第10話 第十三軍団付一個小隊増強魔術人護衛士


 かくして、ホン・バオ・シーの帝国における身分は定まった。表向きはサヴォーク出身の亡命貴族にして、魔術人ヨアレシュに雇われた護衛士の一人となった彼女は、主ヨアレシュに率いられて帝都レムレスカの最奥を囲む第一壁を越えた。


 万神殿、皇居、公堂で埋め尽くされた第一区のうち、もっとも広い敷地を有する公堂では、六百人の元老院議員が集まり、それに対するように設けられた玉座に鎮座する老年の男性がその時を待っていた。


 彼こそは巨大な帝国を統べる権力者、万神殿からその統治権を付託された特別神祇官にして国軍の最上位司令官、たった一人で全ての元老院議員と等しき力を持つ皇帝レムレスカである。彼の周囲には完全武装した兵士が数十名、その身を守るために立っていた。身を包む鎧には一般の兵士とは異なる意匠が施されているのが遠目にも分かった。特に、黒い吹き流しの付いた槍が目を引く。


「彼らは皇帝直属の近衛兵だよ。他の軍団は元老院が編成して皇帝に委託するんだけど、近衛兵軍団だけは皇帝自身の手で編成されるんだって」

 ヨアレシュがホンにそっと耳打ちした。


「皇帝の護衛士ってことね」

「というより、護衛士が近衛を模した制度なのですよ。それほど帝国は魔術人を重用しているという、証なのでしょう」

 インファが話を継いだ。


 三人は今、公堂の前に集められた兵士たちの中にいた。公堂を一望できる広場が併設されており、そこは元老院や皇帝に召喚された人間の待機場であり、新編される軍団の閲兵式が行われる場であった。新しく編成されたレムレスカ帝国軍、第十三軍団の兵士たちは、まだ身に着けている鎧具足が体に合っていないような若者と、既に兵役から退いていてもおかしくない老兵が半々にまじりあっていた。それをホンは見逃せなく思い、インファに問いかけた。


 インファは答えた。既に自分たちが編入される軍団の裏事情はモグイの情報網を使って調査済みだ。

「第十三軍団などと聞こえは良いですが、実体は寄せ集めの集団ですからね。兵員数も定数の七割程度しか満たすことが出来なかったそうで」


「そうね、敵として対していた帝国軍の一個軍団は、これよりも数が多かったわ。帝国は新しく兵を賄えないほど疲弊しているの?そうも見えないけれど……」


「お偉方がその辺一枚噛んでるのさ。ディヴォン周辺に権力基盤のある議員はそこを守るのに兵力が欲しい、けれどこれを機会により高い地位を狙ってる連中も多いってことよ」


 ヨアレシュは冷ややかな目で、集められた兵士たちに向けて作られた演説壇に次々上っては口舌を振るう元老院議員たちを見ながら話す。


「何しろ北方属州は南方の群島属州や東方の港湾属州みたいに開発され尽くしてない土地だからね。そこの利権を持っている連中というのは何かと煙たがられるわけで、この機会にその勢いを削いでおきたいと思っている奴もいるってことさ」


「民草の命を捨ててもか。不愉快な話だね」

 眉をひそめたホンをヨアレシュは興味深く見上げた。


「オークって血の気が荒くって命を顧みない蛮族だと思ってたけど、あんたは違うんだね」


「馬鹿にするな。オークとて命は大事だし、あたら下々の生命を脅かしたりしない。ただ、武威と名誉の前には命を懸けてそれを守る、というだけよ」


「その辺の違いが、私にはよくわからないんだよねぇ……」

 何かを含むようにヨアレシュはつぶやいた。


 ホンは彼女が何を言いたいのか聞こうとしたとき、登壇していた元老院議員の流れが止まり、どこからか金楽器の高らかな音色が奏でられ、それに合わせて皇帝が演壇に登った。


 老年の境に至った男がそこに立つと、周囲の空気が変わったかのようにざわつきが静まり、その場にいる全ての人が彼を見た。皇帝は七種の飾り織が施された深紫の衣を纏い、白いものが混じったくすんだ金髪を、銀で作られた月桂冠で纏めている。寄り添うものもなく、一身に視線を集めるその姿はまさに帝国そのものを体現しているにふさわしい威風と品格を伴っている。


 皇帝が口を開いた。朗々とした声が会場の隅々まで届いた。


「今ここに、我、皇帝レムレスカは、元老院の提案により、帝国軍第十三軍団の結成を宣言する。初代軍団長にキュレニックス将軍を任じ、我より軍団旗を授ける。これより後、そなたらは帝国の誇りと栄光に支えられた剣、市民とその家族を守る盾となる。皇帝と元老院によりそなたらに授けし名誉と義務に背かぬ働きを期待する。軍団長キュレニックス、前へ」


 兵士たちの最前列に並んでいた新軍団の幹部の中から一歩前に出る男がいた。こいつがこの軍団を指揮する将軍か、と集団の端に席を占めているホンからは顔かたちまでは見えずとも、物腰や立ち振る舞いからその人となりを観察した。


 進み出て登壇したキュレニックスの手に、皇帝から軍団旗が手渡された。それは人の背丈を越える長さの棹に束ねられていたが、受け取ったキュレニックスはそれを持って振り返ると、旗を束ねていた紐を解いて軽く一振りした。壇上に集められた視線の前に旗がはためく。見事な刺繍で織り綴られた旗面は陽光の下で煌びやかに舞った。


 キュレニックスが口を開く。


「帝国軍、第十三軍団の戦士諸君に告ぐ。諸君らの使命は重大である。ここより北、属州と本土とを繋ぐ都市ディヴォンは野蛮なるオークどもの暴虐の危険に晒されている。我らの使命はかの都市に住まう同胞市民の生命財産を守ることである。万神殿から歴代の臣霊たちが諸君らを見守っているぞ!この旗と共に私と戦って欲しい!」


「帝国万歳!」「レムレスカ万歳!」「オーク撃砕!」「蛮族を追い散らせ!」「万歳!万歳!万歳!」


 兵士たちが手に手に盾を槍や剣で叩いてキュレニックス将軍の演説に応えた。その動きを合図に再び金楽器は吹き鳴らされると、軍団を構成する最小の集団である百人小隊に分かれて兵士たちが広場を離れていく。その動きは演説が始まる前の、どこか雑然とした空気が払拭された堂々たる戦闘集団のものに変わっていた。


 粛然とした行進隊形で離れていく兵士たちを見送っていると、ホンたちの下へ軍旗を手放したキュレニックス将軍が近づいてきた。


 将軍職故兵卒のそれよりも遥かに精緻な造りの鎧を着こなすキュレニックスはヨアレシュに話しかけた。


「期日までに護衛士を集めることが出来たようだな、魔術人ヨアレシュ。貴様の得意な『癒しの呪い』には色々と世話になるだろう。よろしく頼む」


「風の噂じゃあまだディヴォンまではオーク諸族が近づいているわけじゃなさそうだけど。さっきの演説だとまるでもうディヴォンが襲われているみたいに聞こえたね」


「兵士たちに奮起させるための方便は必要だ。それに俺は都市に籠って守勢に回るのは性に合わん」

「おやおや」

 どうやら、この若い将軍は積極的に属州に進出して旧領を回復する意欲があるらしい。


「私の安全には気を配ってもらいたいね」

「ふん、精々邪魔にならんようにするんだな。そっちの護衛士も……うん?」


 将軍は初めてホンとインファを見て、不審そうな表情を作った。


「女二人、それも一人はモグイ族ではないか。いよいよ気でも触れたか?」

「いやいや、なかなかの手練れだよぉ、この二人は。ご自慢の重槍重歩兵でも相手になるか分からない位強いんだから」


「言ってろ。おい、護衛士」

 将軍がホンを見下すように言った。


「たった二名の護衛では不足があるだろうから、俺が指揮している百人小隊から寄騎を出してやる。うまく使えよ」


 それだけ言うと将軍は足早に一同の下を去っていった。翻る橙色のマントで覆われた大きな背中を、ホンは眉間にしわを寄せて睨んだ。


「なにやら、不愉快な男ね。傲慢」

「消極的な方でないだけ、我々には有利と思っておきましょう。私たちには功績が必要なのですから、守りに入られるような頭の冷えた人では困ります」


「言うねぇお姉さんも。それにただの荒っぽい男というわけじゃないんだよ、あのキュレニックス将軍は」

「どういう意味?」

「ま、それはおいおい、ね」


 ヨアレシュが語尾を濁らせるのをホンは不審の目で見た。が、インファの言う通り、ただ固く守るだけの将では、思い切って戦火に近寄ることにした自分たちの得にはならないだろう。ここは馬鹿でも阿呆でも、騒ぎなり戦なりに加わる気概のある男に付いていくしかない。そのことにホンの内にあるオークの気質が喜びの血を巡らせる。その点でははっきりと、ホン・バオ・シーはまだオークであった。


 

 ディヴォンとレムレスカの間を繋ぐディヴォン南街道を総勢三千人(内百騎の騎兵を含む。輜重輸卒含まず)の第十三軍団は北上、ディヴォン市に入場した。同市を本拠としていた第五軍団四千五百人(内百五十騎の騎兵を含む)と合流したキュレニックスは早速今後の動向を決定するための軍議を開いた。出席者は両軍の将軍以下幕僚、首席百人長、付属している魔術人および護衛士代表、そしてディヴォン市長であった。


 開始早々、キュレニックスが口を開いた。

「この度、私が皇帝および元老院より一軍の指揮を委ねられて出撃したのは、ディヴォン並びに北方属州の防衛のためである。現在のところディヴォン市周辺領域は第五軍団の巡回により平穏が保たれているが、この状態がいつまで続くか分からない以上、悪戯な兵力の分散配置で消耗を続けるよりは、蛮族の拠点となっていると目されるサヴォーク市の解放を画すのが、長い目で見れば当市の防衛に叶うものと思う」


 空かさず第五軍団を預かるロウ・ウルヒム将軍が反論した。


「積極策に出るつもりのようだが、ディヴォンからサヴォークまで進軍するにしても、一足飛びにはゆかぬぞ。間には宿場町程度とはいえ大小の集落が点在する。そのほぼすべてが無人、もしくは蛮族の居留地となっているのだ。それらを避けて進むことは出来んぞ。もしそれらを一つ一つ、虱潰しに攻略していくつもりなら、サヴォークが見える頃には兵が消耗し尽くし、拠点を責めるどころではなくなるだろう」


「ではロウ将軍はこの事態をどう収めるべきか、何か策がおありだろうか」


「皇帝と元老院の御意思が北部属州の回復にあるならば、我らの矛を直接サヴォークに向けるのは悪手である、と考えるな。これを見よ」


 と、ロウ将軍は幕僚が卓に広げた絵地図を示した。それはディヴォンからサヴォークまでの、北部属州南面全域を描いたものだった。


「サヴォークまで伸びる街道は、部分的には近隣の集落によって維持管理されてきた。具体的にはこの図に記した五つの集落が、全体にして街道の三分の一にあたる部分を受け持ち、残りをサヴォークとディヴォンが半分ずつ賄ってきた。そうですな、市長」


「ええ、そうです。ディヴォンにとって北方へ伸びる道は、北部属州の富が流れ込む金の道。その整備には長年多額の予算を費やしてきました」


 厳つい面子の並ぶ会議室の中で、ふくよかな体に高価な衣服をまとった市長は緊張の汗をかきながら答えた。


「便宜的に、ディヴォンが維持してきた街道の三分の一、ここまでを安全勢力圏と考えると、次に進むべきは中間地帯である、この五つの集落の攻略であると、私は考えるがね、キュレニックス将軍」


「皇帝と元老院は速やかな属州の回復をお望みなのだぞ」


「我々は合わせても七千五百の兵にしかならないのだぞ。そしてオーク諸族の兵士は一騎当千ならずとも、一人で我らの兵十人に匹敵する。難を逃れたサヴォーク市民からの聞き取りでは、少なくとも二千を超える数のオークがサヴォークを襲ったというのだ。よいかね、我々は決して数多くない。拙速にてことを成せるほどにはな」


「寡兵だからこそ拙速に生かす事もできるではないか!」


「たった三千の兵でサヴォークを攻め落とせるとお思いか!」


「私の重槍重歩兵ならできる! 私がさせてみせる!」


「うぬぼれるのも大概になされよ!」

 憤激する若き将軍をロウが一喝した。キュレニックスは相手を睨みつけたが、やがて視線を外した。


「貴方の策を採用しよう、ロウ将軍。レムレスカより輸送してきた物資は第五軍団とディヴォン市へ分配し、我ら第十三軍団は中間地帯の制圧に向かう。第五軍団には側面の警戒をお願いしたい」


「引き受けよう、キュレニックス将軍。貴方の差配する重槍重歩兵の威力、しかと見届けよう」

「では、進出部の詳しい地勢についてだが……」


 以下、ホンの前で両将軍と幕僚により作戦の細部が詰められていった。ホンは会議中発言することはなかったが、それは護衛士という立場で軍略に意見することは出来ないと思ったからだった。むしろ発言を求められない分、帝国流の戦の仕方を興味深く見ることが出来た。


「……次に魔術人と護衛士の部隊についてだが、慣例により本隊付きとするが、何か意見はあるか?」


「私は特に言うことはないよ。私はね」

 含むようにヨアレシュが言い、その視線が隣に座るホンへ向けられていることにキュレニックスは気づいた。


「護衛士、その方には何かあるか?」

「えっ? そ、そう、ですね……」


 急に指名され、どもりながらホンは知恵を巡らせた。魔術人の呪いを作戦に活用し、かつその身を守りやすく、その上何か功を立てられるような具申をすれば、将軍はそれを採用するかもしれない。絵地図には白墨で軍を向ける地域が示され、その中には点や記号で記された大小の集落が帝国語で書かれている。それをざっと見ながら、ホンはある一点に目が留まった。


 そこは作戦の展開される地域の中でも、比較的西側に位置する平野部にある集落で、複数の河川が合流する地点になっている。守りやすく攻め手に出るにも都合が良さそうだが、記号の種類で見ると規模は小さい。おそらく居住に適した地質ではなく、人口もさほどではないのだろう。だが、戦の間だけ間借りするには都合が良い。ホンはその集落の点を射した。


「ここに魔術人様には控えて頂けると、守るにも都合が良いと思われます」


「……うむ。では寄騎に一個小隊を付けるので、魔術人と護衛士にはその集落の確保をお願いしよう。もし仮に蛮族の拠点となっていた場合は速やかに本陣へ連絡されよ」


 一息の間の後、キュレニックスはそう答えた。ホンとヨアレシュはそれ以降、会議中に発言を求められることもなく、将軍と幕僚が兵を振り分けていく様を黙って見ていることとなった。ヨアレシュはその時、こっそりとホンに耳打ちした。


「良かったね、軍功が上げられそうでさ。でも私のこともちゃんと守ってくれよ。本当はそっちが仕事なんだからさ」


「分かってるわよ、安心なさい」


 ホンは自分が指示した地点の情報をしっかりと目に焼き付けることにした。川の合流部に出来た、小さな集落。


 ウェイダ、という名前だった。

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