第8話 千年帝都レムレスカ

 そこは人間たちの国の都であり、千年の間君臨し続ける歴代の皇帝たちのお膝元であった。正七角形に築かれた三重の城壁、それらを繋ぎ合う串型塔オベリスクはオレイカルコスの板で覆われて燃えるような橙色に輝き、陽光を地上に降ろしたような威容を地平に知らしめていた。


 七つの門の一つから市内へと入った時、ホンを襲った強烈な畏怖感と恍惚は、それまでにわかに培ってきたレムレスカ帝国への印象を盛大に揺るがした。そしてこのような造形物を身近に感じて生活してきた人間たちの神経の特異さに恐怖さえ覚えた。まるで巨大な獣の腹の中で暮らす小魚の気分だった。


 だが、三重城壁の隙間に築かれた石と木でくみ上げられた集合住宅の列や、その軒下で活気ある市が広げられ、そこを往来する人々の輝く顔色に尋常ならぬところは全くなく、彼らレムレスカ市民にとって城壁と串型塔の存在は月や日が上るように当然のものであることが、インファの先導で街を歩いているうちにホンにも飲み込めた。


 有体に言えば、ホンは初めて見た大都会、世界の首都の巨大な建築物の迫力に、ただ驚かされていただけだったといえる。ホンはその後、モグイ族の商人が所有する館の一室を借り受けて居住した。その礼にホンが着のままに持ってきていたマントを差し渡すと、モグイ商人は驚き、逆に幾許かの金子をホンに差し出して言った。


「これはオーク諸族の酋長が着る上等なマントでございますね。このようなものを只で戴いては平静では居られません。ここは一つ、私がこれを買い取ったという形にさせて頂きます」

 冷や汗を垂らしながら部屋を出ていった商人とすれ違いに入室したインファが、ホンに耳打ちした。


「実は今、レムレスカではオーク諸族の風俗へ興味を持つ者が大勢いるのですよ。ですからあのマントを洒落者の貴族や元老院議員に売り込めば、お嬢様にお渡ししたお金などたちどころに取り返せる、というわけです」


「なんだ。恭しく振る舞うものだから、随分丁重に扱ってくれるものだと気分良くしていた自分がバカみたいね」


「まぁモグイの商人なんて、いつ町から追い出されるか分からない身分ですから。稼げる間に稼ごうとするのですよ。……私は別、ですよ?」


「分かってるわ」

 インファにホンは微笑んで答えた。その微笑みは今身を包んでいる帝国流行りの婦人服と相まって、まるで華が咲いているように綺麗だった。


 思わずインファは目を背けて肌身を検めた。頬が熱くなっているような気さえしたからだ。

「どうしたの? インファ」

「い、いえ。なんでもありませぬ……そう言えば、階下で行き来する丁稚たちから、シー王国の動向を探ってまいりましたので、ご報告します」

「お願いするわ」

 そこでインファは聞き及んだ限りの情報を整理しながら話した。


 シー王国の重鎮たちを殺したホーの男たちとその首魁であるユアン・ホーは、ラン王の下に所属して、地方の代官をしていた従士たちをアメンブルクに召喚すると、手に持った国権譲渡の契約文書を示して自らの正当性を主張したのち、従士の身分から追放、代わりにホーの男たちを従士として取り立てた。


 当然、既存の従士たちは反発。徒党を組んで反乱を起こしたが、ユアン率いるホー従士団はこれを鎮圧

する。ユアンには館があり、そこには王の権利で保管された武具、特に砲撃槍と爆石が保存されていたことが決定的になった。従士たちの多くは戦死、もしくは捕縛され、改めて服従を誓うか、追放刑を受けるかの自由が与えられた。


 ホーの男から追放を受ける、というオーク社会にあり得てはならない屈辱の前に、従士たちの多くは服従を誓うと、ユアンが創案した新しい身分である『下従士』に落とされた。これは従士であるが鎧を着る権利はなく、斧を持つこと許さず、短剣と兜、鎧下のみを着て戦場に立ち、従士に先んじて先陣を切るという危険な役回りであった。


 それらの軍制を行った後、ユアンはアメンブルクの広場で正式に『シー王国二代国王ユアン・ホー=シー』を名乗り、さらに技術者に作らせた黒瑪瑙の冠を、先代王の代理として立たせた元従士団の年長者によって戴冠させた。背の低いユアンはこれらを行うために、アメンブルク市民を見下ろす登壇を作らせたのだという。


 王を称したユアンは次に、ラン王の名の下に交渉されていた重臣たちとの領地交換の契約書を発表し、これに基づいて重臣たちの領地へと進軍、接収を始めた。当然領地の住民や、重臣たちの子弟らはこの強引な行動に異議を唱え、あるいは武力で反発の姿勢を示したが、悉く鎮圧、さらに虐殺の報復が行われた。


 ユアンとホーの者たちは冷血を極め、歯向かう者を容赦せず、財産は根こそぎ没収した。暴威と恐怖はやがて住民たちの中へ悪性の流行り病のように広がり、密告が推奨された。


 一通りの領地接収が完了した段階で、ユアンは現在国内の統治機構を整備する段階に入っている。接収された領地を管理するための代官はユアンに忠実なホーの男たちから選出され、かれらは苛烈な徴税を前もって宣言していた。技術者にはさらなる軍備の増強を指示し、国内の工房から火煙の絶えることは無くなった。住民たちはこの由来不詳の簒奪者が何をし始めているのか、不安な日々を送っているという。


「酷い、話だわ……ただただ、酷い」

 ホンは報告を聞き終えて、辛そうにそれだけつぶやくと、窓辺から外を眺めて心を抑えた。インファを見上げていると故国のことを強く思い出しすぎてしまい、涙が出そうになったからだ。


「従士団の皆は、辛い気持ちでしょうね。鎧も槍も斧も取り上げられて、殆ど裸同然にされて戦わされるなんて。それでも追放刑よりマシだなんて哀れでならないわ」


「聞いた話ではユアンは特定の誰かを捜している、という情報はありませんでした。おそらく我々はあの封印された部屋で焼け死んだと考えられているようです」


「そう。それならひとまず、何らかの追手が掛かっていると考えなくて済むと。それは良いことだわ、うん」

 辛いことばかり考えても仕方ない。良き点を拾わなければとホンは強いてそこを言い含んだ。


「それらの動向についてレムレスカ帝国がどう考えているのか知りたいわ」


「そう言うと思っておりましたが、まずおさらいとして、お嬢様は帝国がどのように統治されているかご存知でしょうか?」


「ふふ、ここでもお勉強するの?」

 不敵に笑みを浮かべたホンは自信たっぷりに見えた。ああ、その様も可愛らしくて眩しいとインファはだんだんクラクラしてきた。だがそんなことは全くお構いなく、ホンは出題に対して滔々と答えた。


 広大な国土を持つレムレスカは、国軍と様々な特権を持つ皇帝と、彼に政策や法律を提案する世襲制の元老院という二つの権力機構を持っていた。さらにこの両者の対立を解消するために存在するのがレムレスカ市民の冠婚葬祭を受け持つ万神殿である。万神殿はさらに次代の皇帝を国内の人民から選び出す権利を持っている。というのも、皇帝とは世襲されるものでも、ましてや選挙で選ばれるものでもなかったからである。


「初代皇帝レムレウスの神霊が宿った者こそが次なる皇帝になる資格を持つ、だったわね」


「そしてそれを選び出すのがレムレウスの家臣、つまり臣霊を祀る万神殿の役割です。その深部では何か特殊な秘儀が行われているとも言われていますが、門外不出のため、詳しく知るものは市井にはおりません。モグイの情報網にすらかからない秘中の秘ですね」


「皇帝に近づくのは、私には無理ね。市井の一私人が会えるような人物じゃない。万神殿に出向いても意味はなさそう。そうなると、元老院ね」


「おそらく元老院の方々は占領された北部属州の回復とディヴォンの防衛を計画していると思われます。我々はなんとかして、そこに一枚噛ませてもらいましょう」


「なんとかって、どうやって?」

「権力者というのは大なり小なり脛に傷があるものですよ」


 含むような言い方をしたインファに、ホンはにやっとした。

「モグイの情報網で公にされたくない事情を持っている元老院を脅迫するのね。頼もしいわ」

「既に何人かの目星は付いています。お嬢様は去る貴族の令嬢としてオーク諸族への仇討ちを懇願していただきます」


「去る貴族?」

「サヴォークで亡くなった貴族の家系ですね。そういう芝居です」

「ああ、なるほど」


「ですので、私が段取りを済ませるまで、お嬢様にはこの館でお待ちになって下さい。なるべく外へ出ずに」

「それは、嫌」

「は?」


 とんとんと話しが進んでいた中でホンは首を横に振った。

「せっかくレムレスカに来たのよ? 人類の都、世界の首都レムレスカに。観光くらいしたいわ」

「で、ですがお嬢様はまだレムレスカの実情に暗いですし、私も裏仕事のため常に傍に侍っていられません」


「いいわ、自分の身くらい自分で守れるわよ」

「前の山賊の時のような目に遭ったらどうするのです?!」


 心配の余りインファの声がどんどん大きくなったので、ホンは驚いて目を丸くした。

「ど、どうしたの?そんなに大きな声で……インファも、分かってきたでしょ?この身体の秘密」

「それはそうですが、そうじゃないのです!」


 過日の山賊に襲撃された折りに垣間見せた、ホンの身体に起きた異常……細く弱い身体の中から生み出たとは思えない膂力は、その後もレムレスカへの道程でも散見されたのだ。それはホンがある程度の興奮状態になると、瞳に紅の発光を伴って現れた。


 その間だけ、人間の少女の体から、まるでかつてのオークの武将だったホン・バオ・シーが抜け出てくるのだ。いや、小さな体で屈強なオークの筋力を宿している分、元の体以上の身体機能になっている面もあった。


 この現象に対して、ホンもインファも解明の糸口を持つことが出来なかった。漠然と、人間の少女の姿に変じているのが魔術人の呪いによるものであるということのみを知っていたから、それによる何か特殊な事態が体内で起こっていると思われた。だがこれは一種の光明でもあった。少なくとも、ホンは自分が囲われて守られねばならないひ弱な存在として、自分を惨めに思う必要は無くなったからだ。


 しかしインファが言いたいのはそういうことではないようだった。ホンを見るインファの目には何やらホンが見慣れない気色を帯びていて、そのことにホンは困惑した。


「そうじゃないって、じゃあどういうことなのよ」

「失礼ですが、お嬢様はご自分のお姿をどう思われます?」

「どうって、そうね。別に普通じゃないかしら。十五、六くらいの娘ってところでしょう」


 自分の姿を確かめるように手足を椅子の上で伸ばして眺めるホンを、インファは胸を高鳴らせて見ていた。だがそれを精一杯制御し、それを説明する義務があった。インファはパンクラチオンの呼吸法さえ用いて精神を落ち着かせ、語った。


「お嬢様に自覚はありませんでしょうが、今のお嬢様はとんでもない美少女なんですよ。それも老若男女問わず魅惑するほどの美貌があります」

「そう?」


 褒められているということは分かっても、ホンにはそれがピンと来なかった。ここに来るまで多くの人間を見たが、自分が見られていたかどうかまで気が回っていなかったし、細かいことはそれこそインファがやってくれていた。


「レムレスカ市内には、野外とは別の危険があります。それこそ人攫いだっていないことはありませんし、高い身分の者が権力を笠に横暴を働くことだってあります。今のお嬢様は大変目立つのです。そういった標的になるかと思うと、私は、私は……」


「い、インファ、なんだか、顔が怖いわ……」

 興奮した目で自分を見ている従者に、嘗て感じたことのない恐れを覚えたホンだった。……確かに以前、レムレスカの貴婦人の間に、特殊な性癖を元にした“そういった”歓待が広く根付いているという話は、聞かせてもらったが、自分がそういう対象に、しかも長年共に過ごしている相手からそう見られ始めているということに驚いた。


「し、失礼しました。安心してください。インファはお嬢様のお世話係、みだりにお肌を傷つけることなどしませぬ。決して、決して」


「今初めてあなたに対して不安を抱いたけど気にしないでおくわ……」

「そう言ったわけで、外出はなさらないように」


 ホンは自分に対して熱っぽい表情で自制を説かれたが、軽く首を振った。

「うぅん、でも、やっぱり外に出たいわ。ここじゃ息が詰まるもの」


 インファの答えを待たず、ホンは流れるように優雅な、しかし素早い動作で椅子から立つと、部屋に作り付けにされていた卓に置かれていた短剣をドレスを留めているベルトに差し込み、帽子掛けに掛かっていたベールを取って頭部を覆った。


「お嬢様?!」

「インファは目を付けている元老院への働きかけを進めて。成るべく早く、元老院の会議がユアンへの対処を決定する前に」

「お出かけはなさらない方が!」

「ちょっと散歩してくるだけよ」


 戸口を抜ける振り向きざまに、ホンは思いつく限りの愛嬌を振りまいた表情で自分を心配そうに見て手を伸ばすインファへ微笑んだ。


「おねがい。歩き回ってみたいの。ね? いいでしょ?」

 効果はどうやら覿面に現れたらしい、褐色の肌の上だというのに目に見えてインファの顔が赤面し硬直していた。ホンはおまけにウィンクして戸口を閉め、館の出入り口まで小走りに駆けた。


 インファの動揺ぶりを見て、ホンは自分の姿や振る舞いが本当に、他者から見て心奪われるほど魅力的らしい、と思えるようになった。


(憧れや恐れで見られていたことは前からあった。でも綺麗だとか可愛いだとか思われたことは、お世辞以外では初めてかもしれない)


 その自覚は内から湧く不思議な心地よさがあった。



 その日のレムレスカも夏季の陽光があまねく降り注ぎ、白灰色の煉瓦と大理石、そして板葺きで作られた集合住宅の間にできた路地に奥の見通せない深い影を作っている。ホンは店を開けて街路へ呼び込みを掛けている店子たちの元気の良さを楽しんだ。


「そこを行くご婦人!」その声はホンへ向けられていた。振り向くと、輝石を売っている店の番頭が自分を見ていた。


「わたし?」

「そうそう、貴女。そのお姿、何処かへの使いと思われますが、どうかお情けと思い、店先を見ていきませんか?」


 番頭は人のよさそうな顔で路地に面して広げられた棚の間に立って手を指し広げている。どうしようかな、と少し迷ったが、ホンはこの呼び込みに引っかかってみる気になった。


「そうね、見せてもらおうかしら」

「そうですか、ありがとうございます!さほどお時間は取らせませんから」

「いいの。特に予定があるわけじゃないのだから」

「はぁ、ではゆっくりじっくり、ご案内させていただきます!」


 差し招く手に導かれて、ホンは日の下から店の庇の中へ入った。その間番頭はホンのことをずっと見ていたが、間近でホンの姿を見た瞬間から、営業のための笑顔が一瞬驚きに変わり、次に何か酒に酔ったような柔らかなものに変わっていった。


「あ……その……」

「なにかありまして? 人の顔をじっと見て」

「へ?! い、いや、とんだ失礼を……」


 番頭は自分が何をしているのか分からなくなっているように、掻いてもいない汗を拭ったり、棚や壁、支柱に掛けてある輝石の装飾品を見たが、抗えない何かに引き付けられるようにホンのほうをちらちらと見ていた。ホンもだんだんと、他者のそういった反応を観察しながら対応する方法を学び取ることが出来ていた。


「商品、見せて頂ける?」問いかけながら番頭の反応を見る、相手の目が自分の体を上から下まで見ていることが分かった。


 その日の恰好は薄藤色に染められた襞のつけられたドレスと、水牛皮に銀の鋲を打ったベルトを巻いていた。動きやすいように、かつ見苦しくない程度にスカートの裾を短くし、代わりにストラップが長く脛まで巻きつける型のサンダルを履いていた。頭に巻いていたベールはモグイの織職人が作ったもので、ホンの好きな丹色に染められ、縁にだけ金糸が僅かだが織り込まれていた。


 自分を見ながら生唾を飲む相手の発言をじっと待っていると、番頭は漸く、自分の職業へ立ち返ったが、話している間もどこか世話しなく目が動いていた。


「し、失礼ですがいずこかの元老院議員様か、貴族様の親族であらせられますか?」

「それを答えて何か私に益があると思って?」

「いいえいいえ! お答えできぬとあれば結構でございます!」思わせぶりに言っただけで番頭は硬直した。

「ま、いいわ。商品を見せて」

「はい、はい。では、此方の棚のものを……」


 番頭は棚や壁掛けから輝石の装飾品を手にとっては、その輝石の産地や大きさ、カットの仕方などを滔々と説明したが、ホンははじめから買う気がない。その上緊張した番頭の声は早口で聞き取りにくく、5語に1語ほどしかホンにはわからなかった。その代わり、ホンは自分を見る番頭の目つきや、それをホンに悟られまいとして見せる細かなしぐさを観察して楽しんだ。


 片耳で話を聞き流しながら、ホンの目は棚の上に並べられた小さな細工品に移っていった。格が低いが大きな原石を彫刻して作られた碧玉や翡翠の耳飾り、灰青石の粒を繋ぎ合わせて作られた細身の腕輪、もちろん金細工や銀細工の装飾品も並べられて、庇の先から僅かに射す日射を受けていた。


 そんな中で、ホンの目に留まるものが一つだけあった。それは掌に乗せられるほど小さな新月刀だった。金で縁飾りがされ、小さな紅玉の粒が点々と植え込まれたそれを取ると、見た目よりもずっしりと重い。


「これは?」

 番頭は自分に向けられた質問に何を言われたか瞬間分からなかったが、直ぐにホンへ答えた。

「は?あー、これはですな。貴人の方々が宴の席を催すとき、傍に侍る下女などを着飾らせておくための帯飾りでございますよ」


「本当に金で出来ているの? なんだか手触りが違う気がするわ」


「ああいえ、それはですな、ちょいと失礼……」

 番頭はホンの手から帯飾りを受け取ると、本物の刀の様に鯉口を切って見せた。中からは玩具の様に小さいが、鋼で出来ていること相違ない鋭い刃が出てきた。


「この通り、中には本物の刀身が入っています。これは帯飾りでありますが、万一に備え主人を守るための武器としても使える仕様になっております。もっとも、この大きさではちょいとした脅し程度にしかなりませんが、まぁそういった細かい仕事をしておりますという売り文句ですな」


「へぇ、面白いわね。いいわ、それを売って下さる?」

「は?」


 番頭は思いがけないといった顔でホンを見た。このような貴婦人が、こんな安物を買うのか、と言いたげに。


「売って下さらないの?」

「いや、しかし、貴女様にはもっとお似合いの品がございます。例えば、此方の七宝珠を散りばめた首飾りなどどうでしょうか」


 番頭が持ち上げて見せた大粒の宝石が連なった首飾りは、いかにも高そうで強烈な印象を身に着けるものに与えるだろう。だが、ホンが楽しんでいたレムレスカの空気、単調なようで荘厳さの満ち満ちた装飾芸術と比べると、いかにも華美で、むしろオークの酋長の胴巻きにでも飾られていた方が似合っていそうだ。そういえば、今レムレスカではオーク様式が流行っていると、インファが言っていたことを思い出す。いくら帝国の流行りとはいえ、それに付き合う気はホンにはなかった。


「悪いけど、オーク趣味はありません。こちらの帯飾りを売って下さる?」

 長く身近にいたインファでさえ誑かしてしまうホンの魅惑の前に、番頭は抗うことなどできはしなかった。目玉商品と比べれば二束三文にしかならない帯飾りの名札を示すと、その手には代金の金貨が飛び込んできた。慌ててそれに手を伸ばしてつかみ取った番頭の手を、ホンは両手で包み込んで言った。


「良い買い物が出来たわ。ありがとう」

「あっ、はっ……いえっ、どう、いたしまして……」


 冷たく柔らかい手に触れられた番頭は、まるで初めて恋人を得た若者の様に顔を真っ赤にして口ごもり、うつむいた。その間にホンの手が離れていく。その感覚を名残惜しいとさえ感じながら、受け取った代金を無意識のうちに確認し、釣銭が出ることに気付いた。だが、麗しいお客は既に庇の外へ出ていき、陰も失せる陽光の中に消えてしまっていた。

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