降りかかった。必死で走る彼らは降り注ぐ熱波と風圧を突っ切り、中列に食らいついたまま離れられないオーク従士隊の側背面に突撃する。
その、なりふり構わない全力疾走の力が載った攻撃は、ホーの男たちで編成されたオーク従士団の戦意を挫くのに十分な破壊をもたらした。曲がりなりにも統率を持って戦っていたホーの男たちは、目の前に迫った槍穂によって切り裂かれ、傷つけられ、馬脚に蹴り砕かれた。
無論、中には果敢に騎兵にぶち当たり、落馬させることに成功したものもいたが、キュレニックスが過ぎ去った後に残ったのは、傷つき倒れ、そして死んだオークたちの姿だった。
間近で起こった殺戮に真っ先に反応したのは、キュレニックスが突撃したのとは逆方向に誘引されていたオーク従士団の戦士たちだった。彼らは元より、戦士ではない。卑しいホーの名で呼ばれた無頼漢である。お仕着せの綺羅を着込み、武器を手に権勢を張ろうとも、戦場で討ち死にも辞さないような戦闘意志を養っているわけではない。仲間の死を見て逃げ出したいという気持ちに勝てるわけもなかった。
だが彼らは逃げることが出来ない。一つは彼らと接敵している帝国軍が、ここにきて頑強な攻撃姿勢を見せて離脱する隙を与えなかったこと、そして後方にいる象騎兵と戦車、すなわちユアン・ホーの、威圧するような視線を感じたからである。敵前逃亡などすれば、砲撃と爆石でひき肉にされそうだった。
一方、端から命を捨てている下従士たちは、変わらず懸命な働きで帝国軍を丘の上へと押し上げ、そしてついに丘の下へと追い落とすことに成功した。
すると相対していた帝国軍前列部隊はそのまま丘を下りきって後退し、戦線を離脱してしまったのだ。こうなると下従士たちはやることがなくなってしまう。判断を仰ごうにも、隊列は崩れ切って後列にいるユアンの指示は届きそうにもない。
そしてその様は後方にいる象戦車の中のユアン・ホーにも届いていた。彼はいらいらと鎧の飾緒を玩びながら言った。
「どいつもこいつも、人間の手管に乗りやがって。まぁいい、このまま進め。俺たちも丘に上がるぞ。あそこからなら帝国の部隊へ砲撃が掛けやすい」
「あいさぁ」
シー王国軍団後列、象騎兵と象戦車隊は、左右に分離した自軍の戦列の中を分け入って丘へ登った。その間、左右に散った帝国兵部隊には散発的に爆石攻撃を行ったが、効果があったか分からなかった。
重い象騎兵、そしてもっと重い象戦車が丘の頂上に立つと、ユアンは室内から出て戦車上部の台座に上がり、戦場全景をその眼に捉える。
「……おかしい」
「どうしました、陛下」室内の戦車兵が様子を見に上ってくる。
「敵の兵が随分と少ないように見える。大将首と思しき騎兵隊はどこへ行った?」
「逃げちまったんじゃないですかね」
「では従士団を引っ張りまわしていた歩兵はどこだ?もうほとんどいないじゃないか」
たしかに、戦場になった丘の麓には、帝国兵の姿が……戦端を開いた当初よりも……少ないように見えた。
「従士団の連中が追いかけて行っちまったんじゃないので?」
「じゃあ下従士とぶつかっていた連中は!?」
「……逃げちまいやしたね」
だんだんばつが悪くなってきた戦車兵にユアンの怒りが爆発した。腰間から鋼の煌きが先走り、戦車兵の片耳がはじけ飛んだ。
「んぎゃあ!」
「畜生! 俺たちは人間どもの軍団に虚仮にされたんだぞ! あいつらははなっから、俺たちと殴り合いをするつもりなんぞなかったんだ。丘に陣取り、俺たちをおびき出し、散り散りになるまで適当に斧を交える。バラバラにされてしまったら、お前たちは人間に太刀打ちできないってことを、あいつらはよく知っているのさ」
悲鳴を上げてのたうち回る戦車兵を冷たく見下ろしながらユアンは毒吐く。
「思えばこの戦は、俺たち以外の兵士がほとんど爆石を使うことが出来なかった。爆石を使えるほどの間合いが取れなかったり、敵味方が入り乱れてしまったりしてばかりだった。それもすべて、人間どもの軍団を指揮していた大将の作戦だったのだろう」
丘の上にそびえたつ象戦車の上で、ユアンは風を受けながら……その風は、戦車から立ち込める爆石の煙ったいにおいが混じっている……不快な予感を覚えていた。
(人間どもと事を構えるつもりなど俺にはなかったというのに! 何が起こっているというのだ?)
せっかく手に入れた、自分の栄光が、何か見えない者の手によって崩されようとしている。そんな予感が胸をよぎった。
だが、それを一方的に抑え込み、ユアンは恐怖と圧制の君主、ユアン・ホー・シーの仮面を被り、象騎兵たちに向いた。
「今すぐお前たちは丘を降りて、味方の兵士たちをこの丘の上まで誘導するんだ。おそらく人間の兵士たちはこの当たりから姿を消している。危険はない。早く行け!」
「はっ!」
象使いが鉤棒を振るい、象が嘶きながら丘の上を踏み鳴らして降りていく。その毛むくじゃらの尻を忌々し気にユアンはにらみつけるのだった。
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