第4話 訪問者ユアンの提案


 南伐軍がシー王国に帰還して、数日が経った。ラン王は親族や家臣を集めて今後の行動を決めるべく評定をはじめた。


 まず最初に行われたのは、ラン王自身の手元にもたらされた略奪品の分配だった。自由都市サヴォークから持ち帰られたあらゆる貴金属や貴重品……少なくとも、オークにとって価値のあるものが、国内の序列に沿ってラン王の名の下に配られた。


 これによって従士団は王の統率を受けることが自分の利益になるということを再確認し、親族たちもラン・バオ・シーの行動に協力し続けることになった。どちらもまだ新しい国であるシー王国には必要なことだ。


 続いて、南伐軍指揮官だったホンが見聞したアメンブルク街道からサヴォークに至る地域の状況について報告され、この新しい領土をどのように治めるかを協議し始めた。オーク諸族が何世代にも渡って継承してきた習慣法は、新しい土地はそこを手に入れた群れの長が治めるもの、とある。


 この場合『群れ』の定義が難しい。南伐軍の基幹はホンが率いた象騎兵隊で、その構成はラン・バオ・シーの家が抱えている従士たちだ。だが軍の主力は親族が声をかけて各地から呼び集めた歩兵たちであり、彼らをまとめていたのは実質的には親族たちである。つまりオーク習慣法に即せば、複数の群れで一個の地域を手に入れたことになる。


 もちろんラン王は『この遠征は私の名前で起こしたものだから、主要な地域は私のもととなる』と主張した。そして親族たちはその主張に真っ向から反対する。『戦闘で傷を負い亡くなったものの多くは我々の領地の者たちであり、それらを贖うには略奪品の分配だけでは不十分であり、王はそれを補うために領地を与える義務がある』と言った。


 こうなると後は占領地のどこからどこまでを、といった線引きの話になる。親族とラン王はホンがモグイ族出身の斥候に作らせた絵地図を前にして、村一個単位での激しい分捕りあいを始めた。


 帝国北部属州という肥沃に開発された豊かな土地を、どの親族も一かけらでも多く得るべく陰に陽に交渉を続け、評定は一日、また一日と伸びる。その間親族はアメンブルクにあるラン王の館で暮らし、その歓待は当然ラン王の責任の下行われた。


 毎日厨房では家政のために養われた奴隷たちが血の滴るオーロックスの肉塊を焼き、鍋では黒麦と木の実の粥がなみなみと炊かれた。酒蔵で醸された麦酒や高価な稲酒が振る舞われたし、それらは消費されるたびに出入りのモグイ族商人の伝手で購入された。


 そのように賑やかしくも単調な日々が続いていた、ある日のこと。アメンブルクの市壁を通り抜けた一組の旅行者がいた。ほとんどオークか、奴隷か、モグイ族かしかいない都市で、この旅行者は一人は馬に、一人は驢馬に乗って街中を進んだ。その姿はオークと、彼らに使役される奴隷、そしてモグイ族ばかりの街で大変に目立っていたことだろう。


 通りを行く自分が、路外で作業する労働者たちからじろじろと見られているのを、馬上の者は知っていた。彼は皮鎧を身に着け、その上から防寒用の分厚いマントを羽織っていた。顔は兜の下に隠されて、伺うことはできない。手綱を握る腕から薄汚れた包帯が垂れ下がっているのだけが確認できた。


 それに付き従う驢馬に乗ったものは、驢馬の上で腰を曲げて蹲っていた。こちらもローブを目深にかぶり、容貌は知れなかったが、背格好から人間の老人ではなかろうか、ということだけが察せられた。


 二人の旅行者は門から続く大路をゆっくりと、だがまっすぐ進む。その日は生憎の雨だった。路上の労働者たちは雨煙の中を動いていくその姿を、どこか不気味な印象で覚えることになった。


 旅行者は市の中心部にある広場を突っ切り、さらに奥にある王の館の門を叩いた。オークのための門は背が高く、人間が馬に乗っていても覗き穴にようやく届くかという位置だった。


 門を守るための番についていたその日の従士が、覗き穴を覗き、言った。


「ここはシー王国を治めるラン・バオ・シー王の館である。正式な訪問者であることを証明できぬ輩は速やかに立ち去れい」


「俺はラン・バオ・シー陛下へ嫁がれたウー族の娘、ピン・ウーの兄、ユアン・ホーである。陛下にお目通り願いたい」


「貴様がピン・ウー様の兄だと?冗談はよせ、ホーの男よ。これ以上俺の仕事を邪魔するつもりならば、門番のために与えられた斧の錆にしてくれるぞ」


「『群れの長を守る誓いを立てたものは長の館の前で斧を振るう権利を得る』だったな。だが俺には通じないぞ、従士君」


 旅行者ユアン・ホーは鞍に結び付けていた鞘袋からすらりと一振りの斧を取り出して、覗き穴の前に掲げた。


 その斧はオークの平均的な体格ならば手斧といった程度の大きさだが、ユアンの手には大きすぎた。従士は目の前に突き出された斧の頭を見て思わず呻きを漏らした。


「なんと刻まれているかな、従士君。言ってみたまえ」


「『この斧を持つ者をシー・オーク族の館へ出入りする資格を持つ者とする』……ホーの男よ、貴様がなぜ証明の手斧などを持っているのだ」


 目の前の現象に従士はたじろぎ、悩んだ。証明の手斧とは領主たちが互いの使者を遣わすために持たせる身分証明であり、各氏族固有の印と銘が刻まれ、それらを作るのは氏族の長が擁する技術者だけだ。


 一方、ホーという姓は氏族から追放されたものが名乗ることを許される唯一の姓で、捨て姓とも呼ばれる。追放者が他の氏族姓を名乗ったことが露見した場合、問答無用で打ち首になるとオーク習慣法は言う。追放者が身分証明を持っているなどあり得ぬことだった。


 もったいぶった手つきで手斧をしまったユアンは改めて従士を見た。


「さ、ここを開けてくれ、従士君。王へユアンが訪ねてきたと聞けばよい。君は君の仕事をするべきだよ」



 雨脚が弱まり、身体に落ちる滴も小さくなってきた中で、ラン王の館にある中にはでは威勢のいい掛け声と足音が響き続けていた。評定の間、ホンは邸内にいる無役の従士を相手に戦技訓練を行っていたのだ。


 出征がなければホンは姫君として深窓に引き籠っていても文句は言われない立場であるが、世話係のインファすら、宿泊している親族たちへの歓待に駆り出されていたため、部屋に籠って帝国趣味を満たすのにも限界があった。そうなると、もう体を動かして時間を潰すしかない。


 かつて帝国領だった時のアメンブルクにおいて、地方長官の官邸だったこの館は、矩形の外観に広い中庭を有している。そこにホンは従士団より百人ばかりを集め、訓練をつけていた。


 ラン王の名に忠誠を誓う従士は遠方の領地で代官を務めたり、館内の維持運営に務めるものを含めて千名余りになる。従士に任される役目は輪番制であり、常に一定の従士が無役になるのだ。


 無役の従士は王の名で動く兵隊として先鋒を任される、名誉と役得があるが危険な役目を負っている。そんな奴らだから、従士はみな武器の扱いに熟練した戦闘の専門家だ。しかしそんな彼らでさえ、ホンとの一対一の組打ちで彼女を負かすことに成功したものはいない。


 雨の中はじめられた訓練は基礎的な動きから次第に複雑な陣取りや複数対複数の乱取り組手に移った。水気を吸った防具は重く、踏み崩された地面は粘っこいぬかるみに変わり体力を奪う。本物の戦闘かと疑うような気迫に満ちた訓練が続いた。


 ホンはそのように激しく従士たちを指導しながら、時折一人に対して訓練用に軽く作った長棍を持って構え、組手を行った。


「踏み込みが甘いぞ! もっと寄れ!」


 激しく叱咤しながら突っかかってくる従士が構える、刃引きした斧を横から打って反らす。同時にそれによって体勢を崩したところへ、素早く肩とわき腹へ混を打ち込む。


「斧頭に振り回されるな。強く打ち込む前に必ず当てるようにするべきだ」


「感謝します、殿下」


「ラン王のためにより強くなれ、次!」


 雄々しい姫騎士の態度で従士の一人をホンは送り出す。


 そのような中に突如、モグイの従者が現れて巨漢のオークたちが入り乱れる中庭に紛れ込んだ時、周囲の従士たちは疲労からくる幻覚を見たのではないかと疑ったものだった。だがそれは幻覚ではなかった。巨大な斧頭や槍穂、矛頭が四方から飛び出してくる中を、インファはまるで燕のように軽やかな足取りで躱して歩み、ホンの背後にたどり着く。


 ホンもいきなり背後に迫った気配に一瞬警戒するも、それがインファであると気付くと態度を軟化させた。


「お嬢様、旦那様がお呼びでございます」


「もうすぐ訓練は終わる。それまで待てないのか」


「ユアン様が尋ねられたそうです」


 その名前を聞いてホンは首を振った。ユアンとは亡母ピン・ウーの兄に当たる男だ。この捨て姓を名乗る叔父は母がホンを産んで亡くなった頃から、何くれとなく機会があればラン、ホン親子を尋ねた。妹を看取ったラン・バオ・シーに対して奇妙な友情を培う仲であった。ランの方も、故あって追放者となったこの男に同情し、訪問時にはいつも手厚い歓迎をした。


「ユアン叔父が来てらっしゃるなら仕方ないな。……皆、手を止めて整列せよ!」


 ホンの声に従士たちは組打ちの手を止めるとぞろぞろと集まって整列した。誰もが全身からもうもうと湯気をあげている。


「晩餐までまだ少し時間があるが、急用が出来た。本日はこれまでとする。が……最後に、私と立ち会うものを決めてもらおう。我こそは今日こそホン・バオ・シーを倒して見せるぞ、というものはいないか」


 肩で息をする従士たちが、互いを見合っていた時、整列の後ろから槍を掲げて前に歩み出るものがいた。


「我、ハイゼ・フェオンが挑戦する! 今夜こそ殿下を槍に元に下し、我が褥の槍に晒してくれましょう!」


「その意気やよし。従士ハイゼ、ここへ」


 名を呼ばれた従士ハイゼはさらに進み出てホンに対峙した。今にも槍で突きかかりそうなハイゼを手で制し、軽い長棍を捨ててから刃引きした手斧を二丁持ち、両手に一丁ずつ構えた。


「これより行うのはただの立ち合いではない。今日の訓練の総仕上げであることを忘れるなよ、従士ハイゼよ」


「なんの。殿下には訓練とは言わず、是非実戦と思うて頂きたい。なんとなせばその方が互いの実力を発揮できるというもの!」


 大言壮語を吐くハイゼはその槍穂をぴたりとホンの首筋へ向けている。ホンは身体の前に突き出した手斧の隙間からハイゼをしっかり観察した。年はホンよりずっと上だが、ユンム・シーよりは下といったところで、おそらく他の氏族の下で従士をしていたものが、経験を買われてラン王の元へ下ったのだろう。先の南伐軍でも顔を見た覚えがなかったから、ホンの実力を測り切れていないと見える。


 こちらを見るハイゼの目は好戦的だが、時折その視線が自分の身体へ向けられていることにホンは気づいた。自分がオーク男に好まれる肉置きの良い体つきをしているのは知っていたが、それをこれほど露骨に示されたのは初めてだった。そう思うと、この従士に対する嫌悪感が沸々と背筋を這った。そのような、暴力的な官能を晒して恥と思わない恰好が不快だった。オークの性丸出しで、褌一枚ほども隠していない。


「貴様には教育が必要なようだな。従士ハイゼよ……」


「はっはっはー! では参りますぞ殿下!」


 陽気な掛け声を挙げてハイゼの槍が動いた。素早い突きがホンの胸元へ連続で繰り出される。ホンはこれを手斧を交差させ防ぎ、間合いを詰めるが、ハイゼは同時に後退し、自分に有利な距離を維持する。


 再び鋭い刺突、しかし胸と腹を狙った連突きがホンへ迫る。交差させていた手斧を上下に構え、打ち込まれた穂先をそれぞれ片腕で反らす。これによりハイゼの槍を引き戻す動作が遅れ、上体が泳いだ。この隙をホンは見逃さず一気に間合いを詰めると、横腹へ手斧を叩きつける。


「あらよっとぉー!」


 胴鎧へ強か斧頭が叩きつけられたか、と思ったその時、ハイゼはなんと片足立ちから跳躍、泳いだ上体を軸に一回転し斧の一撃を回避、そして着地と同時に体を伏せて掬い上げるように槍でホンの足を払った。


 この奇襲めいた反撃をホンは対処できなかった。ハイゼの持つ槍は柄まで鋼で出来た品で、これで脚絆を打たれたホンは堪え切れず転倒した。だが黙って倒れるわけではなかった。


 両手に持った手斧を天へ向かって放り投げ両手を自由にしたホンは、地面に手をつくと転がって追撃を避け、逆にハイゼの片足へ掴みかかった。脚絆に覆われた膝と脛へがっちりと組みついたホンは体重をかけてハイゼの足を捻り込む。今度はハイゼも跳躍で回避できず踏み荒らされたぬかるみに倒れ込んだ。


 すかさずホンはハイゼの上に馬乗りになり、手甲の握りこぶしで顔面を殴りつける。ハイゼはこれを困難な姿勢ながら両手に握った槍の柄で防ぎ、逆に石突で突き返す。と、空を見上げた格好のハイゼの視界に不穏な影が見えた。のしかかっているホンの背後に、先ほど投げ上げた手斧が落ちてきたのだ。


 ホンは落下してきた手斧を再び手に収めると、ハイゼの両肩へ振り下ろした。これをハイゼは鋼の柄で受け止めるが、姿勢が悪いために力が入らない。ホンの両肩の筋肉が膨れ上がり、受けている柄をハイゼの喉へ押し込む。抵抗するハイゼだったが、じわじわと自分の槍の柄が首筋に食い込んでいくのを止めることが出来ない。


「今なら『参った』の声が出せるぞ、ハイゼ」


「な、なんの。腹に女を乗せている時にそのような、事は、言えませぬ、な、ひひひ」


 その減らず口はホンの怒りを一段上に引き上げるのに十分だった。ホンの両肩が震えると上体の力をすべて込めて手斧が押し付けられる。ハイゼの槍はこの圧迫に耐えたが、持ち主は耐えることが出来なかった。押し込められた柄はハイゼの喉に食い込み、そのままぬかるみの中へハイゼの頭ごと沈み込んだ。これでは参ったとはいうに言えない。


 しばらくそうして押さえつけていたホンだったが、ハイゼの身体から力が抜けていくのを確認して、立ち上がった。


「誰かこの愚か者の介抱を頼む。総員解散せよ」


 荒い息を吐きながら従士たちに命じ、ホンはインファを連れて庭を後にする。


 館に戻っていくホンとインファの背後で解放された従士たちが、後片付けとハイゼの救助を始めていた。


「おおい大丈夫かハイゼ。息してるかよ」


「ああこりゃ駄目だね。誰か気付けに一杯持って来いよ」


「まぁ死んでないだけマシってこったね」


 泥だらけの頭に水がぶっかけられ、きつい酒が口に運ばれると、やっとハイゼの目に生気が戻ってきた。


「おおう、おお……ここは河岸か」


「泥でも飲んでおかしくなったか新入り」


「おお! そうだ殿下は?!」


「お前さんが伸びちまったから帰られたよ。馬鹿だねぇ、殿下はここにいる戦士で誰よりもお強い方だってのに」


「ふむ……確かにお強かった。そして美しかった」


「はぁ?」


 先輩従士に介抱されていたハイゼは立ち上がると呆然と館を見つめていた。ホンが帰って行ったその場所を。


「闘志漲らせ武器を構え、不利と見るや得物を捨てて掴みかかり、泥だらけで馬乗りになってでも攻めかかってきた。我はあの方のその姿に惚れたぞ」


「やれやれ、どうやら本当に頭をどうにかしてしまったようだなこいつ」


「何を言うか。いよいよもってあの方と褥を共にしたくなったぞ! うむ、良い手合わせだった! はっはっはー!」


 周囲が奇異の視線を送る中、一人ハイゼだけが満足げに笑っていた。



 鎧を脱ぎ捨て、湯で体を洗い、亜麻のドレスと結い直した髪で身を清めたホンは、館内にある応接室に入る。既にそこではラン王が人間らしき人影の者と共に机について和やかに談笑していた。


「父上、お呼びとのことで参りました。ユアン叔父上、お久しぶりにございます」


 特別に作られた人間用の椅子に座っていたユアンは床に降りるとホンに歩み寄って手を取った。


「久しぶりだな、ホン。見ないうちにまた一層女らしくなったな」


「からかわないでいただきたい、叔父上」


「それに強くたくましくもなっている。父上にいま、南伐の経過についてお聞かせしてもらっていたところだ。根無し草の私はそう言ったことに耳遠くてね、君が主将を務めたというから、君からも是非詳しい話を聞かせてもらいたいのさ」


 さあ、とユアンはホンの手を取って椅子まで誘導する。その姿は子供が大人を引っ張っていくようで何やら滑稽だ。というのも、ユアンは正真正銘のオーク諸族の生まれでありながら、身体が極めて小さかった。人間と同じ程度の大きさしかない。ということは、尋常のオークと比べて半分の大きさしかないのだ。


 戦士としての素養を重要視するオークの男社会で、小柄であることは大きな失点である。ユアンの生まれたウー・オーク族は、成人年齢に達しても子供のように小さいユアンに対し、氏族の構成員になる資格を与えなかった。その代わりホーの姓を与えて追放した。


 追放されたオークの生活は悲惨だ。追放者どうしで徒党を組んで人の住めぬ土地に隠れるか、庇護を求めて奴隷になるしかない。そしてオークの奴隷は人間の奴隷よりも下に置かれることもままあるのだ。


 そんな中で、ユアンのような男は甚だ例外的な存在だった。追放者にありがちな卑屈でねじ曲がったところがなく、堂々としているが物腰柔らかで博識だった。何よりオーク諸族の習慣法に明るいことが目を引いた。


 ラン王は妻の兄に当たるこの男の法知識を買っていた。なまじ虚弱な体であるゆえに蔑ろにされているということを哀れに思い、事あるごとに歓迎し、援助し、時にその知識に助言を求めた。許されるならユアンを従士として取り立てたいと思い、何度かそのように伝えたのだが、ユアンは首を縦には降らなかった。


「『群れを追放された者は、武装する資格を持って他の群れの下にいてはならない』とあります。従士にはなれないし、与力として下っ端の兵にもなれないのですよ」


「案ずるなユアンよ。私はただの族長ではない、複数の氏族を束ねるシー王国の王だ。その権限でそのような法を無効にする」


「先祖代々の法を無視する王など、誰が付き従うのですか。ご厚意はありがたいが、そのために貴方に苦労を掛けるわけにはいかないのです」


「頑なな男め。実にホーを名乗らせるに惜しい男よ」


 会いに来るたびにそのようなやり取りをするのが恒例だった。


 晩餐までの間、ホンとラン王はユアンに南伐のあらましと、その後に始まった領地分割の混乱について語った。今日も朝から鉱山が付随する小村の帰属を巡って討議を繰り返していたと、ラン王は漏らす。


「従兄弟や大叔父たちの、実にがめついことよ! 既に損失を補うに十分な領地は切り分けてやったというに、まだ寄越せという! これでは何のためにサヴォークまで攻め取ったか分からなくなるわ!」


「サヴォーク近郊の領地を与える代わりに、今あるアメン川流域の土地を取り上げると申し上げてみてはどうでしょう」


 話を聞いていたホンはそのように提案した。彼女は今まで評定の流れには口を挟まなかったが、裁定が長引いてラン王の統制外にあるオーク諸族の介入が始まるのを避けたい気持ちでは、誰にも負けていない。


「我が家に隣接している親族の領地を引き受け、彼らにはその分豊かな飛び地を与えてやるのです」


「それで親族連中には豊かな飛び地へ移ってもらおうというのか」


「我が家がアメン川流域の地を直轄支配すれば、これまでの様に親族方の顔色に合わせて兵を集める苦労が減りましょう。逆に親族方にはレムレスカ帝国本土との間の壁になってもらうのです。豊かな土地に移る代償として」


 ラン王はホンの提案をしばらく頭で転がした。娘の提案をそのまま評定に回して大丈夫なものか慎重に吟味した。少なくとも、そうしてみるだけの興味はあった。


「ユアンよ。おぬしの意見を聞きたい」


「私は部外者です」


「おぬしは私の義兄だ」


「勿体ない言葉です。なんでしょう」


「ホンの提案はオーク族の習慣法から見て何か問題はあらぬか? 本来、オーク諸族は東方よりこの大半島に移ってきた。シー・オーク族とそれに従う者たちがアメン川の周りに定住するようになったのもまだ日の浅いことだ。再移住を示唆するのも難しくなかろう。ただそれが律法にそぐわぬものの場合、後日の禍根となる可能性もある。その点について考えていたのだ」


 ユアンは答えた。


「『ある群れが、災いや凶兆を逃れるために、今いる巣を手放し、他の群れの巣へ移る場合、移られた群れは手放された巣を手に入れる』……これは厄除けの正当化とその代償を定めた法ですが、解釈によっては土地を交換したとも取れます。つまりこの場合は、一旦は占領地をシー王家の持ち物として、次にこれらを親族方へ分割贈与し、古い今の領地を引き受ける形にすれば、形式上法には従った行為となるでしょう」


「アメン川流域のやせた地味を凶兆、災いとして親族方に納得させることが出来れば、この策謀を通すことが出来る、か。よし、その辺りはなんとでもなる。今宵の晩餐も精々根回しに回らねばならないからな。うまい酒をたっぷり飲ませて吹聴してくれるわ」


 肚が決まったラン王は会心の笑みを浮かべてホンを見た。


「よく思いついたぞホン。これで父はより広い領地を得てオーク族を束ねることが出来るだろう」


「そんな、私はただ、せっかく得た領土を空き地のままにしておくのが惜しいだけです」


「分かっておる。アメン川の向こう側にいる連中を支配下に置くためにも、我らの家でこの流域一帯を支配せねばな。ユアンにも礼を言う。今宵はゆっくりと寛いでいくとよい」


「ありがとうございます」


 ユアンは優雅な振る舞いでラン王の好意を受け取った。


 その姿は帝国の戯曲や沈黙劇に登場する貴公子のようだ、とホンは思った。そう思うと、ユアンと楽しく過ごしたこれまでの思い出が重ね合わされ、何とも言えない淡く温かい気持ちが胸に迫ってくる気がして、それが顔に出てはいないかと、目をそらさせるのだった。

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