第15話 作戦前夜


 シー王国南伐軍が撤退したサヴォーク市とその周辺域はこのようにしてレムレスカ帝国の下へ回収された。この事実は早馬を以てディヴォン、そして帝都レムレスカへと伝わった。


 本土へ避難していた旧住民は、再び血潮を流して育んだ土地に戻れるという希望を抱くことが出来たが、先んじて動き出したのは、ディヴォンに駐留する第五軍団であった。


 既に元老院から、第十三軍団の侵攻によりサヴォークが解放された折りには、両都市間の連絡を確保するよう進出せよという指令が送られてきていたのだ。そしてこの動きはすぐさま、サヴォーク周辺域の掌握を始めていた第十三軍団長キュレニックス将軍に届いた。


 連絡が届いた数日後、最低限の守備兵を残してディヴォンを発った第五軍団3500がサヴォーク市に到着する。市内は倒壊した建物の撤去に奔走する第十三軍団の兵士で雑然としていたが、第五軍団長ロウ将軍の入場に当たっては、キュレニックス自身が出迎えた。


「ようこそロウ将軍。お待ちしておりました」


「うむ、出迎えご苦労キュレニックス将軍。しかし驚いたぞ。ほんのわずかな兵の犠牲で都市を奪取するとは、兵法の奥義でも叶わぬことだ。いったいどんな呪いを魔術人に使わせたのか、とくと聞かせてもらいたいな」


「そのことに絡めて、いくつかお話ししたいことがあるのです」内心では(相変わらず小言の多い男だ)と毒ついていたキュレニックスだが、それは当然隠す。


 何故なら、今からロウ将軍に話すのは、元老院からの任務を多少なりとも逸脱する行動に出るがためである。


 ロウ将軍を伴い接収したサヴォーク市公堂の大会議堂にやってきたキュレニックスを待っていたのは、重槍重歩兵首席に格上げされたトゥラク百人長、魔術人ヨアレシュ、護衛士スピネイル・ハジャールとインファ、そして『帝国の友人』ウファーゴ・ツァオ族長だった。


 ロウ将軍はこの中にオークの巨体が入り交じっていることに驚いた。


「将軍! これはどういうことだ? なぜこの場にオークが居るのだ。この都市は完全にレムレスカの手に戻ったのではないのか?」


「今からそのことについて報告したいのです。これはまだ元老院と皇帝にも話してはおらぬこと……」


 そこでキュレニックスはウェイダ村での闘いと結末について話した。それを聞くにつれロウ将軍は重ねて驚き、自分を見下ろしている老壮のオーク族長を見上げた。


「たまさか、オークの一氏族を味方に付けることが出来るとは思わなんだ。そのようなことはシー・オークのラン・バオ・シー以来のことであろう」


「ラン・バオ・シーをご存じなのですか?」


 スピネイルは不意に口をはさんでしまったが、ロウ将軍は意に介さず答えた。


「覚えているとも。もっともその時、私は首席百人長の一人に過ぎなかったがな。あのふてぶてしい蛮族の長が恭しく首を垂れ、我々に『帝国の友人』とすることを迫った日のことは、今でも夢に見るほどだ。そうか、あの者はもう亡いか、あっけないものだ……」


「ラン・バオ・シーはいなくなったかもしれないが、かの者が建てた国はまだ残っている。そしてそこにレムレスカに反目するものが立つ限り、北方属州に安寧はない」


「故に侵攻し、改めてアメン川流域を帝国に好ましい情勢に留め置くということか。だが兵数でこちらが不利であることは以前解決されないな。私の兵を貸したところで、根本的な解決にはならんぞ」


 その言葉を聞いたキュレニックスの顔色が変わった。ロウ将軍は笑う。


「お主の考えていることなど凡そ想像がつく。だが、この都市を見事手中に収めたお主の手腕を信じ、ここは博打を打たせてもらうとしよう」


「では、お貸しいただけるのですね」


「うむ。ここまで率いた三五〇〇のうち、サヴォーク市と直近の砦であるチャンバオを領有し守備するため五百を我が手元に残す。残り三千の兵は丸ごとお主に渡す」


 これが帝国軍の軍団を預かる者にとって刑死と名誉はく奪に匹敵する大罪であることをキュレニックスは知っていた。帝国は領土内各域に駐留させる軍団が合従し、一人の将軍に権力が集中することを強く諫めてきたからだ。今まで度々オーク諸族との間で戦闘が開かれてきたが、その都度手痛い敗北を喫してきたのにもこれが一因となっている。


 とはいえ、ここに両将軍の密約が成り、キュレニックスの双肩には帝国兵士五五〇〇の命がかかることとなった。これは帝国の軍制が定める所の一個軍団と、半分を越えない程度の数である。


「して、私から召し上げた兵士たちを使って何をするつもりかね? キュレニックス」


「既にいくつか腹案がありますが、まずは人手を集めたいと思う」


「何? まだ足りぬと申すのか」


 眉を潜めたロウ将軍にキュレニックスは首を振った。


「これ以上第五軍団から引き抜くのは危険でしょう。そこで別の手を使う。その為にお前たち二人に来てもらったのだ、護衛士インファ、そしてウファーゴ族長」


 名を呼ばれた二人は顔を挙げたが、インファは自分が呼ばれると思っていなかったから随分と驚いていた。


「キュレニックス閣下、私に何を……?」


「お前をモグイ族、それも各方面に顔の利く者と見込んで頼みがある。これからの闘いにモグイ族にも参加して欲しい。つまり、モグイの傭兵を雇いたいのだ」


「モグイの、傭兵?」


「キュレニックス、モグイは戦争などに興味を持たぬものであろう。奴らは生粋の商人だぞ?」


「今ここに戦争に赴こうという酔狂なモグイがおるではないか」


 朗らかにインファを指し示す。


「どうだ? お前の様に武に秀で、それでいて軍役についても良いというモグイに心当たりはないか?」


「そう、申されましても……」


 インファは戸惑い、スピネイルの方を見た。モグイの従者を見た主は落ち着いた黒い瞳を見開いている。そして軽く頷いた。好きなように話して良いという印だ。


「確かにモグイ族には、護身鍛錬のための技術、パンクラチオンというものがございます。私をはじめ、その技を修めた者がモグイ族には多くおります。ですが……」


「……なんだ?」


「パンクラチオンはあくまでも自らの肉体を鍛え、危急の難を逃れるための技。戦争に使うことは許されません。私がこの度、護衛士となっているのは、私の主、スピネイル・ハジャール様の御為です。そうでなければ……」


 自分のために手を貸すことはできないと言外に言われ、キュレニックスは苦い顔をした。


「……護衛士インファ、そこをどうか曲げて協力して欲しいのだが」


 インファはそれに対して沈黙で答えた。視線は左右に泳ぎ、自然と脇で見守るスピネイルに向いていた。


 このままでは埒が明かない。スピネイルは知恵を出すことにした。


「インファ。モグイ族は根っからの商人だ。どんなものでも取引の材料にする。そうだな?」


「え? あ、はい」


 何を今更、という顔でインファは主を見た。


「なら、『取引』をしようじゃないか。将軍、この度のアメン川流域部侵攻に参加したモグイ族に、何らかの特典を与えるのはいかがでしょう。もちろん、傭兵として雇うのとは別に」


「特典……特典か」


 促されたキュレニックスは静かに計算を始めていた。果たして今度の闘いで自分が何を得て、何を差し出すことが出来るのかを考えていた。


「……モグイ族は流浪漂泊の民。嘗てモグイ族はソフロニア大半島に隣接するモグクス島に棲んでいたが、島が地震と大嵐によって水没してしまったが故に、半島の沿岸諸都市へと流れ着き、商業芸能民となったのがその始めであるとモグイ族を祖に持つ学僧が書き記している」


「私も同様の話を扶養してくれた老人たちから聞いておりました。それが……?」


「サヴォークより北方、すなわちアメンブルク南岸をモグイ族の領地として提供するとすれば、どうだ?」


 将軍の発言を聞いた一同は、最初それがどういう意味なのか計りかねたが、それが意味するところを理解したと同時に、衝撃を受けた。


「キュレニックス! そ、それは手に入れた辺土を丸々くれてやるということではないか! しかもモグイ族などに!」


 この場の年長者にして良識ある帝国人であつロウ将軍が口角泡を飛ばす。水を向けたスピネイル自身、これには驚いた。随分と大胆な提案をしたものだと。


 だが、思いついたキュレニックス自身は、これを良い案だと確信し始めていた。得意げにロウ将軍へと話す。


「まぁまぁ、落ち着かれよロウ・ウルヒム将軍。どのみちサヴォークを中核とした北部属州の復興には人手がかかるのだ。その上、逃散した市民が全て戻ってくるとは考えられない。ある者はシー王国に捕らえられ奴隷となっておるだろうし、無事に逃げおうせて本土へ避難したものも、本土で新たな生活を始めている。材を持たぬものならば猶更難しいだろう。であればいっそのこと、一部を帝国にとって友好的な種族へ割譲してやっても悪くは無かろう?そこまで手が回らないのだから」


「それは、そうだろうが……」


「それにこれはモグイ族にも二つの利がある。一つは漂泊の民に故郷を持つことが出来ること、そして広大で肥沃な土地に土着することで商業活動に有利な拠点を得ることが出来るということだ。しかもそれはサヴォークを経由して帝国全土と繋がっている。すなわちレムレスカにとっても利である」


 どうだ、と目を向けられたインファは当惑していたが、その提案をゆっくりと、脳裏で反芻した。


「モグイ族は長い間の漂泊流浪の生活に適応したものばかりです。ですが中には、太古の故郷を思慕し、いつか新たな故郷を得るために努力する者たちもいます。時折モグイ族の出身でありながら帝国やその他の友好的な小国の中で、その国の市民となる代わりにモグイ族との交わりを断つ者もいますから」


「ふむ。つまり」


「然るべき取次が出来る長老に、この話を紹介すれば、将軍が御所望の傭兵としてモグイ族は参戦するでしょう。私がその労を引き受けます」


「そうか! 受けてくれるか!」


 キュレニックスが珍しく顔を崩して喜びを表す。


「どれほどの者がやってきてくれるだろうか。お前程の強者はどれほどいる?」


「僭越ながら、私はパンクラチオンの使い手として、レムレスカとその周辺土で五指に入る業前と自負しております。ですが、戦場で技を使い戦える程の者なら……五百人は集まりましょう」


「五百か。うむ。よし、次にウファーゴ族長、貴公だ」


 ウファーゴの目がキュレニックスを捉えた。


「アメンブルクへ向けて帝国軍が侵攻することは、実のところ、私の負った任務の範囲を超える。そこで貴公を、次なるシー王国の王としてアメンブルクに迎えたい」


「次なる王?!」


 思わず大きな声を出してしまったスピネイルだったが、キュレニックスは気にせず続ける。


「帝国に近接する政情不安な小国に、帝国が新たな王を援助という形であれば、大義名分が立つ。どうだ、引き受けてくれぬか?」


 自分に熱心に語り掛けるキュレニックスをじっと見ていたウファーゴは、スピネイルへ目を向けた。これまでキュレニックスとの会談の場では必ずスピネイルが同行し、通訳を務めていたのだ。


 だがスピネイル……ホン・バオ・シーにとって、この提案は穏やかならざるものだった。父の打ち立てた王国が、ますます自分から遠ざかっていくことになってしまう。自分の依って立つ場所が、本当になくなってしまうことに恐怖を感じた。だがここで話を通さねば、アメンブルクにいるユアン・ホーを誅することは出来ないだろう。そう思うとスピネイルの心は木の根の様に二つに割けてしまいそうだった。


 キュレニックスも、いつもならしてくれるはずの通訳をスピネイルがしようとしないのを不審に感じ始めた。


「スピネイル。私の意をウファーゴ殿に伝えてくれ。成るべく子細を省略せずにな」


「……はい」


 これ以上妙に思われる態度を取るのは良くない。スピネイルは意を決した。


『……将軍は次なるシー王国の王に貴方を推薦している。将軍は貴方がそれを望むなら、手勢を率いてシー王国と戦うと言っている』


『……なんと!』


 想像だにしていなかった提案にウファーゴは飛び上がった。


『わ、私をシー族の王にしたいというのか!』


『推薦を受けますか?』


『……少し考えさせてくれ』


 ウファーゴ・ツァオはウェイダ村近郊に保護されている自分の部族民たち……多くは未成年と女性、高齢者について考えた。彼らはアメン川河口域で、侘しくも穏やかな生活を送ってきた。だが自分が周辺域の乱に色気を出してしまったために今、苦難の日々を過ごさせてしまっている。彼らからその苦難を取り除けてやらなければならない。ウファーゴはツァオ・オーク氏族がレムレスカ帝国の庇護下に置かれた現在でも、族長としての義務感だけは捨てていなかった。


『……わかった。推薦を受けよう』


「推薦を受けるそうです」


「そうか!」再び興奮に色めくキュレニックス。


『ただし条件がある。今いる土地はそのまま我らに渡してもらいたい。仮に貴公らの企てが失敗したとしても、部族民たちに生活を保障することが出来るのでなければ、貴公らと行動は出来ない』


「ウェイダ村はそのままツァオ・オーク氏族に割譲されるのであれば、将軍の案に乗ると言っています」


「急ぎウェイダ村の市民を特定してかの地の所有を明確にしよう。その為の代価は私が工面する。条件を承知したと伝えてくれ」


 スピネイルが通訳すると、ウファーゴは感慨深くつぶやいた。


『私が、シーの王か……』


『難しく考える必要はありませんよ。今のシー国王はホーの男です』


『ふむ。それに比べれば、ということか。だが今の私には助けになる従士団がないのだ』


『……ウファーゴ族長。私がある人物を紹介しましょう』


『お前がかね? 小さき人よ』


『その男は嘗てのシー王国について、多少なりとも知っておりますよ』


『む、まさかそ奴は……』


 何かを察したウファーゴのつぶやきを退けてキュレニックスがしゃべり出した。


「よし、各位、今話した通りだ。我々は兵と友人を集い、アメンブルクを平定する!」

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