第12話 襲撃!

 木柵の増設と周囲の索敵、また放棄された田畑から食料を確保して回るうちに、ウェイダ村には続々と負傷者が運ばれてくるようになった。それらは公堂の中に作られた医療所で介抱された。負傷者の状態は様々だったが、圧倒的に多かったのは火傷だった。オーク戦士の持つ爆石の熱波を浴びたためだ。


 全身を焼かれた兵士たちのうめき声が絶えない公堂の陰鬱な空気の中を、ヨアレシュと彼女に指示された寄騎の百人小隊が世話をしている。ヨアレシュは寝かされた兵たちを見渡すと、腰から自身のアゾット剣を抜き、自らの喉へ刃先をあてがった。


 肉を切る不快な音の後、首から噴き出た血しぶきが部屋に霧となって漂うと、それらはヨアレシュの指図によって負傷兵たちの身体を覆って消えた。すると、それまで苦しみの声を挙げていた者たちが静かになった。まるで熟睡する赤子の様に安堵の表情をして深く寝入っているのだ。


 体から剣を引き抜いてふらつきながら、ヨアレシュは傍らの兵士に言った。


「これで、よし。後でみんなにそこにある水薬を飲ませてやるんだよ」


 兵士たちが了解すると、ヨアレシュは治療所を離れて外へ出た。


 外では集落の防衛施設の補修のために忙しく立ち回る兵士たちの力強い声が四方から聞こえていた。民家の間の狭い空き地にさえ、仮設の天幕が建てられ物資集積所となっている。


「大分疲れているようだな」

 公堂の外で待機していたホンがふらつくヨアレシュの肩を抑えた。


「これくらいはどうってことないよ」

「そうは見えないが」

「ふふ、まぁ少し疲れたかな……風に当たりたいから付き合ってよ」

 二人は公堂を回って裏手に回ると、そこからほど近くに立つ櫓に上った。櫓は今は見張り台として使われていて、今も当番の兵士が周囲へ目を光らせている。上ってきた魔術人と護衛士を見て、兵士たちが体を強張らせた。


「ああごめん、仕事の邪魔をしに来たんじゃないんだ。暫くここにいてもいいかな」

「どうぞ、ご自由に」


 ヨアレシュが一声かけただけで、兵士たちは二人をいないもののように意識から締め出したようだ。

 櫓の上は絶えず風が吹き込んでいるらしく、ヨアレシュが背を伸ばして大きく息を吸っている。新鮮な空気に晒されて肩の力が抜けたようだ。


「モグイのお姉さんはどうしたの?」

「あれから口をきいてくれないのよ。『お嬢様は戯れが過ぎます』って」


「まぁ、あれはやりすぎだったんじゃないの」

 思い出してまた笑いだしそうになるヨアレシュだった。


 ばつが悪くなったホンは櫓の下を行き交う兵士たちを見て、何気ない風に聞いた。


「ヨアレシュ、お前が負傷兵に施しているのは本当に『呪い』なのか。私は普通に治療をしているようにも見えて、なんだか……」


「呪いの様に見えない? そうかもね。でもこれは呪いなんだよ」

 ヨアレシュの手が、自然と先ほど深く切り裂いた首筋に伸びた。傷口は既に塞がっている。


「傷が早く治るようにという呪いさ。真冬の鯰の様に大人しく動かなくさせる代わりに、普通の三倍の速さで傷が治るようになる。その間に飲ませる薬は、飢えや渇きによる衰弱を防ぐだけのものだよ」


「その呪いは私にも効くのか?」


 ホンは自分がユアン・ホーの連れてきた魔術人によって呪いを掛けられた時のことを朧げに思い出していた。あの時、ユアンと魔術人は一度呪いに掛かっているものは再び呪いに掛からない、と言っていたような気がした。


「呪いはね、一度に一つしかかからないんだよ。そして呪いを説くのは呪いを掛けた者でなければならないんだ」

 悲しげにヨアレシュは答えた。


「お姉さんが傷ついても、私は呪いで癒してあげられない」

「人に化ける呪いを解かない限りは?」

 ヨアレシュが頷く。


「その時は、ヨアレシュとの別れの時になるだろうな」


「そうだろうね」


 果たしてそんな時が来るのかさえ分からないが、いつか来るかもしれない。


「負傷兵たちからの報告で、他の集落の解放が進んでいるそうだ。程なくサヴォーク・ディヴォン間街道の掌握が可能になる。そうすればサヴォーク解放戦が始まると思う」


「お姉さんの希望は叶うかな?」


「分からない。サヴォークを取れば、ユアンも何か行動をとらなくちゃいけなくはなるだろうけど。それが何かまでは……」


 ユアンの野望がオーク諸族の支配にあるなら、もしかしたら南伐で得た場所にはさほどこだわらない可能性もある。


「いずれにせよアメンブルクまで攻め込めれば……」


 理想が脳内で絵を描き始めた時、傍らで風を浴びていたヨアレシュの表情が変わった。その眼は街道へ続く細道とは別の方向を向き、遠くを注視している。


「どうした?」


「川の向こう側の林から、何か動く物が見えているんだ……」

 言うとヨアレシュは剣を抜いて刃先を唾で濡らし、軽く空を切った。


「見張りさん、あっちをよく見ておくれ」


 兵士は魔術人が指し示す方向を見ると、始めは驚いた。兵士の目には遥か彼方の光景がまるで目の前で見ているかのように見えたのだ。


 遠見の呪いを受けた見張りの兵は、自分の見ているものを口にした。


「対岸にある林の下に、大きな動物が数えきれないほど潜んでいます。大きな、獣……いや、あれはオークだ!オークがこっちを見ている。それも十や二十じゃない……」


 次第に強張っていく兵士の声を聞き、ヨアレシュとホンはトゥラク百人長の下へ急いだ。


 

 ツァオ・オーク氏族の戦闘要員は族長ウファーゴ・ツァオの指揮の下、ハイゼの持ち帰った情報を元に人間の村を強襲する手はずを整えた。


「よくぞ見事な土地を見つけたハイゼ・フェオン。褒めて遣わす」

「有り難きお言葉」

「これより我らは村を襲い、たむろしている人間たちを追い出し、殺し、村と食料を奪い取る。おぬしには先鋒を任せよう。武具奉行、槍をここに」


 長老格の一人は頷くと荷駄から一振りの大身槍を取り出した。


「ツァオ・オーク氏族伝来の大身槍である。受け取るがよい」

「ははっ」


 恭しくハイゼは古めかしい大槍を受け取ると、ウファーゴ族長は居並ぶオーク戦士たち100人に向けて檄を飛ばした。


「総員、出発せよ。林に潜み、夜陰に乗じて村を襲う。明日の寝床、豊かな大地を我らの手にするのだ!」


 戦士たちが野太い鬨の声を挙げて答えた。


 林から十里後方にある非戦闘員を収容した仮本陣をでたツァオ・オーク氏族戦闘集団は、そのまま林に到達すると数人単位に分かれて林の中に入り込んだ。幸いにも、林は百人のオークを包み隠すだけの広さがあったのだ。


 だが、先立つ功名心から対岸の土地を見ようとする幾人かのオークは、林の端まで歩き出してしまっていた。ハイゼは先鋒を任された手前、自身も林の端にて伏せ、強襲に絶好の時刻である薄暮時を待っていたのだが、周囲には仲間であるツァオ・オークたちが立ち歩き、目立っているのではないかと気が気でなかった。


「各々方、どうか、身を低くして下され!」


「なぜだハイゼ。向こうが見えぬではないか」


「向こうを見るということは、向こうからも見られるということでございますぞ」


「ふん。人間の目にここまでの遠見はできまいて」


 ツァオ従士団のオーク戦士はむしろ冷ややかに、伏せた格好で見上げているハイゼを見た。

 ハイゼの姿は黒塗りの鎧で全身を覆い、兜をかぶった上にどこから調達したのか泥で汚した襤褸を被っていた。その姿で槍を抱えて地面に伏せていると遠目にはどこにいるのか分からないほど見事な隠し身である。


「随分とみすぼらしいなハイゼ。南伐にも参加しなかったというし、大方臆病風に吹かれ、役務も逃げ回っておったのだろう。此度の働きで精々汚名を重ねんようにな」


「……」


 まんじりともせず口を固く閉じ、地面をにらみつけるハイゼに、ツァオ・オークたちは好き好きにいい散らすと、やがて飽きたのか自分たちの持ち場へと戻っていった。


 

 オーク戦闘集団が林に伏せて時を待っている間、ウェイダ村でこれを発見した第十三軍団護衛士付百人小隊では、百人長トゥラクとヨアレシュ、ホン、インファが兵士たちを率いて防衛の準備を始めていた。


「オークたちが森に潜んでいるのは間違いないのだな」


「私の遠見の呪いで兵士が確認したんだ」


「何故すぐ襲ってこないのだ?」


「おそらく夜陰を待っているのでしょう。薄暮の頃合いを見て城門が閉まる直前に飛び出してくるかと」


「困ったな。先ほど早馬が本隊より来てな、今から負傷者を含めた小隊を送るので引き入れよとのことだ。この者らを村内に入れるまでは村の門は開けたままにしておかねばならん」


 トゥラクは詰所にしている民家の窓から見える村の門を指した。それは石塁と木柵で囲まれた村の出入り口で、ここだけは木製ながら堅固な丸太組により、突破を容易ならしむる作りになっている。とはいえ、それも閉めておけばこそだ。開けっぱなしでは何の意味もない。


「負傷者が到着する頃には陽が落ちきっておるだろう」


「何とか負傷者を急がせるわけには……なりませんね」


「ならぬだろうな」


 トゥラクもホンもやるせない顔を見合わせた。今も公堂では治療を受けながら負傷兵たちが苦しみの声を絶えず上げているのだ。新たに来る者たちも、自力の足で歩ける者よりかは人の手を借りて来る者が多数だろう。走らせることなどおそらくできない。


 もちろん彼らを見捨てて門を閉じ、オークに備えるなど論外である。


「門を開けたままオークを抑え、負傷者を収容してすぐさま門を閉じる。それしかあるまい。幸い村の防壁は可能な限り手厚くしてある。そうやすやすとは落ちぬだろう」


 既に此方から本隊へ伝令を走らせていたが、救援に来るのは翌朝のことになるだろう。既に日は正午を過ぎている。準備と覚悟が求められた。


 トゥラクはヨアレシュと、その傍に立つホンを見据えて言った。


「これより我が小隊は手勢を分け、二分を村内に、残りを私が率いて外に出し、オークを抑えて負傷者の収容を助ける。収容が完了したのちは我らの帰還を待たず、すぐさま門を閉じてもらいたい」


「外でオークと取っ組み合うつもりかい?死ぬよ、あんた」


「我々は魔術人を守るための護衛士寄騎としてあなたに貸された兵士だ。その役目に従うのみ。それにただ討ち死にするわけではありませぬ」


 トゥラクはにっ、と武骨な笑みを見せた。それはなんとも暖かい気持ちを見るものに与える、不器用な兵士らしい笑みだった。


「では護衛士殿、後の指揮は任せましたぞ!」


「待て! 百人長!」


 呼びかける声に振り向かずに出て行ったトゥラクの背を三人は眺めるしかなかった。


「インファ、負傷兵の中で立ち歩ける者がどれくらいいる?別に戦えなくてもいい」


「二十人もおりませんよ。どうするのです?」


 問われたホンの表情は、何か考えがあることを示していた。インファはその顔に、戯れに誘惑を振りまく時とは別の魅力を感じるのだった。オークの時と変わらない魅力を。


「職務に忠実なるトゥラク百人長を生かせるかもしれない、ささやかな策だよ。その為にはヨアレシュの協力も必要になるけど」


「私かい?」


 武力衝突となれば自分は蚊帳の外、と思っていたヨアレシュは名を呼ばれて驚いた。


「君の協力があれば、トゥラク百人長の命を救い、ウェイダ村を守れ、そして……」


「そして?」


「私が今最も欲しいもの……武功が手に入る」


 含むように笑ったホンは魅力的だった。オークとしての魅力と人間としての魅力の重なった、化生の笑みだった。


 

 静かな緊張がウェイダ村周辺に霧の様に漂っていた。そのような中、支道を村へ向けて進む集団がおり、それは村からも、林の中からも確認できた。負傷兵を護送してウェイダ村へ向かう本隊付きの小隊だった。隊列の前後を正規の兵士が守り、間には介助を受けながら歩く負傷兵が挟まれていた。その数、負傷兵四十に対し介助と護衛の兵が六十の、計百人。


 小隊が確認できたトゥラクは兵を率いて村を出た。あらかじめ増設させた三重の木柵の間より進み出たトゥラクの隊は、支道と林の間に流れる細流に沿うように並んだ。


「急がれよ、各々方! 陽がもうじき沈みますぞ」トゥラクは負傷兵の小隊へ移動を促す。


 だがその動きは遅々としか進まない。そしてそれを見逃すほど、ツァオ・オーク戦闘集団も甘くはなかったのである。


 ウファーゴは自分たちが攻め取ろうという村に新たな人間が入り込もうとしているのを見て、これを妨害する必要性を感じた。一旦村の中に入られるより、外で戦った方が有利であるということくらい、ウファーゴにも分かっていた。頃合いよろしく、陽が落ちかけている。攻めかかかるのも悪くない。


 ウファーゴは林の中で待機している従士たちに投爆石を開始させた。懐の厳しいツァオ・オーク氏族にとってはとっておきともいえる爆石攻撃だ。


 突如、支道の上に爆撃の雨が降ったことで負傷兵小隊が混乱を起こしたが、トゥラクがこれを叱咤、足並みを崩しかけたところへ急ぐように言った。


「敵襲である!早く村の中へ!」


 爆撃と呼応するように、林の中から武装したオーク戦士たちが飛び出す。戦士たちは段丘を駆け下りて細流を横断して支道へ向かって駆ける。そこにはトゥラクが率いる80の兵士が互いを守る壁の様に重ねた盾で陣形を作り立ちはだかった。


 細いとはいえ渡河攻撃の格好となったオーク戦士たちに対し、硬く守ったトゥラク隊の兵士たちは一歩も引かぬ構えで陣取り、いったん足を止めたオークたちに向けて手槍を無数に繰り出した。一方、ツァオ・オーク戦士の大部分が身に着けていた部分のみを鋼で覆った皮鎧は、レムレスカ兵士の槍を防ぎきれなかった。


 その上、ツァオ・オーク従士団は予想外に抵抗するレムレスカ兵士に対し急速にその攻撃精神を挫けさせてしまった。ここまでの行軍の間、まともに戦闘らしい戦闘を行ってこなかった従士団は、ここで初めて、戦場というものを体験したのだ。必死になって闘い、守るレムレスカ兵に闘志を欠いた彼らは、槍で突かれ盾で押され、じわじわと押されてゆき、渡ったはずの細流の上まで押し返される。細流の上は後続の戦士と押し返された従士団とで一杯になってしまった。そして細いとはいえ流れのある川の上に立っていると、足を掬われるものが現れる。一度掬われれば最後、川の流れや川床の苔石の滑りに囚われて起き上がることが出来ず、溺れてしまうのだ。


 膝下ほどの深さしかない川で溺れていくオーク戦士たちを見て、トゥラクは希望を見た。このままうまくゆけば、本体の救援を待たずに撃退できるかも。


 だがその願いはむなしく散ることになる。混乱するオーク戦士の群れの中から黒い影が一つ飛び出し、細流の上流へと向かった。


「隊長! オークどもから何かが動きました!」


 兵士の一人がその黒い影を指して言った。跳ねる様に動く影は塊になった従士団から離れると、転がるように川岸へ這いあがり、そしてすぐさま立ち上がってトゥラク隊めがけて突進してきたではないか。


「いかん! 撃ち漏らしがおるぞ!」


 トゥラク隊の側面はがら空きになっていて、今そこに攻撃を受けるわけにはいかない。トゥラクは自身

の得物である重槍を持って隊列の側面に飛び出し、突撃してくる黒いオーク戦士に向かった。


 将軍キュレニックス子飼いの兵科である重槍重歩兵でもあるトゥラクの持つこの槍は、全長の三分の一が穂先となった特異なもので、重く鋭い刃先はのこぎりの様に刻みが付いている。これを刃の重さを利用して振るえば、たとえオークの強靭な体でも致命傷を負わせることが出来た。


 だが迫りくる黒いオーク戦士もまた、トゥラクのそれとよく似た大振りな槍を構え、目の前に飛び込んできた人間の兵士を串差しにするべく槍を突き出した。トゥラクはこれを間一髪のところで回避、同時に体重を掛けた決死の突きで相手の胴を狙って突いた。


 その穂先が腹に食い込むかと思われた瞬間、脇から伸びた黒い手が穂先を握り留めた。オークの突きは片手によるものだったのだ。残った左手が穂先を固く掴み、トゥラクはこれを引いた。肉を引き切る感触と共に抜けた槍には赤黒い血が滴った。一方のオークも、握った刃に特殊な細工が施されていたことに気付いて飛びのき、改めて片手で槍を構えた。


 オークが自身の大身槍を、まるで小枝を振るうように軽々と振るってトゥラクへ叩きつけた。トゥラクはこれを懸命になって防いだ。重槍の重さがそのまま防御にも活用された形だ。だが重く強靭な槍を介しても、オークの攻撃を受けるたびにトゥラクの身体は悲鳴を上げた。骨がきしみ、肉が爆ぜるようだった。


 片腕しか使えないオーク戦士をトゥラク一人で抑えている間にも、細流に抑え込まれたツァオ・オーク戦闘集団は統制を取り戻しつつあった。後方にいたウファーゴ族長の声の下、オーク戦士たちは段丘を駆け上って林の中へと引き上げて始めたのだ。中には転げたまま溺れて悶える仲間を引きずった者もいたが、既に川に囚われて動かなくなったオークも見受けられるようになった。


(よし、ひとまず襲撃を退けることはできた。あとはこの者さえ……)


 トゥラクの意識が一瞬だが他所へ向けられたこの時、オーク戦士はこの隙を逃さず捉えた。それまで叩きつけるばかりだった槍を、掬い上げるような低い姿勢から突き出したのだ。気づいた時には、トゥラクの顔面めがけて巨大な穂先が迫っていた。


 もはやこれまで、とトゥラクの意識が遠のこうとする、正のこの時。


 どろり、と視界が歪み、トゥラクは真横から衝撃を受けた。それは目の前の戦士から致死の攻撃を受けたから、ではない。それは何者かがトゥラクを引き倒したためだった。


 投げ飛ばされたように地面に転がったトゥラクは、瞬間、呆然としたが、次第に自分に何が起こったのかを把握した。槍を受けようかという瞬間に、自分の腕を掴む何者かの気配が、確かにあったことを。


「御無事ですか、トゥラク百人長」


「護衛士、殿……? なぜ、ここに……」


「むざむざ目の前で死なれては困ります。寝覚めが悪い」


 自分より華奢で小さき、しかし凛とした眼差しをした少女戦士は、トゥラクを抱き起して耳打ちした。


「オークの潜んだ森に仕掛けをしてあります。あとは目の前のものを捕らえれば我々の勝利です」


「仕掛け? 捕らえる? いったい何のことか……」


「ともかく、兵と共に村へ逃げられませ。あとは、私が」


 手早くトゥラクの背を叩き、ホンは腰の武器を抜いてオーク戦士の前に立った。トゥラクは動転したまま後ずさったが、小さき少女に背を守られるという行為に恥辱を感じたのだろう、絶えず振り向いていた。だが、その姿をホンは見なかった。意識は既に、目の前のオークへ吸い寄せられている。


 二人のやり取りを観察していたオーク戦士は、立ち残った小さな人間が武器を構えたのを認め、再び片手で槍を構えた。オークの膂力でもやや持て余すほどの大身槍は穂先が下がり気味だが、間合いに踏み込めば先ほどの様に下段からの掬い突きが飛んでくるに違いない。


 一方ホンは腰に佩いていた長短二振りの剣を抜き、両手に一振りずつ握って相手に向けていた。モグイ族の商人から買い付けたそこそこの業物だが、流石に軽すぎて目の前のオークが身に着けている鋼鉄の鎧を切り裂くことはできないだろう。もとより、ホンは相手を殺すつもりはなかった。生け捕りにするつもりなのだ。


 二人は互いの間合いを計りながら徐々に接近する。言うまでもなく槍を持つオークの方が有利だ。筋肉の緊張を意識したホンの目が紅玉の様に光った。身体にオークの力が戻ってくる感覚がある。力が一時的に戻ってきたせいか、ホンは目の前のオークの姿にどこか記憶があることに気付いた。その野卑だが妙に澄んだ眼差しと、黒塗りの鎧姿のオーク戦士と、嘗て訓練を兼ねて組手をしたことがあった。


 そう、目の前に立つオークはハイゼ・フェオンではないか。


 シー・オーク従士団は解散させられたはずなのになぜ戦場にやってきているのか、ホンにはわからないが、何か事情があるのだろう。


 そこでホンは一計を案じた。構えていた武器を降ろしたのだ。


 そして久しぶりに使ったオークの言葉で話しかけた。


『貴公はシー・オーク王国従士ハイゼ・フェオンだな!』


 効果は覿面だった。ハイゼは目の前に立つ小さな人間が、自分をオークの言葉で呼びかけるというあり得ない状況に明らかに動揺した。それを見たホンはすぐさま降ろしていた剣の一振りを槍の様に構えてハイゼの頭部めがけて投げた。


 反応の遅れたハイゼだったが、これを間一髪、槍を振るって弾き飛ばす。しかしこれはホンの罠だった。視点を誘導されたことでハイゼは目の前にいたホンを見失っていた。


 ホンは剣を投擲すると同時に地面を滑るように飛び、ハイゼの片足に絡みつくと、残った一振りの短剣で脚甲の隙間から刃を差し込み、腱を断った。


 鋭い痛みと共に片足から力が抜けたことに気付いたハイゼだったが、ホンが次なる攻撃に移ったために対応することが出来なかった。ホンは腰が落ちたハイゼの背中に回ると、腕を伸ばして頸部を締め上げる。細い少女の腕が鋼の綱を縒り合わせたかのごとき強靭な力で野太いオークの首を絞めた。たまらずハイゼは大身槍を落とし、両手で首に絡みつく細い腕を引きはがそうともがく。背中に張り付いているホンを押しつぶそうと後ろに倒れ込むが、ホンは両足を地に着け、ハイゼの押し付けてくる重みを耐えた。そして更なる力を込めて首を絞めると、急激に腕の中でオークの力が抜けていった。

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