In the Flames of the Purgatory 75

「――ッ!」

 脳裏に響く絶叫に顔を顰めながら、アルカードが小さく舌を打つ――獄焔細弾ゲヘナフレア・ペレットから放出される超高熱に晒されて、アモンの全身が黒々と炭化し始めた。巨体が悶絶しのたうちまわるたびに子供が足ですくった水溜まりの泥水の様に跳ね散らかされる熔岩の雫から逃れてに数歩後ずさり、暑苦しげにパタパタと手で顔を煽ぐ。

 熔融してオレンジ色に輝く熔岩と周囲の岩を燃やし続ける炎によって大空洞は昼間のごとく明るく照らし出され、照明には不自由しない。物質世界の炎と違って燃焼に酸素を必要としないため、呼吸困難に陥ることは無いが――

「ふん」 軽く鼻を鳴らし、グリーンウッドが右足を引いて構え直す。魔術師の戦闘に大仰な構えは必要無い――グリーンウッドが構えをとるのは、ロイヤルクラシックと殴り合いが出来るほどの高い格闘能力を十全に生かすためだ。

 金髪の吸血鬼が手にした漆黒の曲刀が、ぎゃあぎゃあと頭の中に響く絶叫をあげている――アルカードはちらりとそちらに視線を落としてから、手にした曲刀を握り直した。

「おのれ――おのれええええッ!」 すでにぼろぼろになったアモンが、片目が破裂した凄絶な形相ですさまじい絶叫をあげる――アルカードはさも煩わしげに、

「うっせぇな、なんだこりゃ? 喉笛は掻っ捌いてやったってのに」 顔を顰めてこぼしたぼやきに、

霊声ダイレクト・ヴォイスだ」 吸血鬼のかたわらに立っていたグリーンウッドが、そんな言葉を返す。彼はアルカードにも理解しやすい様に言葉を選んでいるのか少し考えてから、

発する声を、聞いているのさ」 という返事に、アルカードはふうんと声をあげて再び魔術師からアモンへと視線を戻した。

「で、アレどうするんだ? 闇黒体アウゴエイデスとかいうのも潰したし、もうこれ以上は遊べなさそうだが」

 そんな問いを投げかけて、アルカードはぞんざいな仕草で肩越しにこちらを親指で指し示した――無敵の楯インヴィンシブル・シールドに守られたセアラに肩越しに視線を向け、

「そろそろあのちんちくりんも出してやらねえとな」

「だな」 魔術師がそう返事をしたとき、アモンが前に出た。蛇の様に体をくねらせて周囲に劫火を撒き散らしながら、ふたりのかたわらを通り過ぎて――

「どういうつもりだ?」

「さてな」 消耗した魔力をセアラを喰らって補おうという心算はらだったのか――あるいは人質にとれるとでも思ったのか。

「餌? 喰いでが無さそうだが」 アルカードがグリーンウッドの返事にそう返事をする。師は適当に首をすくめ、

「奴らは人間とは違う――おまえたち吸血鬼ともな」

「どういうふうに?」

「高位の霊体は肉体と――完全に同じでもないが――ある程度似通った構造を持っている。おまえのその剣の様な霊体に対して効果の及ぶ物理的な攻撃――といったほうが正しいが――を受けると、霊体と肉体の同じ箇所が損傷する。霊的な破壊力を持たない物理的な攻撃手段――そこらの石ころを投げつけた程度なら、別に霊体に破壊が及ぶことは無いんだが」 グリーンウッドはそう言ってから少し考え、

「翼を捥ぎ取れば地獄に戻っても空を飛べなくなり、脚を引きちぎれば立てなくなる。喉笛を引き裂いてやったのにまだしゃべれているのは、霊体には声帯に該当する器官は無くて声の代わりに思念を飛ばしているからだ」

 グリーンウッドがそう続ける――重要なのは受肉マテリアライズした霊体が損傷した肉体を棄てても、肉体から離脱した霊体は同じだけの損傷を受けたままになるということだった。すなわちこのまま攻撃を続けて完全にとどめを刺せば、肉体もろとも霊体を破壊されてアモンは死ぬ。

 闇黒体アウゴエイデスを呼び出す前とは状況が違う――グリーンウッドとアルカードの攻撃による闇黒体アウゴエイデスの消滅、あれは意図的に引っ込めたのではなく維持出来なくなって崩壊したのだ。すなわち通常の状態であれば異次元にとどまっているアモンの闇黒体アウゴエイデスは、その構成情報があのアモンの端末の中にまだ残っているのだ。

 闇黒体アウゴエイデスを呼び出す前であれば、どうということは無かった――多少端末が傷ついたところで、切り棄てればそれで済む。

 だが今、本体を構成する霊体は力を失ったままあの端末の中に残っているのだ――端末が完全に破壊されること、それはすなわちアモンの完全消滅を意味する。

 そうなる前に肉体を棄てて退却すれば、助かるだろう――その前に少しでも力を補っておく必要があるのだ。筐体を棄てるのとは違って、肉体の衰弱は霊体にもそのまま反映される。逃げおおせることは出来ても、肉体がそのざまであるのと同じ襤褸雑巾の状態で魔界へと逃げ帰ることになるのだ。

「連中の序列は純粋な力関係だ。たまたまつながった『門』から意気揚々と人間世界に出向いたと思ったらズタボロに痛めつけられて逃げ帰ったとなれば、魔界でどんな目に遭うかわかったものじゃない。近い序列の者に殺されて位階を奪われたり――あるいは弱ったところで取るに足らん下級悪魔に群らがられて、喰い殺されるなどということもあり得る」

「おお、怖い怖い」 アルカードは適当に首をすくめ、

「殺伐とした生活だなあ、それ。犬を飼うなり趣味を持つなりして、心の平穏を追い求める人生もとい魔生を追求してもいいだろうに。狩猟とか帆船模型とか」

「狩猟なら年がら年中やってるさ――あいつらはちまちましたものは嫌いだから、帆船模型なんぞ与えても三日で投げ出すだろう」

 だいたい奴らの指は、お世辞にも細かな作業に向いているとは言えんしな――グリーンウッドがそう付け加える。そもそも物を持てる構造ではないアモンの前肢を想像したのか天井を仰ぐ様な仕草を見せて、アルカードがそりゃまそーだと同意する。

「じゃあ、犬は? 猫でもいいけど」

「残念なことだが、犬が餌になって終わりだろうな。まあ今回は――」

「ああ、まあ今回は――」

「――犬餌だがな」

 綺麗に声をそろえて、ふたりはそろって背後を振り返った。

 アモンの目的は、結局わからない――セアラに襲いかかって食べようとしたのか、それとも人質を取ろうとでもしたのか、あるいは縦穴を通って外に出ることか。

 縦穴から外に出る、あるいは魔界へ逃げ帰るなら、色気を出してセアラに襲いかかったりせずにさっさとそうすべきだったのだ。どうせ走るならふたりに背を向け、自分の背後にぽっかりと口を開けた現世と魔界をつなぐ『門』――あるいはセアラの背後にある地上に通じる縦穴へと駆け込むべきだった。アモンには取りうる選択肢があったにもかかわらず――選択を誤ったがためにゼロになった。

 ふたりが会話を終えて悠然と背後を振り返ったときには、アモンの巨体は岩壁に抑えつけられていた。岩盤を削り出して作った大空洞の壁がアモンの体が触れるなり超自然の炎によって燃え上がり、瞬時に熔岩となって地面に流れ落ちていく。

「岩でも燃える炎か――あれ使えねえかな」

「『ゲヘナの火』をか? 使えないかというのは?」

「岩に火がつくんなら、野営のときに薪を集めなくていいだろ」

野営ビバークのために焚き火の火種に利用するつもりなら、やめたほうがいい」 グリーンウッドはそう返事をして岩壁で燃え盛る炎――先ほどアルカードに躱された火焔の吐息ファイアブレスによって引火したものだ――に視線を向け、

「あれは我々のいるこの『層』にある炎とは異なる原理で燃える、ゲヘナの火と呼ばれるものだ――普通の火はもちろん魔術で作った火とも違って、水の中でも燃えるし空気が無くても消えない。我々が認識する可燃物――可燃性ガスや油、薪などの燃料も必要無い。あの炎には鉱物はもちろん金属も含めて、この『層』に常温で固体として存在する物質すべてを可燃物として燃焼させる性質がある。魔術で作った炎は燃料は必要無いが空気は必要だし、だから水中で火を熾すことは出来ないんだが」

「ああ、だから便利だと思ったんだが」

「おまえ、ゲヘナの火あれおきを種火にして持ち歩くことを想定しているだろう? 残念だが空気を遮断しても火勢が弱まらないから、そういう目的には使えないぞ。それにゲヘナの火は、鍋も燃やすからな――調理に使うことすら出来んし、ゲヘナの火は薪から地面の土そのものに燃え移る。薪に火をつけて焚き火にして寝て起きたら、周りの地面が燃えて大火事になっている可能性もある」

 その言葉に、アルカードが手近な壁に視線を向ける。岸壁の岩を燃料に燃え盛る炎が徐々に大きくなりつつあるのに気づいたのか眉根を寄せる吸血鬼に、グリーンウッドが先を続けた。

「たとえば、川の中に放り込んだとする。水の中でも火が消えないから川底の石に燃え移って、しまいには川ごと炎上させて干上がらせた挙句に周囲に燃え広がることになるわけだ――海でも同じだ。極論すればどこかの大陸にゲヘナの火を放つとその大陸を焼け野原にしながら海底にも燃え広がり、最終的に別の大陸に燃え移ることもある」

「見たことあるのか?」

「無い。わざわざ試す気にもならん――だが、島と島の間でそれをやるところは見たことがある」 グリーンウッドがそう返答し、アルカードはそれで納得したのかそうかとうなずいてアモンに視線を戻した。そちらに視線を向けたまま、

「さっきのおまえの言い方だと、水の流れる川の底で石や砂は燃えるが水は燃えない様な言い方だったが――水そのものは燃えないのか?」

「厳密に言うと、液体のまま燃える可燃性の液体というのは存在しないんだが」 魔術師はそう言ってからちょっと考えて、

「ゲヘナの火は常温で液体のままの物質を燃やす性質は持っていない。ほかの『層』ではどうだか知らんがな。例外は水銀だ――金属だからなのかほかに理由があるのか、とにかくゲヘナの火は水銀だけは燃やす性質がある」

 アルカードはその返事にうなずいて、

「ちなみに、消火の手段は?」

「物理的には、無い――たとえば魔術の炎は空気を遮断する以外の方法で消火出来ないが、なにか可燃物に燃え移った炎は普通の炎だ。だから水をかけるなり、砂をかけるなりして消すことが出来る。だがゲヘナの火には現世の炎と違って、水なり砂なりのものが無いんだ。問題になるのは、魔術の炎と違ってゲヘナの火は燃え移ってもゲヘナの火のままなことでな――火災になっても消火が出来ん。扱いが面倒だから、焚き火にするには使いにくい――この『層』においてゲヘナの火を消すには古代語魔術エンシェント・ロウ、もしくは竜言語魔術ドラゴンロアーによる干渉が必要だ」

「なるほど」

「あとは燃料になっている物体を空気が凍結するほどの低温まで冷却することで、消火することが出来る――こちら側の手段でそれを再現することが出来るのは、精霊魔術だけだがな。おまえがさっきが涌いてきたときに火を消した方法がそれにあたる」 あとはおまえが先ほどやった様に、魔力で干渉するかだな――付け加えられたグリーンウッドの言葉に納得したのか、アルカードが小さくうなずいた。

「まあ確かに、不測の事態にすんなり消せないほうが問題だな」

「だろう? 野営ビバークはもちろん、砦の焼き討ちにも使えんよ」 グリーンウッドが気の抜けた口調でそう返事をする。

「まあ、塁壁まで燃やして熔かしちまうんじゃなぁ――火が消せなけりゃ破壊は出来ても奪取は出来ないしな」

「そういうことだ。砦ごと焼き払って破壊するのが目的ならともかく、制圧して奪取するとなるとなんの役にも立たん」

 と、ふたりがそんな感じで暢気に話している視線の先で――

 アモンにはなにをされたのかもわからなかっただろう――アモンがどの様な算段を立てていたにせよ、その算段通りには進まなかった。

 そしてもはや、あらがうことすらもままならない。突如として大空洞に姿を現した二体の巨大な獣によって、地面に抑えつけられていたからだ。

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