In the Flames of the Purgatory 60

 

   *

 

 ひゅっ――斬撃の重さからすれば、あまりにも軽い風斬り音が鼓膜を震わせる。セアラからすればほとんど瞬間移動にも等しい速さで接近した吸血鬼が、手にした漆黒の曲刀をキメラが振り翳した高周波ブレードに叩きつけた。

 ほんの一瞬だけ高周波ブレードの振動周波数が下がり、周囲に耳を劈く様な高音が響く――次の瞬間には高周波ブレードが半ばから切断され、切断面から血が噴き出した。続く一撃で胴を薙がれ、キメラがその場で膝を突く様にして崩れ落ちる。

 金髪の吸血鬼の立ち回りは見事なものだった――キメラの装備の中でもっとも対処の難しい生体熱線砲バイオブラスターの照射を避けるために、常にそれをすることでキメラの仲間に被害が出る様な位置取りで動いている。

 具体的には、あえて彼の様な白兵戦技能者が嫌うであろう立ち回り――つまりキメラの包囲網の中から出ずに戦っているのだ。生体熱線砲バイオブラスターの照射を試みる様子は無い――先ほどあの吸血鬼は一度照射されたレーザー・ビームを射線を読んで躱しており、その結果キメラたちは彼の背後にいた仲間のキメラを同士討ちで失っている。そのため、彼に熱線レーザーを撃つのは危険だと判断したのだろう。

 とはいえ、それももう――

 当初は二十体以上いたキメラたちはすでに三分の一以下にまで数を減じており、そして数が減るほどあの吸血鬼がキメラたちを斃すペースは上がってきている。

 シィッ――歯の間から息を吐き出しながら、金髪の吸血鬼が床を蹴る。すでに数が減りすぎて、あえて敵の包囲網のど真ん中で戦う必要は無いと判断したのだろう。

 いったん包囲網の外に出たアルカードに、背中の翼を大きく広げた二体のキメラが同時に襲いかかった――アルカードが迎撃のために手にした漆黒の曲刀を振るい、しかしその鋒はむなしく宙を薙いでいる。剣の間合いに入るよりも早く、二体のキメラが彼の両脇を駆け抜ける様にして間合いの外に逃れたのだ。

 そしてその背後から、さらに二体のキメラが同時に殺到した。先ほどの二体が自分の体と背中の翼を使ってアルカードの視線を遮り、後続のキメラ二体の姿を隠していたのだ。

 だが、アルカードは後続の二体に対して冷静に対処している――ロイヤルクラシックの聴力は音源があれば音響反響定位エコーロケイションが可能なほどに鋭敏なもので、個体差はあるが五マイル離れた場所で複数の針が地面に落ちる音を判別出来る者もいるという。圧倒的に優れた聴覚に加え、そんなことなど知る由も無いキメラたちはあれだけどたどた足音を立てているのだ――足音や呼吸音から位置関係を把握するのは容易だろう。

 だから、彼は戦闘の二体が避けた後方からさらに二体のキメラが殺到してきたときに驚きもしなかった。驚きもしないまま二体のキメラが振り回した両腕の高周波ブレードの軌道をかいくぐり、向かって右側のキメラの腕の外側へと逃れている。

 そしてそのまま、右側のキメラの無防備の脇腹に横蹴りを一発――横殴りに吹き飛ばされたキメラの体がもう一体のキメラの体に激突し、縺れ合う様にして二体まとめて床の上に崩れ落ちた。

 アルカードが蹴り足を前足にして踏み込み、鋒で床を引っ掻く様な低い軌道で剣を振るう。

 キメラたちにとって僥倖だったのは、最初の交錯で脇を駆け抜けた二体をアルカードが仕留めていなかったことだろう――さらに付け加えるなら、彼ら二体のあとに控えていた最後の一体が攻撃態勢を整えていたことだ。

 おそらく先行の二体と後続の二体で時間を作っている間に、最後の一体が生体熱線砲バイオブラスターの照射態勢を整えていたのだろう――それに気づいていたからか、アルカードは攻撃動作を中断して後退している。

 ただし剣の強振は止めずに――振り抜く動作で折り重なる様にして倒れたキメラ二体が両足を切断されて悲鳴をあげる。降り抜いた漆黒の曲刀を、アルカードはそのまま生体熱線砲バイオブラスターの照射態勢を取っていたキメラに向かって投げ放った。

 視線を向けないまま――しかし位置は正確に把握していたのだろう、回転しながら飛んでいった吸血鬼の魔具が、とっさに身をよじったキメラの片腕を切断する。

 だが、それが致命傷にならないことはすでに証明済みだ――このキメラたちとの戦闘開始直後にアルカードが両足を切断した個体だって、両足の傷口同士を押し当てるや否や接合していた。欠損した四肢の再生が出来るかどうかまでは不明なものの、傷口の細胞組織が生きてさえいれば切断された四肢をその場で接合し癒着させることは可能なのだ。

 先ほど仕留め損ねて両足を切断されたキメラ二体が、まるで靴を履く様に傷口同士を押しつけて切断された足を接合している。生体熱線砲バイオブラスターを照射しようとしていたキメラは、切断された右腕を長手袋を嵌める様にして傷口に接合していた。

 そしてそのときには、アルカードは先ほど遣り過ごしたキメラ二体の鎖によって全身を絡め取られている――骨の変化したものらしい鎖が両腕に絡みつき、アルカードが小さく舌打ちを漏らすのが聞こえた。

 足を切断されたキメラ二体が起き上がり、アルカードに向かって床を蹴る――その瞬間、金髪の男がゆっくりと笑った。

 背を向けているはずの彼の、表情など窺い知れるはずもない――正確には男の気配が、笑いの形をとったのだ。なぜかはわからないが、セアラはそれをはっきりと知覚出来た。彼は笑っている。

 次の瞬間、金髪の吸血鬼は咆哮とともに鎖に縛められた右腕を振り回していた――鎖に鹹め取られた右腕を、その鎖もろともに。

 基本的な膂力の違いだろう、右腕を鎖で絡め取っていたキメラが抵抗もむなしく畑の人参の様に易々と引っこ抜かれ、続いて野菜を入れた布袋かなにかみたいに思いきり振り回されて残る三体のキメラを薙ぎ倒す――同時に、アルカードは床を蹴っていた。

 キメラの鎖がアルカードを拘束出来ていたのは、離れたところにいる二体が同時に鎖を巻きつけていたからだ――二方向から引っ張るから拘束される。一体だけになってしまえば、ただそちらに接近するだけで鎖は緩む。振りほどくのは容易い。

 アルカードは一瞬でキメラの内懐に飛び込むと同時に下から上へと突き上げる様な動きで拳を繰り出し――その動きによってキメラの体が股間から右肩口まで両断されている。

 なにをしたのかはわからない――否、降り抜く動きが止まった瞬間に彼が手にした獲物を確認して、セアラは納得した。

 まるで鎌の刃の様に湾曲した形状の刀身が、彼の指の隙間から飛び出している――見覚えは無いが、彼の装備のどれであるのかは見当がついた。両腰から下げた薄い鞘の中に納まった、つまみの様な形状の後端部分だけが飛び出した板状の武装。

 あれの中身がこれなのだろう――柄を持たない鈎爪の様な形状をした刃だけの刃物を、指の隙間に握り込む様にして握力で保持しているのだ。

 それはわかる、わかるが――

 あんなもので人間よりはるかに強固な骨格を備えたキメラの胴体をまっぷたつにするなど、いったいどれだけの握力と腕力があれば出来るのだろう。

 だが腕力はそれに耐えても、武器は耐えられなかったらしい――手にした得物の刃毀れでぼろぼろになった鈎爪状の刃を検めて、アルカードが小さな舌打ちを漏らす。斬り込む瞬間に武器にかかる負荷を処理する閃光は見えなかったから、おそらく魔力強化エンチャントの技能にはさほど明るくないのだろう。

 次の瞬間には、アルカードの手にした鈎爪状の刃物が別なキメラの投げ放った鎖によって絡め取られている――続いて今度は、アルカードの両足首にも鎖が絡みついた。

 腕に巻きつけようものなら体ごと引き抜かれて先ほどの様に逆襲されるのがわかっているからだろう、今度は足首を拘束することにしたらしい。対角線方向二ヶ所から鎖を張れば、拘束された人間は身動きが取れなくなる。

 動きが止まった瞬間を見計らって、先ほど腕を落とされたキメラがアルカードに向かって両腕を突き出す。

 今度は鎖は出ない――生体熱線砲バイオブラスターの発射態勢だ。

 見た限りキメラたちの生体熱線砲バイオブラスターは二、三秒あれば発射準備が整う――武器を失うことを逡巡して動きが止まると読んだのだろう。

 ここで武器を手放して逃げれば、射撃からは逃れられる――だが武器を手放したことで、その後は劣勢を強いられる。場合によってはそのまま一気呵成に押しきることも出来るだろう。

 それは戦術的には間違った判断ではない、が――

 一瞬の躊躇も無く手にした鈎爪状の刃物を手放して、アルカードが床を蹴る。

 今度は鎖を振りほどいたわけではない――アルカードは彼らの鎖の拘束力など歯牙にもかけないすさまじい脚力で以て左右から彼を拘束していたキメラ二体を囚人の足枷の鉄球の様に鎖ごと引きずりながら、正面で生体熱線砲バイオブラスターの発射態勢に入ったキメラに向かって殺到したのだ。

 先ほどまでどれだけ手を抜いていたのか、アルカードの突進はその状態でなお拘束される前よりもさらに速かった――わざわざ手を抜く理由は理解出来る。普段から力押しに頼ってばかりいると、その力押しが通用しない相手に出くわしたらなにも出来なくなる。

 投げ棄てられた彼の鈎爪状の刃物が、床の上でからあんと音を立てる――それよりも早く、アルカードはキメラの間合いを侵略していた。

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォォアァラァァァァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮とともに、アルカードが右手を振り翳す。傷も無いのに掌から噴き出した血がその形を忠実に模倣した硝子容器に流れ込む様にして長剣の姿を形作った次の瞬間、剣の形をした血だまりは漆黒の曲刀へと変化した。

 ことここにいたれば、両腕を拘束していたほうがまだましだったかもしれない――両腕を拘束していれば、少なくとも武器の振りは遅くなる。

 だががなんの役にも立たず、両手も自由な状況であれば――

 標的になったキメラが回避しようと身をよじるいとますら無かった。

 一撃のもとに首を刎ね飛ばされたキメラが、鏡の様に滑らかな断面から心臓の拍動に合わせてびゅっびゅっと血を噴き出させながら床の上に崩れ落ちる――アルカードはそのまま動きを止めずに右足首を拘束する鎖を漆黒の曲刀で床ごと引っ掻く様にして切断し、そのまま続く一挙動で先ほど鈎爪状の刃物を鎖で絡め取ったキメラに向かって投げ放った。

 標的になったキメラにとって不運であったのは、彼――彼?――が壁際にいたことだろう。あるいは幸運であったのも、壁際であったことかもしれない。

 猛烈な勢いで回転しながら肉薄した漆黒の曲刀はキメラの頑丈な鎖と鎖骨、肋骨を砕きながら右肩から股下へと抜ける軌道で斜めに割って入った。しかし刀身が背後の壁に喰い込んだおかげでその威力を減じ、キメラの被害は胸郭を引き裂かれるにとどまって腹部にある心臓まで刃が届かなかったのだ。

 無論それを僥倖と取るか不幸と取るかは本人次第だろうが、この場合は客観的に見ても不幸だろう――それで命が助かれば僥倖だろうが、右肺を完全に引き裂かれた状態で助かる目はあるまい。いかに復元性能が高くてもガス交換器が破壊された状態ではその性能を発揮出来ないし、なにより残り二体がアルカードを仕留められなければ治りきる前にとどめを刺されるだけだ。

 背後の丈夫な壁に縫い止められ、キメラが口蓋から大量の血を吐き出す。あれではおそらくあのキメラが助かる目は無い――喉にあふれ出た血は逆流して左肺にも入り込み、肺胞を濡らしてじかに空気に触れられる面積を少なくするだろう。たとえ損傷自体は受けていなくても、肺のガス交換の能力が低下すれば水に溺れたのと同じ状態になる。あのキメラは今、自分の血で溺死しかけているのだ。

 アルカードが顔を顰め、小さく舌打ちを漏らすのが聞こえる――キメラが身をよじったために狙いがはずれたからだろう、彼は今の投擲でキメラを仕留めるつもりでいたのだ。

 そちらのとどめは後回しにすることにしたらしく、彼は今度は左足を拘束していたキメラに向かって殺到した――先ほどそうであったのと同様、一ヶ所だけの拘束は間合いを詰めれば意味を失う。

 だが、次の瞬間には内懐に殺到したアルカードが一撃を繰り出しそうとするより早くキメラが鎖の末端を投げつけて後退している――どうやら任意に切り離すことが出来るらしい。あの鎖は体の一部なので、じきに再度投擲出来る状態になるはずだ――もっともそれにどれだけの時間がかかり、細胞分裂のためにどの程度の栄養と熱量を必要とするのかは判然としないが。

 いずれにせよ、再生の時間など与えはすまい――奪い取られたものとは別の鈎爪状の刃物を新たに取り出し、今度は左右それぞれ三枚保持したアルカードが、両腕を翼の様に大きく広げた態勢で再び床を蹴った。

 だがキメラに追いすがるよりも早く、高周波ブレードの振動周波数が急上昇する耳を劈く様な高音が周囲に響き渡る。

 もう一体、先ほど同様に鎖を切断されたキメラが背後から突っ込んでいったのだ。

 小さく舌打ちを漏らして、アルカードが振り回された高周波ブレードの鋒から逃れる――先ほどまでの魔具と違って、彼が保持した鈎爪状の刃物には高周波ブレードと切り結ぶ能力は無い。魔力強化エンチャントを施していれば別だが、そこまでの能力はあるまい――魔力強化エンチャントを行う技能があればとうに使っているであろう状況が、これまでにいくつかあった。

 振り回された高周波ブレードを上体を沈めて躱しざまに、アルカードが拳を突き出す。それを保持したまま肉と骨を貫く自信があるのか、片足を大きく側方に踏み出すことで頭を下げた態勢から上体をひねり込み、大きく踏み込んだことで上体が斜めに前に出たキメラの無防備の脇腹へ鈎爪状の刃物の鋒を突き立てようと――

 するより早く、キメラは弾かれた様に後方へと跳躍している――小さく舌打ちを漏らし、アルカードは両手の指の隙間に挟む様にして保持していた保持した鈎爪状の刃物を板をつまむ様に持ち替えて、水平に腕を振り抜く様な動きで投げ放った。それぞれ三枚ずつ、二体のキメラに肉薄し――

 しかし、躱せないほどの速さではなかったのだろう――だが同時に、周囲の状況を確認する余裕があるほど遅くもなかった。二体のキメラは飛来した鈎爪状の刃物を跳躍して躱し――次の瞬間たがいに肩口からぶつかり合って動きを止めた。

 偶然――否、のだ。

 向かって左のキメラは向かって右に、向かって右のキメラは向かって左に、それぞれ跳躍することでより回避しやすい軌道で投げ放ったのだ。

 たとえば、正面から三本のナイフを投げつけられたとする。それぞれが胸、右肩、それに右肩から少し右側に目標をそれていた場合、もし右に動いて避ければそのままでいれば当たらないであろうナイフに当たってしまう危険がある――普通に考えれば、当然左に避けようとするだろう。アルカードはそうやって意図的に逃げやすい方向を作ることで、二体の回避行動を操作したのだ。

 続く一挙動で二体のキメラの体がまるで紐で縛られたハムの様に絞り上げられ、次の瞬間二体まとめてバラバラに引き裂かれた――血まみれになった鋼線を足元に投げ棄てて、アルカードが鼻を鳴らす。

 同時に水音の混じった叫び声があがり――視線を転じた先で、先ほど胸部を引き裂かれたキメラが床を蹴った。

 吸血鬼の魔具は肩を割って入り、体を貫いてはいなかった――キメラはその場で壁にもたれてずり落ちる様にして体の位置を下げ、背後の壁に喰い込んで自身の体を壁に縫い止めていた漆黒の曲刀の刃を傷口から引き抜いたのだ。

 おそらく肺の機能が破壊されたために酸素供給量を確保出来ないからだろう、振動音は聞こえない。振動していない高周波ブレードは、ただの硬質化した板でしかない。きちんとした訓練を積んだ戦士が扱う武器と撃ち合って、抗すべくもなく――

 アルカードが再び手元で構築した漆黒の曲刀が、凄絶な絶叫をあげる。歯の間から息を吐き出す音とともに踏み込んだアルカードが振るった漆黒の曲刀の一撃は、キメラのブレードを悲しくなるほど易々と切断していた。

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