In the Flames of the Purgatory 66

 次の瞬間には、アルカードは落下するセアラのすぐそばで人間態に戻っていた――左手を伸ばしてセアラの腕を掴んで引き寄せながら、同時に指輪の形状に偽装した仮想制御装置エミュレーティングデバイスに魔力を流し込む。

 構築された術式に魔力を吸い上げられるときの首筋をくすぐられる様な掻痒感とともに、構築された術式が発動し――落下制御フォーリング・コントロールの魔術に囚われて、ふたりの落下速度がさらに遅くなる。落下の勢いが殺されて、落下自体は止まらないものの緩い坂を徒歩で降りているとき程度の速度になった。

「あ、きゅ、吸血鬼?」 自分が横抱きに抱きかかえられているのに気づいて、セアラが焦って声をあげる。感心なことに、預けていた鞘は持ったままだった。

「暴れるな。落ちるぞ」 暴れるセアラにそう声をかけてから、頭上を見上げる――グリーンウッドの作った光球はかなり遠くに見えた――といっても、それほど離れている様にも思えなかったが。

 とりあえず首をひねって下を見下ろし――いまだに底が見えないほどの高さにいることを自覚してか、セアラがあわててこちらの首にしがみつく。

「ふ、浮遊落下の魔術ですか?」

「ただの仮想制御装置エミュレーティングデバイスだ――指輪に偽装した、な。さっきのカブトムシどもに手甲と一緒に溶かされずに済んだのは僥倖だった」 そう答えて、アルカードは周囲の壁に視線を向けた。一応高感度視界スターライトビューなら周囲の環境をある程度は把握出来る、が――

「おい、ちんちくりん」

「セアラです!」

 目を吊り上げて大声を出すセアラに、アルカードは大仰に溜め息をついて、

「じゃあちんちくりん」

「変わってません!」

「――否、いいからとにかく明かりを作ってくれ。俺の仮想制御装置エミュレーティングデバイスは一度にひとつの術式しか起動出来ないんだよ」

「それはたいていの仮想制御装置エミュレーティングデバイスがそうですけど――」 さらりと怒声を流されたことに不満そうに頬をふくらませながら――そういうところがまた子供っぽく見えるのだが――そう答えて、セアラは預かった鋼鉄の鞘を胸元に抱いたまま軽く掌を打ち合わせた。ゆっくりと離した両掌の間にまばゆい光球が現れて、セアラがそれを投げ上げる様な動作に合わせて頭上に一定の距離を離して静止する。

 明るく照らし出されて視界が開け、相変わらず一定の間隔を置いて配置された石板が目の前を下から上にゆっくりと流れていった。

 再び頭上を見上げて、グリーンウッドの様子を窺う――さらに追加で悪魔が出現しているのか、頭上で爆音が轟いてきていた。願わくばちぎれた手足や内臓、あと血液や体液がこっちの頭上に降ってこないことを願いたいものだが。

「――おい、ちんちくりん。ちょっと体勢を変えるぞ」

 え?と声をあげてこちらに視線を向けるセアラから視線をはずし、アルカードはセアラの脚を支えていた右手を降ろした。当然下半身の支えを失ったセアラが、あわててこちらの首に腕を回してしがみついてくる――彼女の腰のあたりに手をかけて強く引きつけたのに気づいて、セアラが顔を真っ赤にしながら状況を誤魔化す様に叫び声をあげた。

「吸血鬼、いったいなんのつもり――」

「――抗議はあとで聞くから、とりあえずは俺にしがみついて黙っててくれ」 少女の体勢が崩れた拍子に胸元から滑り落ちた鞘を爪先で跳ね上げ、それを右手で掴み止めて、アルカードはそう返事をした。

「――なにしろ俺たちは今、殺されかかってるんだからな」 その言葉とともに――アルカードは仮想制御装置エミュレーティングデバイスへの魔力供給を打ち切って落下制御フォーリング・コントロールを解除した。

「え? きゃぁぁぁぁ!?」 彼の言葉の意味を理解するより早く落下制御フォーリング・コントロールを解除され、腕の中でセアラの悲鳴があがる――アルカードの仮想制御装置エミュレーティングデバイスによる落下制御フォーリング・コントロールが解除されたことで、自由落下を再開したのだ。セアラの魔術の効果が残っているかどうかはわからないが、セアラ本人だけでも落下速度を殺しきれていなかったところにアルカードの体重まで加わっては効果など望むべくもないだろう。

 同時に壁からにゅっと上半身だけを生やした悪魔が突き出した鈎爪が、それまでアルカードの頭があった空間を貫通する。彼らは下半身を地中に固定することが出来るために、間合いに限界はあるものの比較的安定した状態で攻撃を繰り出せるのだ――比較的壁に近い位置を落下していたので、腕の長さがほぼ体長と同程度の彼らは壁から完全に這い出さないままでも攻撃を届かせられるのだろう。

 自由落下に移ったふたりを待ち受けるかの様に下方で上半身だけを壁から飛び出させた悪魔の、その顔面にアルカードは着地した――首の骨でも折れたのかみしみしという感触が伝わってくるのを無視して、そのまま跳躍する。

 次から次へと壁からにょきにょき生えてきた悪魔の群れを無視して、アルカードは虚空に身を躍らせた。壁から上半身だけを突き出した悪魔の一体のその背中に着地して、口元をゆがめ――

 ひゅかっという軽い感触とともに胴体を鋼線で締め上げられ、腰元から上下に分断された悪魔の体がぐったりと弛緩する――体重を預けた上半身もろとも落下し始めた時点で、左腕に抱きかかえた少女の口から悲鳴があがった。

 それを無視して、上体をのけぞらせる――その挙動に遅れること一瞬、眼前の壁から二本の腕がにゅっと生え出してきた。どういう方法で以てそれを実現しているのか知らないが、壁の中に潜行していた悪魔が壁の中から直接鈎爪を突き出してきたのだ。

 それを躱しながら、手にした鋼鉄製の鞘の尖端を土壁に突き立てる――壁の中に潜行した状態で攻撃が通じるのかは知らないが、試すだけ試して損にはなるまい。土中に潜行した状態でも攻撃が通じるのなら狙えるだけは狙えばいいし、通じない様ならそれ以降の戦い方に反映させれば済むことだ。少なくとも、無為な選択肢を消すことは出来る。

 攻撃が空振りに終わった悪魔が土中から上体を突き出して、口惜しげに耳障りなわめき声をあげる。腕の位置から頭部の位置の見当をつけて鋼鉄製の鞘を突き込んでみたが、悪魔の頭部にも鞘の尖端にも損傷が見られないところをみると、やはり土中に潜行した状態では攻撃が通じないらしい――アルカードは小さく舌打ちを漏らしてから、それまで足場にしていた悪魔の体の片割れからしたたり落ちる緑色の血を避けるために踏みつけにした悪魔の体を蹴って跳躍した。

 アルカードはちょうど壁から顔を出しかけていた悪魔の顔面を踏んづけ、さらに跳躍――手にした鋼鉄製の鞘を軽く握り直し、それを壁に突き立てる。

 そのまま鞘の上に足場を確保して、アルカードはゆっくりと笑った――新芽作物スプラウトみたいに壁から密生している悪魔の群れというのは、なかなかに気色悪い絵面ではある。

 両手が空いてりゃ、ほかの魔具を使ってまだ遣り様もあるんだが――胸中でつぶやいて、アルカードは腕の中のセアラを見下ろした。

 持ちじゃそうもいかねェか……

 小さく息を吐いて、いったん右拳を握り込んでから握力を緩める。指の隙間からしたたり落ちた血がまるでその形をした器の中に流れ込む様にして曲刀の形状を形成し――次の瞬間一瞬だけ激光を放って漆黒の曲刀へと姿を変える。

 もっとも使い慣れた――騎兵用の長剣の大きさに構築した塵灰滅の剣Asher Dustの柄を感触を確認する様に握り直し、アルカードは口元をゆがめて少しだけ嗤った。

 

   †

 

 襲いかかってきた悪魔二体がぴぅという軽い風斬り音とともに漆黒の曲刀の斬撃の軌道に巻き込まれて手足をバラバラに切断され、そのまま穴の奥底に向かって落下してゆく――片腕では刺突の狙いが定めにくいからか、あるいは攻撃範囲を優先しているのか、吸血鬼は刺突動作はほとんど使わずに斬撃動作で悪魔の群れを捌いている。

 数体の胴を薙ぎ払い、そのまま返す一撃で首を刎ね飛ばす。

 片腕でセアラを抱きかかえ、さらに横に寝かせて壁に突き刺した鞘の上という不安定極まりない足場の上にもかかわらず、この男の剣の扱いは完璧だった。ろくすっぽ武器など握ったことの無いセアラにもはっきりわかるほどに、この男は武芸に長けている――ほぼ例外無く元は人間であるという来歴を持つ以上、吸血鬼の戦闘というのはもともとの体格・体力・技術等によって戦い方ががらりと変わる。

 同じロイヤルクラシックであってさえ、もともとの資質によって運動能力には天と地ほどの差があるのだ。

 そしてこの男は――この男は間違い無く、百戦錬磨の武芸者だ。

 しぃっ――

 歯の間から息を吐き出しながら、アルカードが三体同時に飛びかかってきた悪魔どもに向かって片手で刺突を繰り出した――のだろう、たぶん。

 いずれも正確に頭部を捉えたのか、眼の無い悪魔たちの額から緑色の体液がぱっと舞う。アルカードは三撃目の刺突を引き戻しながら足場にしている魔具の刃の上で軽やかに一回転、回転動作の勢いを乗せて繰り出した一撃で三体の悪魔と、ついでにもう一体の体を薙ぎ払った。

 いずれもセアラの体を抱いたままで行っているために、はたから見れば剣を携え女を抱いて剣舞ダンスでも踊っている様に見えるだろう――小柄とはいえ人ひとりぶんの体重をかかえ込んだままで、よくもここまで身軽に振る舞えるものだ。

 振り払われた悪魔の体が壁に叩きつけられ、土が剥き出しになった壁に附着した体液が異臭とともに壁を溶解させてゆく。

 手にした曲刀を軽く振り抜いて鋒に附着した体液を軽い風斬り音とともに振り払い、アルカードが周囲を見回した。

「まだ出てくるのかよ――モヤシかカイワレのたぐいか、てめぇらは」 東洋で食されている新芽作物スプラウトの名を挙げてそうぼやき、アルカードは相変わらずにょきにょき壁から生えてくる悪魔の群れにうんざりと溜め息をついた。

「なあ、ちんちくりん――こいつら塩でも撒いたら生えてこなくなるのか?」 げんなりした口調で、アルカードがそう愚痴る。アルカードのめまぐるしい動きで目を回しかけていたセアラは、意識をはっきりさせるために一度かぶりを振ってから、

「畑の麦じゃないんですから」

「だよなぁ」 大袈裟に溜め息をついて、アルカードががっくりと肩を落とす。

「そもそも一定数を殺しきれば、それで止まるってたぐいのもんでもないんだよな? 家の壁に開いた穴から次々入り込んでくるネズミみたいなもので」

「そうですね――開いた『門』を通り抜けられる程度の存在規模の悪魔が、次々と通り抜けてきてるんです」

 悪魔の強さ――個体ごとの身体的な能力や魔力強度といったものをひっくるめた総合的な強さをその悪魔の存在規模という表現をするのだが、『門』はその大きさによって通過可能な存在規模の限度が変わってくる。

 人間の場合は体格が似通っていても体力や身体能力に差があるが、霊体の場合は強い個体は単純にのだ――だから存在規模は大小で表現する。

 倉庫の壁に開いた穴に鼠は容易く入り込めるが、熊は無理だとでも言えばわかりやすいだろうか――『門』の規模がそこまで大きくなっていないからだろう、下級な霊体が『門』の周囲にわだかまった精霊ミスト・ルーンを使って受肉マテリアライズしているのだ。

 逆の言い方をすれば、彼らは周囲に十分な密度の精霊が蓄積していなければ肉体の維持もままならない程度の力しか無いということだ。もしも今この状況で周囲の精霊の密度が急激に低下すれば、彼らは『門』まで引き返して元いた世界に逃げ込むことすら出来ないまま肉体の受肉がほつれ、残った霊体も存在を維持出来ずに崩れて消滅してしまうだろう。

 無論、それは彼らが精霊が十分な濃度で存在する範囲内から出た場合も同じことで――物質世界では純粋な霊体は存在し続けるだけで消耗するから、放っておいてもいずれ消滅してしまう。精霊の密度が高い『点』の周囲にとどまるか、その範囲から外に出るなら完全に力尽きる前に再度『点』の周囲に引き返さない限り、じきに消滅することになるだろう。

 それを防ぐためには、周囲の生物を襲うなどして魔力を奪い続けなければならない――だがこの島には、すでに人里は存在しない。捕食対象となる生物がいないから、『門』から出てきた下級悪魔リッサー・ディーモンたちは『門』のそばから離れられないだろう――『門』から離れたが最後魔力を補給するための捕食対象がいないこの島では生きていけないし、海を渡ってほかの人里のある島や大陸に上陸するほどの余力はあるまい。

 言い方を変えるなら、今の時点ではこの地下遺跡の『点』は安全なのだとも言える――少なくとも現時点では、この地下遺跡の外に悪魔があふれ出すことは無いからだ。

 だが、『門』の大きさが今よりも広がればその限りではない。

 特に魔力の拡散を防ぐための仕組みが組まれていない場合、地表に形成された『点』は噴き出した魔力を周囲に撒き散らしていく――だが『点』の周囲が土や岩などの鉱物で構成された壁で閉塞されていた場合、噴出した精霊はそれらに閉じ込められてどんどん高密度になってゆく。

 内出血の様に地下で噴出した『点』は噴き出すことが出来ずにどんどん蓄積し――だから、『点』の規模に対して不相応な大きさの『門』が出来ることがある。

 そして、『門』は今も成長を続けているのだ――湧き出る泉の様に噴出する大気魔力を喰らいながら。

 今はありていに言えば『門』が徐々に大きくなっている段階で、徐々に広がりつつ穴の前で通り抜けられずに地団太を踏む高位悪魔クマを尻目に下級悪魔ネズミが次々と通り抜けてきている状態なのだ。

 ふむ、とアルカードが首をかしげる。

「じゃあ、その『門』をふさぐまで止める方法は無いってことだな」

「はい」

 じゃあ、ここでこいつらの相手をしていても時間の無駄ってことになるが――そんなつぶやきを漏らして、アルカードが小さく溜め息をつく。

 問題はここにいる悪魔たちを無視して進んでも、追ってきた悪魔とさらに出てくる悪魔の群れで挟撃を受けることになるということだ。

 かといってあとからあとから際限無くいてくるなら、それを片端から殲滅しながら進んでもその進行は遅々としたものになるだろう。

 アルカードひとりだけなら、霧に姿を変えて悪魔を無視して奥まで進むことも出来るのだろうが――

 今まさにこちらに飛びかからんとしていた悪魔たちが、突然動きを止めた。グルグルとうなり声をあげながらも、再び壁の中に沈み込んでいく。

「……なんだ?」

「さぁ……」

 アルカードの言葉に答えもわからぬままそう生返事を返したとき、視界の端に黒いものが降ってきた。

「――無事だったか」

 全身に青白い電光を纏わりつかせたセイルディア・グリーンウッドは、平然と空中に浮いたままそう言ってきた――おそらく自身の質量にかかる重力を操作して浮遊しているのだろう、時折周囲の光景が陽炎の様にゆがんで見える。

 グリーンウッドがもっとも得手とするのは重力制御と電圧操作だ――いずれも細かい制御が必要になるだけでなく扱うのに大容量の魔力が必要になるために精霊魔術の中ではもっとも難しい部類に入るのだが、この男は極めて高い技量と取り込んだ魔神由来の高位霊体五十数体ぶんの莫大な魔力容量に物を言わせて、苦も無くそれをやってのける。

「魔術師――なにかあったのか? あの甲虫ども、いきなりいなくなったが」

「知らん」 グリーンウッドは即答してから、

「俺にもよくわからん。だが、『門』の規模がかなり大きくなっている様だ――下級の霊体どもが、這い出してきた上位の霊体の支配下に入ったのかもしれん」 穴の底に視線を向けてそう答えてから、グリーンウッドはアルカードに視線を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る