In the Flames of the Purgatory 76

 グリーンウッドの左腕が、大きく膨れ上がって長く伸びている――どれくらい大きいのかというと、手首から先が膨張して最終的にその直径が彼らの身長の六倍近くにまで達している。長さにいたっては数十ヤードに達するだろう。

 グリーンウッドが手首を引き抜くと、彼の手首から先が膨れ上がって形成された巨大な翼を備えた犬――アモンと同じデーモンロードの一体グラシア・ラボラスが、アモンの頭を地面に押さえつけて凄絶な咆哮をあげた。

「仲良く半分こか」 もう一体はまるで夕日を背にしたときの様に長く伸びたアルカードの影の中から姿を現した、ほどもある巨大な狼だった。尻尾は半ばから喰いちぎられた様に失われ、ごわごわした獣毛は黒く濡れている。狼王クールトーはアモンに触れた肢が燃え上がるのにもかまわず、アモンの下肢の動きを押さえつけていた。

「お、おまえ、グラシア・ラボラスだと! なんのつもりだ、人間ごときに与したのか!」 アモンの叫びを無視してグラシア・ラボラスがクールトーに向かってすさまじい咆哮を発すると、クールトーもまた同様に凄絶な咆哮をあげた。

 獲物を渡すまいと威嚇しているのか、それとも合図とそれに対する返事だったのか。いずれにせよ、二頭の巨獣たちはそれぞれアモンの上半身と下半身にかぶりついた。

「やっ……やめろ、やめろぉぉッ!」

 頭を丸ごと咥え込まれたアモンが、ひとつひとつが大剣ほどもある巨大な牙が喰い込んでくる感触に前肢をばたつかせる――長大な尻尾もまたばたばたと周囲を撃ち据えたが、長すぎて逆に役に立たなかった。

 脳裏に響く悲鳴じみた叫び声が途切れるのに前後して、二頭の巨獣がたがいに奪い合う様に引っ張っていた巨大な悪魔の体をふたつに喰いちぎった。

 それでもまだ悲鳴は続き、尻尾も切断された蛸の触手の様にじたばたと蠢いている――だがグラシア・ラボラスの鋭い牙で頭部や胸部を噛み砕かれるころには悲鳴は途切れ、尻尾の動きも止まっていた。

 咀嚼した獲物を飲み込んだグラシア・ラボラスとクールトーが、いずれもこちらに向けて凄絶な咆哮をあげる――役目を終えた使い魔たちはグラシア・ラボラスはグリーンウッドの体の中へ、クールトーはアルカードの影の中に沈み込む様にしてそれぞれ姿を消した。

「やったか?」

「否、最後の瞬間に霊体と肉体が分離した――ギリギリのところで、向こう側に逃げ出した様だ」

「はっ」 アルカードは鼻を鳴らし、

「なぁぁにが『このアモンの力、思い知るがいい!』だよ――締まりのねえ野郎だ」 わざわざアモンの物真似を披露してから、盛大に溜め息をついた。

 同時に周りのゲヘナの火が一斉に消え、さらに人間が生存出来る状態に環境が調整されたからかグリーンウッドが魔力供給を打ち切ったのだろう、セアラを防護コートしていた無敵の楯インヴィンシブル・シールドが消滅する――アルカードがこちらから視線をはずして背後を振り返り、空間に穿たれた黒々とした穴を示して、

「で、あとはどうするんだ? あの穴をふさいで帰るのか?」

 グリーンウッドが近づいていったセアラの肩を軽く引き寄せ、

「ああ。ふさぐのは俺とこいつでやるから、おまえは奴らの相手を頼む」

 全身をクチクラの外殻で覆った甲虫の様な下級悪魔が、次々と穴の中から這い出して来ている――アルカードは小さく嘆息して、手にした魔具を軽く振り抜いた。

「はいよ」

 

   †

 

「――なぁ、なにやってるん?」 高等部男子学生寮の共用娯楽室に設置されたテレビにかじりついている日向恭介の背中に、紅林虎斗はそう声をかけた。

「んー? ……ちょっとな」

 恭介はテレビの前に椅子を引っ張ってきて、テレビにビデオカメラを繋いでいる。

 ビデオカメラは部員がフォームチェック用に使うためのもので、剣道部ではなく薙刀部の備品だった――薙刀部の部長は恭輔の兄なので、いわばコネを使って借り出してきたのだろう。

 虎斗は自販機で買った野菜生活の紙パックにストローを突き刺しながら恭輔のかたわらに歩み寄って、

「なにこれ。薫センセとドラゴス先生の立ち合いか?」 画面の中でうっすらと笑みを浮かべながら薙刀と木刀で撃ち合っている鳥柴薫と金髪の講師の姿に、首をかしげる――そういえば薙刀部のほうは、マネージャーがあの立ち合いを録画していた。恭介が見ているのは、その立ち合いの録画らしい。

「確かに興味深い一戦だったけどさ、わざわざあとから見直すほどのもんかぁ?」

 恭輔は虎斗の言葉にちらりとこちらに視線を向けてから、なにも言わずに最初から再生し直した。

「なんだ? この動き」 再生が始まってすぐに恭介の意図に気づき、虎斗は眉をひそめた。

「視線の動きと、足運び――体の向きも誘導してる。あのときは動きが速すぎて気づかなかったけど、ちょっとスロー再生するぞ。ドラゴス先生の視線の動きをよく見てろ」

 そう言って、再度恭介がビデオを最初から再生する。速度二十五パーセントで再生すれば、彼の動きは一目瞭然だった。

 こうして見ると、最初から薫には勝ち目など無かったのだということがよくわかる――アルカード・ドラゴスは薫だけを見ていない。しょっちゅう周りを警戒するかの様に、周囲に視線を配っている――薫が気づいている様には見えないが。

「でも、この視線の動きは――」

「おまえもそう思う?」

 聞き返されて、虎斗は小さくうなずいた。

 金髪の講師の視線の動きは、どう見てもただ薫を誘導するためだけのものではない。というよりも、明らかに周囲からの攻撃を確認するためのものだった――あの金髪の青年は、薫を相手にしている最中に周囲からの攻撃を警戒しながら戦っているのだ。

「実際に戦ってるときは速すぎてピンとこなかったけど、こうしてビデオで見てるとはっきりわかる。ドラゴス先生は薫センセじゃなく、周りにいる人間から攻撃を仕掛けられることを想定して動いてる。足運びも重心移動も、常に撥條を残してる――不測の事態に、いつでも回避行動をとれる様にするためだ」

「つまりセンセひとりに集中しないまま、センセに勝ったってことか。すごいな、あの人――っていうか、そうだとしたらあの先生何者なんだろ? 普通そんな警戒しないよな――どんな剣術を習ってたって、競技は一対一だからそれ以上の想定はしないだろうし」

 腕組みする虎斗に、恭介が肩をすくめる。

「さぁな――それはともかく、そろそろ出かける用意したほうがいいんじゃないか? 雪村と出かけるって言ってただろ」

「あ、忘れてた!」 悲鳴の様な声をあげて、恭介が立ち上がる。

「ビデオは俺が片づけといてやるから、行ってきたら?」 帰ってきたら取りに来い、と言ってやると、恭介は娯楽室の扉のほうに走り出した。

「悪い、任せる!」

「おーう。ちゃんと機嫌とれよー」 のんびりした口調で声をかけてから、虎斗は手にした野菜生活の紙パックをゴミ箱に放り投げた――壁にぶつかって跳ね返り、そのままゴミ箱の中に落下した紙パックを見遣って肩をすくめ、

「さて、予定の無い俺は寂しく後片づけといきますか」 ぼやいて、虎斗はビデオを片づけに取りかかった。

 

   †

 

 結局のところよっつか――独りごちて、アルカードはコカコーラの自販機のボタンを押し込んだ。

 敷地内で発見した『点』は合計よっつ。敷地がやたらと広いのですべてに手が回すのはなかなかに骨の折れる作業だったが、おそらくこれで全部のはずだ。

 そして魔力の鍋になりそうな建物も、いくつかあたりをつけた。

 大聖堂、大学図書館、高校と大学の体育館、あとは――

「ここかな」 と声に出してつぶやいて、アルカードは自販機が設置された建物を見上げた。高等部の屋内プール。

 真新しい大型の建物で、三面までがガラス張りの開放的な建物だが、プールのフロアが高い位置にあるのか窓がかなり高くて中の様子は窺えない。

 建物名の表記された看板を見る限り、小等部から高等部まで共用の施設らしい。アルカードは手元の地図を見下ろして――この建物が載っていないのに気づいて眉をひそめた。

 せめてグリッドが入っていれば、時刻と太陽の位置で天測も出来るんだが――まあただの見取り図に軍用地図と同じ使い方を期待しても仕方が無い。

 自分が迷子になりかけている自覚はあったので、彼は素直に道を聞こうと屋内プールの施設に足を踏み入れた。

 入って右手のところに事務所があったので、受付窓を覗き込んで声をかける。

「すみません」

 奥のほうでなにか書類仕事をしていた四十代半ばの男性の事務員が、呼びかけに気づいてこちらに視線を向ける。

「明日からしばらく高等部で教えることになる講師なんですが、敷地内を歩いて回ってたらここがどこらへんかわからなくなってしまいまして」

 ああ、とうなずいて、事務員がこちらに歩いてきた。手近にあった樹脂製のクリアファイルに入った地図を差し出した事務員がホワイトボード用のマーカーを手に取り、一箇所にマルをつける。

「今いるのがここです」 ボクシング経験者なのか鷲鼻になった鼻を指先でこすりながら、事務員はそう続けてきた。彼は受付カウンターから身を乗り出す様にして建物の奥のほうを指差すと、

「その奥のほうから、地下通路を通って高等部の宿舎に戻れますよ」 たぶんそっちのほうが楽でしょう、と男性事務員は続けてきた。

「ただ土足禁止なんで、靴を脱いでってもらう必要がありますが」

 アルカードは地図で建物と高等部校舎の位置関係だけ確認してから、地図を半回転させて事務員のほうに押し遣った。

「そうします、ありがとう」

 謝辞を述べると、人のよさそうな事務員は笑ってうなずいた。

「どういたしまして」

 一礼してから土間で靴を脱ぎ、靴紐を指に巻きつける様にしてぶら下げて、廊下の奥に向かって歩き出す。廊下の奥に歩を進めると、右側の壁に塩素注入装置やO3UV水殺菌装置といった樹脂製のプレートの掲げられた鋼鉄製の扉があった――Oのあとの3が小さいから、オゾンの元素記号のことだろう。オゾンと紫外線による用水殺菌装置だ。

 たしか酸素に紫外線を当ててオゾンに化学変化させ、それを水に溶け込ませた状態で波長の異なる紫外線に曝すことで微生物や最近のDNAを破壊して殺菌すると同時に、水中に溶け込んだ有機物を酸化反応で分解するのだ。

 塩素の投入を完全に失くすことは出来ないが使用量を抑えられるうえに殺菌効果も高く、紫外線照射で塩素イオンの発生濃度も減らすことが出来、三塩化窒素の生成を抑制して塩素の臭いの発生も極力防ぐことが出来る――東京の市民プールに掲示されていたO3UV殺菌装置の能書きを思い出しながら、アルカードは清潔感のある廊下を奥のほうまで歩いていった。

 『宿舎』というプレートの掲示された地下に下りる階段を見つけて、そちらに歩み寄る――ちょうど高等部低学年らしい幼い女子生徒数人が上がってきたので、アルカードは壁際に寄って道を譲った。

「すみません」 髪をふたつに分けてくくった女子生徒がそう言って、ちょっと足早に彼のかたわらを通り過ぎる。去りかけたその女生徒たちの背中に、アルカードは声をかけた。

「ああ、ごめん、ちょっと」

「はい?」 振り返るロングヘアの女の子に、アルカードは階段を指差して、

「ここから高等部の宿舎までって、遠い?」

「いいえ。十五分もかからないと思います――ちょっと歩きますけど、道なりに歩いてれば着きますよ」 という返答に、アルカードはうなずいた。

「わかった。ありがとう」 アルカードは会釈する女の子たちに手を振って、アルカードは再び歩き始めた。

「留学生の人かな」

「じゃないかな? まだ十五歳くらいだと思うけど」

「でもなんかすっごい大人っぽい話し方してたよね。日本語も上手だし」

「だよね。あたし最初あの人に話しかけられたんだって気づかずに、ほかに誰かいるのかと思って探しちゃったよ」

 聞こえてるんですけど。背後から聞こえてくる黄色い声に反駁する様に胸中でつぶやいて、アルカードは嘆息した。

 外見より性格が老けてるだの大人っぽいだの言われたことはあるが、見た目が十五歳とか言われたのははじめてだ。ちょっと傷ついている自分を自覚しつつ、アルカードは途中で地下通路が分岐していたのでそこで足を止めた。

 地下通路がそこでみっつに分岐しており、それぞれ『高等部宿舎』『中等部宿舎』『小等部宿舎』と樹脂製のプレートが掲示されている。アルカードは高等部宿舎とプレートが掲げられた通路に足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る