In the Flames of the Purgatory 72

 そんな会話を交わしている間に洗い物が終わったのか、シスター天池が戻ってきた。

「それじゃ、行きましょうか」

「はい」 結衣がうなずいて、どんべえを抱き上げる。アルカードは扉を開けてノブを抑え、ふたりのために道を開けた。

 結衣が足早に階段を降りて、飲み水と干し草がたっぷりと用意されたケージの中にどんべえを入れる。

「これで何日くらい持つの?」

「普段通りなら、明日の昼くらいまでです」 アルカードの質問に、結衣は立ち上がりながらそう答えてきた――アルカードはそれを聞いて眉をひそめ、

「じゃあ、土日は毎回来るの? 長期休みとかは?」

「ええ、毎週土日に来ますよ。長期休みのときは、わたしが連れて帰るつもりです」 アルカードが視線を向けると、シスター天池が結衣には見えない角度で苦笑を返してきた。

 それはつまり、聖堂に勤務する職員が毎週土日に教会を開けてやらねばいけないということだ――聖堂勤務員は聖堂勤務員で、なかなか苦労しているらしい。

 苦笑しながら、アルカードは出入り口の扉を開けた。扉を開けた途端に、弱冷房の利いた室内の空気を押し戻す様にして戸外の熱気が入り込んでくる。

 昇降口の階段を降りたところで、アルカードはあらためてシスター天池に向き直った。

「それじゃ、ありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ長々とお引き留めしてしまって」

 アルカードは丁寧にお辞儀をしてくるシスター天池から結衣に視線を転じ、

「それじゃあ。もしかしたら授業で会うかもしれないけど、そのときはよろしくね」

「はい、こちらこそ」 にっこり笑って一礼してから、結衣は数歩後ずさった。

「それでは、わたしたちはあちらですから」

 シスター天池が右足を引いて半身になりながら、聖堂の裏手を視線で示す――アスファルトで舗装された道路がそちらに続いているから、おそらく大聖堂の建物の裏手に職員用の駐車場があるのだろう。

 一礼して、アルカードは踵を返して歩き出した。歩きながら『帷子』を展開する――極端に高温もしくは低温の環境、低体温などを誘発する環境を魔力の障壁で遮蔽する、高位の吸血鬼特有の魔力戦技能の一種だ。

 これを展開すると、周囲の環境が暑かったり寒かったりするのが情報としてはわかるが、本人は温度変化を感じなくなり、空気中の煙なども障壁によって濾過される。有毒ガスなども分解され、酸素の存在しない環境でも周囲の物質から呼吸可能な空気を抽出して活動を可能にする――このため完全な真空環境下でない限り、アルカードは有毒ガスが充満した場所や火災現場の様に酸素がほとんど存在しない環境であっても活動することが出来る。

 そうすることで、外部の温度や不純物の影響による行動能力の低下を防ぐためのものだ――雪や雨粒といった重い物体を遮断することは出来ないので、悪天候下で体が冷えるのを完全に防ぐことは出来ないのだが。

 とりあえずこれを展開している間は冷房も暖房も必要無くなるので、便利ではある――その一方で外気温の変化に気づきにくくなるので、客人をもてなすときには向かないが。

 『クトゥルク』の儀式の場所はまだわからない――だが、いくつかある『門』の魔力をなるべく多く収められる、石や土、平たく言えば鉱物なので硝子でもいいが、そういったもので密閉された場所が必要だ。さらにそれらが床や天井によって分割されていない、体育館の様なひとつの部屋の空間の容積の大きい建物が望ましい――建物の容積が足りないと、あふれ出した魔力が散逸して無駄になってしまう。

 あの規模の『門』の魔力の総量を扱えるだけの『鍋』として扱える建物となると、それなりに限定されてくるだろう。

 あの大聖堂も使えるはずだ――内部に一体になった大容積の空間があり、鉱物もしくはその加工物だけで構成されている。もっと容積の大きな空間を持つ建物が無ければ、大聖堂が使われる可能性はかなり高い。

 あとは体育館か――

 共用にするには人数が多すぎるからだろう、体育館は小等部、中等部、高等部でそれぞれ用意されている。

 見取り図を見る限り、単なる敷地面積では大聖堂よりも狭い。蘭や凛の通う小学校の体育館と似た様な建物なら、おそらく空間容積は大聖堂より小さくなるだろう。各学部ごとに小規模な図書館もあるらしいが、こちらもさほど大規模なものではない――学習校舎と寮の間にあったので昨夜見に行ってみたのだが、一戸建ての民家くらいの建物だった。図書室のたぐいに比べれば広いと言えば広いが、大聖堂や体育館とは比べるべくもない。

 あの大聖堂と、体育館は小中高等部各一ヶ所として、合計四ヶ所。聖堂は実際に見てみないとなんとも言えないが、礼拝堂は広い造りになっていることが多い。ただし鳥柴薫も言っていた様に、大聖堂ほどの規模ではないだろうが。

 小学校からの一貫だから、基本的には外部からの入学者も考え合わせて学部が上がるほどに人数は増えるはずだ。全寮制であることから、基本的には転出することもあるまい――学年が上がれば上がるほど、共用施設の規模は大きくなるだろう。

 全部チェックしたほうがいいか――胸中でつぶやいて、アルカードは噴水のそばを通って反対側の小道を歩き出した。

 

   *

 

 巨躯の悪魔が長大な尻尾を振るうたびに空気が逆巻き、尖端が音速を超えて耳を劈く轟音を発する。同時に全身から放たれる強烈な熱波が荒れ狂い、その熱波に晒された地面や岩壁が炎に近づけた紙の様に燃え上がる。甲高い叫び声とともに吐き出された劫火が、まるで子供が岩に泥を塗りたくって遊ぶ様に周囲を橙色に染めてゆく。

 狼のそれに似た前肢が地面を踏み鳴らすたびに肢を置いた地面がまるで飴の様に融けて沸騰し、さながら火山の火口のごとき様相を呈していた。

 そしてその只中で、金髪の吸血鬼が平然と笑っている――衝撃波に巻き上げられて降り注いでくる融けた岩塊や土くれを凌ぎきり、アルカードはわずかに残った熔けていない地面の上で手にした黒い曲刀で肩を叩きながら、

「で? ぶっちゃけあんまり面白くない出し物なわけだが。次はなんだ?」

 グフーグフーと炎の息を吐きながら、アモンがそちらに向き直る。

 アルカードは余裕の表情を崩していないが、かたわらで防御結界を展開していたグリーンウッドの反応は違っていた。普段の落ち着いた無表情をわずかに崩して厳しい表情で眉を寄せ、セアラの小さな肩をぽんと叩いて、

「セアラ、術式の維持を引き継げ。魔力供給は俺がする」 それだけ告げて、グリーンウッドの姿が霞の様に消えて失せる。

 長大な尻尾を振るった瞬間、その先端が陽炎でぐにゃりとゆがんで見えた――次の瞬間背後の岩壁を削り取りながら地面を撫でる様にして薙ぎ払った尻尾の先端が、窓硝子についた水滴を手で掻き落とす様に熔岩化した土砂を巻き上げる。

 それまでは尻尾による打擲と炎の吐息でしか攻撃していなかったからだろう、ちょっと驚いたのかアルカードが対応を遅らせた――次の瞬間、熔岩化した土砂が彼の頭上に降り注ぐ。

「ヌ……」

 攻撃の不発を悟って、アモンが小さく毒を吐く。

 アモンが尻尾でかき集めて熔岩化した土砂は、グリーンウッドが張りめぐらせた防御結界・無敵の楯インヴィンシブル・シールドによって完全に防がれていた――ぱちぱちと時折電光を散らす防御結界の表面を、窓硝子の表面についた水滴の様に熔岩が伝い落ちてゆく。

「なるほど、あんな攻撃も出来るのか」 グリーンウッドのかたわらで、アルカードがそんなつぶやきを漏らす。

「あまり嘗めてかかるなよ――外見ナリはあんなでも、ソロモン七十二柱の一体だからな」 グリーンウッドの警告に、アルカードが首をすくめる。

「覚えとくよ」 そう返事をすると、吸血鬼はグリーンウッドの肩を軽く叩いて前に出た。

「あの程度の相手なら、俺ひとりでも時間をかければどうにでもなるが――手数が多いから面倒臭くてな。手空きなら手を貸してくれ」

 それを聞いて、グリーンウッドが軽く頭を掻きながら左足を引いてアモンに視線を据える。

「あんな悪趣味な悪魔じゃ、わざわざ取り込む気にもならないが――仕方無いな」 薄い笑みを浮かべて、彼はアモンに向き直った。

 ぱちっと音を立てて、グリーンウッドの指先に電光が走る。同時に周囲にきらきらと輝くものが降ってきた――周囲の水蒸気が結晶化したものだ。アルカードのエレメンタル・フェノメノンではなく、グリーンウッドの手管によって周囲の気温が急激に低下しているのだ。

 次の瞬間、彼が伸ばした指先から強烈な電光がほとばしった。絶縁破壊の閃光で周囲を青白く染め上げ、無数の細かい稲妻を枝の様に伸ばしながら、蛇の様にのたくる電光がアモンの巨体を直撃する。

 同時にガラガラという落雷のそれに近い轟音が周囲の空気を震わせ、周囲に岩壁の無事な個所に亀裂が走り、衝撃波に煽られた溶岩がまるで波打ち際の飛沫の様に細かく飛び散った――瞬時に超高温に加熱された空気が膨張し、音速を超える際に発生する衝撃波だ。

 アモンの絶叫がほとばしり、同時にその巨体が地響きとともに横倒しに倒れ込む――前肢しかないアモンの右肢が付け根のあたりで失われて、そこからどろどろに熔けた肉が地面にしたたり落ちていた。

 電撃誘導ライトニング・ドライブの直撃を受けた結果だ――アモンの肉体の電気抵抗によって発生した高熱で皮膚が、肉が、骨が瞬時に熔解したのだ。

 電撃誘導ライトニング・ドライブ――グリーンウッドが扱う精霊魔術のひとつで、見た目にはただの電撃魔術だ。だが実際には三種類百二十六に及ぶ魔術を並列起動することで実現する、大規模魔術の一種に属する。

 通常の電撃魔術は数百分の一秒程度の、きわめて短い時間しか持続しない――グリーンウッドのは違う。彼の電撃魔術は周囲の気温と気圧を操作して電気抵抗を下げることでより電撃の威力を高めると同時に、数百もの細かい魔術を立て続けに起動することで最大三十秒近い放電を可能にするのだ。

 通常の電撃魔術、あるいははるかに大きな電流が流れる落雷でもそうだが、電撃を受けたことが原因で生物が受傷する場合、その大部分は神経電流が攪乱されることによる臓器の機能不全で、火傷による被害はほとんどない。これは通電時間が極端に短いためで、電気抵抗による発熱がほとんど発生しないからだ。

 だがグリーンウッドの魔術ライトニング・ドライブは違う――三十秒近く持続する彼の電撃魔術は、長時間の通電による電気抵抗の発熱で対象を昇華させてしまう。電撃を受けた個所の周囲の肉は電気抵抗による発熱で、沸騰する間も無く瞬時に蒸発してしまったのだ。

 当然電路になる空気の発熱も相当なもので、落雷による発熱の数十倍もの高熱を帯びる――通常の落雷の場合はせいぜい轟音を伴う程度だが、グリーンウッドの術式ライトニング・ドライブは周囲の空気を瞬時に加熱してその膨張による衝撃波を発生させる。発生した衝撃波は容赦無く大空洞を蹂躙し、周囲の壁に亀裂を走らせた。

 片脚が無くなったために巧く起き上がれずにいるアモンに向かって、アルカードが地面を蹴る――こちらは魔術の火力を持たないからだろう、彼はじたばたと暴れるアモンの尻尾が巻き上げる熔岩を躱しながら、滑る様な滑らかな動きで間合いを詰めてその巨体の鼻先へと殺到した。

 そのまま引き抜いた銃をアモンの頭部に突き立てる――というのは文字どおりの意味だが。眼球を突き破りながら眼窩に銃口を捩じ込まれて、アモンが凄絶な絶叫をあげた。

 同時に、発砲――否、あるいは触れたものを炎上させるほどの高熱を帯びたアモンの体に突き立てられたことで、熱伝導によって火薬が自然発火したのかもしれない。

 着弾の衝撃で眼球が破裂し、白っぽい肉片が周囲に散らばる――激痛に身をよじるアモンの鼻先から逃れて、アルカードがいったん後方へと跳躍した。

 そしてそれよりも早く、アモンが尻尾を振り回す――それ自体は苦し紛れのものだったのだろうが、ちょうど跳躍の最中で空中にいたアルカードはうまく躱せずにその打擲をまともに受けて跳ね飛ばされた。空中で棚の上から飛び降りた猫の様に体をひねって壁に着地し、そのまま地面まで落ちてくる。

 アモンの攻撃とグリーンウッドの魔術、いずれの影響も受けずに熔け残った地面へとアルカードが着地した。地面の発する熱気によって姿を陽炎の様に揺らしながら、金髪の魔人がその場で立ち上がる。魔具以外の装備がすべて普通の武器であるのと同様、甲冑も特別あつらえなだけでなんの変哲も無い金属素材で出来ているのだろう――運動性を確保するために蛇腹の様な構造になった特徴的な胴甲冑キュイラスが無慙に変形して、内臓にダメージを受けたのか口の端から血が伝い落ちていた。

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