In the Flames of the Purgatory 65

 

   †

 

 見る間に腐蝕しながら、アルカードが放棄した甲冑の手甲が縦穴の底に落ちてゆく。

 吸血鬼の反撃で警戒を強めてか、下級悪魔どもは壁にへばりついたままじりじりと距離を詰めてきている――当のアルカードはというと、悪魔の体液がついても腐蝕する様子の無い黒い曲刀を手に、油断無く悪魔の動きを観察している。表情から察するに、魔具以外を用いる攻撃手段はなるべく選択肢からはずすことを決めた様だった――使った武器が片端から溶けてしまう様では、消耗戦だと割り切っても効率が悪すぎる。

「おい、吸血鬼――」

 グリーンウッドが声をかける前に、吸血鬼が動いた――縦割りにされた木杭を壁に打ち込んだステップを駆け登って鹿の頭の剥製の様に壁から上半身を生やしたままの悪魔に殺到し、一撃でその首を斬り落とす。

 斜めに斬られた断面を滑り落ちる様にしてずり落ちた首がそのまま縦穴の底に向かって落ちていき、長く伸びた後頭部の切れ端がだらんと弛緩した悪魔の背中に生えた無数の棘――体温が過剰に上昇した際に放熱を行うための放熱フィンの様にも見えたが――に引っ掛かって止まった。

 背中の装甲外殻を伝って流れ落ちた体液がぽたりぽたりとステップ上にしたたり落ち、木製のステップが煙とともに溶けてゆく。

 背筋の寒くなる様な笑みに吊り上がった口の端から吐き出した呼気が、吸血鬼の横顔を陽炎でゆがめる――ロイヤルクラシックは体内の余剰熱を重金属や過酸化脂質といった老廃物と一緒に呼気に乗せて排出する器官を肺の内部に備えており、これによって体内の過度の温度上昇と酸化を抑えて行動能力を長く維持出来る。呼気はかなりの高温になっており、気温など周囲の環境によっては陽炎が立ち昇って見えることがあるのだ。

 ぎしゃああああああ――耳障りな叫び声とともに、別の悪魔が背後からアルカードに向かって飛びかかった。器用に壁にへばりついたまま這い寄る様にして接近する悪魔に向かって、アルカードが転身しながら上体をひねり込んで、遠間の間合いから猿臂を繰り出す様な動きを見せる――無論その位置から肘など繰り出したところで、どうあっても当たりはしない。

 だが――吸血鬼が繰り出したのは、その肘撃ちの軌道を一瞬遅れてなぞる様にして振り出された、末端に小さな錘の取りつけられた鋼線だった。間合いよりいくらか長く余長を持って振り出された鋼線が悪魔の長く伸びた後頭部に引っ掛かって、そのまま先端の錘の遠心力で細長く伸びた頭部に絡みつく。

 しっ――歯の間から呼気を吐き出し、アルカードが鋼線を保持した腕を振り廻す。振り回された悪魔の体が鋼線に締め上げられ、容赦無く壁から引き剥がされた。

 仲間の悪魔を巻き込みながら何度か壁に叩きつけられた悪魔の外殻に鋼線が喰い込み、切断された外殻から噴き出してきた緑色の血が宙に舞う。

 烏賊や蛸などの下等生物にみられる青緑色の血――銅を主体にした呼吸色素の色とは違う。彼らはもともとこの『層』とは異なる『層』、つまりは異世界の生物だ。

 当然身体構造や構成物質も、そちら側の法則によって成り立っている――彼らの血は緑色だが、烏賊や蛸の様な酸化銅由来の呼吸色素によるものではない。解体してみれば今彼らがいるこちら側の『層』ではまったく不要な器官が見つかったり、不可欠な器官が無かったり、あるいはこちら側の『層』には存在しない物質が見つかったりすることもあるだろう。そもそも生命活動の原理そのものが異なるので、深く気にしたところで仕方が無い。

 それに残念ながら、長々と考えている時間も無い――視界の端で向かい側の壁に張りついていた悪魔が、縦穴を横切る様にして跳躍した。

Aaaaalalalalalalieアァァァァラララララララィッ!」 咆哮とともに――吸血鬼が一度頭上まで振り翳した鋼線(と悪魔)を鞭の様に振るい、飛びかかってきた悪魔に叩きつけた。そのまま鋼線を手放したのか、二体まとめて絡み合う様にして落下していく悪魔たちの悲痛な悲鳴を適当に聞き流し、アルカードは手の中から魔具を消した。

 次の瞬間老若男女数十人分の絶叫の混声合唱とともに、漆黒の曲刀が再び手の中に再構成される――ただし、それまでは順手に握っていたのが、今度は逆手に。

 吸血鬼は手にした曲刀を、腋の下をくぐらせる様にして背後に突き出した――背後から忍び寄っていた悪魔がその鋒に胸部を貫かれ、海老の様に身をのけぞらせて凄絶な絶叫をあげる。アルカードが突き刺したままの長剣を消すと、それまで胸部を貫いてその体を虚空に縫い止めていた支柱が消滅した悪魔は断末魔の絶叫とともに縦穴の奥深くへと落下していった。

 ギ、ギギ、と警戒の声をあげる悪魔の群れを睥睨し、アルカードが鼻で笑う。

「恐怖を感じるのか。虫けら風情が」 嘲弄の言葉を発してから、アルカードはグリーンウッドに視線を向けた。

「だが、どうするよ? 返り血さえ浴びなけりゃどうってこともねえ相手だが、いかんせん数が多すぎる――さっきから雨後の筍みたいにそこらじゅうから生えてきてやがるんだが」

 

   †

 

「だが、どうするよ? 返り血さえ浴びなけりゃどうってこともねえ相手だが、いかんせん数が多すぎる――さっきから雨後の筍みたいにそこらじゅうから生えてきてやがるんだが」 吸血鬼が投げ遣りな視線で示した先で、数体の悪魔が壁からにょきにょき生えてくる。

「ふん」 かたわらのグリーンウッドが、小さく鼻を鳴らす。彼は手近な土壁に指先を這わせ――次の瞬間土壁が金銀の粒子を撒き散らしながらえぐられた様に消滅し、さらに続く瞬間には構築された皇龍砕塵雷がその手の中に収まっていた。

 炭素繊維強化樹脂と金属を複合して造られた兇悪な形状の長剣が、耳障りな低周波音を発し始める――その低周波音がすぐに耳を聾する高周波音へと変わり、その過程で共鳴現象を起こした木杭のいくつかに細かな亀裂が走り――耳を劈く様な高周波音は、最後には爆鳴の様な轟音へと変わったあと、人間の可聴範囲を超えて聞こえなくなった。

 皇龍砕塵雷はエッジ部分が高周波数で振動することによって接触した物体の分子構造を解くことで切断する、超音波カッターの一種だ――複数の曲線を組み合わせた複雑な形状も複合素材による構造も、共鳴周波数をなるべく高くとって刀身自体が異常振動を起こして自壊することを避けるためのもので、それ以上の意味は無い。刃の切断能力によって切断するわけではないために、形状の工夫による威力開発には意味が無いからだ。

 比較的比重の軽い素材で作られているために軽いその長剣を、グリーンウッドは軽やかに振るって襲いかかってきた悪魔二体を迎え撃った。セアラにはなにをしたのかすら認識出来なかったが、瞬時にバラバラにされた二体の悪魔が土壁に激突し、そのまま酸性の血液や腸で土壁や杭を溶かしながら落下していった。

 その末期を見届ける手間すら惜しんで、グリーンウッドが構築した皇龍砕塵雷を翳して仔細に観察する。

 炭素素材は高い耐蝕性を持っているが、それでもあの悪魔の体液の酸性に耐えるほどではないらしい――溶けた炭素繊維強化樹脂の刀身を確認して、グリーンウッドが小さく舌打ちを漏らす。

 反面、炭素繊維強化樹脂を軽く上回る高い耐蝕性を持つレアメタルで作られた金属素材の部分は、何事も無かったかの様に元の状態を保っていた。

 だが、エッジの部分に埋め込まれた無数のダイオードはとうに腐蝕して駄目になっている様だった――通電によって高速で振動し皇龍砕塵雷に切断能力を与えているダイオードは、金属素材や炭素繊維強化樹脂ほどの耐蝕性は持っていない。

 小さく溜め息をついて、グリーンウッドが手にした長剣を縦穴の奥底に投げ棄てる――もはや用を為さないと判断したらしい。ただし、セイルディア・グリーンウッドに弾切れはあり得ないのだが。

幾千幾万のOver Thousand――」 つぶやきとともに周囲の土壁が金銀にまばゆく輝く粒子を撒き散らしながらごっそりと削り取られ、それが集中して無数の皇龍砕塵雷を形作る。構築された数十の長剣の刃が高速で振動を始め、羽音の様な低周波が耳を劈く様な高音に変わり、爆発音の様な轟音を発してから、再び可聴範囲を超えて聞こえなくなった。

「うるせぇな……」 セアラの耳には聞こえない振動音がまだ聞こえているのか、アルカードが顔を顰めてそうぼやく。

「――Blades」 グリーンウッドのそのつぶやきとともに、宙に浮いた皇龍砕塵雷がそれぞれに鋒の向きを変え、壁にへばりついた悪魔の群れに向かって次々と飛び出した。

 

   †

 

 爆鳴にも似た耳を聾する轟音が、次々と鼓膜を震わせる――まるで弓兵部隊が一斉に放った矢の様に立て続けに撃ち出された無数の皇龍砕塵雷が、いずれもあやまたず壁にへばりついた悪魔の体を貫いて壁に縫い止めたのだ。

 悪魔の群れがそろってぎえええええっと絶叫を発し、次の瞬間装甲外殻にビシビシと細かな亀裂が走って緑色の体液が噴き出したかと思うと、そのまま内側から粉々に砕け散った――まるで内部から爆発したかの様に粉々に磨り潰された外殻や筋肉の組織片、ずたずたにされた内臓と酸性の血液が周囲に飛び散る。

「おい、魔術師――」 それまで立っていた杭より何周ぶんか上の杭の上で靄霧態を解き、アルカードはグリーンウッドに向かって抗議の声をあげた――悪魔の外殻に細かな亀裂が入り始めた時点で、これは危険だと判断して靄霧態をとって上方へと逃れたのだ――悪魔たちの体が破裂して体液が飛び散っても、それが収まるまで待ってから人間の姿に戻れば体液を浴びることは避けられる。

「ああ、すまんすまん」 声をかけたこちらを探す素振りすら見せずに視線を向けて、グリーンウッドが適当に手を振る。

「真祖の反射能力なら、あの悪魔どもの体が破裂してから体液が飛び散るまでの間に加害範囲から逃れられるだろうと思ってな」

 悪魔どもの外殻に異状が起きてから体液が噴き出すまでの間に霧に姿を変え、数ヤード上方の杭の上で実体化したので酸性血液の影響は避けられたものの、間近にいた悪魔も破裂していた――靄霧態変化へんげによる回避行動があと数瞬遅れていれば、アルカードは全身に酸を浴びていただろう。

「俺がそのまま観察する選択肢をとって、その場に踏みとどまってたらどうするんだよ。今ごろドロドロだぞ」 すぐ手近な場所に縫い止められた悪魔も破裂したことで憤懣遣る方無く、アルカードは壁に埋め込まれた白い石状のパネルを左拳で叩き割った。

 思ったより怒りが激しいのに気づいてグリーンウッドが頭に手を遣り、

「そのときはちゃんと中和してやる、し――噴き出した血液を周囲に飛び散らせるほど腕が悪いわけでもない」 そう言って、グリーンウッドが足元に視線を落とす――その足元では緑色の液体がまるで水銀の様にひと塊になって、球状に丸まったままふわふわと宙に浮いていた。

 どうやら気流操作かなにかで噴出した酸性体液を一箇所に集め、そのまま保持しているらしい。不定形の球状になった体液の表面からちぎれた指の先端が覗いているところをみると、内部に肉片も取り込んでいる様だ。

「それをどうする?」

「もう中和はしたから、別にそこらへんに棄ててもいいんだが」

「だったらどっかにポイしてこい」 投げ遣りにそう言ってから、アルカードは適当に手を振って――そこではたと手を止めた。

「おい。あのちっこいのはどうした」

「ん?」 グリーンウッドが周囲に視線をめぐらせて――セアラがいないことにようやく気づいたらしい。

「……あれ?」

「『あれ?』じゃねえだろ――おまえ、ちょっと全部真水に変えてそこらに撒け」

 とりあえず突っ込むだけ突っ込んでから、アルカードは再び霧の姿へと変化した――霧に姿を変えた瞬間に視覚も聴覚も触覚も嗅覚も消滅し、代わりに周囲のありとあらゆる事象が情報となって流れ込んでくる。グリーンウッドが素直に周りに水蒸気を生成して周囲の空気中の水蒸気量が増えると、霧の範囲が広がって知覚領域が一気に拡大した。

 真祖の形態変化のひとつである靄霧態ミストウィズインは霧が触れた物の表面の形状、光の反射状態から色も把握出来、水蒸気が通り抜けられるだけの隙間があればどんなに狭い隙間にでも探索の手を伸ばすことが出来る。

 範囲を広げるのには多少の時間を要するものの、その気になれば縦穴全体をカバーすることも出来る――密度が薄くなればなるだけ拡散にも再結集にも時間がかかり、さらに周囲の気象変化に対して脆弱になりやすいのだが。

 時間を要するとはいえ、それは瞬きひとつぶんほどでしかない――刹那の間隔を空けて、しかし一秒もたたぬうちに、アルカードは縦穴を落下しているセアラの姿を確認していた。感心したことに、魔術を発動して落下速度を抑えているらしい――不意打ちで転落したなら恐慌状態になっていてもおかしくないだろうに、冷静沈着にも魔術を発動して成功させたのだ。

 もっともあまり複雑な術式を組む間も無かったのか、空中を飛行する様な魔術ではなく単に落下速度を軽減するしか出来なかったのだろう――速度を抑えているとはいえ、舞い落ちる綿毛の様にゆっくりとした速度、というわけでもない。次の術式を発動させようとしているのだろうが、落下による焦りのせいかうまく術式を組めない様だった。

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