第11話 ツァオ・オーク
実のところ、ディヴォンで発動されつつあった北部属州奪還作戦の裏では、レムレスカ側には想像だになかった事態が進んでいた。シー王国南伐軍の、段階的撤退である。
それと同時にこの空白地域に侵入してきたのは、それまでシー王国の伸長によって抑圧されてきた、他の氏族のオークたちだった。アメン川流域中部を占めていたシー王国の支配を受けていない、例えば下流域や上流域、あるいは対岸の更なる北方域に集住するオーク諸族が、シー王国で惹起した内乱が収まらぬ内により豊かな土地を得るべく南下を開始したのである。
本来なら、血潮を流して獲得した占領地、しかも内内に分配も決まっていた場所である。維持確保のために兵を動かさねばならないだろうシー王国側は、逆にこれを機会に南伐軍の完全撤兵を開始する。
新王ユアン・ホーにとって南伐で獲得した領地を意固地に守るより、国内の支配権を確立することこそ急務であった。既にホーの男たちによる新生従士団による新たな統治機構が整備され、旧シー王家に連なる親族達の領地を吸収、その支配下に置きつつあったが、まだ反抗の目は無くならず、旧従士団の中には野に下って後、これらの反抗勢力に身を投じるものも多く、あと少しの所で域内統一を妨げていた。
以上の情勢により、北部属州の要地であるサヴォークは放棄、その地には火が放たれた。後に残されたのは戸数もまばらな小村落、無人の廃村、無防備なそれらを狙って忍び寄る無頼オークの群ればかりとなった。そのような小征服者の集団の一つに、ツァオ・オーク氏族がいた。
アメン川河口域に集住していたツァオ・オーク氏族は、伸長激しいシー王国の変事を風の噂で聞き取ると、これぞ幸いと一族総出の大移動を開始した。とはいえ、ツァオ・オークは諸族の中でも弱小の氏族、複数の氏族を平定して複雑な統治機構を持ったシー王国のそれとは比べるべくもない規模の集団だった。
一家総出の大移住と見栄を切ったが、その総勢は非戦闘員を加えても一千人を越えない程でしかない。族長を補佐する従士団に至っては、たったの十人しかいないのだ。これに族長以下数名の長老格、半農半兵の自由民を加えた約百人が、ツァオ・オークの戦闘集団である。
もっとも、族長ウファーゴ・ツァオは激しい戦闘は予想していなかった。先のシー王国南伐軍によって先住していた人間たちは捕縛されて奴隷となって売り飛ばされるか、自主的に逃亡して更なる南方の地へ去ったかして、進む先で出くわす危険はほぼなかった。あるとすれば、自分らと同じく、この機会により良き地を求めて足を運んできた他の部族と衝突する可能性だが、それも定住する前なら逃げるなり何なりと応用が利く。
さらに言うなら、ウファーゴには切り札があった。彼の下にはシー王国から離反した旧従士団の戦士が流れ着いていたのだ。
アメン川河口域を出立し、南下した先で見つけた河川に沿って東に進んだツァオ・オークたちは、名も知らぬ森の中で一夜を過ごしていた。非戦闘員は森の奥深くに隠し、その周囲を釣り鐘型に張った天幕が囲っている。
既に何度か廃村を通り過ぎ、そのたびに定住するか否かを見極めてきたウファーゴら長老たちは今、今後の予定を決めるための会議を行っていた。幸いなことに、放棄された耕作地を略奪することで飢えに苦しむことはなかったが、いつまでもそれで済むはずがない。気候はゆるゆるとだが秋に近づきつつあり、越冬の支度をしなければならないのだ。
「明日、従士団を先遣させ、最寄りの集落を襲う。そこの地勢次第でそこを移住地と定めるとしよう」
「異議なし」
ウファーゴ以下長老たちが頷き合う。
「ハイゼ・フェオン、お主はどう思う」
車座に座って頭を突き合わせていた会議の外に立つ男に、ウファーゴは水を向けた。
ハイゼはむっつりとした顔で木に凭れて長老たちのやり取りを聞いていた。手には酒瓶を握っており、注ぎ口から直に呷っていた。
「それがしの意見など、何の足しになろうか。それがしは族長どのの御指示にしたがいますのみ」
「従士団の案内を任しておるお主だからこそ意見を求めておるのだ」
ウファーゴが酒瓶を奪うべく手を伸ばす。ハイゼは深く酔いながらも翻り、酒瓶を守った。
「シー王国従士団におったというなればこそ、我々はお主を仲間に引き入れたのだ。その務めを果たさぬか」
「ふうむ、さて……」
再び酒を口に運びながら、ハイゼは木から離れて車座に加わった。
「御一門の方々におあつらえ向きの場所が、おそらくこの近くにござりましょう」
「おそらく? なぜあやふやなのだ」
「それがしはアメン川より南に来るの、これが初めてございましてな」
「なんと!」
ウファーゴ以下長老たちが狼狽の声を挙げた。
「我々を謀ったな!」
「あいや、暫く、暫く」
大仰に手を振っていきり立つ長老たちをハイゼは抑える。
「それがしがシー王国従士団におりましたことは事実。しかしそれがしはかの南伐軍の選に漏れましてな。当時はアメンブルクにて詰めておりました」
「何故それを早く言わぬ!」
「はて、聞かれませなんだゆえ」
ハイゼは続けた。
「とは言え、御一門に拾っていただいた以上は御一門のため、誠心誠意を以て仕えさせていただきます所存、これに嘘偽りはありませぬ。その上で、これより先、この川の上流域にて所望の場所を見つけられる目星がついております」
やおらハイゼは枝を拾い、焚き火の傍に地図を書き始めた。
「この川の水量や質から見て、上流の方で別の川と交わっておるとそれがしは見ます。その点こそ、御一門にとって都合良き、肥沃で守りやすき地と考えますな」
「ううむ、道理だ……」
灰の上の線を見ながらウファーゴは唸った。
「よし分かった。ひとまずはお主の言を信じよう。だがな、もし当てが外れるようなことがあれば、その時は分かっているな」
「その時は、御随意に……」
言って一礼し、ハイゼは車座から離れ、森の中へ消えた。
「族長、あのような輩をいつまで使うつもりなので」
長老の一人が問いかけると、ウファーゴは薄く笑った。
「流れ者の武辺者ゆえ、このような場所をうろつく時に都合が良いのだ。大事な儂の従士団を使いつぶさずに済むというもの。無事移住が済めば用済みよ。二束三文にて追い払えばよし。縋りつくならばそれこそ、従士団に討たせるだけよな」
夏から秋の星座に移り変わりつつある空を見上げ、ハイゼ・フェオンはため息をついた。
「つまらんシノギじゃわい……」
南伐から一転直下、ラン・バオ・シー陛下の崩御からユアン・ホーの登場、そして従士団の解散と、目まぐるしく周囲に起こった変化の中で、ハイゼは身の振り方を選ばざるを得なかった。ユアンなる男の示した下従士なる組織に組み入れられるのを良しとしなかった彼は、身に覆った鎧と僅かな所持品を持って早々に逐電したのだ。
(あのような小童の下に付くなど、天地がひっくり返ろうと断る。とはいえ……)
様々な氏族を転々とした末に見つけたシー王国従士団の居心地の良さを思い出し、ハイゼは心を慰めた。志爽やかな従士たちは武勇を相争い、彼らを指揮する長達は公正であった。ハイゼは所属していた時期が短かったため、最後まで無役のままだったが、それでも友と呼べる連中と轡を並べて過ごせた喜びがあった。
シー王国を出たハイゼは最初、負け戦を承知でユアンに反目する勢力に入り込もうかと思ったが、ユアンを討った後の構図が見えない戦をする気にはなれなかった。仮にユアンがいなくなっても、シー王国を束ねていたラン・バオ・シーも、それを継ぐべきホン・バオ・シーもいなくなってしまったのだから。
(そうだ。ホン・バオ・シー殿下、かの婦人の尊顔をもう一度見たかった。だが既に叶わぬ夢よ。ユアンめはラン王の崩御と同じくして体調を崩されたと嘯いたが、おそらくはもうこの世の者ではあられまい)
彼女の危機に、俺が駆けつけることが出来たなら!
無理を承知で何度そう思っただろう。だが既に遅しである。
あてどなく領を出たハイゼを拾ったのがウファーゴ・ツァオだった。再び一族長の指揮する従士団の一員に、と思ったが、現実はハイゼを大きく裏切るものだった。弱小氏族の従士団など、恩顧で養われた身内者ばかりで、実力で世渡りをしてきたハイゼから見れば小物ばかり。その上この従士団は主の懐事情に合わせたお粗末な装いをしていた。鎧は急所のみ鋼で覆った皮鎧、与えられるのは手斧ばかりで槍は少なく、砲撃槍など一門もない。極めつけは戦象で、他所の氏族から交易で得た3頭しかいなかった。その為従士を乗せず、専ら族長専用の乗り物となっている。このようなお寒い家門にいては、武辺も何もない。
とはいえ、拾ってもらったのも事実である。早々に彼らに安住の地を見つけ出してやらねばならないという気持ちだけはあった。その点、ハイゼには一本の気概があった。
そのように不得手な思索に耽っていると、思い浮かべるのはホン・バオ・シーのことであった。あの勇ましくも美しい尊顔が得物を構えてこちらを見据えると、震えるような官能が身を襲ってくる。そのような方と試合が出来た喜び、ともに轡を並べて戦場を馳せられなかった悲しみに、ハイゼはやるせない思いを抱くのだった。
「帰りたいのう……」
だが帰りたいその場所は既にないのである。
翌朝。ツァオ・オーク従士団十人を率いたハイゼは川沿いに移動、次なる移動先を探した。後方5里を置いて本陣を引き払った主隊が付いてくる恰好だ。
ハイゼ達が進んでいる道は石敷きでこそないが十分に踏み固められたもので、嘗てはここを人間たちが行き来したことを物語っている。蛇行するその道を行きながら、従士団は四方へ視線を広げて移住に適した場所はないか、あるいは既に一度拓かれた場所がないかと目を皿のようにしていたが、先頭を行くハイゼはそうしなかった。
「御一同、この先に林がありまする。そこで一度足を止め、休憩としましょう」
「休む暇などあるのか」年かさの従士が見下すように言った。
「主隊より随分と先に来ております。これ以上急げば主隊との連絡が取れなくなりまするぞ」
「む、そうか……」
よどみなく答えるハイゼに従士は黙った。
野道から外れた林の中へ入った従士団は暫く中を進み、身を隠す程度の深みまで達するとそれぞれに腰を下ろした。
「ふむふむ、なるほど」
「何がなるほどなのだ、ハイゼ殿」
「この林、人の手が入ってますな。下生えを刈った跡がある」
ハイゼが指示した箇所を従士は見た。細い若木の切り株やひこばえの伸び始めた古木の切り株が点々と木々の隙間より見出せる。
「近くに集落があったものと思われます」
「うむ、ではそこを当たるとしようか」
従士たちはそう言ったが、誰一人として立ち上がろうとしないので、ハイゼは言った。
「各々がた、立たぬのですか?」
「我々は休息中だ。お主が言ったのではないか」
「近くに集落があるのではないか、というのはお主一人の考えだろう。ならばまず己が率先して探しに行けばよいではないか」
「我々は暫く、こうして足を休めているゆえ、何か見つかり次第報告せよ」
億劫そうに従士たちは口々にそう告げた。憤りを感じたが、ハイゼはそれを顔には出さず、
「では、暫くお待ちを……先を見てきまする」
一礼して従士たちから離れ、切り株を頼りにさらに林の奥深くへ分け入っていった。互いの視界から見えなくなった頃、冷ややかな笑い声が従士たちから聞こえた。
今すぐにも取って返し、脂ぎったそっ首を一人残らずもぎ取ってやりたい衝動に駆られながら、ハイゼは懸命に自分を抑えて務めを果たした。見渡すと燃料として伐採されたのだろう木の痕跡が均等に配されているのが分かり、明らかな人の手が加えられていた。
他に何か手掛かりがないかと、難儀しながら腹ばいになって地面を調べると、ほんの僅かながら苔石には足跡があった。人間の履くサンダルの跡である。既に消えかかった足跡を丹念に追っていくと、林の中に獣道が現れた。人間といくつかの小動物(オークから見て)が通るだけの狭い道だったが、ハイゼはそこを辿った。
獣道の先で林は終わっていた。ハイゼは林を突っ切り、反対側へ抜けたのだ。抜けた先には落ち込んだ傾斜部が広がっていて、先ほどまで自分たちが歩いていた川沿いとは別の細流が脇を抜けて蛇行し、視界の果てへ消えている。今目に見えている細流はおそらく、雨季には激しい濁流となって流れる暴れ川なのだろうとハイゼは見た。
すなわち、今自分が立っている林を擁する傾斜部は往古の雨季の濁流によって河岸が浸食されてできた段丘なのである。そして川向うに出来た扇状地はそのようにして運ばれた肥沃な土壌であるはずだ。
なぜなら、遠目が利くハイゼの目には対岸の地に均された耕作の後がはっきりと映っていたからだ。川に囲まれた肥沃な土地、川を天然の掘りとすれば守るに易い、素晴らしい地である。こここそツァオ・オーク氏族を定住させるに相応しいと思った。
と、遠目を利かせて対岸を観察していたハイゼの目が、塩粒のように見える遠景の中で何かが動いているのを捉えた。野生動物のようではない。この土地から人間が立ち去っているわけではないということがわかった。
それはつまり武辺者であるハイゼの本領を発揮させる絶好の機会がある、ということだ。ささやかな武の披露ができる期待を胸に秘め、ハイゼは来た道を帰っていった。
細い二つの川の合流部に拓かれたウェイダ村へ入った第十三軍団付魔術人護衛士隊(寄騎された百人小隊を含む)は、村内の状態を確認し、この村が今は完全に放棄されたものであることを確かめた。木柵と石塁で作られた囲いの中に十軒もない民家、礼拝堂を併設された小さな公堂、そして集落の規模から見て不釣り合いな大きさの櫓が建っている。櫓は住民に時を告げるための物だったようで、青銅の鐘が吊るされて、その上の物見台には日を計って時間を割り出すための図形が彫りこまれていた。
村を接収した魔術人護衛士隊の目的は、ここを拠点として魔術人ヨアレシュを守り、さらにここへ護送されてくる負傷者を収容できるように整えることだった。街道中部を確保するために散開させた各部隊が、遭遇した蛮族との戦闘にて負傷すると、街道沿いに布陣しているキュレニックス将軍の本隊を経由してこの村まで運ばれる手筈になっている。収容された負傷者はヨアレシュの『癒しの呪い』を受け、傷の回復を待つことになるのだ。
ホン・バオ・シーは寄騎された百人小隊を指揮する百人長と手分けしてことに当たった。
「公堂を医療所にするとして、小隊の皆は班分けを行い民家にて起居してもらいましょう。我々は医療所にて寝起きします」
ホンの提案に百人長トゥラクは頷いた。
「村の防衛もおろそかにはできません。百人長どのには何か策がありますか」
「幸いにも木柵、石塁ともに損傷はなかったが、オークが攻めてくると考えれば心許ない。早急に補強を行いたい」
「掘りを引くというのはどうでしょう。近くの川から水が引けますし」
「いや、掘削は人手と時間がかかりすぎる。木柵を増やすしかあるまい。今しばらくは負傷者も送られてこないであろうから、周囲の索敵と合わせて兵にやらせよう」
「助かります、百人長」
「護衛士どのは魔術人どのとゆっくりと準備なされませ。では……」
トゥラクはそう言って公堂を出て兵士たちの下へ戻っていった。
ホンも公堂から隣にある礼拝堂に移った。そこではヨアレシュが持ち込んだ霊薬や丹薬の準備をしており、インファがそれを手伝っていた。
「終わったわ。一応ね」
「ご苦労様です。どうですか首尾は」
「まぁなんてことないわ。でも、あの百人長少し鼻に突くわね。女だと思って嘗められているって感じが」
「まぁいいじゃない。いざという時まで片意地張らせておけばさぁ」
荷の中から胡乱な香りのする没薬を出しながらヨアレシュが言った。
「いざという時が来ると思いますか?」
「来てもらわないと困る」
「まぁ怖い。守って守って~護衛士さま」
「調子のいい奴だな、お前って」
「うふふ。でも格好いいよその姿。ちゃんと守ってくれるって思えるもの」
今のホンはインファが入手した婦人用の皮鎧を付けていた。ホンの好みを知っているインファが気を利かせ、緋色に染められた鎧と兜、腰には長短二振りの剣を挿している。一端の女戦士に見えることだろう。
ただし、レムレスカ帝国で女の戦士というものが一般的であるということは決してない。居なくもないが、その場合は高級婦人の専属護衛か、奴隷闘技場で死ぬまで戦わされる剣闘士くらいなものである。どちらにせよ全うな階級として見られることはない。そう言った意味で、トゥラクがホンを自分より一段低い目で見ているのは何も特異なことじゃなかった。ただそれにホンが我慢できないだけだ。
「そうして戦装束に身を包んでいる姿を見ていると、やはりお嬢様はお嬢様なのだな、と思いますよ」
「私は私でしょう。何を言っているの」
「時折酷くやるせない顔で鏡を覗いているのをインファは知っています」
表情が自然に変わっていくのを認識するホンだった。
身支度をする時、鏡をのぞくたびに移る美しい顔。最初は楽し気に見ていたことを正直に告白するホンであるが、最近はどうにも物憂げな気持ちで自分の顔を見てしまうのだ。
これ以上なく、人間に見える。しかし自分はやはり人間ではなくオークなのだ、という自覚に苛まれる時、自分の姿に対する不快感、そして人間に対する不快感となって顔に現れるのだ。
「お嬢様はオークに戻りたいのですね」
「そう、そうね。人間は好き。その作り出した文明も。でもやはり、私は血と力で明日を生き抜くオークなんだなって思うようになった。きっとそれまで、ただ強くなって父の後が継げるようになれればよいとだけ思っていたことを考えると、不思議なものね」
「そのためにも人間の姿で明日を生きねばなりません。忍従してくださいませ。それにしても」
「なに」
「そのお姿をお捨てになるのは、何やら心苦しくて……」
「それは貴方の趣味でしょう? ……そうだわ」
ホンは何を思ったのか、髪を透き解くと、にっこりと微笑んだ。その笑みには可憐さと妖艶さが同居した奇妙な魅惑があった。
「インファ、いらっしゃい」艶っぽい響きで従者を呼ぶと、インファが明らかに困惑しはじめた。それを傍で見ていたヨアレシュが懸命に笑いをこらえている。
「遊ばないで下さい、お嬢様……」
「ほうら、抱きしめてあげるから……」
「ああ、いけません、そんなお声と顔をして見ないで下さいませ……」
純然たる演技でありながら、ホンのその仕草は万人を魅了するものがあった。レムレスカに滞在し、人間の中で人目に晒されるうちに、ホンは自分の魅力を発揮する方法を完全に会得してしまったのだ。それは武骨な鎧姿であっても変わらない。むしろそんな姿の上に乗った美しい顔貌が、そこから流れ落ちる黒髪が、一層その美しさを際立たせていたといってもいい。
魅了に中てられて、まるで石に変わってしまったかのように動けなくなったインファへホンは歩み寄ると、彼女を鎧の角で傷つけないようにそっと腕を伸ばして抱きしめた。
「あっ、はっ、はっ……」
「この姿が好きなんでしょう? ほらほら、今どんな気分か言ってみなさい」
耳元で囁くように言った。その吐息の香りさえ芳しいとインファは思った。主に玩ばれている自覚と、歓喜に酔う感覚に翻弄されて、答えた。
「インファは、インファは、蕩けてしまいそうでございます……」
「ありがとう。褒美をあげるわ」
陶然として間近にある主の顔を見ていたインファの顎を摘み、ホンはバラ色に高揚した褐色の頬に触れるか触れないか、実に沫やかな口づけを授けた。
その瞬間、か細い悲鳴を上げて腕の中のインファが脱力して、その重みがホンへのしかかってきた。
「あれ? ちょっとインファ? もしもーし……」
ついに我慢できなくなったヨアレシュは、その様を見ながら息が止まるほど笑い転げた。
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