In the Flames of the Purgatory 67

「先行する。底の空気の組成を確認して、必要なら作り変えておくから、少し時間をおいて降りてこい――セアラを頼む」

 そう言って、グリーンウッドは重力制御を解除した――そのまま自由落下に近い速度で穴の奥底に落下していく。

 生身の人間であるセアラを任せられる相手がいれば、彼ひとりでならどんな危険な状況に身を投じても問題無い――――取り込んだ鬼神や魔神の能力を使って物質構造に干渉し作り変えることの出来るグリーンウッドは有害物質に接触しても瞬時に無害化出来るため、自分ひとりであれば有毒ガスの中だろうが酸の中だろうが関係無いのだ。

「しかし、あとどれくらいあるんだろうな」

 上体をちょっと傾けて穴の底を覗き込みながら、アルカードがそうぼやく。セアラは抱きかかえられたままもぞもぞと体を動かして、腰につけたポーチから『眼』を取り出した。

 仮面とも貴族どもが好んで使う視力補正器具――眼鏡ともつかぬ外観の物体だ。顔の右半分を完全に覆う造りのもので、ちょうどそれを顔に装着したときに右目の正面にくる様に、表側にレンズが配置されている。

 魔術の技術というよりは科学に近い技術で作り出された道具だが、まあ突き詰めれば科学も魔術も似た様なものだ。

 正直に言ってしまえば蒸れるから嫌いなのだが、セアラはこの際気にせずに『眼』を顔にあてがった。スイッチを入れると、伸縮式の望遠眼鏡の様に前後に伸縮する造りになった対物レンズが小さな音を立て、仮面状の『眼』でふさがれた右目の視界が光源を増幅して構成された緑色の視界に置き換わった。

 『眼』は光源増幅式暗視装置とアクティブ/パッシブ赤外線暗視装置、集音マイクとレーザー反射式測距儀を兼ねたものだ――耳のあたりにある小さなボタンを二、三度押し込むと、レーザー反射式測距儀が起動した。

 視界の中心にある小さな十字を計測したい方向に向けると、その方向に赤外線レーザーを照射してその反射光を受けて距離を測る仕組みになっている。この場合は具体的になにまでの距離というわけではないが、穴の底に当たればレーザーが反射してくるから、底までの距離を測れるはずだ。

「あと百五十ヤードくらい、ですね――光源が無いから見えないみたいですけど……あ」

「どうし――」 尋ねかけて、アルカードも言葉を切った――穴の底のほうに光が射すのが見えたからだ。

「奴が底にたどり着いたのかな――底に扉でもあるのかね?」

「たぶん――」 答えかけたとき、いきなり穴の底がまばゆく輝いた。激光は一瞬で消えて失せ、縦穴の底が何事も無かったかの様に再び暗闇に沈む。

「……今のは?」

「たぶん毒性のあるガスを分解して、無害な気体に作り替えたんだと思います」

 顔から『眼』を引き剥がしながら、セアラはそう答えた――今の閃光で光源増幅装置が一時的に潰れてしまい、暗視装置としての用を為さなくなっている。破壊されることは無いが、機能を回復するにはしばらくかかる。

「つまり、もう安全だってことか」 納得した様にそう返事を返してから、アルカードはそれまで少し緩めていたセアラの腰を抱く腕に力を込めた。強く抱き寄せられるのと同時に、いきなり浮遊感が押し寄せてくる。

 それまで足場にしていた鞘の上から足を踏みはずして軽く跳躍すると同時に手にした漆黒の曲刀を適当に投げ棄て、空いた右手で壁に深々と突き刺さっていた鞘を引き抜いて、自由落下を始めたのだ――危うく『眼』を取り落としそうになりながら、セアラはアルカードの首に腕を回してしがみついた。

 だがその浮遊感も一瞬のことで、次の瞬間には落下速度が極端に遅くなった――吸血鬼が身につけた仮想制御装置エミュレーティングデバイスに魔力を流し込んで、落下制御フォーリング・コントロールの魔術を再び起動させたのだ。

 アルカードは鞘をセアラを抱く左手に持ち替えて投棄した漆黒の曲刀を右手に再構築し、襲撃を警戒しているのか周囲に神経質な視線を走らせているものの――それ以降襲撃の気配は無く、ふたりは無事に縦穴の底にたどり着いた。

 縦穴の底には、まっぷたつに割れた円盤があった――円盤といってもお盆程度の可愛いものではなく、縦穴の直径よりひとまわり小さい程度の巨大なもので、全体には球を水平に割った様な形状をしている。

 どうも巨大な岩塊を水平に割って断面を均したものらしく、それが床との激突の衝撃によるものか無残に割れている。ふたつに割れた岩塊の断面からは、巨大な白亜色の石塊が剥き出しになっていた。表面は無数の魔術文字が刻み込まれているが、石塊自体も損傷してすでに機能を停止している様に見える。

 これがおそらく、この縦穴の昇降装置だ――おそらくあの石塊と壁の石板が極性の異なる強力な電磁場を形成して、その反発で昇降するのだろう。岩塊の下になって見えないが、床には浮力の維持と初期加速用の電磁場を発生する石塊があるはずだ。

 斜めになった岩塊の上面を舗装する石板の上に降り立って、アルカードが適当に肩をすくめる。

「なるほど、これじゃ動かんわな」 彼の感想は、それだけだった――彼はあっさりとそれまで抱いていたセアラの体を離し、斜面を滑り降りる様にして穴の底に降りた。

 彼に続いて穴の底に降りると、床が石材で舗装されているのがわかった。おそらくこの岩塊は本来地面に接する事無く常に浮遊しているのだろう――装置の上に昇るための簡易な階段の痕跡がある。ふたつに割れて傾いた岩塊に押し潰されて、見る影も無くなっているが。

 周囲を見回すと、半ば開いた扉の隙間から光が漏れているのが視界に入ってくる。吸血鬼もセアラと同じタイミングで気づいたらしく、そちらに向かって歩き出した。

 

   †

 

「それにしても――」 半開きになった扉のほうに向かいかけたところで、アルカードはふと気づいて口を開いた。

「あの甲虫どもの死体が無いな」 いったん足を止めて、振り返る――そこらじゅうに酸で溶けた様なくぼみが出来ているから、さっき上のほうで次から次へと叩き落とした悪魔どもの体の破片や内臓が縦穴の底まで落下してきていたのは間違い無い。にもかかわらず、その溶けたくぼみの底に悪魔どもの酸性血液や内臓、手足の破片といった屍の痕跡は残っていなかった。

 セアラはすぐには返事をせずに周囲を見回してから、

「言われてみて気づいたんですけど、周囲の精霊の密度がかなり薄くなってきてます」

「ん?」 セアラの返事と自分の言葉との関連がわからずに、アルカードは軽く首をかしげてそう返した。

「彼らは魔力が弱すぎて、魔力密度の薄い環境下では自力で肉体を維持出来ません。上位の悪魔は魔力の薄い環境で死んでも肉体が残るんですけど、下級悪魔はそうはならない――いえ、生きていることさえ出来ません。空気の無い場所に放り出された人間の様なものです。自身の体内に取り込んで魔力の補強に使える大気魔力が無ければ、下級悪魔は受肉はおろか存在維持さえ出来ません。死体も同じです。周囲の魔力密度が極端に稀薄になれば、死体に残っていた霊子が消失して肉体もほつれて消滅することになるでしょう。それが今起こったということだと思います」

 先ほどまでの子供っぽい口調は引っ込めて、少女はそう答えてきた。その言葉の端に滲んだ危機感を敏感に察知して、アルカードはセアラに声をかけた。

「なにか問題があるのか」

「グリーンウッド家が誇る精霊魔術は、基本的に周囲から取り込んだ魔力と周囲の精霊の反応によって望む事象を起こしています。出力設定が一定でも、実際の出力は大気中の精霊の密度の影響を受けるんです。これだけ魔力密度が薄いと、出力がかなり低下すると思います」

 半分も理解出来ない内容ではあったが、その言葉の意味するところは明白だった――否、その言葉に対していだくべき疑問は、というべきか。

 さっきまでモヤシかカイワレの成長を早回しにしたかの様ににょきにょきうじゃうじゃ湧いてきていた悪魔の群れは、つまり彼女の言う通りであれば大気魔力の密度の高い空間でなければ肉体を維持出来ない――ついさっきまでは十分な魔力が大気中に充実していたのに、今ではすっからかんになっているのだ。

 そんな事態が、どうして起こっているのか。

 周囲の魔力が枯渇しているのが原因なのか、アルカードもなんとなく気分が悪い――力が落ちたりといったことは無いのだが、ただひとつ聞き棄てならないことがあった。

 先ほどセアラが言った内容――出力設定が一定でも、実際の出力は大気中の精霊の密度の影響を受けると、彼女はそう言った。それはつまり――

「おまえたちの使う魔術の威力が低下する――と?」

 彼女はこう言った。出力設定が同じでも魔術の出力が変わる、つまり魔術師の魔術の破壊力が低下するということも示唆している。

 その不利点がどんな形で顕在化するのかは、アルカードにはわからない――魔術そのものの持続時間? たとえば炎ならその温度の様な直接的な破壊力? それとも射程距離?

 そのいずれであれ、すなわち戦闘能力そのものが低下するということだ。

「そうなる原因に心当たりは?」

 

   †

 

「そうなる原因に心当たりは?」

 そう聞かれて、セアラはかぶりを振った――もしグリーンウッドの言う通りに既にそこそこの上級悪魔が顕現出来るほどの『門』が形成されるほどの精霊が集まっているのなら、周囲は『点』から漏れてきた精霊で魔力であふれかえっているはずだ。

 上位の霊体は下級悪魔と違って、『門』を抜けさえすればあとは自分の魔力と十分な量の周囲の物質だけで肉体を構築出来る。

 無属性の魔力である精霊は上級悪魔が取り込んで力の足しにするにはむしろ損耗ロスが多く――取り込んだ魔力を力に転化することは一応出来るのだが、損失九割というところだ――、さらに無属性の魔力に堕性を帯びさせる変換に時間もかかるため、なんらかの理由で相当消耗しない限り試みることは無いはずだ。

「わかりません。ただ、ありうるとしたら『入城』が――」 言いかけたところで、セアラはいったん言葉を切った。

「急ぎましょう。上級悪魔が抜けてきたなら、事態は思ったより深刻です」 実際のところ、小規模な『門』であれば放置しておいても問題にはならない――というのは、この島が無人島であるからだ。

 近くの港で船を調達しようとしたとき、港の船乗りはこの島には悪魔が出るという言い伝えがあるといって乗船依頼をそろって断ってきた――実際にそれは間違っていないのだが、そういう理由で周辺の船乗りはまずこの島に近づかない。たとえ地上まで出られたとしても、せいぜいその程度だ。この島から海を渡って大陸にまで到達することは無いだろう。

 さらにもともとは人里であったこの島の住民は死亡するか、グリーンウッド家の異端のキメラ研究者、ウォード・グリーンウッドの実験台として使われてしまい、すでにまともな形で生きている人間はこの島にはいないだろう――この島に今いる悪魔の魔力源になりそうなものはセアラとグリーンウッド、それにこの真祖。まっとうな人間なのはそのうちひとりだけだが、グリーンウッドと吸血鬼は高純度の魔力を大量に保有しており、だから下級悪魔たちは彼らを襲ってきていたのだ。

 逆に言えば、彼らは魔力を奪うあての無い環境では存在を維持出来ない――したがって、人も動物もほとんどいないこの島では、たとえこちら側に出てこられたとしても影響は無いはずだ。『門』の周辺から離れられず、魔力密度の高い範囲から一歩でも出ようものなら即衰弱が始まる。だが高位悪魔となるとそうではない。

 彼らは精霊エサが無くてもこちら側の『層』で存在を維持出来るし、『入城』を試みることも出来る。

 足を早めて扉を開けたところで、セアラは再び足を止めた。

「これは、これは」 後から入ってきたアルカードが、声に皮肉げな調子を込めて苦笑を漏らす。

 扉を抜けた先は、だだっ広い円形の空間だった――土壁とも遺跡の上層部ともがらりと雰囲気の変わった広間は黒々とした鉱物とも金属ともつかぬおかしな石材で造られており、床に壁にも天井にも表面に微細な溝が走っている。そしてその溝の中を、まるで信号を伝えるかの様に様々に色相を変える光が明滅しながら伝っていた。

 信号を伝える様に――否、信号を伝えているのだ。

 そしてその円形の壁に、無数の人間の顔が貼りついていた――いずれも毛髪は抜け落ち頬は痩せこけ、膚は色を失い、性別も判別しづらい有様で、そのせいで作りものかとも思ったが、そうではない。

 人面瘡の様にも見えるそれらは白目を剥きながら気でも触れた様に叫び声をあげたり、あるいは薬物中毒でも起こしたかの様に口の端から涎を垂れ流してうつろな瞳で虚空を見上げている。

 人間の脳を魔術装置の演算領域や記憶領域として使用する、外法の技術だ――人間を魔術装置に組み込むと魔術装置がその人間の生理機能の調節と脳の初期化を行い、最大で百年前後の間記憶領域や演算領域の補助として運用することが出来る。

 逆に言えば、百年そこそこしか持たないわけだが――おそらくあの人間たちはウォード・グリーンウッドが組み込んだものだろう。

 ウォード・グリーンウッドがこの遺跡に腰を落ち着けるまでの間もこの遺跡は稼働し続けていたのだろうから、遺跡の中枢演算処理装置そのものの動作環境は本来の一部に人間を必要としないはずだ。いったん情報処理装置に記憶されているデータがすべて失われたら復旧は不可能だから、この装置に使われている本来の記憶装置は人間の脳などではない――ファイヤースパウンの調査が正確であれば、この遺跡はウォード・グリーンウッドが確保するまで丸々三百年放置されていたはずだ。

 記憶装置に記録されていた術式が人間の脳に記憶されていたなら、この遺跡は記録媒体に使われていた人間たちが軒並み全滅して二百年前までに機能を停止しているだろう――おそらく彼らは、この遺跡にやってきたウォード・グリーンウッドによって魔術装置の機能を補うために装置に組み込まれたのだ。もともとこの島で普通に暮らしていた人々にとっては、いい迷惑だと言わざるをえまい。

 そして分厚く堆積した埃に覆われただだっ広い部屋の中央には、床や壁、天井と似た質感の円柱が立っている――円柱は三段階に太さが変わり、基部はもっとも太く、二段目でいったんテーパー状に先細りになってから、上部は再びまっすぐな円柱状になっていて、その表面に走った溝を目まぐるしく色相を変える光が走っていた。

 基部の近くに設置された操作盤コントロールパネルを見下ろして、グリーンウッドがたたずんでいる――その様子を見ながら、吸血鬼がセアラに声をかけてきた。

「あれは? キメラどもの調製槽のあった部屋にも似た様なのがあったが」

「術者が直接起動するには術式の規模が大きすぎたり、昼夜関係無く完全に連続して制御する必要のある術式を制御するための、一種の演算装置です――『門』の開口状態を監視管制したり、この設備の機能すべてを管制管理するためのものだと思います。たまに自分の脳と装置を通信回線で接続して、人間では到底制御不可能なほどの大魔術を操る術者もいるんですけど」

 見上げると、アルカードは暖かくなってきた時期の溶けかけた雪だるまみたいな顔をしていた――さっぱり理解出来ないらしい。

 あれだけ強力なエレメンタル・フェノメノンを起こせるあたり、魔術師としての素養は相当なものなのだが――まあ、素養はともかく魔術師としての修練を一切積んでいないのだから無理も無い。魔術というのはとにかく筋道だった文章を書く能力が不可欠になるし、ある程度の物理法則に対する知識も必須になる。一般人とそう変わらない程度の知識しか無いこの吸血鬼にとっては、いきなり五世紀は進んだ学問を突きつけられたも同然だろう――アルカードはセアラの話した内容は頭から締め出すことにしたらしく、グリーンウッドのかたわらに近づいていった。

 グリーンウッドがそれを振り返り、

「精霊の密度低下は気づいているか」 その質問がセアラと吸血鬼、どちらに向けられたものはかは判然としなかったが――グリーンウッドはこちらの反応を待たずに続けてきた。

「『門』の周囲に大量の精霊が集中している。『入城』だ――向こう側に相当存在規模の大きな悪魔が控えている様だな」

「『入城』?」

 アルカードの質問に、グリーンウッドがそちらに視線を向ける。

「本来、『点』から噴き出した精霊はそのまま周囲に広がっていく――石畳で舗装された地面の上にバケツの水を撒くと、薄く広がっていくのと同じだ。だから『点』の周囲の魔力密度が上がって『門』が形成される、あるいは形成された『門』が広がってゆくのには時間がかかる――だが高位の霊体はすでに開口している小規模の『門』から『点』に影響を及ぼし、散逸していく精霊を『点』の周囲に引き寄せることで、擬似的に『点』の周囲の魔力密度を引き上げることが出来る。バケツの水を地面にぶちまける前に、撒こうとしている場所に金盥を置く様なものだ――そうすることで『点』の規模に見合わない大きな『門』を開いたり、『門』が広がっていくペースを上げる。それを『入城』と呼ぶんだ」 魔術師が『点』の周囲に結界を張って、精霊の散逸を防ぐ行為もそう呼ぶんだが――グリーンウッドがそう続ける。

「で?」 それでどうする?とアルカードが尋ねると、グリーンウッドはかぶりを振った。

「とりあえずはこれを壊してしまおう」 そう言って、手元の操作盤コントロールパネルから手を離す――彼はそのまま塔の様な形をした魔術装置の基部に歩み寄り、右足を引いて身構え、そろえて伸ばした左手の指先を軽く魔術装置の筺体に触れさせた。

 そのまま少し重心を落とし――同時にグリーンウッドの左腕が膨張する。左手を覆っていた黒い革手袋が縫い目から裂け、その中にあった左手が膨張しながら銀色に鈍く輝く金属質の装甲に覆われてゆく。内圧に耐えかねて羽織った上衣の袖も破れはじめ、その下から鈍く輝く刃状の突起が伸びる。

 別にグリーンウッドが怪物だというわけではない――の肉体の構造や物質構成は、生身の人間となにも変わらない。ただ、必要に応じて体内に取り込んだ鬼神や魔神の体の構造を模倣することが出来るのだ――たとえば眼球を置き変えて暗視能力を一時的に獲得したり、今やっている様に腕だけを取り込んだ悪魔のものに置換したり。

 最終的には、彼の左腕全体が肘の部分に刃状の突起を備えた金属質の装甲に覆われた異形の腕へと置き換わっている――短い鈎爪の様な形状になった指先が滑らかに魔術装置の表面に喰い込み、魔術師が口元をゆがめて笑った。

――Syaayaaaaaaaaaaa――ッシャァァィヤァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮をあげて――魔神の肉体を顕現させた魔術師が、装置の筺体に短いストロークで拳を撃ち込む。

 拳打の衝突の瞬間強固な筺体に亀裂が走り、柱状の魔術装置が根元からへし折られて、巨大な構造物が地響きとともに倒れ込んだ――崩壊した円柱の大小の破片が次々と床の上に落下して、ドスンドスンと鈍い音を立てる。

 ろくすっぽ掃除もされていなかったために堆積していた分厚い埃が装置の残骸に巻き上げられて、セアラたちのほうにも押し寄せてきた。頭上から降ってきた細かな破片が髪に絡んだのかわずらわしげに舌打ちして、吸血鬼が飛んできた破片を蛾かなにかの様に手で叩き落とす。

「さあ、行くぞ」 グリーンウッドが振り返って、そう告げる――混濁した魔神の肉体と『混じって』いた左腕はすでに人間のそれに戻り、ずたずたに裂けた手袋と袖は何事も無かったかの様に修復されていた。

 埃に軽く咳き込みながらグリーンウッドの視線を追うと、ちょうど装置の残骸を挟んで反対側に扉が見えた――先ほどから細かく伝わってきている微振動は、おそらく魔術装置の破壊の残響ではない。通れるか通れないかのぎりぎりのところまで広がった『門』を無理矢理に通り抜けようと、向こう側にいる悪魔が暴れているのだ。

「それを壊してももう手遅れか」 横倒しに倒れた衝撃でぼっきりふたつに折れた魔術装置の円柱を見遣って、アルカードがそんなことを口にする。グリーンウッドは適当にかぶりを振り、

「残念ながら、もう遅い――すでにこちら側に影響を与え始めているからな」

「結構――なら穴の中から顔を出した土竜もぐらの様に顔を叩いて引っ込んでもらうとしよう」

 アルカードがそう言って、奥の扉に向かって歩き始めた。

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