In the Flames of the Purgatory 77

 

   7

 

 翌朝――

 

 教員用の宿舎の出入り口のところで待っていると、中央の階段から降りてきた鳥柴薫がこちらに気づいて微笑した。

「おはようございます」

 薫は今朝はベージュ色の落ち着いた雰囲気のスーツを身に着けている。

 昨夕夕食を共にしたときに朝から行事があるので正装でいる様にと薫から指示されたので、アルカードも今日は正装だった――同席した澤村が言うには普段は教師陣は平服で、別にスーツ着用の義務は無いらしい。

「おはようございます」 返事をしてから、アルカードは彼女のほうに向き直った。

「よく眠れました?」

「ええ、お陰様で――まるで何ヶ月かぐっすり眠ったみたいです」 そう返事をしてから、アルカードは薫に続いて降りてきた澤村に視線を向けた。本人が言うには細君が臨月で実家に帰っていて家にいてもひとりだけなので、学園の宿舎に泊まり込んでいるらしい――薄情な様に聞こえなくもないが、入院先の病院まで学園からのほうが近いらしい。電話は頻繁に掛けている様だが。

「おはようございます」

「おはようございます――今朝はなにが?」

「礼拝ですよ――忘れてるかもしれませんが、ここ一応カトリック系の学園なので」

「……今更こういうこと言うのもなんですが、僕無宗教なんですけど」 というアルカードの言葉に、澤村は適当に肩をすくめた。

「まあ、次回以降は強制されないでしょうね。朝礼も兼ねてるので、紹介のために呼び出されたんでしょう」

「なるほど――ところで、場所は?」 その質問に、澤村が宿舎の二重式の玄関から外に視線を向けた。外は出かける気力が無くなるほどのひどい大雨で、昨日の晴天が嘘の様だ。

「今日は大聖堂は使いません――雨が降ってると移動が大変なので。各学部ごとに、校舎に併設された礼拝堂を使います。先生にはつまらないかもしれませんが、高等部の礼拝堂のピアノ演奏はちょっとしたものですよ」

「へえ、それは楽しみだ」

 そんな返事を返して、アルカードは澤村と連れ立って先行する薫の後を追った。

「しかし飛び石でこれだけの大雨ってのも珍しいですね。北海道は雨に縁が無いと思ってました」

「はは、それは一種の偏見ですね。冬に雪に縁があるだけで、夏は普通に雨が降りますよ」 澤村はそう答えてからちょっと考えて、

「私の弟が旭川駐屯地――駐屯地って言って伝わりますか? そう、映画なんかで出てきますね、フォート・ブラッグとか、あんな感じの意味ですが」

「ええ、わかります。陸上自衛隊の基地のことですね」 アルカードが答えると、澤村は我が意を得たという様にうなずいてみせた。

「そう、それです。旭川に駐屯地があるんですが、私の弟がそこに勤めてまして。何年か前に颱風が来て、駐屯地内の植樹が折れたと言ってましたよ(作者注……実話です)」

「うへえ……颱風も来るんですか」 一昨年の夏場に颱風が原因でひどい目に遭った経験のあるアルカードは、澤村の言葉に顔を顰めて天を仰いだ。

「ええ、まあ北海道は広いんで全域ってわけでもないですけどね」 澤村はそう答えてから、

「なにか嫌な思い出でも?」 澤村が尋ねてきたので、アルカードは深々と嘆息しながら、

「ええ、まあ。用事でヨーロッパに行ってる間に東京にある自宅のあたりを颱風が直撃しまして。否、それは別にいいんですけど、止めてあった幌つきのジープの幌がすっ飛んで水浸しになりました」

「それは、それは」

 そんな会話を交わしつつ、彼らは校舎に足を踏み入れた。

 

   *

 

 唸る様な風斬り音とともに、三体の悪魔が頭蓋を削り取られてその場に崩れ落ちる。

 しぃぃ、と歯の間から息を吐き出す音が聞こえる。あの金髪の吸血鬼の呼気だ。

 横手から襲いかかった下級悪魔の繰り出した尻尾を、吸血鬼は視線も向けずに躱した。

 ひゅっ――軽い風斬り音とともに、吸血鬼の手にした漆黒の曲刀の鋒ががりがりと地面を削り取る。

 獅子の尾を思わせる暗い金色の髪の房が、ふわりと舞ってまたふわりと落ちる――金髪の吸血鬼はきっと眦を決し、雷鳴のごとき咆哮をあげた。

Wooaaa――raaaaaaaaaaオォォォアァァァ――ラァァァァァァァァァァッ!」 一度熔けて固まった熔岩の地面を踏み砕きながら叩きつけた霊体武装――塵灰滅の剣Asher Dustと呼ぶらしいが――の一撃で、甲虫の外殻に似た質感の下級悪魔の頭部が斜めに切断された。後頭部まで長く伸びた巨大な脳を保護するための髄液と強酸性の血液が入り混じった液体がぼたぼたと音を立てて地面にしたたり落ち、土が熔けて固まった熔岩状の地面を溶かして煙をあげる。

「おい、魔術師よ――おまえの言う『地脈をいじる』のはあとどれくらいかかるんだ? あの化け物がいなくなってからこっち、例の穴からこの甲虫どもがわんさか湧いてきてやがるんだが」 ぼやきながら、アルカードは続いて別の下級悪魔を斬り斃した――やはり相当な技量を誇る剣士らしく、その動きには寸毫の乱れも無い。

 虚空にぽっかりと開いた黒い穴――そこから次から次と、例の甲虫に似た悪魔が這い出してきている。アルカードは顔を出した悪魔の顔面を曲刀の鋒でつついて頭を引っ込ませようとしつつ、

「さすがに俺も飽きてきたんだが。ていうかこいつら、たいして強くもない割に血液の被害があるから斬り方に気を遣うし」

 と言いつつ突っ込んできた下級悪魔をひょいと躱して、ついでに足を刈る――前のめりに倒れ込んだ悪魔が反対側から突っ込んできた悪魔と正面衝突し、そして次の瞬間二体同時に首を刎ね飛ばされた。

 ぼやきつつも縦穴での戦闘に比べると自分という片手をふさぐ荷物もおらず、さらに足場も十分にあるからか、アルカードは落ち着いたものだった。追い詰められているわけではなく、本当にただ面倒なのだろう。

 地面に描いた法陣の中央でしゃがみこみ、地面に片手をつけていたグリーンウッドが、ちらりとそちらを振り返る。

「もうしばらくかかる――なにしろ地脈の流れを変える作業だからな。しばらく耐えてくれ」

「そうか」 残念そうにそう返事をして、アルカードは穴の中からにゅっと顔を出した悪魔の顔面に飛び蹴りを叩き込んだ。

 地脈の調整というのは、口で言うのは簡単だが非常に難度の高い作業だ。先述したが、地脈というのは星の内部を走る生命力、すなわち魔力の流れだ。星の内部に血管の様に張り巡らされた地脈の流れは、川の流れの様に分岐と合流を繰り返して、まるでアフリカ原産の瓜の仲間――メロンの筋の様に縦横無尽に星の内部を走っている。

 地脈の合流の仕方が悪いと、魔力の流れはうまく合流せずにその場でぶつかり合って外側に向かって噴出する――これを『点』と呼ぶ。地表に露出した『点』はそこから魔力が大気中に散逸し、無属性の大気魔力、いわゆる精霊となる。しかし地脈の合流地点が地中奥深くだった場合、噴出した魔力はその場に蓄積して澱み、澱んだ魔力が高位の霊体の住む世界――天国だの地獄だのといった世界から直接現世に降臨するのに利用出来る空間のゆがみ、『門』を形成する。

 『門』を形成するのを防ぐには、地脈の流れを変えてそこで『点』が発生しない様にしてやらなければならない。

 言ってみれば魔力の治水工事なのだが――当然ながらそう簡単に終わる作業ではない。

 本来はセアラが地脈の流れを変える作業を行い、その間無防備になるセアラをグリーンウッドが守るという算段を立てていたのだが――ちょうどいい護衛役を見つけたのでその作業は彼に任せ、グリーンウッドはセアラとともに手ずから地脈の整流作業に取り組んでいた。

 未熟なセアラだけであれば数日かかる作業だが――グリーンウッド本人がみずから手掛けるとなるとさすがに早い。

 正直セアラがなにかしようと手出しする暇も無い――虚空に穿たれた黒々とした巨大な穴はあっという間に縮まり、今や下級悪魔が通り抜けるのにも難儀する有様になっている。今となっては、アルカードの作業は穴が縮む前に出てきた下級悪魔をグリーンウッドたちに近づけないことだった――といっても、出てくるそばから斬り殺されて、下級悪魔の数はすでに片手で数えられるほどになっていたが。

 それにしても――胸中でつぶやいて、セアラは残った下級悪魔を仕留めにかかっているアルカードに視線を向けた。

 彼の周囲にはあの甲虫に似た下級悪魔とは明らかに異なる、巨大な魔物の屍がいくつも転がっている。

 いずれも『門』を通り抜けて襲ってきた中級悪魔だが、アルカードに瞬殺されてしまったのだ。その戦いのときにわかった――あの男の魔力容量は高位神霊五十三体を取り込んだグリーンウッドほどではないにせよ、下手をすれば一部の高位の霊体よりも上だ。

 最後の一体を危なげなく斬り斃したところで――アルカードはもう直径一フィート近くにまで縮まった『門』に視線を向けた。どうも無理矢理通り抜けようとして詰まったのか、出てくることも向こう側に戻ることも出来ない下級悪魔が哀れっぽい悲鳴をあげている――愚かなことだ、知性が無いから気づかないのだろうが、『点』が完全に散逸してしまえば、彼らは肉体を維持出来ず物質圏で霊体のままの自己を維持することも出来ずに、ただ消えて散るだけだというのに。

 アルカードは苦笑気味に小さく笑って、下級悪魔の顔面に踵を叩きつける様にして蹴りを入れた。すぽんと体が抜けて向こう側に落下してゆく下級悪魔に向かって――もちろん穴を覗き込んでいるわけでなし、向こうから見えるはずもないが――、アルカードが適当に手を振る。

「あばよ、おちびちゃん」 というアルカードの言葉が終わるよりも早く、虚空に開いた穴が完全に閉じて消滅した。

「終わったぞ」 立ち上がるグリーンウッドの足元で、それまで虹色に光り輝いていた魔法陣が消滅する。

「ふうん。ところで――」 アルカードは先ほど殺した中級悪魔の骨と、そこらで徐々に消滅しつつある下級悪魔の屍を順繰りに指差して、

「なんでそっちの甲虫どもは消滅するのに、こっちの鯨は骨だけ残ってるんだ?」

 鯨という表現は言いえて妙ではある――アルカードが斃したこの中級悪魔は、まるで地上に這い上がった鯨の様な風体だった。グリーンウッドはまるで金属の様な質感の硬い肋骨を爪先で蹴飛ばして、

「こいつらは『点』から噴出する大気魔力が無くても、自力で肉体を維持出来る程度の力はあったんだろう――骨が残っているのはそのためだ。魔力は骨や爪、角や外殻に蓄積するものだからな」

「なるほど。でも邪魔なだけだな、こんなの――たいして金にもならねえんだろ?」

「否、なるぞ?」 というグリーンウッドの言葉に、アルカードが妙な顔をして振り返った。

「なんだって?」

「金になるぞ、これ――中級悪魔二体ぶんだろう? 平民が一生遊んで暮らせるくらいの金にはなるぞ」

「……そうなのか?」

「ああ。なにしろ悪魔の死体というのは魔力の塊だからな。仮初めのものとはいえ、不老不死も可能にする魔術に魅せられる貴族や豪商は後を絶たん――悪魔の爪や角、骨は魔術の秘薬を精製するうえで最高の材料だ。特に骨は高額で取引される――二匹ぶんもあれば、俺たちの背丈よりも金塊を積むことになるだろうな」

「へえ。ちょっと興味あるな――おまえの魔術のせいで路銀が尽き気味だったし」 どうやって換金するんだ?というアルカードの問いに、グリーンウッドはかぶりを振った。

「伝手が無かったら、売り捌くのは難しいだろうな――魔術の有名どころに持ち込めば、伝手が無くても言い値を出してくれるだろうが」

「ふうん。でも、こんなもん持ち運べないぜ?」

「まあ、な――だが、こういう手もある」

 とグリーンウッドが答えると同時、轟音とともに骨が擂り潰されて砕け散った――ほとんどの骨粉が砂よりも細かくなって床に撒き散らされる中、ほんの一部の骨粉だけがグリーンウッドの掌の上でさらさらと舞っている。まるで黄金の様に弱々しい明かりを照り返してキラキラと輝く骨粉を、グリーンウッドは空いた手の中に形成したコルク栓のされた硝子壜の中に流し込んだ。

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