第3話 うねりと、せせらぎと
(語り手:ロザリー・メイ)
その夜、私とティム、そしてフィルは、打ち上げパーティーの帰り道、トロントのとある地下鉄駅に向かっていました。駅への階段を下りるとき、私を中心に、たわいのない会話をしながら移動していました。
― あと数段で階段を下り切ろうとしたとき、事件は起こりました。
「しかしロザリー、君もブレない人だね」
ティムが私をほめると、私は照れながら
「やーだ、ティムったらぁ」
と言った直後、彼の背中をたたいたのです。その拍子に彼は前のめりになり、さらに足がもつれて体勢を立て直せず、ついには衝突音を伴い、階段のへりに後頭部を強打してしまいました。フィルは思わず、ティムの名前を叫んでそのもとに駆け寄りました。彼の肩に手を当て、
「大丈夫か?」
と聞きました。イケメンギタリストは両手を突いてゆっくり起き上がると、
「痛たた…」
と言いながら、ぶつけた所を押さえていました。私も彼が心配になり、そばに駆け寄って、
「大丈夫だった?」
と声をかけました。するとティムは、まだ頭を押さえたまま、
「うん、何とか大丈夫だよ」
と答えました。しかしその直後、ちょっと苛立ったような顔で、
「でも、今度はやるなよ」
と言ってきました。私は素直に謝りました。
「ええ。しないわ。ごめんなさい」
彼が私にほほえみかけたので、許したのだと解釈しました。
そして私たちは同じ電車に乗り、ティムは私とフィルより一つ前の駅で降りました。 ― そのときの彼は、いつもと変わりませんでした ― 私たちは次の駅で降り、フィルに送ってもらいました。
陽気なパーティーのあとの、とても静かな夜でした。
しかし、次の日の朝、事態は誰もが望まない方向に進みました。午前7時過ぎぐらいでしょうか、私はスマートフォンの着信音で目を覚ましました。電話の主は、フィルでした。私は眠い目を何とか開いて電話に出ました。
「もしもしフィル?おはよう」
すると、涙声が返ってきました。
「ロザリー、ティムが、ティムが死んだ…」
「何ですって!!?」
私は朝方にもかかわらず、大声を出しました。昨日、あの階段で頭を打ったあとも普通に歩いて、ほほえみさえ見せていたのに…。
「それ、本当なの、フィル?」
「うそなわけないだろ。とにかく、すぐにフランクヴィル・ホスピタルに来るんだ」
「…ええ、分かったわ」
すっかり眠気が覚めてしまった私は、着替えてから、自分では運転できる心持ちではなかったので、タクシーを呼んでその病院へ行きました。
(どうしてなの…。昨日は全く普通に活動していたのに……。)
タクシーの中で、震えが止まりませんでした。
やがて目的地に着き、重い足取りで安置室に入りました。そこには既に、ティムのバンドのメンバー全員と、赤ちゃんを抱いて泣きじゃくるサラが居ました。私は、変わらず美しい顔の彼を見て、泣き出しました。
「ティム……本当に、ティムだわ……」
私は、しばらく故人と遺族を見つめてから、フィルに尋ねました。
「彼は、いったいなぜ死んだの…」
フィルの話によると、1時間ほど前、いつも起きる時間にティムが目を覚まさず、いくら起こそうとしても起きなかったので救急車で病院に搬送されましたが、ほどなく亡くなった、とサラから聞いたとのことでした。
また、彼の死因が脳挫傷と聞いたとき、昨夜のことが私の脳に鮮烈にフラッシュバックしました。私は、頭から大量の氷水を浴びせられたような感覚を覚えました。
「私のせいなの……。私が昨日の夜、階段でふざけて彼を突き飛ばしたから……」
私の言葉に、ギターのヒューゴとベースのジミーもこちらを向きました。
「…!そうなの、ロザリー?」
ジミーが尋ねると、私はうなずきながら
「ええ…そうよ」
と真実を告げました。途端に、ジミーたちの眼差しが突き刺すように冷たくなったのを感じました。
「取り返しのつかないことをしてしまった…。いくら謝っても、許されない……」
……私は、絞り出すように言いました。
しばらく沈黙が続いてから、ヒューゴが口を開きました。
「ロザリー、もう俺たちに顔を見せるな」
それを聞いて、私の体は一層震えました。そして、これ以上ここに居るのは私にも、彼らにも良くないと思い、悲しみながらその場を後にしました。
その後、私は警察に事情聴取を受け、傷害致死の容疑が固まり、逮捕されました。私の逮捕を受けて、ジュディと組んでいたユニットは解消され、母や弟も私に電話をくれなくなりました。
マスコミに至っては、「若きミュージシャン、良き父を殺したあまりにひどい女」、「不倫の果ての殺しか」などと、私の心にもないことをたくさん書いて大衆を煽っていました。私は、灰の中にたった1人投げ出されたような気持ちでした。
しかし、裁判期間で留置されていたある日、私の夢の中に被害者が現れ、驚いたことには、私が立ち直るようにと、優しく励ましたのです…!
自分に都合のいい解釈をしてるだけだろう、と非難する人も居るかもしれません。でも、私は罪を償う意思を固めて、裁判で懲役3年・執行猶予3年という判決を受け入れました。
結審の日以降、私は、軽はずみな行いによって奪ってしまった命の重みを、一層強く感じるようになりました。その気持ちは言葉にならず、代わりに涙がこぼれるほどです。特に、ほかのミュージシャンがテレビでギタープレーをしているのを見た瞬間、涙が止まらなくなることもありました。
赤ちゃんを連れた若い夫婦を見かけたときも同様です。もし被害者が生きていたら…と、即座に思うのです。
でも、贖罪の気持ちを固めたとはいえ、被害者のことを思うだけでは、本当の償いとは言えません。罪の償いには、何をすべきかしら。自分にそう問い掛け、プロデューサーのサリバン・コーストさんとも話を重ねる日々がしばらく続きました。
そして3月の初め頃、ある大きな出来事が起こったのです。
私のもとに、何と遺族のサラ・スタインベック・シュルツ本人が訪れたのです。ティムが死んでしまった日から、私に悲しみと怒りに満ちたさまざまな言葉を投げてきた彼女を、私は恐れきった顔で見つめました。またいつものようになる…。そう思っていると、サラは思わぬ言葉をかけてきたのです。
「ロザリー、私、前にあなたに、『もう私とは関わらないで!』と言ったわよね…」
「え、ええ…。でも、どうして」
すると、彼女は静かに語りました。
「実はあのあと、最愛のティムの夢を見たの…。それでね、彼は言ったわ。『小さな小さな俺たちの子に、恨みの心を植え付けちゃいけない』と…」
途中から、彼女は泣いていました。私も、自然に涙が出ました。
「彼はあなたのこと、恨んでいないのが分かった。だから、私もあなたを…これ以上恨まない…」
サラは、私をひしと抱きしめました。私は、彼女の態度の変化に、言葉が出ませんでした。
しばらく私たちの嗚咽が続いたあと、サラは私の手を握り、私を見つめて言いました。
「ロザリー、私は強い心で生きていく。あなたも、夫の死を無駄にしないで、強い心で生き続けてね…」
彼女の愛に満ちた言葉に、私はただただ涙をこぼしながらうなずきました。
私の話は、これで終わりです。最後に、私の近況を少し、ほんの少し教えます。私はあらためてコーストさんに相談して、音楽活動から身を引きました。近いうちに資格を取って、保育士になるつもりです。子どもたちを、「愛し、愛される」人間に育てたいという望みからです。これからの私の生き方が、被害者とその遺族への慰めになることを信じて…。
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